第二十話 佐藤 清和(29)の場合

「いつか絶対にあの背中に追い付く」


 そう言って握りしめた拳をぶつけて笑い合う赤間さんと緑川さんを見つめて俺は口の中でつぶやいた。


 背中、と。


 思い浮かんだのは冷たい体育館の床に這いつくばって、ぶつぶつとつぶやいている背中で。その背中を思い出した瞬間、俺は思わず天井を仰ぎ見て笑っていた。


 ――君は本当に記者なのか?


 室長室で白瀧さんに会ったときに聞かれた言葉が浮かんだ。白瀧さんの問いに返す言葉がなくて黙り込んでしまったけど、〝なんで俺は記者になったのか〟を思い出した今なら答えられる。


 今の俺は本当の記者じゃない。

 少なくとも俺が目指した記者じゃない。


 苦笑いして目を伏せると俺は口を開いた。


「俺の祖父じいちゃん、新聞だか週刊誌だかの記者だったらしいんです」


 急に祖父ちゃんの話なんて始めるものだから赤間さんも緑川さんも目を丸くしている。二人にヘラ……と笑いかけて、それでも俺は話を続けた。


「らしいってのは誰もちゃんと教えてくれなかったからなんですけどね」


 物心つく頃にはとっくに定年を迎えていた祖父ちゃんは居間のテレビの前に座っていつもヘラヘラと笑ってた。仕事にかまけて家庭を顧みなかったツケだと祖母ちゃんもお袋も言ってた。

 それを聞いてもヘラヘラと愛想笑いしてるだけの祖父ちゃんを俺はカッコ悪いと思ってた。


「俺が中学んときにしばーらく避難所生活をする機会があって……あ、妖精災害じゃないです。大雨による土砂崩れが原因で」


 亡くなった人もいる。いまだに見つかってない人もいる。名前も知らない誰かじゃない。小さい頃から知ってる近所のばあちゃんや昨日まで同じ教室でいっしょにバカやってた連中だ。

 でも、誰が亡くなって誰が行方不明になったのか、はっきりしたのはずいぶんとあとになってからだ。避難所にいるときはみんなも情報も混乱するばかりでわからないことばかりだった。


 それでも知りたい、少しでも情報を得たいとみんな必死になった。


「避難所になった体育館の一角に掲示場所が作られたんです。そこの前がいつも殺伐としてて……」


 食事や支援物資の配給はいつ、どこで? 給水車はいつ、どこに? トイレは? シャワーは? 薬は? ゴミは?


 職員が誰々が亡くなっているのが見つかったという知らせを貼り付け、その上に家族とはぐれた人がどこそこにいると伝言を貼り、さらにその上に誰々が病院に運び込まれたという伝言を貼り……。


 次々と貼り重ねられていく紙はみんなの心のようだった。疑問や不安、恐怖が次々と貼り重なってぐちゃぐちゃになっていく。


「貼り重なった紙をめくって、はがれて、足元に落ちた紙が踏ん付けられてぐちゃぐちゃになって……知りたい情報がすぐに見つからないからいつまで経っても人がどかない。掲示場所の前はいつも人がごった返してて、つかみ合いのケンカとかもしょっちゅうで……」


 あいさつをすると目を細めて笑っていたおじさんが目をつり上げて怒鳴り散らしていた。俺たちが悪さすると拳を振り上げて怒鳴ってたばあちゃんが誰かに突き飛ばされて、座り込んで、そのまま呆然としていた。


 そんな光景を俺は泣き出したい気持ちで見ていた。見ていることしかできなかった。

 そんな俺の肩を叩いて祖父ちゃんはヘラヘラと笑いながら言った。


「じーちゃんに任せとけ」


 と――。


「みんなが寝静まって掲示場所がいた頃、祖父ちゃんは張り付けられた紙を整理して書き直し始めたんです。パソコンもプリンタもないから手書きで」


 ――人ってのは自分に関係する文字や単語に反応するもんなんだ。

 ――見出しにその人が知りたいと思ってる単語が入ってりゃ目が行く。

 ――それだけでどれだけ違うか。


 歯に朝ご飯のひじきをくっつけたまま、祖父ちゃんはニヤリと笑って言った。


「それだけで……祖父ちゃんが見出しを考えて、無茶苦茶に貼られてた伝言や知らせを整理して書き直しただけで全然違ったんです」


 その人が知りたい情報がすぐに見つかるようになった。掲示場所の前にできていた人集りはなくなった。つかみ合いのケンカもなくなった。

 知りたいけど知りたくなかった情報を知って掲示場所の前で泣き崩れる人もいた。でも、誰かが寄り添って肩を撫でるだけの場所と心のゆとりができた。


「たかがその程度のことって思う人もいるかもしれません」


 実際、祖母ちゃんもお袋もたかがその程度のことって感じで、死ぬまで……死んでも祖父ちゃんの株が上がることはなかった。


「でも、俺は……冷たい床に這いつくばってどんな言葉で、どういう順番で見せたら一番伝わるか。ぶつぶつ言いながら考えてる祖父ちゃんの背中をかっこいいって思ったんです」


 小難しい言葉も奇抜な言い回しも一切ない。一見すると誰でも思い付きそうな平易な言葉。だけど、その言葉は一目で誰もがわかるようにと祖父ちゃんが選びに選んで並べた言葉だ。

 その言葉はきちんと祖父ちゃんが考えたとおりの、俺が望んだとおりの結果をもたらした。


 あの日見た祖父ちゃんの笑顔は前歯にひじきをくっつけたままの最高にかっこわるい笑顔だったけど――。


「あの日見た祖父ちゃんの背中は最高にカッコよくて、俺にとっては最高のヒーローで。だから俺は記者になろうって思ったんです。……そんなことすっかり忘れて憧れてたのとは全然違う感じになっちゃってますけど」


 ヘラヘラと愛想笑いで襟首をかいた俺は、


「でも今日、皆さんといっしょに出動してみて思ったんです。俺……」


 食堂のドアが開く音に言葉を切って振り返った。


「茶山さん!」


「もう動いて大丈夫なんですか?」


「ひと眠りしてすっかり回復したよ」


 心配そうな赤間さんと緑川さんに軽く手をあげて茶山さんは微笑んだ。弱々しい微笑み。顔色はずいぶんと良くなったけど、まだ本調子ではないようだ。


「君たちのお昼を温め直さなくちゃと思って来たんだけど……」


 そんなことは自分たちでやりますよ! と言おうとした俺は茶山さんに真っ直ぐに見つめられてその言葉を飲み込んだ。


「俺たちといっしょに出動してみて何を思ったんだい、佐藤くん」


 飲み込んだ言葉の代わりにうなずいて茶山さんの質問に対する答えを口にする。


「妖精の群れに車で突っ込んでしまった夫婦も、妖精はいなくなったと思って窓を開けてしまった女の子も、見えないけどそこにいるとわかっていれば危険を回避することができた……かもしれません」


「かもしれない、か」


 茶山さんは鼻で笑った。

 でも――。


「あながち見当違いってわけじゃない。警察も避難誘導に協力してくれてるけどレベル2以下の妖精は見えない人がほとんど。見えるレベル3以上も魔法使い以外は倒すどころか触れることもできない。現場が混乱することも多い」


 目には優しい色が浮かんでいた。


「〝音声通話〟は……比喩だけど端末、白瀧さんが端末を渡してあるメンバー内でしか使えない」


 室長室で白瀧さんに会ったときに〝箝口令かんこうれい〟をかけられたけど、そのときに〝音声通話〟の端末も渡されていたのだろう。

 納得してうなずいて、俺は真っ直ぐに茶山さんの目を見つめた。


「俺には茶山さんや赤間さんや……紅野さんみたいに妖精と戦う覚悟なんてありません。俺がなりたかったのは祖父ちゃんみたいに情報を適切に伝えることで人を助ける、そんな人だったから。でも――」


 中年夫婦の青ざめた顔を思い出す。

 妖精に襲われて血だらけになった母親の腕と、自分を守るためにケガを負った母親を見上げて呆然とする女の子の顔を思い出す。


 必要な情報を適切に伝えられていれば、あの人たちは怖い思いや痛い思いをしないで済んだ。

 だから――。


「もし俺の魔法が妖精災害の現場で情報を必要としている人に適切に情報を伝えられるような魔法だったら、そのときは妖精災害対策課魔法室に入りたい。みなさんといっしょに妖精災害の現場に立ちたいって思ったんです」


「……そう」


 俺の答えを聞いた茶山さんはうなずくとテーブルに置いてあったスプーンを取ってオムライスを一口すくった。

 そして――。


「佐藤くん、あーん」


 スプーンを俺に向かって差し出してきた。え? と思って固まってると、


「あーん」


 再びスプーンを差し出してくる。笑顔の茶山さん、怖い。圧が凄まじい。圧に負けた俺はぷるぷる震えながら口を開けた。ねじ込まれるスプーンの感触。

 それから――。


「……美味しい」


 口に広がるオムライスとホワイトソースの味に感嘆の声が漏れていた。俺の言葉にか、表情にか。


「冷めても美味しいだろ?」


 茶山さんは満足げに笑った。


「親父たちの洋食店を継ぐのが俺の夢だった。この味は俺が本気でその夢を追っかけてきた証」


 そして、その夢すらも捨て、妖精と戦うために魔法使いになったのだという覚悟の証。


「温めるだけなら自分たちでできるね。俺はもうひと眠りしてくることにするよ」


 言わんとすることは伝わったと俺の表情を見て察したのだろう。茶山さんはさっさときびすを返した。

 食堂のドアを出る直前――。


「君が入ってくれるのを楽しみに待っているよ、佐藤くん」


 そう言ってひらりと手を振る茶山さんに俺は目を細めて微笑んだ。

 振り返って俺は赤間さんと緑川さんに向き直った。


「最後に聞いてもいいですか」


「ん?」


「なんですか?」


 息ピッタリで首をかしげる赤間さんと緑川さんにくすりと笑って、


「なんで魔法使いになろうと思ったんですか?」


 取材させてもらえる魔法使い全員に聞こうと決めていた質問をした。

 赤間さんはニヒッと歯を見せて笑い、緑川さんはメガネのブリッジを指で押し上げて微笑んだ。


 身の丈に合わない大剣や盾と同じようにその答えもまた紅野さんの猿真似だった。でも、今では猿真似でもなんでもなくなっている答えに俺は目を細めて微笑む。


「「そんなの世界を守るために決まってんだろ!」」


 その答えに宿る心は二人自身のモノで、もう本物だから。きっと猿真似じゃなく身の丈に合った剣と盾を使う二人に会える日も近いのだろう。

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