姫守の君

ジョセフ武園

 天文18年――1月。安芸吉田。

元就もとなり公、何用でしょうか? 」

 男は、薄暗いその部屋で尋ねる。元就と呼ばれた初老の侍は右手を扇の様にゆっくりと振る。もっと小声で――という指示だ。

 その行動を見て男は返事とも言える程大きく喉を鳴らした。

光俊みつとしよ……余は、其方を家臣以上、戦友としてこれまで共に時を過ごしたと自負しておる」

 その言葉は――空気を揺らす。例えでしかないが。確かに弱弱しく周囲を照らす蝋の火が大きく波打った。

 同時光俊と呼ばれた男の背筋に幾つもの殺気が打たれる。彼は思わず吐き気を催し口を抑え、嗚咽を無理やりに飲み込んだ。


「余の命――最早過歳から将来を見据える猶予はない。この金色の知識謀略も優々と先ん出る者が今後現れるであろう。

 余は――我が子ども達が慈愛しい。

 この生命が燃え策略が生きる内に、後の脅威となり得る宿敵 大内おおうち尼子あまごを滅ぼさねばならんのだ。解るな? 」

 その声は、最早遥か彼方から聴こえる程に小さく。だが、幾万にも木霊して光俊に向かう。


「話せ。元兼もとかねは何を企てておる? 」


 どくん――と心臓が光俊の胸を叩く。顔面から夥しい程の汗が同時に噴き出した。

 

「お、甥は……元兼めは………も………元就公に、謀反を……企てております……」

 四十過ぎの屈強な男からは出る想像もできない程の情けない声であった。

「………報告、ご苦労である。其方と家族には手を出さぬ事を元就の名の下に約束しよう

 さて……光俊よ

 其方を余の最大の家臣として命ずる。これより話すはこの元就、最大の謀略である」


 暗闇を艶やかに消す火の波は――厳島の凪と共に止まる。



                 『姫守の君』


 ――安芸あき界田かいた城。


「バカな‼ 井上いのうえ殿から、何故我等にその様な命が下る‼ 」

 恰幅の良い大男は、唾液をまき散らしながら伝達者へそう叫んだ。


「はっ、しかし間違いなくこれは井上氏の筆命。殿、我が界田は他の五楼撰ごろうせんと共に謀反の疑いを掛けられております」

 それを聞いて、先の大男は髷の前方の頭皮に幾つものいづなを走らせる。

「納得いかん‼ なればわしが直々に井上殿の元へ‼ 」


「おやめ下され‼ 殿‼ 」



 ――佐東さとう柳王りゅうおう城。

「……」その男の風格には歴戦の凄みがある。

「父上……」彼の隣に座る花も恥じらう程の麗しき乙女はその様子に固唾を飲み見守っていた。


「勘付いておったか……元就公、流石。

 華多那かたなよ。すまぬな。お主にはただただ平穏な日々を与えてやりたかった。

 お前の母に約束した様に」

 それを聞いた乙女は、静かに瞳を閉じると優しくそして、強く微笑んだ。



 ――賀茂かも吉南よしな城。

「い~~~~~や~~~~~だ~~~~~~~~~‼ 」

 美しい着物を着た女性が困った様に襖の向こうで宥める。

宇羅うら、仕方がないのよ。大丈夫よ。たおは、安芸屈指の弓の使い手、那須与一の生まれ変わりとも言われる武芸者。貴女をきっと護り切ってくれるわ」


「いいいいいい~~~~~~~や~~~~~~だ~~~~~~~~~‼ 」


 彼女と隣の男性は顔を見合わせると同時に溜息を吐いた。


 ――佐伯さえき皆臥みなが

 その男は、固まった様に眉間の皺を刻み、その令状を睨みつけたままだ。

「あなた……」心配そうに声を掛ける妻の声を聞いて静かに瞳を閉じる。


「皆臥からは、三女のツネを出す。付き添いの兵にはやしろのところの三男坊が2人とも本望だろう」

 その言葉に、妻は口を覆いその場に崩れ落ちた。

「泣くな、イヨ。わしらの元には娘は2人しかおらんかった。そう思え」



 ――豊田とよた尾満おのみち


 その日は、春の安らぎを予感させる風が山の向こうから降りてくるような。そんな冷たくも清々しい程の朝であった。


 馬の世話役の隼太はやたという少年はそんな空を作業中に、つい見上げる。

「あ……」その視線の先、馬小屋の屋根に、そこには似つかわしくない。しかし、見慣れた華やかな色の布が空を泳いでいるのが見えた。


「姫ーーー、またそんなところで本を読んでいらっしゃるのですかーーー?

 危のう御座います‼ どうか、お降り下さーーーい」

 隼太の叫びに、馬達が「ブルルッ」と鼻を鳴らす。


「……はやたー、義姉上から貰ぅた南蛮菓子があるよ。よかったら、お前も一緒に食わないか? 」

 呑気そうなその返事に、隼太は短い頭髪を掻いた。

 そして、そのまま袴の端を大腿の部分に括ると一気に屋根まで飛び上がる。


「やあ」

 そこに居たのは、鮮やかな彩色の着物に対して、まるで雪原の様にだった。


「やぁ、じゃないですよ。さき姫様。この小屋も年々ガタが来ております。屋根が抜けて姫様が怪我でもしたら、我々馬世話衆は、全員殿に腹を切らされてしまいます」

 その隼太の言葉に、くすくすと笑うと彼女は右手に持った山吹色の南蛮菓子を一口齧り残りを彼に向けて差し出す。

 1回、2回と頬を掻くと、彼は彼女の横に腰掛け、その菓子を受け取り口に運ぶ。

「う……うまい」

「だろぉ? 」

 にやっと口角を上げると、すぐに少女は視線を持って来ていた書物に移す。


「……姫様、また随分と難しそうな本を読んでおられますね……」

「野草の毒草や、薬草の書物だよ。隼太も読むかい? 」

 言いながら、少女の瞳は書物から離れない。

「僕は、結構ですよ」


「それにしても、野草一つにも色々あるねぇ。こうなると、実際に見てみたくなるよなあ、隼太。私と一緒に外の世界へ自由に飛び立ってみないか? 」


 彼女がそう言った時だった。


「姫様ーーーーーー、咲姫様ーーーーー、居られませんかーーーー」

 下の方から、老人のそんな大声が聴こえる。


「……んん? 隼太、これは、じいやの声か? おかしい。何故、ここでじいやの声が聴こえる? 」

 彼女はそう言いながら、一つも困惑せず、書物のページを捲る。

「姫様ーーー、殿がお呼びです‼ いらっしゃいましたら、ご返事をーーー」


「父上がーーー? 何用じゃーー? 」

 まさか、返答があるとは思わなかったのだろうか。相手の声は一瞬停止した後。


「姫様‼ どこです⁉ おい、馬世話衆‼ 姫様はどこじゃ‼ 隼太‼ お前も一緒か⁉ 」

 言い当てられて思わず「ぐえっ」と隼太は漏らした。

 そして、咲の方へ抗議の視線を向けると、やっと彼女は書物から目をこちらに向けて両手を前に合わせる。

 隼太は、深く溜息を吐いた後、咲を抱え上げそのまま屋根から飛び降りる。


「うおおおお‼ 」

 丁度、落下点の近くの死角にいた老人が驚きの声をあげる。


「やあ、じいや。ここまでご苦労だったね。さあ、行こうか」

 老人は、何かを言いたそうな顔をして、一度隼太を睨みつけて、やがて口を開く。

「はい、参りましょう。とても大切なお話です」


「縁組の話なら断るよ」それだけ言うと咲は、そそくさと隼太に書物を手渡す。

「じゃあね、隼太。また南蛮菓子を持ってくるから話し相手になっておくれよ」

 そうして、咲は一人で城の方へ向かって行ってしまう。

 不思議な事は、彼女の爺やの老人がそこに立ち止まっている事だ。


「隼太よ……いや……

 姫様の、良き友人でいてくれて……ありがとう

 お前と逢う前の姫様は、あんなに明るくなかった。肌の色や、血の色を映したあの瞳も――同じころの子は皆が気味悪がり近付かなかった。

 そんな時お前と逢って、本当に姫様は変わったよ。少し、元気になり過ぎだがな……」


 それだけ言うと振り向かず、彼もまた咲の後を追って行ってしまった。少しだけその様子を不思議に思ったが、隼太は直ぐに馬の世話に戻る事にした。

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