第32話 頼朝が謀反を起こすの事

■治承4年(1180)8月

 治承四年八月十七日に頼朝はついに謀反を起こした。


 まず和泉判官兼隆(山木やまき兼隆かねたか)を夜討ちにしたが、八月十九日に相模国小早川の合戦に負けた。

[訳者注――山木兼隆は加藤景廉かげかどに討たれている]

[訳者注――小早川の合戦とされているが、一般には石橋山の戦いと呼ばれる。この戦いで源氏は大敗を喫した。山中に隠れていた頼朝は梶原景時に命を救われている]


 そして土肥(神奈川県湯河原町)の杉山に篭った。


 平家方の大庭三郎(大庭おおば景親かげちか)とその弟の股野五郎(俣野またの景久かげひさ)は土肥の杉山を攻めた。


 二十六日の明け方に、相模国の真鶴岬から舟に乗り、三浦(三浦半島)を目指して漕ぎだした。


 折しも雨風が激しく、岬に舟を寄せることができなかった。


 結局、二十八日の夕暮になって安房国の洲崎(千葉県館山市)という所に舟を着け、その日は瀧口大明神で御堂に篭って祈願した。


 夜が更けても祈誓していると、明神がその姿を現して、宝殿の戸を美しい手で押し開き、一首の歌をおよみになった。


 ――源は 同じ流れぞ 石清水 たれ堰き上げよ 雲の上まで

(この瀧口大明神をたどっていけば、源氏の氏神である石清水八幡権現と同じ流れをくむ八幡宮である。石清水がたれ落ちているように源氏が衰えているのをお前が止め、雲の上まで高めるのだ)


 頼朝殿は夢から覚めて、明神を恭しく三度拝んだ。


 ――源は 同じ流れぞ 石清水 堰き上げて賜べ 雲の上まで

(源が石清水と同じ流れである明神よ。どうか源氏の衰えを止め、家名を雲の上まで高めてくだされ)


 と、歌を詠んだ。


 明るくなってから頼朝は洲崎を出発し、安東、安西を通り過ぎ、真野の館を出て小湊に渡り、那古の観音を伏し拝み、雀島の大明神の前で型どおりのお神楽を奉納して竜島りょうしま(千葉県鋸南町)にたどり着いた。


 この時、加藤景廉かげやすが言った。


「悲しいことです。保元の乱で為義様が斬られ、平治の乱で義朝様が討たれてからというもの、源氏の子孫はみな影を潜め、武名も埋もれて長い月日が経とうとしています。たまたま源氏でも源三位頼政様が立ち上がりましたが、運のない以仁王にお味方し、源氏の世にとっては残念なことになってしまったのが悲しいことです」

[訳者注――源為義は保元の乱で崇徳上皇方に味方したが、後白河天皇についた長男の義朝(頼朝の父)の手で処刑されている]


「そのような弱気心を持つな。八幡大菩薩がどうして我が源氏をお見捨てになろうか」


 頼朝のその答えがどれだけ頼もしいことであるか。


 そうしているうちに、三浦の和田小太郎義盛わだのこたろうよしもり佐原十郎義連さはらのじゅうろうよしつらたちが久里浜の海岸から小舟を出し、一門郎党三百人余りが竜島に到着して源氏に従属した。


 安房国の住人、麻呂太郎、安西太夫の二人を大将として、五百騎余りが馳せ参じ、同じく源氏に従属した。


 源氏の軍勢は八百余りとなり、大いに気勢を上げたた。


 頼朝は馬に鞭を打って安房と上総の境である造海つくらうみを渡り、上総国佐貫の枝浜を急いで進み、磯崎を通って篠部、川尻という所に着いた。

[訳者注――この時代、房総半島は多くの川が流れており、現代の地形とは大きく異なっている]


 上総国の住人、伊北、伊南、庁北、庁南、武射、山辺、畔隷、河上らの勢力、合わせて一千余りが周淮川というところへ馳せきて源氏に加わった。

[訳者注――源氏に味方する者が続々と集まってくるところを描写している。これは坂東武者たちに平家に対する不満が溜まっていたからと考えられる]


 それなのに上総介である八郎広常ひろつねはいまだにやってこない。

 内々に広常はこう話していた。

[訳者注――この頃の上総かずさ広常ひろつねは上総と下総を所領し、大きな勢力を有していた]


「そもそも頼朝殿が安房、上総へ渡り、二か国の兵を揃えて集めたのに、いまだにこの広常のところへ御使者を送ってくださらないのはどういうお考えなのか。今日一日待っても頼りがないのであれば、千葉や葛西を促して木更津の浜へ押し向かおう。そして源氏を従えてしまうのだ」


 そのような議論をしているところに、安達藤九郎盛長あだちとうくろうもりながが褐色の直垂に黒革で威した腹巻、黒津羽の矢を背負い、塗籠籐ぬりごめどうの弓を持って上総介の許へとやってきた。


「上総介殿にお目通り願いたい」


 頼朝殿の御使者がやってきたと聞いた上総介は嬉しくなり、急いで出迎えて対面した。


 そして御教書みぎょうしょを賜り、拝見した。

 この時の上総介は、きっと一門を差しつかわせよとお命じなのだろうと思っていた。


「今まで広常が遅参しているのはどういうことなのか」


 と書いてあるのを見て、


「ああ、これこそ頼朝殿の御書状である。主君とはこのようにあってほしいものだ」

[訳者注――この一連の流れは、平将門まさかどのエピソードが下敷きにあると思われる。藤原秀郷ひでさとが味方として参陣したと聞いて、将門は喜びのあまり髪を結わずに秀郷を迎え入れた。その軽率な行動を見て秀郷は将門を誅罰すべしと考えるようになる。つまり、今更大軍勢を率いて広常が参陣しても軽々しい態度で迎え入れないぞと言ってきた頼朝を主人として認めたのだと考えらえる]


 そして千葉介常胤ちばのすけつねたねのところへこの書状を送った。


 葛西、豊田、浦上たちも上総介のところへ馳せ参じ、千葉介と上総介が大将となって三千騎を貝渕(木更津市)の浜に馳せきて源氏に味方した。

[訳者注――一説では2万騎を率いていたという資料もある。ともかく広常が大勢力を有していたのは間違いない]


 今や頼朝殿の軍勢は四万あまりになっており、上総の館に到着した。


 こうしているうちにも時間が経っているとはいえ、もともと関東の八か国は源氏に心を寄せている国であったので、我も我もと馳せ参じてきた。


 常陸国(茨城県)では宍戸、行方、志田、東条、佐竹別当秀義さたけべっとうひでよし、武市太郎、新発意道綱たちが。

[訳者注――史実では佐竹秀義は治承四年十一月に起きた金砂城かなさじょうの戦いで頼朝に敗れて逃亡している]


 上野国(群馬県)では大胡太郎、山上信高。

 武蔵国は川越重房、同じく喜三郎重義が。

 党では丹、横山、猪俣らが馳せ参じた。


 畠山と稲毛はまだ来ていない。

 なお、秩父庄司と小山田別当は京にいるために不参加である。


 相模国(神奈川県)では本間、渋谷が馳せ参じたが、大庭、股野、山内は来なかった。


 治承四年九月十一日に、頼朝は武蔵と下野の境である松戸の庄、市川という場所に着いた。軍勢は八万九千にものぼると言われている。


 ここには坂東でも名高い大河がある。

 この利根川の水源は上野国刀根の庄、藤原という所から落ちているので随分と水源は遠い場所にある。


 川下は在原業平が墨田川と名付けた。

 この川は海から潮が上がってきて、上流では雨が降りっているので洪水が岸を越えていた。

 それはまるで海のようで、この洪水のために五日間逗留した。


 川を渡った二カ所に陣を張った者がいた。

 櫓を建て、その櫓の柱に馬を繋ぎ、源氏を待ち構えている。


 頼朝殿はこれを見てこう言った。


「誰かあの者の首をとれ」


 江戸太郎(江戸えど重長しげなが)はこれを伝え聞くと急いで櫓の柱を切って筏にして川を渡り、葛西兵衛に頼んで頼朝との対面を願い出た。しかしそれは受け入れられなかった。


 重ねて願い出たが頼朝の態度は変わらない。


「どう考えても頼朝を妬んでいるようにしか思えぬ。伊勢加藤次よ、油断するでない」

[訳者注――史実では石橋山の戦いで頼朝の軍と重長は戦っているが、のちに頼朝に帰伏している]


 これを聞いた江戸太郎は顔色を失っていた。


 そこで千葉介は近くにいながら黙っているのもどうだろう、ともかく言上してみようと頼朝殿に畏まって江戸太郎を不憫に思って欲しいと願い出た。


「江戸太郎といえば関東八か国でも大金持ちと聞いている。軍勢がこの二、三日、洪水によって足止めを受けている。川を渡るために舟で浮橋を組み、我が軍勢を武蔵国の王子、板橋へ渡すのだ」

[訳者注――無茶ぶりである]


 江戸太郎はこの頼朝の発言にこう答えた。


「たとえ首をとると言われてもそれは無理でございます」

[訳者注――四万の軍勢を洪水になった川の向こうへ渡すのは簡単なことではない]


 それを聞いていた千葉介は葛西兵衛を招き寄せてこう言った。


「ここは江戸太郎を助けてやろう」


 二人は知行地である今井、栗河、亀無、牛島という場所から漁師の釣り船を数千艘も召し上げた。


 江戸太郎の知行地である石浜というところでは折よく西国の舟が数千艘も到着していたのでこれも召し上げた。


 そして江戸太郎と力を合わせ、三日の内に浮橋を組んだ。


 頼朝殿はこれを見て、殊勝であると仰った。


 こうして江戸川、墨田川を越えて武蔵国の板橋に着いた。

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