第1話 異世界召喚(2)

 私はリクルンに四つんいになり、真顔でゆっくりと近づいた。リクルンは硬直こうちょくした笑顔のまま、後ずさっていく。


「本物だわ……イケメン……イケメンよ!!!!」


「あっ、あの私は」


「……って!!リクルンがいるってことは、私の最推さいおしがいるんじゃない!!!!」


 一人で二十面相した私は、その場で空を飛ぶように高くジャンプをして喜びを表現した。

 リクルンはゲームの始まりに異世界から来た主人公を、迎えに来た王子様だ。下にあったお城がおそらく拠点きょてんなのだろう。つまり、私はヒロインポジションで召喚されたのだ。

 ここから始まるハーレム生活によだれが垂れてしまいそうだ。

「そなたのな……」

「ちょっとリクルンごめんねー!!」

 そう言うと、私はリクルンの背後に回った。彼は大きな鎧にマントを羽織った状態の姿絵しかなくて、ネットでコスプレイヤーが悲鳴を上げていたのだ。明日那はリクルンが推しで、コスプレをしたいと言っていた。だが、リクルンの背中は誰もわかっていなかったのだ。これは、チャンスなのだ。

 私はマントをひるがえし、背中を見た。右肩から左脇にかけて、奇怪な文字が流れ星のように転々と書かれていた。腰辺りは剣の絵柄が書かれている。これは多分、伝説の剣ではないかと思う。私はまじまじと見て、マントを元に戻した。

「リクルンありがとー!!おかげで助かりましたー」

「えっ、そうですか……⁇」

 戸惑うリクルンの顔も素敵だ。だが、最推しに勝てるほどではない。リクルンは優しい。とにかく優しいのだ。主人公が道に迷えば、すぐに手を出し道を示す。主人公が外に出れば、危険だと護衛ごえいを引き受ける。主人公が魔王退治に行くと言えば、盾になると申し出るほどの優しさにあふれた男なのだ。

 初めてプレイをした時、私も彼にかれるところはあった。こんなに優しくて献身的けんしんてきな男はこの世に存在しないだろう。それほど紳士な男なのだ。だが、私は最推しに出会ってしまったがために、彼は当て馬に引き下がってしまったのだ。

 本当に申し訳ないという気持ちでリクルンを見つめていると、リクルンは困ったような笑顔でこちらを見つめてきた。

「えっとですね、まずは私の……」

「駄目よ!!」

「……えっ⁇」

 私は知っている。リクルンは異世界から来た主人公に興味を持ち、神のお告げをもとにここへおとずれたのだ。そして、神秘的しんぴてきな主人公に一目で心を奪われてしまうのだ。『君の為なら、この命など惜しくない』と言う名台詞を言って命がけで魔王と戦う姿は、一瞬だけ攻略対象へ昇格しそうになったほどだ。それほどまでに愛される主人公、つまりは私だ。そんな想いを伝えられてしまったら、私は心が揺らいでしまう。

「それ以上は言わないで!!」

 私は悲劇のヒロインのように顔を手でおおい、まるで泣いていますと言わんばかりのポーズを取った。


 その瞬間、顔の前に風が吹いた気がした。指の隙間から見ると、目の前に槍の先が二つ見えた。

「ふぇっ⁇」

 私は一瞬にして顔を青くした。

不敬ふけい極まりない!!!!リクルハート殿下!!!!この者を処刑する権限を戴きますようお願い申し上げます!!!!」

 そう右側で槍を突き出す騎士が言った。興奮して顔が真っ赤になっていた。反対側の騎士の顔も横目で見ると、今にも殺さんと言わんばかりの恐ろしい目つきに真っ赤な顔で鼻息が荒かった。

「いっ……いやいやいや⁉まだ登場したばかりだし、処刑も何も……ねっ⁉ねっ、リクルン!!⁇」

 私はリクルンの方に視線を動かした。その瞬間、全身の汗が一斉いっせいに出た。あの仏のように笑顔を常に絶やさないと言われているあのリクルンが、無表情でこちらを見ているのだ。何を悩んでいるのかじっとこちらを見つめているのだ。

 私が恐怖におびえていると、それに気づいたのかリクルンは笑顔に戻ったのだ。いつものリクルンに戻ったので、私はホッと肩を下ろしたのだ。

「異界の者を処刑なんて……簡単に決めることではないよ。とりあえず、牢に入れようか」

 そうにこやかに言うと、リクルンはマントを翻してその場を後にした。私はその場にいた騎士達に腕を掴まれて引きられるように連れていかれた。私がどんなに暴れて騒ごうも、がっちりと掴まれた腕はビクリともせずに牢屋まで直行するのであった。


「いやぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」

 私は起き上がった。全身の汗がひどい。乱れた呼吸を整えて辺りを見渡した。そこはいつもの私の部屋だった。壁には、人型のシミがある。今は恋しく感じてしまう。

「……夢……か」

 安堵あんどして、ベットから降りようとした時だった。両腕が痛いのだ。変な夢のせいで身体が硬直こうちょくしたか、どこかぶつけたのかもしれない。ため息をつきながら、私は風呂場へ行った。

 もうじき出社時間だ。その前に軽くシャワーを浴びなくてはと服を脱ぎ始めた時、私は固まってしまったのだ。洗面台にある鏡に映る私の両腕に真っ青な手のような跡がついているのだ。

「……夢じゃない……のね」

 またも真っ青な顔になり、震えてしまった。何とか帰ってこれたのだ。もう二度とこんな目にはいたくないものだ。


「おーっおはよう、松!!今日は珍しく定時前に出社なのね」

 会社に着くと早々に明日那が声をかけてきた。私はそんなに毎回遅刻していないと思うが。

「おはよう、明日那……」

「んっ⁇どうしたの⁇元気ないじゃん」

 私の微妙な変化に気づいてくれたのか、明日那が私を心配してくれたのだ。私はその優しさに目をうるませて今日起きた出来事を話したのだ。私が異世界召喚されたこと、明日那の推しであるリクルンは実は超ドSな男であること、騎士団は女性に優しくないことを。話し終えた私に対して明日那は爆笑したのだ。

「あははははっ。松ーそれは夢だよー」

「いやいや⁉両腕に手の跡がついてたんだよ⁉」

「いやーそう見えるだけだって。何かぶつけたんじゃない⁇」

 どんなに説明しても明日那は信じてくれないようだ。どうすれば信じてもらえるかと考えた時、私は思いだしたのだ。

「明日那!!リクルンの背中にはね、右肩から左脇にかけて、奇怪な文字が流れ星のように転々と書かれていて、腰辺りは剣の絵柄が書かれているの!!どう⁇これで信じてくれた⁇」

 私はドヤっとした顔で明日那を見た。明日那は目を丸くして私を見つめていた。

「松……」

「何⁇」

「それ。昨日の夜、公式が発表した情報だわ」

 私はその言葉を聞いて、私は崩れ落ちるようにその場に座り込んでしまった。怖い思いをしてまで見たものは、もう解禁された情報だったのだ。どうして私はあんな怖い思いをしてまで見なければならなかったのだろうとショックを受けたのだ。

 だが、もう戻ってきたから大丈夫だと心を落ち着かせた。そしていつものように就業のチャイムが鳴り、仕事が始まったのだ。私も立ち上がり、自席に座った。

 いつも通りの日常に戻ってこれた私はまだ、この物語が続くなんて知るよしもなかったのだ。

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