第6話 解決……にはまだ早い

 出でよ、出でよ、内へ外へ、神羅万象を紐解き、断ち切れ、理の糸。 

 念を込め、札を放つ。

 

 俺の動きと合わせるように神崎が刀を抜き、シャンシャンと剣筋が煌めいた。

 ハラリと泣女を拘束していた紐が切れ、彼女の体がドサリと落ちる。

 床にぶつかる前に神崎が腕を伸ばし、彼女を抱き止めた。

 

 一方、俺の放った札は掛け軸へ張り付き、強い光を放つ。

 ゴゴゴゴゴゴ――。

 地鳴りのような音がして、視界を眩い閃光が埋め尽くす。

 

 ふわり。

 ぼさぼさの髪の毛に風を感じ、目を擦る。ようやく視力が戻って来た。

 目に映るのは暗闇でもお堂でもなく、見慣れた藪の中だ。

 意識を失った繭に包まれた少年たちの姿も見える。

 もちろん、泣女を抱いた眉を寄せた神崎も健在だった。

 

「ご婦人、降ろします」


 神崎が泣女を優しく降ろし、拘束が解け自由になった彼女は両手を顔にやりそのまま泣き崩れる。

 

「泣いて、呼ぶ。泣いて、呼ぶ。泣女は探すべき子供を呼ぶことができるものなんだ」


 神崎に向けて説明するつもりだったが、半ば独白のようになってしまった。

 ほら、来たぞ。

 ぼうっと不意に宙に浮いた少年が出現する。少年は10歳くらいで体が透けていた。

 俺も一度見たことがある。柳の下でぼーっと立っていた少年だ。

 

「平助! 平助!」


 彼を抱きしめようにも彼女の手は彼をすり抜ける。

 少年の体に燐光が浮かび始め、天へと召されていった。彼が消えるのと前後して、泣女の体も同じような光に包まれ姿が希薄になっていく。

 

「ありがとうございます。ありがとうございます」


 彼女は完全に消えるまでお礼の言葉を述べ続ける。


「よかったな。見つかって」

「どうか、安らかに」


 俺と神崎は手を合わせ、彼女に向け微笑む。

 

「さて、神崎。余韻の前にやることがある」

「分かっている。貴様も手伝え」


 「あいよ」と右手を振って答え、一番近くにいる繭で包まれた少年の前にしゃがみ込む。

 スパ――。

 あぶねえ。俺が斬れたらどうすんだ。

 神崎の振るった刀に抗議の意味を込めて彼を睨みつけると、ニヤリと笑いやがった。

 知らん。お前が少年たちの繭を全て斬るがいい。

 

 ◇◇◇

 

 こうして行方知れずとなった少年たちを発見し、救出することができた。

 これで今後、新たな行方知れず少年たちが出て来ることはないだろう。

 しかし、事件はまだ終わっていない。

 多くの少年たちを拉致したのは泣女だ。だが、彼女は別の何者かに利用されたのだと確信している。

 百歩譲って泣女が奇跡的に隠れ里を形成できたとしても、繭は彼女の能力ではない。

 そもそも、自分を壁に縛り付けるなんぞ不自然極まりないだろ?

 怪異は偏執的……強い妄執に囚われている。泣女の場合は「子供と再会したい」という思いが脳内全てを支配しているのだ。

 なので彼女は人間の時のような理性的な行動を取ることができない。

 そんな状態の彼女であっても、自分を縛り付け動けなくするなんてことは有り得ないんだ。「探す」という妄執に取りつかれた彼女が自分を動けなくしたら、探せなくなる。

 

 ――糸を使った奴が黒幕だ。

 

「おーい、煮物追加だー」

「こっちは酒だ」

「あいよ」


 一日店を開けただけでこれだよ。気になることがあったら、他のことに手が付かなくなることを自覚している。

 だがなあ、第二、第三の泣女が出てこないとも限らねえから気にするなってのは無理ってもんだろ。

 分かった。酒だろ。あと煮込みか?

 

 ほいっと持って行ったら、逆になってしまった。


「それも食べて飲んじゃってくれ。新しいのを持ってくる」

「おお。いいのかー。遠慮なく!」

「ありがとよ!」


 気風の良い対応におっさんらは大はしゃぎだ。


「日本酒とそこの肉を焼いたのをくれ」

「おい……せめて着替えてから来いよ」


 颯爽と席に座った漆黒の警官服に周囲のおっさんたちがビックリしているじゃないか。

 こんなところに夜に訪れる警官なんて一人しかいない。そう、神崎だ。

 彼と入れ替わるようにして隣の席で一人飲んでいたおっさんが、岩に座って酒盛りしている連中のところに移動した。

 警官が隣にいたら、酒もまずくなるよな。うん、分かる、分かる。

 

「それで、何か進展があったのか?」

「少年たちは全て家族の元へ帰った。安河内様から貴様の報酬を預かっている」

「そっちじゃない」

「皆目見当が付かない。牢に繋がれた罪人というわけでもないのだろう?」


 神崎なら警察署に集まった情報を集めることができるが、やはり怪異のこととなると厳しいか。

 警察はあくまで人間の犯罪を取り締まるところだから、人ではない者のこととなると調査すらしていない。

 もっとも……調査しようとしても普通の人間には調査のしようがないわけであるが……。


「泣女を壁に縛り付けた下手人は怪異じゃねえ」

「只の人間に繭で少年たちを包むなんてことはできはしない」

「ちいと語弊のある言い方だが、怪異は理性を持たねえ」

「……その理屈なら下手人は怪異ではないな」


 神崎がちびりと日本酒を口にしこれでもかと顔をしかめる。

 黒幕は泣女を縛り付けの能力で引き寄せられた少年たちを繭で包んだ。

 何故か? 考えられるのは自分が楽しむためとしか思えない。俺と同じ考えだからこそ、神崎の表情である。

 

 泣女の件の黒幕は理性を持った人ならざる者……。

 

「下手人は妖魔か妖怪だ」

「理性を持った怪異か?」

「もっと厄介な奴らだよ。怪異より遥かに力を持つ。中には人間と同じように世代を繋ぐ者までいるんだ」

「人間と異なる種……のようなものか。妖魔と妖怪に違いは?」

「勝手に怪異を相手にする俺たちのような札術師がつけた名前なんだよ。どっちも根本は一緒だ。人間の脅威となる方が妖魔と呼んでいる」

「なら、今回の下手人は妖魔だな。潜んでいる場所も街中に違いない」


 俺も神崎と同意見だ。泣女や人間が悲しむ姿を見て愉悦に浸る……となれば、その姿を見るために近くにいなきゃならない。

 隠れ里や人里離れた場所でひっそりと、なんてことをする奴じゃないだろうよ。

 離れたら近くで観察することができないからな。

 胸糞悪い。

 人間社会に紛れているなら警察でも……と思ったが、と思考がループしてしまった。

 

「探すのは正直難しい」

「黒い靄とやらを見ればいいんじゃないのか?」

「妖魔や妖怪は人に化けることのできる奴がいる。考えてみろ、神崎。街に潜むなら人間に化けていると考えた方がいい」

「つまり、化けていたら貴様にも見分けが付かない、と言う事か?」


 コクリと頷く。

 泣女を放置して、黒幕が現れるのを待つという手段もあった。

 だが、あのまま彼女を放置しておくには俺と神崎の心情が許さなかった。新しい犠牲者も出てしまうし、呼び寄せられる移動中に大怪我を負ってしまうことだってある。

 目に見えた危険を放置しておくままになんてできるわけがないだろ。

 

 かあああと右手で髪の毛をガシガシやり、舌打ちする。

 ピシッ。

 突如、こめかみに鋭い痛みが走った。

 

「おっさん、店を任せる!」

「おい、辰巳。っと」


 バンと屋台のテーブルを叩き、神崎に黒マントで包んだ童子切と黒手袋を投げる。

 続いて札を詰め込んだ手提げ袋をひっつかみ、駆けだした。


「走りながらでいい、説明しろ」


 手袋をはめた神崎が童子切を腰に差しながら俺に並びかける。

 

「文に何か異変があった。御守りを持たせていたんだよ」

「文さんが怪異に?」

「分からん。この時間なら屋敷だろ」

「それで童子切と黒マントなのだな」

「そうだ。お前にもしっかり働いてもらうからな」

「もちろんだ。置いて行こうとしたら後から殴り飛ばしていたぞ」


 ◇◇◇

 

 屋敷の門番と押し問答をしていたら、使用人がやってきて中に入ることができた。

 警官の制服姿の神崎に臆して通してくれた、ってことは考え難い。別に悪さをしていなかったら、警官に押し入られるなんてことはないんだからな。

 彼らは法の番人。善良な市民相手に無理やり押し通るなんてことができようはずもない。

 まして、こんな大きなお屋敷だ。家主は街の有力者であることは確実。ならば、警察にもある程度顔が利く。そんな家に令状を所持していない警官など怖くもなんともない。

 

「どうぞ」


 通されただけでなく、広い庭を使用人が先導して案内してくれるではないか。

 神崎一人だけというなら話はまだ理解できるのだが、むしろ彼は俺の方をチラチラと見ている。

 着流しの怪しい奴が何故……とでも思っているのかもしれん。いつもなら、呼ばれてもお屋敷になんて入りたくない。

 安河内家にも報酬を渡すのと礼を言いたいということで招待されていたんだが、丁重にお断りしたほどだ。

 

 開かれた襖の向こうには真新しい畳と板の間に西洋風の絵画が飾られていたが、人の姿はなかった。

 右手に襖があるから、俺たちを先に入れてから主人が登場するのだろう。

 

「失礼します」


 神崎が会釈をして敷居をまたぐ。

 続いて俺も会釈だけをして室内へ。

 

 フワリ。

 妙な浮遊感を覚え――。

 

「な……」


 神崎と俺の声が重なった。部屋に踏み入れた途端に中の様相が一変したからだ。

 室内で広さは変わらないものの、床は板張りで左手は出窓に、右手の襖は扉に変わっていた。

 それだけではなく、調度品も舶来品ばかりになっている。

 最も目を引くのは上品なロッキングチェアに腰かけた少女だ。金色の髪に青い瞳、愛らしいドレスを身に着けていて、西洋風の人形を抱いている。

 人形は少女と同じ髪と目の色をしていた。


「隠れ里……か」


 思わず声が出てしまう。

 敷居のところに空間の歪みがあり、俺たちは隠れ里の主に招かれた。招かざる者が隠れ里に入ろうとしたら、無理やりこじ開けなきゃならねえ。

 泣女がいた隠れ里に入って行った少年のことを覚えているか? 少年はただ進むだけで隠れ里に入って行った。

 今俺と神崎に起きている事象は少年と同じってわけさ。

 あくまで俺の肌で感じた限りの感想になるが、この隠れ里は部屋の中に収まる範囲じゃなかろうか。

 それにしても――。

 澄ました顔でロッキングチェアに腰かける少女を前にして、ジワリと汗が滲む。

 一見すると虫も殺さぬような彼女であるが、纏う圧が只者ではない。彼女が隠れ里の主だろうな。

 

「案外普通なのね」


 声色は幼い少女のそれで、愛らしい。

 しかし、首の裏側がゾワゾワとする。

 

「神崎! 構えろ!」


 叫ぶと同時に札を構え、膝を落とす。

 シュっと空気が擦れる音がして、左右両側の壁から白い槍のようなものが襲い掛かって来た。

 

 ズバ!

 神崎が白い槍を袈裟に斬り、縦に斬れた白い槍が地に落ちる。

 一方の俺は札を投げ、横っ飛びに転がった。

 ボウっと札から激しい炎が舞い上がり、白い槍を焼く。ほんの数秒のうちに白い槍は灰と化した。

 手をつき立ち上がり、パンパンと埃を払う。

 ……神崎のように華麗に斬り捨てた方が良かったかもしれん。咄嗟に体が動いてさ。とりあえず回避しろって。

 この辺は武術に長ける神崎と俺のスタンスの違いだよな。俺は真っ向から挑むのではなく、「生き残る」ことを本能的に選ぶようになった。

 怪異やら妖怪ってのは人間の身体能力でどうにもできない場合ってのがままある。

 その中で身に着いたのは生き汚くなること。

 みっともなくてもいい。とにかく凌ぎきれればってな。

 だが、勘違いしないで欲しい。俺は神崎を批判的に見ているわけじゃないんだぜ。

 

「おおー」


 少女はパチパチと拍手をする。しかし、彼女の表情はまるで動いていない。手だけ動いて歓声をあげるって、いくら幼い少女の行為であっても不気味さを覚える。

 でもま、人間じゃないとすればまだ人間的に見える方だ。

 ぼりぼりと頭をかきながら、彼女へ苦言を呈する。


「随分手洗い歓迎だな」

「おじさんの方が使い手だったのね」

「おじさん……って俺のことかよ」

「帽子の人はお兄さんじゃない。見れば分かるでしょ?」


 こ、このクソガキが。確かにおっさんだが、神崎がお兄さんとはどういう領分だ。

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