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「そそ、それそれ」

「僕も、昨日ので二回目かな。セリカの金棒を見たのは……」

「やっぱり、見せろって言って、見せてくれるもんじゃないのな」

「彼女にとっては、命よりも大切なものらしいからね」

「形見……、とか。そんな感じなのか?」

「金棒のことは触れるなって、父上が言うくらいだもん。デリケートな問題なのかも」


 タイガも空にいるカラスを目で追った。


「なるほどな……」レオナルドはすこし考えてから、「てかさ、おまえが金棒をはじめて見たときは、どんな感じだったわけ?」


 興味津々きょうみしんしんに尋ねられたタイガは深く目を閉じた。

 当時の光景を思いだそうとする。


「中学生のとき。家の裏手に、大熊二匹が侵入したんだ」目を開けて、静かに語りだす。「ちょうど父上が外出中で、他のみんなも父上と一緒に家を開空けていた。家には、僕とセリカのふたりだけ……」

「ああ、一時期あったよな」レオナルドはうなずいて、「毎日のように熊警報の町内放送が流れてた。そんときか……」


 その後。動物園のヒグマが逃走していた、というニュースが新聞の一面を飾ったのである。


「ちょうど動物園で熊が逃げたのと、町内に熊騒動が広まった時期が重なっていたから。動物園の熊が逃げたんでしょ、って世間は言っていたよな」


 レオナルドが言うと、タイガは昔を懐かしむような顔でうなずいた。


「熊が逃げた事実と、我が園は無関係である!」レオナルドが、当時テレビで釈明しゃくめい会見をした園長のモノマネをした。「そうやって頑なに主張していた園長が辞任。それからの廃園になっちまって。虎とかも飼っていたからな。獰猛な動物がいつ逃げだすかって考えたら、そりゃ誰も行かねえって」


 テンポよく語りながらも、会話の内容が脱線しかけたことをレオナルドは察した。


「あ、ごめん。セリカさんの金棒の話だったよな」

「そう、それなんだけど……」


 タイガの言葉を遮るように、聞き覚えのある音が鳴り響いた。昼休み終了の一〇分前を告げる学校のチャイムだ。


「あ、やっべ」レオナルドは慌てて弁当を片付けて、「話しこんじまった。つづきはまた放課後にしようぜ! んで次の授業なんだっけ?」

「次は化学だよ」

「なーんだよ化学か」レオナルドはがくりと首を垂れた。「ま、物理よりはいいわな」


 気を持ち直すように立ち上がり、レオナルドは背伸びをした。よし、やるかと気合を入れた。カラスは相変わらず近い空にいる。くるくると旋回している。黒一色の優雅さすら感じられる。


「めんどくせーけど、やらないと、もっとめんどくせー!」


 空に叫んだ、その瞬間だった。なにか白いものが降ってきて、べちゃり、とレオナルドの顔面に付着した。筆舌に尽くしがたいにおい。生々しい感触。


 閉じた目が開けられない。口もとにもなにか液体が飛び散っているから、しゃべることもできない。すこしでも動いたら、なおさらひどくなる気がする。


 これは、あれだ。

 カラスのフンだ。

 やられた。

 やられちまった。

 レオナルドは顔を上に向けたまま硬直してしまった。


 一方のタイガはというと、その悲劇に気づいている様子はない。弁当を鞄にしまっている最中だ。ついでに次の授業に必要な教科書やノートを、しっかりと持参しているか。丁寧に確認をしている。


「ああ、そうだ。レオ」タイガはカバンの中を見ながら、「今朝けさレオが気絶していて、覚えていないかも知れないから。もう一度言うね?」


 教材の確認を終えたタイガは、よいしょ、とカバンの紐を肩に掛けつつ立ちあがり。


「レオ、誕生日おめでっ」そしていま、親友の悲劇に気づいた。「とう……」



 午前の家事仕事をひととおりこなしたメイドたちは、昼食をとり。食後のティータイムを過ごしていた。リビングのテレビには、アンドロイドが関与しているとされる放火事件が取り沙汰ざたされている。


「なんだか、物騒になってきたよね」アイリーシャがティーカップを手に取り、「タイガさまが拐われたのも、びっくりだけど。アンドロイドって、人間のこと大嫌いだよねぇ。もとはご主人に従順だったはずなのにね」


 従順だったからこそ、ではないだろうか。

 セリカはそう思った。


「アンドロイドとはいえ、ゆき過ぎたあつかいをするご主人も、中にはいたでしょうね……」柔らかい口調とともに、紅茶をひとくち啜る。「人間の姿形をしているけれど、やはり機械。あるいは人形。そんな彼らにもAIがあった。モノとおなじようにあつかわれて。苛立ちが積もりに積もり……」


 なにかが爆発して、反人間行動が始まった。


「あら、セリカったら今日はミルクを入れなかったの? めずらしい」


 おなじく休憩中のドリシラが、紅茶をがぶがぶと飲みながら言った。彼女が手に持っているのは、ティーカップの二倍の大きさがあるマグカップだ。


「あ、そういえば」アイリーシャは、セリカのティーカップを覗きこんだ。「どうしたの? セリカさん。ミルク入れずに紅茶飲むことなんてないのに」

「ほんとだ」本人も驚いている。「飲んでいたのに、気づかないなんて……」

「なにか考えごとでもしてたの? アンドロイドのこと以外に?」


 心配そうな顔で、アイリーシャが尋ねる。


「昨日の一件ではなくて?」ドリシラは独特の口調で、「あれを抜いたのでしょう? タイガさまを助けるために」


 あれ、というのは金棒のことだ。


「セリカさんがずっと、胸に下げているベンダント……」アイリーシャが言った。「そんな小さなものが、鬼の金棒に変身するなんて。ほんとに不思議だよね」


 セリカはメイド服の胸もとに手をやり、その内側に隠れていたペンダントを取りだした。直径二〇ミリほどの、丸みを帯びた金色のペンダントトップが顔を見せた。日本の家紋のような模様が刻まれている。


 ペンダントトップをかたむけて、光に反射させる。すると模様の部分が虹色に見える瞬間があった。特殊な加工が施されているのだろうか。細身のチェーンも、色褪いろあせのない金色だ。


「わぁ……」アイリーシャは見惚れた。「改めて見ると、やっぱりすごい高価そうなペンダントだね」

「これだけは絶対に手放すな……」


 うつろな表情と共にセリカが言った。過去の傷にそっと触れるように。家族との数すくない記憶を、追憶の井戸底からみ上げるように。


「セリカは孤児院からの養子縁組を経て、イヴァンツデールに来たのよね?」


 いつになく真面目な口調でドリシラが言った。


「え?」セリカは我を取り戻してから、「ああ、そうなんです。でも子供の頃の記憶があまりなくて……」


 困ったような顔で苦笑いをした。


「うーん、なんかわかる気がする」アイリーシャは、ティーカップを持った両手をテーブルに置いた。「私も辛すぎたころの記憶が、ほとんどないもん。なにかのきっかけで、ふと思いだすことはあるけど。たとえば物音とか。嫌いだった人に似ている姿や、声をしている人と会ったりするとねぇ……」


 すこしだけ、気分が沈んでしまった若いメイドふたりをよそに。ドリシラは鼻息をふんふんと鳴らしながら、マグカップをかじる勢いで紅茶をがぶ飲み。それからの、おかわりを注ぎはじめた。彼女が手に持っているものは、なぜだかワンサイズ小さく見えてしまう。


「ここに来たってことはね。みんなあったのよ」ドリシラは母のような優しい口調で、「いまも、昔も。メイドはみんな訳あり。むずかしい青春時代を抱えている。苦労の内容が違っていてもね。大変な思いをしてきたという点では、おなじなのよ」


 そして、すくなからずの孤独を抱えてきた。その孤独は、イヴァンツデールに雇われたことによって。また、ここに住んでいる人たちの温かさによって。すこしずつほぐれてゆく。その過程と事実を、ドリシラはよく知っている。


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