report2. 五人の勇者



「うう……頭痛い……」


 昨晩飲みすぎたせいか、あるいは緊張で眠れなかったせいか。ズキズキと痛む頭を抱えながら、ジークは覚束おぼつかない足取りで無駄に広い王城の廊下を歩いていた。


 向かう先は謁見の間。

 王に会うことはもちろんのこと、こうして王城を歩くのでさえ初めてのことである。いつかは立派な騎士としてこの真紅のカーペットの上を歩くことを夢見たものだが、まさかこんな形で突然叶うことになるとは。しかも、かりそめの鎧を着て。


「とにかく、陛下に謁見するなら身なりだけでもちゃんとしていけ」


 というわけで教官から渡された騎士団員の鎧。本来なら騎士団に入団して初陣に出る際にようやく着ることを許されるものだが、ひとまず謁見のための正装として貸し出してもらうことになった。


 それにしても、さっきから誰かとすれ違うたびにチラチラと視線を投げかけられている気がする。


(もしかしてこの格好……めちゃくちゃ似合ってる?)


 試しに、メイドの女性とすれ違うタイミングでキリリと表情を決めてみせると、ぱっと目を背けられてしまった。

 そそくさと去っていく彼女の背を見つめながら、ジークはニコニコと満面の笑みを浮かべて得心した。


(やっぱりね。俺は騎士になるべくして生まれてきた男だから)


 そう思うと、頭痛も吹き飛ぶかのようだ。浮かれ心地で柔らかいカーペットを踏みしめ歩く。


 ……本当は、傷一つない鎧イコール戦場に出たこともないような新米騎士がなぜここに、という怪訝な視線だったのだが、本人は知る由もない。

 物事を楽観的に考えるのは、この青年の得意とするところであった。




 謁見の間は三階建ての王城の最上階にある。長い階段を上り終え、ようやく荘厳な装飾の施された扉が見えてきたところで、ジークはふとその扉の前に誰かいることに気づいた。


 日に焼けた褐色の肌に、短く刈り上げた黒髪の青年。歳はジークと同じ二十歳前後か。城に仕える人間、には見えない。下半身は動きやすそうな白の道着に、上は割れた腹筋を晒すがごとくオオカミの毛皮でできたベストを羽織っただけの軽装。つり目がちの三白眼は眼光鋭く、目の前の扉をじっと睨んでいる。


(あれ、この人……)


 彼の腰巻に白い封筒が挟んである。ジークに届いたのと同じものだ。

 確かに、手紙には『魔王討伐特命』とあった。他にも『勇者』に任命された者がいてもおかしくはない。


「あのー、もしかして君も王様に呼ばれて」

「近寄るな」


 青年は扉を睨んだままぴしゃりと言った。ジークは慌てて彼の肩に伸ばしかけた手を引っ込める。


「オレは今、悩んでいる」

「えーっと、何に?」


 ジークの問いに、青年は腕を組みながらいたって真剣な表情で答えた。


「謁見の間とやらに入るのに、この扉をぶち破るかどうかだ」

「……君は道場破りか何かなの?」


 初めは「同じ『勇者』同士仲良くしよう」と声をかけるつもりだったが、みなまで言わずに済んで良かったかもしれない。招待されておきながら王城の扉を破ろうなど、正気とは思えない考えだ。


「やめときなよ。そんなことしたら近衛兵が黙っちゃいない」

「しかしな、この扉は……」

「いいから行こうぜ」


 青年が何かしでかさないうちに、ジークは彼の言葉を遮って先に扉を両手で押した。ずっしりとした重厚な感触が手のひらに伝わってくる。心なしか、部屋の向こうの崇高な空気がすっと胸の内に入ってくる気がした。ジークはその空気を胸いっぱいに吸い込み、高らかにその名を告げる。


「ジーク・ブライアンです! ただいま参上しました!」


 奥行きのある謁見の間にジークの声が響き渡った……が、よくよく見ると深紅のカーペットの先にある玉座の上には誰もいない。部屋の中にいたのは、カーペットを挟んで玉座の前に立つ二人の青年であった。


「残念、陛下はまだみたいだよ」


 二人のうち、深緑のローブに身を包む青年が肩をすくめて言った。ローブの内側には洒落たフリルのついたシャツ、そして襟元にエメラルドがキラリと光るループタイ。艶のある肩までの長さの金髪も相まってどこか品のある雰囲気である。肩がけのかばんのように革ベルトで括り付けられているのは、年季の入った分厚い本。表紙に魔法陣が描かれているのを見るに、おそらく魔道書と呼ばれるものだろう。


 もう一人は四人の中では最も小柄な青年だ。顔の下半分をスカーフで覆い、フードを深く被っているので目元くらいしか表情を窺い知れない。フードの影からこちらに向けてくる金色の瞳は、まるで宵闇を住処すみかとする猫のようだ。金髪の青年とは相反して服装はどこかみすぼらしい印象。腰にはバツの字に交差させるようにベルトが巻いてあり、何か小道具を入れられそうなポケットがいくつもついている。


 そんな二人の共通点といえば、やはり白い封筒を手に持っているということだった。


「君たちも『勇者』に選ばれてここへ?」


 金髪の青年は頷いた。


「ああ、どうやらそうみたいだ。僕は魔道士メイジのマシュー・グッドフィールド。よろしく、ジークくん」

「ジークでいいよ。よろしく、マシュー。で、そっちの君は……」


 フードの青年に視線を投げかけると、彼は渋々と言った風にぼそりと小さな声で名乗った。


「アー……いや、アッシュだ。職業ジョブ盗賊シーフ


 明らかに偽名を名乗られた感じだが、これ以上追及するなというオーラがひしひしと伝わってきたのでジークは口を閉ざした。盗賊とはそういうものだと思うことにする。


「ジーク、君の後ろにいる彼は?」


 マシューに尋ねられて後方を見やると、先ほど扉を破ろうか悩んでいた青年がぶすっとした表情で立っていた。


「彼は――」

「フェンロン。武闘家ファイターだ。名乗りはしたがお前らと馴れ合うつもりはない」


 しんとする空気。謁見の間が広いせいで静寂が余計に重苦しく感じる。なんとか話を続けようとジークは口を開いた。


「そ、それにしても俺が剣士セイバーで魔道士に盗賊、武闘家って、みんな職業ジョブがバラバラなんだな。このままパーティ組むのかな?」

「おそらくそうだろうね。手紙には『魔王討伐特命部隊』と書いてあったし」


 マシューが会話に応じてくれる。他の二人はそっぽを向いているが、一人でも話が通じる相手がいて良かった。ジークは安堵しながらマシューの抱えている魔道書を指した。


「俺、全然詳しくないんだけど、マシューはどんな魔法が得意なんだ?」


 マシューは「うーん、そうだなぁ」と本を括り付けている革ベルトを外し、手にとってぺらぺらとページをめくり始めた。


「〈魚の小骨を消す魔法〉かな、今のところ一番よく使うのは」

「魚の、小骨……?」

「うん。調理前でも調理後でも、骨抜きにできるんだ。なかなか便利だよ」

「ほー、確かに……って、さすがに冗談で言ってるんだよな?」

「え? 本当のことだけど」


 マシューはきょとんとした表情で首を傾げた。からかっている、ようには見えない。


「いや、ほら、魔法といえば火属性魔法とかなのかなーと思って」

「うーん、僕そういう普通の魔法は集めてないんだよねぇ。魔法蒐集しゅうしゅう家としてはあんまりそそられないというか」

「そ、そうなんだ……」


 愛おしげに魔道書の表紙を撫でるマシュー。それから彼はこれまで集めたお気に入りの魔法について語ってくれたが、あまりジークの耳には入ってこなかった。

 ……大丈夫か、このパーティ。

 ジークも剣士のくせに剣より包丁を振るう方が得意という点では全く人のことを言えないのだが。


 不安といえばもう一つ。この四人でパーティを組むとしたら、確実に足りないものがある。


 回復役ヒーラーだ。


 一般的に剣士、魔道士、武闘家は攻撃役アタッカー、盗賊は補助役サポーターに分類される。このメンバーだと傷を癒す人員がいない。魔王討伐に向かうのに回復役無しではあまりにも無謀だ。


「安心してくれ。回復役ヒーラーなら神官プリーストがいる」


 聞き覚えのない声がしてハッと顔を上げると、いつの間にか前方の玉座に少年が腰掛けていた。


「陛下だ。頭を下げろ」


 アッシュにぐいと頭を押さえつけられる形でジークは強制的にその場に膝を着く。


「待ってくれ、い、今、心を読んで……!?」

「バカ、静かにしろっ」

「構わないよ、アッシュ。驚かせてしまった私が悪かった」


 声変わり前の高い声だが、その声音には妙に落ち着きが含まれている。聞く者の胸の内のさざ波を凪いでしまうかのようだ。

 アッシュに頭を抑えられているにも関わらず、ジークはしばし呆然となって王を見上げていた。

 美しい。その言葉以外、思いつかない。

 絹糸のような繊細な白銀色の髪に、陶器のような色白な肌。瞳は空気の澄み渡った冬の夜空のようにキラキラとしていて、少し憂いの色がこもっているのがまた惹きつけられる。


 彼こそがこのアウシエン王国を統べる少年王、カルロ三世。


 ジークたちを『勇者』に任命した張本人だ。


「君たちにはまず詫びなければいけないね。それぞれに事情があっただろうに、一方的に呼び立ててしまって」

「「いえ、滅相もございません!!」」


 驚くことに、さっきまでツンとしていたアッシュもフェンロンも膝をついた状態で声を揃えていた。この少年王にはそうさせるだけのカリスマ性のようなものがある。


「ありがとう、とても頼もしいよ。さて、もう一人ここへ呼んでいるのだが……」


 カルロ三世は脇に控えている近衛兵に時間を尋ねる。どうやら指定された集合時刻をとうに三十分は過ぎているらしい。


「すまないが、もう少し待ってもらえるだろうか。今日は礼拝の日だからね、敬虔な神官ならばきっと神に祈ってからここへ来るのだろう」


 少年王がそう言った矢先のこと。何やら謁見の間の後方、つまり廊下の方から騒がしい音がした。

 無遠慮にバンと開け放たれる扉。入ってきたのは近衛兵たちと彼らに取り押さえられた長身の青年。服装からして神官だと一目で分かる。清貧を是とする白基調の教会の長衣を身に纏っているからだ。ただ、その様子はいささかジークの知る神官とは印象がかけ離れていた。


「へ、陛下! 申し訳ございません、この者が城門で暴れまして……!」

「うるへー! 見た目で人を判断しちゃいけませんって、お前らの大好きな教典にも書いてあるだろうがよぉー!」


 呂律が回っていない。そして赤ら顔。酔っているのだ。

 ちなみに、神官の飲酒が戒律で厳しく禁じられているのは一般人でもよく知る常識である。

 青年は乱れたダークブルーの長髪をかきあげると、懐から葉巻を取り出し――言うまでもないがこれも本来は戒律で禁じられている――、火をつけた先をビシッと少年王に向けた。


「俺様が神官プリーストパウル・ノーティラスだ。あんたが王様か、ああ?」


 ……普段は信心深くないジークだが、この時ばかりは今後のパーティの運命を神に祈るのであった。



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