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 問われたセリカは、顔を伏せて悩んだ。

 ここで、人間こそが悪なのだと、

 アンドロイドを創造した者こそが真の悪だと。

 そう言ってしまうことは簡単だ。

 しかしフラッシュバックする光景がある。

 それがあるから決められない。

 誰が、どれが、なにが、悪なのか。

 まだ決めることはできない。


「悪がどこにいるか……」セリカは顔を上げて、「それよりも、わたくしたち人間が、いかに善でいられるか。その方が重要だと、わたくしはそう思います。油断はできません。アンドロイドがなにを考えているか。このさき、どのように成長するのか。不安要素であることは間違いないはずです」


 気を引き締めましょう。まだ、なにも起きていない、そんな気さえします——。セリカはそう言って、タイガの手を引いた。


「そっか……。そうだね」タイガはひとまず納得して、「犯人探しはやめておこう。ひとまずはセリカ、助けてくれてありがとう」

「もちろんです。メイドですから。イヴァンツデールのために、ひと肌もふた肌も脱ぎます」


 え、脱いでくれるの? と。いつものが突然現れた。本来の彼が戻ってきたのだ。セリカはさっと手を離した。すたすたと一〇歩以上さきを歩いて、颯爽さっそうと出口に向かう。


「待ってよー! セリカ、歩くの早いよー!」

「臭いですから。近寄らないでください」



 自宅に戻ったタイガは着替えを済ませ、シャワーを浴びると、すぐに固定電話の受話器を耳にあてた。

 
「うん、うん。ごめんね心配をかけて。目のまえで拐われるなんて、とても情けないよ」


 電話の相手はフィリアである。


『なにもされなかった? ケガはない?』


 受話器からフィリアの声が聞こえただけで、タイガの表情はとろけてしまう。生クリームみたいに。


「大丈夫だったよ。セリカが助けてくれた。警察よりも早く」

『やっぱりあのメイドさんのうわさ、嘘じゃないんだね。今度会ってみたい、絶対に行くね、イヴァンツさんち』


 そしてさらにとろける、一七歳男子の生クリーム顔である。


「うん、いつだっていいよ。待ってる」

『ありがとう。ソクラさんにも伝えておいてね?』

「もちろん、伝えておく」

『ああ、楽しみだなぁ。


 タイガに会いたいわけではない。そう言われた気がした生クリームは、かちんこちんに凍ってしまった。


『ところで、タイガくん?』

「ん?」

『あのアンドロイド……。金髪のアンドロイドはどうなったの』

「ああ、それなら問題ないよ。セリカが戦ってくれて、金髪のは完全に壊れた。それから警察が遺体——って呼んでいいのか、わからないけど。どこかへ運んでいったよ。きちんと破棄されると思う」

『そっか……』


 それだけを言って、フィリアは黙ってしまった。

 寂しさとも、嬉しさともつかない雰囲気。

 それが受話器越しに伝わってくる。


「フィリアさん?」タイガはおそるおそる、「どうかした?」

『ううん。なんでもない。とにかく無事でよかったよ。本当は、いますぐにでも、顔を見に行きたいところなんだけど。お父さまが家から一歩も出るなって、うるさくて。明日も大事をとって、学校を休むことになったの。拐われたのはタイガくんなのに、なんか、こっちが被害者みたいな感じになってて……。ごめんね」


 いますぐにでも、顔を見に行きたい——。

 そう言ったよね? たしかに言ったよね!?

 タイガの胸に住んでいる、ちっちゃいタイガが大騒ぎをはじめた。


「ぼ、僕も……」そして弱々しい声で、「い、いま、いますぐに……」


 ごにょごにょ、もじもじ、うねうね。固定電話の前で軟体生物と化したタイガを、冷ややかな視線で見つめているのは、リビングのL字型ソファに肩を並べて座るイヴァンツデールのみなである。


「なんなのあれ。気持ち悪い。帰ってこなきゃよかったのよ」


 ますはサクラが吐き捨てた。


「スタンホープさんに安否の連絡をするだけだろう?」ソクラは怪訝けげんな口調で、「長くないか? それに動きがおかしい。もしや拐われた際に、アンドロイドから得体のしれない神経毒を食らったのではないか?」

「それは、おそらく大丈夫かと」


 セリカは落ち着いた口調とともに、紅茶をひと口。


「セリカさん、今回も大活躍だったね。ほんと、無事に帰ってきてくれてよかった」


 安心した様子でアイリーシャが言った。救助に向かったセリカを遠くから応援するつもりだったのか、必勝ハチマキを再びおでこに巻いている。巻くときに焦っていたのだろう。必勝の文字が逆さまになっている。


「まぁ外傷も見当たりませんしぃ、心拍や血圧も正常でしたぁ」クルーゲンがおっとりとした口調で、「お熱もありませんからぁ。神経毒なら躰になにかしらの反応が現れるのが普通なのでぇ。タイガさまの病名は、あれですわぁ。思春期ってやつですわぁ」

「思春期って病名じゃないでしょ」


 すかさず突き刺したのはサクラである。


「なんにせよジンギ」ソクラは言いかけて、「タイガが無事に戻ってきてくれて、よかった。セリカ、今回も本当に世話になった」

「いえ……」


 恥ずかしそうに首を垂れてから、セリカは頬を赤くした。


「わたくしは、自分にできることを、したまでなので」

「誰でもできることじゃ、ないよ?」アイリーシャは感心したような口調で、「セリカさんだからこそ、だよ。私になんか、セリカさんみたいな特技は、なにもないもん……」

「こらアイリーシャ」ソクラがなだめる。「自分を卑下ひげするような言葉は慎みなさい。おまえにも、おまえだけの良さがある。それを忘れてはならないよ」


 これだから、ここに住むメイドは幸せなのだ、とセリカは思った。


「ソクラさま」ソファの端っこに座るマーカスが口を挟む。遠慮をしているのか、お尻の半分ほどしかソファに乗っていない。「あまりメイドや、わたくしめを含めた執事を甘やかすような言動は……」


 こらマーカス、おまえはなにもわかっていない、とすぐにソクラのお叱りが飛んだ。


「マーカスさんたら。今日はなんだかんだでワインが飲めなくなったから、機嫌が悪いのですわよ」


 ふんふん、と鼻息を鳴らしながらドリシラが言った。彼女のお尻はソファのスペースをふたり分占領している。マーカスの四倍だ。手にはビッグサイズのマグカップを持っているが、それすらも通常サイズに見える。


「わ、わたくしめに限って、そのようなことは!」マーカスは慌てて弁解を試みる。「たかだか月一つきいちのワインが流れたくらいで。それで機嫌を損ねるような、損ねるような、そんな、そんなぁ……」


 だんだんと声が沈みはじめた。そんな彼をサクラは一瞥し、泣いてんじゃん、と無情に吐き捨てた。


「うむ……」


 一方のソクラは、別の世界にいるような雰囲気を漂わせている。彼だけがすでに、まったく別のことを考えているような。そんな顔だ。


「ありがとう。それじゃ、また」


 ここでタイガの電話が終了した。


「終わったの? フラれなかった?」


 サクラが声を投げる。


「うん、大丈夫。なんともないよ、サクラぁ。あは……」


 とろけたタイガに話しかけたのが間違いだった。サクラはそう思った。


「ときにマーカス」するとソクラが突然、「ボディーガードを雇うには、どのような手続きが必要だったか?」

「そうですな」マーカスは、話す内容を事前に用意していた様子で、「まずはデンジャラスクリアという、それ専用の会社に連絡をとります。それから、派遣してもらうガードの数と、おおよその能力をこちらから注文します」

「おおよその能力って、なんです?」セリカが訊いた。

「たとえば、視力が抜群に良くて、遠くにいるスナイパーを発見することにひいでているとか。これは政治家などがよく雇うタイプですな。雇い主が船に乗る予定がある場合などは、泳ぎの能力も重要ですな。あとは女性か、男性か、も選べますかな。トイレやお風呂でも警護するとなると、そこは気にされる部分でしょう」

「へぇ……」


 いつになく執事らしいマーカスを見たアイリーシャは、口をポカンと開けたままだ。話の内容はまったく頭に入っていない。必勝ハチマキも相変わらず逆さまである。


「双方の了解が得られれば。今度は雇用する時間帯と、日数の話になりますな」


 どのようなガードを、いつからいつまで雇うのか。

 マーカスの話を簡単にまとめると、そうなる。


「うむ……」ソクラは腕組みをして、「そうさな。能力についてはこのあと、書斎で相談するとしよう。して、マーカス」

「はい」

「そのガードは、最短でいつから雇える?」

「そうですなぁ。明日、わたくしめが直接デンジャラスクリアにおもむきましょう。そこで話をつけましても、最短であさってから……。でしょうか」



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