-9-


 両腕にひどい凍傷を負ったタイガと、失血と骨折に倒れたセリカは、それぞれ別の担架たんかに乗せられた。食品工場の駐車場には救急車両と警察車両、そして一足遅かった軍の車両らが何台も止まっている。


「タイガ、おい、タイガ! 生きているのか!?」


 担架で寝ている我が子に、ソクラはつばを飛ばす勢いで呼びかける。


「お父……、上」雪のように白いタイガの肌に、青や赤のライトが忙しなく反射している。「セリカは……」

「セリカさんは、なんとか大丈夫そうだよ」アイリーシャが言った。「傷口が塞がるのが、ものすごく早いって。それでも重症にはかわりないけど……」

「そっか……、そっか……。生きているなら、良かった……」


 がくり、とタイガは意識を失ってしまう。


「タイガ! タイガ!」


 ソクラが慌てふためいたところで、救急隊員が間に入った。どいてください、と冷静に言ってソクラやアイリーシャをタイガからひきがした。慣れた様子で担架を運び、そのまま救急車両の中へ。


「どうしてこんなことになったのですかぁ! アップルちゃんはなにをしていたのですか!」


 携帯電話に向かってものすごい喧騒を飛ばしているのはマーカスだ。電話の相手は、すみません、すみません、と謝りつづけている。


 セリカの担架のそばには、ドリシラとサクラがいた。心配そうな眼差しをひたすらに注いでいる。


「もう、こんなにケガをして……」ドリシラは母のような口調で、「メイド業はしばらく休みなさいね。どれくらいの入院になるかわからないけど。わたくしとアイリーシャがいるから。安心して躰を治してちょうだい……」


 おいおいと泣き崩れ、ぶふー! と豪快に鼻をかんだ。ピンク生地にかわいい豚さんが何匹も描かれたハンドタオルはぐしゃぐしゃに。


「私だって、自分のことはちゃんとする。あれなら……、お、お風呂掃除くらい、し、してあげてもいいんだからっ!」サクラが言った。「トイレ掃除は嫌だけど……」

「あら! そんなことを言うようになったのねサクラちゃぁあん!」


 ドリシラがぎゅう、とサクラを抱きしめた。呼吸をするための穴という穴が豊満な肉に塞がれてしまう。んー! んー! サクラが暴れていると、救急隊員がそこに現れた。どいてください! とかなりの大声で言われたドリシラは、すぐに場所を移動した。サクラはきつい抱擁ほうようから解放され、セリカは救急車の中へと消えてゆく。


「ソクラさん!」むこうからレオナルドの声が。

「おお、レオくんか!」ソクラは手を振る。

「タイガくんは!」フィリアも駆けつけた。


 ぜぇぜぇ、と息を切らしながら、レオナルドは両手を膝に置いた。


「菓子食いながらテレビ観てたら、タイガが映ったんだ……。それで、すぐに電波塔に向かおうとしていたんだけど、原チャのキーが見当たらなくて……」


 けっきょくママチャリで走り出したレオナルドであったが、そのママチャリも道中でパンク。そこから約一五キロの道筋を全力疾走していたところに、フィリアの高級車がとおりかかった。レオくん、電波塔でしょ!? 乗って! と言われるがままに。幸運にも拾ってもらうことができたのだ。


「私は……、お父さまがなかなか許してくれなくて……」


 危険だ、おまえが出向く必要がどこにある、とフィリアの父は頑固を貫いていた。


執事しつじに無理を言って、やっと外出できたの……。それで遅くなってしまって……」


 父上からあとで怒られるのは、覚悟の上だ。


「そうか……」ソクラは申し訳なさそうに、「スタンホープ家にも、レオくんの家にも迷惑をかけてしまったな……。家々のみなさまにはお詫びをさせてほしい。ぜひ、明日にも訪問させてもらいたい」


 深々と、頭を下げた。


「こっちこそ、今日はタイガとつるんでいたのに……。こんなことになっちまって、本当にすいません」

「いいのだよ、レオくん。ただでさえ友達を作れないあの子だ。仲良くしてくれているだけで、親としての幸せ、この上ないよ。本当にありがとう」


 そう言われると照れてしまう。レオナルドは反応に困った。


「フィリアさんも、最近は仲良くしてくれているんだね。ありがとう」

「あ、ああ……、いえ私は……」そんなそんな、と両手のひらを見せながら、「男の子の友達があまりいなかったので。こちらこそ仲良くしてもらって、嬉しいかぎりです」


 感謝の応酬おうしゅうをする三人のそばを、二台の救急車がゆっくりと横切った。レオナルドは、タイガの乗っている車両をソクラに確認すると飛び出すように追いかけた。


「タイガ! タイガ! ぜったいに治せよ! 待ってっからな! いつもの屋上で——!」


 タイガ!

 タイガくん!

 セリカ!

 セリカさん!


 みなの声が段々と遠くなるのを感じる。腕になにか、点滴のようなものが刺差しこまれた。戦いに身を投じたふたりは眠気に誘われ。そのまま救急車の中で、意識を失った。



「一週間と二日ふつか……。か」


 いつもの屋上で、ひとり昼食をとっているレオナルドは空を見上げる。今日は晴れの空だ。カラスが二匹、くるくると宙を旋回している。


「今日はぜったいに避けるからな。二発投下しても無駄だぞ。バスケ部の運動神経なめんなよ、カラこう」


 すると屋上のドアが開いた。ここに来る女子生徒はひとりしかいない。


「お、いらっしゃい」レオナルドは姿勢を正した。

「今日も……、休みだったね」フィリアはドアを閉めた。

「ああ。凍傷って、けっこう大変らしくて。あと何分か遅かったら、腕を切断するところだったって……」


 あ、ごめん、とレオナルドはすぐに謝った。これから食事をとるフィリアに対して、適した話題ではないと思ったのだ。


「気にしないで。私、ホラー映画観ながらオムライス食べられる人だから」

「まじで、すげぇ。ケチャップがに見えないの?」


 つまり血である。


「ううん、全然平気なの。どこか神経が抜けているのかも」

「そんなことねぇさ。抜けているどころか、かなり太いのかも」

「それはそれで、嫌だな……」

「あ、ごめん」


 もう、謝ってばっかり、とフィリアは笑う。

 そしてふたりは、深いため息をついた。


「だめだ……。あいつがいないと。ちゃんと笑えないや……」

「早く、帰ってきてほしいね……」

「ほんとにな……」


 互いの顔が沈んだところで、びたっ、びたっ、と二回。湿った音が鳴った。横を見ると、カラスが落としたのであろう例の白いアレがふたつ。地面にあった。


「わ……」レオナルドの表情は最悪だ。「当たらなくてよかった……」

「うそ……」フィリアも眉間にシワだ。「ええ……、やだぁ……」


 ドン引きしているフィリアに対し、これからも屋上に来てくれる? とレオナルドは尋ねた。するとフィリアは、かなり悩んだ様子を見せてから。


「三人だったら、なんでも楽しいよ。カラスのアレが当たりさえしなければ」


 そう言って華のように笑った。



「やっと退院だな」病室の丸椅子に座り、ソクラが言った。「奇跡的に腕は無事だった。これからしばらく通院で大丈夫なようだ」

「本当……?」白いベッドに寝ているタイガは、弱々しい声で、「みんな、待っていてくれてるかな」


 当たり前だろう。サクラも、アイリーシャも、レオくんやフィリア令嬢も待ちかねていると。ソクラは感慨深かんがいぶかい表情でみなの心配を伝えた。


「しかし、あれほどの凍傷を負うとは。無茶をしたものだ……。勇敢ゆうかん無謀むぼうは紙一重だぞ?」

「そうだね……」 

「だが、誇らしいよ。勇敢な息子をもてたことを誇りに思う。よくがんばったな」

「無謀には、ならなかったのかな」

「ぎりぎり、だがな」


 そして、気になることはセリカの容体である。


「セリカの方がよほど重傷を負っていたんだ。おなじ病院だけど、別の棟にいるみたいで、まだ会っていないのだけど……」

「腕の状態がかんばしくなくて、メイド業にはまだ復帰できない。肋骨よりも、腕の骨折がひどかったようだ。しかし、ちゃんと快方に向かっているよ」

「そっか、よかった……」


 その骨折も、普通であれば腕を諦めるほどの重症であった。


「腹の傷も、みるみる塞がったらしいぞ。縫合ほうごうの必要がないくらいだった、と医師は驚いた顔で言っていたな」


 およそ常人では考えられない回復速度である。朗報に一度は明るくなったタイガの表情であったが、次第に、沈みはじめてゆく。


「セリカは……」

「言うな、タイガ」ソクラは遮った。

「うん……、わかっている。もちろんセリカはセリカだ。彼女がたとえ、人間とは違うなにかであっても。そんなことは関係ない。ただ……」


 あのとき。レットにトドメを刺す瞬間のセリカの表情。それはまるで鬼の魂が憑依ひょういしたかのような、凄まじい怒気どきと殺気に満ちたものだった。およそ、人の顔とは呼べないくらいに。


「セリカがなんであっても僕は彼女にいてほしい。イヴァンツデールにいてほしい。でも……、思ったんだ。あのときの顔を見て、もしかしたら……」


 いつか、セリカがいなくなるんじゃないか。

 遠くに行ってしまうんじゃないか、って。


「いいか、タイガ」


 さとすように、ソクラは語りかける。


「不安になったのなら、勢いを出せ。勢いを出して問題を解決すれば、安定が手に入る。安定を得たならば、今度は不安を探せ。一度手にした安定を崩そうとする悪因が、どこかに隠れていないか。自らの眼で探すのだ。そうすれば自ずと不安になるだろう。それを打ち砕くために、さらに勢いを出すんだ」


 不安になったら、勢いを出して問題解決。

 安定したらそれを守るために、またあえて不安になる。


 不安。勢い。安定。三つの要素がうまく回転することで、人生という名の車は、幸せを運ぶことができるのだと。ソクラは身振りを混じえながら伝えた。


「それじゃあ……」タイガは深く考えて、「冷凍倉庫での勢い……。その甲斐あって、いまは安定している。だから不安になっているのかな。大切なものを、失くしたくないから」

「たしかに、なよなよしいところはある。が、ということは。私がいちばんに愚かだと思う行為を、おまえはしっかり避けているんだよ。人間にとっていちばんの心毒は、慢心まんしん高慢こうまんだ。それにだけは、ぜったいに染まるな」


 自分を拐ったアンドロイドたちは、なんらかの慢心に浸っていたことを、タイガは思い出した。強さやスペックに対する過剰な自信。それこそが弱みとなり、彼らは滅んでいった。その弱みにつけこむすべを知っていた〇七型というアンドロイドも、なかなかである。


「帰ろう。みなが待っている」


 ソクラに躰を支えられながら、タイガは病室をあとにした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る