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「い、いや、ごめん」慌てて目を逸らし、「むこうにいる子供がすごいな……、って」


 冗談のつもりでタイガは言った。

 実際には子供の姿など見ていない。

 フィリアに見惚みとれていただけだ。

 しかし、気になったフィリアは右を見た。


 ブランコで立ち乗りをしている小学生が、思いきり勢いをつけて、前方にジャンプ。空中でひねりを加えた一回転宙返りを華麗に飛び。砂場に着地。ピンと指先まで伸ばした両腕をまっすぐ前に伸ばし、着地の衝撃を全身でこらえる。足を震わせながらも、その場から一歩たりとも崩れない姿勢を保った。その三秒後。やり切った表情とともに両手を空に向ける。全身で表現したVのポーズ。公園には拍手が鳴り響く——。


「ああ、あの子ね!」フィリアも拍手をしながら、「有名なんだよ。体操の鉄棒でオリンピックを目指しているんだって。神童って呼ばれているの。家が貧しくて、公園のブランコで練習していることが多いらしくて。うちのお父さまが、無料の練習場と、新品の鉄棒を寄付するって話していたの」

「そ、そうなんだ」


 嘘をついたはずが、本当になってしまった。

 しかし結果オーライ。

 は、安堵あんどのため息をついた。

 神童には感謝せねばならない。


「僕からも、父上に進言してみるよ。お金で解決できることは限られている、と父上はよく言うけれど。それでも彼の将来の一助になるのなら、きっとその方が良いよ。いつかテレビの前で応援したい」

「そうだね」フィリアは微笑み、「必ずそうなると思う。夢があるって、いいね」


 華麗な体操技を決めた神童は、公園の端に置いてある自身のランドセルのそばに戻り。ランドセルの内ポケットからカエルさんの財布を取り出した。そして自販機の方へと軽やかに走り。小銭を入れながら、甘いもんしか置いてねぇな、とかわいらしい声で言った。


「あそこの自販機って、スポーツドリンクとか置いてないんだよね……」

 タイガが苦笑いとともに話す。「置いた人の趣味かな? やったら甘いものばかりで、不健康な自販機だよ」

「タイガくん、甘いもの嫌い?」

「嫌いではないけれど、父上の教えのせいかな……。上白糖はよせ、やめるんだ……! メイドさんによく言っているよ。だからうちにはハチミツや、きび砂糖。あとはせいぜい三温糖くらいかな」


 どことなく、いま飲んでいるカフェオレが毒物のように感じてしまったのはフィリアである。ペットボトルのラベルに目をやり、原材料が記載してあるその順序をたしかめた。商品に必ず書いてあるそれは、書いてある順番イコール入っている量なのだ。


「砂糖……」フィリアは裏面を読んだ。「これ、砂糖、生乳、コーヒーって順番がつづいているね。いちばん最初に書いてあるってことは、砂糖が最も多く入っているんだよね、きっと……」


 暗い雰囲気が漂った。タイガはじわじわと気づきはじめた。フィリアはいま砂糖が入っている飲み物を飲んでいる。しかもそれを提供したのは自分ではないか。


 飲めと言っておいてから、躰に悪い、などと言っている。そのことにようやく気づいたのだ。よくよく考えるとひどいことをしている。血の気がさーっと引いてゆく。


「ご、ごめんフィリアさん……」

「ん? なにが?」

「砂糖が入っている飲み物をおすすめしておいてから、それが躰に悪い、なんて後から言って……」


 そんなこと気にしないよ、とフィリアは大らかに笑った。


「タイガくん、本当に気を遣うんだね」

「そんな……」タイガは申し訳なさそうに顔を伏せた。「本当にごめん」

「じゃ、そんな甘いカフェオレをくれちゃったお詫びに」フィリアはタイガの方に躰を向けて、「アンドロイドのこと。教えて?」



「昨日の放課後。レオナルドと別れた後のことだった。首の裏にちくりと痛みを感じたと思ったら、そこで気を失ったんだ」

「それって……」フィリアは唇に指を添えてから、「日本のアニメで見たことあるような攻撃だね。ほら、メガネをかけた小学生探偵が犯人を言い当てるとき。大人を眠らせるやつ。銀色の腕時計から麻酔針をピュ……」


 ああ、わかる、すごくわかる。タイガは肯定した。


「そして気がついたら、どこかの地下室だった……。棘だらけの拷問椅子みたいなのが置いてあったよ。幸い僕が座ったのは鉄パイプ椅子だったから、まだよかったけど……」

「ここから遠い場所?」

「ううん。セリカに助けられた後は、家までそう遠くはなかった。執事のマーカスが、すぐに迎えに来てくれたんだけど。車で一五じゅうご分くらいの距離だったかな」

「へぇ……」フィリアは神妙な顔つきで、「けっこう近くにいるんだね。アンドロイド……」


 その存在自体がタブーになって以来。アンドロイドというものを実際に見る機会はほとんどない。ある種の希少性が生じているのは事実である。ゆえに、アンドロイドをこの目で見てたいと渇望する人間はたしかにいる。


「うちさ、ほら。アンドロイドを持っていたでしょう?」


 スタンホープ家がアンドロイドを購入していた事実ならば、タイガも知っている。


「えっと、そうだ……。父上から聞いたことはあるよ。スタンホープ家はアンドロイドを三台購入した。そしてメイドを六人解雇した……。だよね?」


 なるべく嫌味にならぬよう、そっと言った。


「うん……」


 どうしても暗い雰囲気になってしまう。


「わたしね、大好きだったメイドがいるの。年上のお姉さんだった。ずっと可愛がってくれて。メイドなんだけど、お姉ちゃん、お姉ちゃんって、よく甘えていたの。その度にお父さまからは怒られたけど」


 メイドはおまえよりも格下なのだ、お姉ちゃんと呼ぶのはやめなさい——。父の言葉を思い出しながらフィリアは笑った。その笑顔には寂しさが含まれている。


「メイドといってもひとりの人間でしょう? 私、上下関係みたいなものが嫌いなの。たった一〇〇年かそこらしか生きられないのにさ。そんな一〇〇年の間で虐げたり、虐げられたり。従ったり、従わされたり。殺したり、殺されたりさぁ……」


 これは冗談ではない、真剣に話しているのだと。フィリアの口調からも読み取れる。


「一三〇億年以上はある宇宙の歴史から見たら、どれだけちっぽけなことを人間はしているのだろう、って。おなじ時間軸に生まれて、たったの一〇〇年かそこらの間に会うことができた……。それってすごい奇跡だと思わない?」


 宇宙が誕生したのは一三八億年前だといわれている。そんな果てしない年月のうちの、一〇〇年。それは普段人々が体感している時間に置き換えると、たったの一分。いや、一秒にも満たないかもしれない。


 それほどに短い時間軸の中。

 おなじ地球に生まれて息をしている。


「そうだね……」タイガは納得したような顔で、「そう言われると、本当にそう思う。宇宙の長い歴史から見たら、僕も、今日産まれた子も、明日に死んでしまうかもしれないおじいさんも。みんな同級生のように思えてしまうね」


 どこか、ちぢこまった考えに囚われていた自分を発見したような。すっきりとした胸心地むねごこちがする。


「わかってくれて嬉しい」フィリアの声色が柔らかくなった。「こんなこと女友達に話しても、理解されないもの。家にいまメイドがいる友達も、タイガくんくらいしかいないから」


 名家の子息という共通点。それがあったからこそ、いま自分はフィリアと肩を並べて話しをしていられる。いまさらながらに気がついたタイガの胸にも、嬉しさがこみ上げた。


「それでその、メイドのお姉さんは?」

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