メイドなめんなよ

燈羽美空

第1巻

prologue

 

 このまま死んでしまうのだ——。

 イヴァンツデール家に産まれたおの宿命さだめを恨むしかない。


「金持ちだから、おまえは拐われたんだよ。おぼっちゃん」


 土色の肌をした痩せ男が、顔を横にして言った。その声には傲慢ごうまんと強欲が満ちている。人を脅すことに慣れている様子だった。余裕すら感じる。


 名家の子息であるタイガ・イヴァンツデールは、齢一七よわいじゅうななにして、口に布を噛ませられ、手足を硬い椅子に縛りつけられている。誰かの恨みを買ったわけではない。ただ金持ちの息子というだけで、この状況に巻きこまれているのだ。


「いま電話しましたぜぇ、親分!」

「おーし。どさかんと金を持ってくるだろうから、ぜーんぶいただく!」


 タイガを拉致し、その身柄を盾に多額の身代金を要求してきたのは、五人の悪党どもだ。彼ら視線は甘く、汚く、まわしい。タイガのことが金にしか見えていない。眼球にドルが浮かんでいる。


「金を運んできたやつは、どうするんですかい?」

「てめぇ、つまらねえこと訊くなあ……」


 けらけらと笑っていやがる。悪党どもめイヴァンツデール家に手を出すな……! タイガは怒鳴りたかった。が、噛ませられた布のせいで口から出る音は、んー、んー! 


「ふひゃひゃひゃ! みな殺しですね、親分……!」

「あったぼうよ……、あったぼうよおっ!」


 さらに笑うか。まだ笑うか。この人でなし。

 そうだ。こいつらは人じゃない。


 ドアが開いた。この場所、地下室へと通じる金属製の重厚なドアが開いた。

 いや、ぶち破られた。


「タイガさま? こちらですか?」


 悪党全員は地下室の入り口を見た。カチッと時が止まったように視線が釘づけられた。そこに立っているのは、軍警察でも、FBIのエージェントでもない。ひとりの女性だ。


「なんだぁ?」悪党のひとりが目を凝らした。「メイドさん?」


 逆光でシルエットになっている彼女は、たしかにメイドの格好をしていて、手にはなにか危ないものを持っていた。トゲがそこかしこに生えている、デカイ棒。


「あれは、金棒ですかい?」子分が首をかしげた。

「ああ、金棒だな」親分が低い声で応える。

「あんな細い躰で、あんなデカイもの振りまわすんですかい?」

「無理だろう。そりゃあ無理だろう」

「じゃあ、あれはプラスチックのおもちゃですね、親分!」

「それだ、よく言ったそうだよそれ、プラスチックだ!」


 さきにも増した勢いで、悪党たちは笑い出した。腹をかかえて、身をよじり、背中を床につけてまで笑う者も。


 それからなにかを思い出したようにメイドをにらみつけると、金を持ってきたのか、と親分が言った。そこで空気が変わった。殺気が漂いはじめた。悪党全員が腰のナイフを抜いた。


「いえ、お金は用意してございません」


 メイドが答える。親分はニヤリと笑った。


「どうゆう了見だ」

「わたくしのからだで、お支払いします」

「おお……、おお……」

「こりゃ……」子分のひとりがよだれをすすった。「金よりも良いもん転がりこんできたんじゃねえですか?」


 甘いにおいがした。フェロモンかなにか、むんむんとした汗のにおいが鼻をつく。だがどうしてだろう。こいつらは人間ではないのに、汗などかくのだろうか。


「さすが、ビスクドール社の製品はしっかりとお造りになられていますね。擬似汗腺からフェロモンを放出する機能まで搭載しているなんて」


 メイドは足を一歩進めた。


「壊しがいがあります」


 満面の笑みとともに、もう一言と、もう一歩。


「おまえをめちゃくちゃにして、傷ものになったかわいいお躰をイヴァンツデール家に送りかえす!」親分の目がぎらりと光った。己の欲に正直になろうとしている。「俺たちに逆らうことがどういうことなのか、思い知らせてやる。……かかれ、野郎どもぁ!」


 親分は怒号をあげた。まずひとりの子分がナイフを振りかざし、駆けだし、メイドを切り裂こうとする。


 鳴ったのは金属が潰れる音だ。子分の顔が粉々になって真っ白な液体が飛び散った。割れた頭蓋ずがいは銀色で、それに守られていた人工の脳みそが見えた。糸のように細いケーブルが何本も千切れて、ぱっくりと割れた頭が火花を噴いた。


「ほ、本物の金棒かよ……」


 子分のひとりが震えた声で言った。


「お、親分……」


 おれも、あんな風に砕かれちまうんでしょうか。線の細いメイドがいとも容易く振りまわす金棒の一振りによって、脳みそをさらしてしまうんでしょうか……。子分がそう言わずとも、親分には伝わった。なぜなら親分も、まったくおなじことを考えていたからだ。


「こいつぁだめだ、銃を出せ、銃!」


 親分が言うと、子分のひとりが後方に走った。壁に立てかけられていた上下二連猟銃を手に取る。銃口をメイドに向けじりじり……、と歩み寄る。


「どうだ、この距離で撃たれちゃ敵わねえだろお」


 そしてまた、へらへらと全員が笑いだした。さすがに無理だ、逃げてくれ、俺のことはいいから……。そう伝えたいタイガのんー、んー! がメイドの耳に届いた。


「あらやだ。湿気しけってる、その猟銃。本当に弾、撃てるんです?」

「なんだとお……」

「じめじめとした地下室にそのまま保管するのは、よろしくありません。できれば除湿剤と一緒に、専用の箱に入れておくのがよろしいかと。そうすれば火薬も銃身も湿気ることはなく、必要なときに十分の機能を発揮してくれるかと思います。たとえば、山で鹿を狩るときや、畑に侵入した猪を追い払う場合などに」


 そう言ってメイドはにこやかに微笑んだ。


 空気を読めないのはどちらだろうか。彼女が言っていることは、この殺伐とした状況に対して、あまりに牧歌的ぼっかてきすぎる。かと言って、油を注いだ火のように激しく爆笑する悪党どもも、どうかと思う。


「おもしれえ、おもしれえ!」親分は横隔膜を押さえながら、目を見開いた。「あんたの躰でこの銃が湿気っているか、試してやるまでさ。ほら、引くんだよ、引き金を!」

「もちろんでさあ!」


 すっきりとしない銃声が鳴った。高音が心地よく抜ける音ではなかったから、やはり湿気っていたのだ。が、弾は発射された。人を殺めるのに十分な勢いで、散弾が撃たれた。


 そしてそれは、全ての弾丸は、壁に穴を空けた。血まみれのメイドを期待していた悪党どもは肩を透かされた。——気づくとメイドは、銃を撃った悪党の眼前に立っているではないか。


「なん……、速っ……」


 ぶうん、と金棒が風を切り、精密機械が潰れた音が鳴る。悪党のひとりが倒れた。畳み掛けるように風切音が鳴る。もうひとり。さらにまたひとり。あっというまに残るは親分のみとなった。タイガの頬に白い液体が付着した。人口の血液が飛び散っている。


「お、おい、おまえら、起きろって!」


 おそれ慄いた親分は後ずさった。壁に背中があたり、そのひやりとした石壁の感触がしただけで、ひっ……、と情けない声を出してしまった。怯えている。金棒を持ったメイドに怯えている。


「わたくしのご主人さまを返してもらってよろしいでしょうか? いまから三〇分後に、家庭教師が一時間のレッスンをしますの。それが終わったら武道のお稽古。お風呂に入って、お食事をとり、明日の準備をして。一〇時にはベッドに入って消灯です。ね、タイガさま」


 さすがにタイガの躰もふるえている。片手で金棒を振りまわし、悪党をぶっ壊してゆくメイドに対してなのか。名家の子息というだけで、誘拐されてしまったことへの恐怖なのか。もしくは、予定がきっちりと組まれたお屋敷生活に戻ることへの畏怖いふなのか。


「ふ、ふざけんな、金がいるんだよ……。おれたちには金がいるんだよおっ!」


 親分のナイフは、メイドに向かって振り上げられたそのときに手から離れた。宙を舞い、床に刺さったナイフの傍ら。腹から火花を散らし、人口の内臓を露出した親分が倒れこむ。


 勝負をつけたメイドは金棒を一旦、床に置いた。ちょっとお借りしますね、と言って、床に刺さったナイフを手に取ると、それを使ってタイガの拘束を解いた。慣れた手つきだった。


「ごめん……、拐われちゃった」

「ええ。拐われましたね」

「ごめん……、本当に」

「お金持ちですから。よくあることです。さあ、おうちに帰りましょう」


 ちょっと待て、まだ、終わっちゃいない。悪党の親分はノイズの混じった音を発した。そしてうつ伏せながら片手をかざした。手のひらに黒い穴が見える。そこに熱が溜まり、赤くなり——


「タイガさま伏せて!」


 赤い熱線が放たれ、尋常ならざる高温がメイドの髪をかすめた。毛先が焦げるにおい。綺麗に整えられていたボブの髪が崩れた。タイガは肩をふるわせ、後ろの壁を見た。石壁の一部が赤く溶けている。


「レーザーなど、お撃ちなられて」


 メイドは金棒を握りしめた。


「違法改造のアンドロイドに容赦はいりませんね」


 金、金がおれのすべてだ。

 メンテナンスにも、改造にも、金が必要なんだよ……。


 しかし立ち上がれない。いまのレーザーでバッテリーも残りわずかだ。にもかかわらず、この親分のスピーカーはまだ音を発している。


 メイドが振り上げた金棒は、親分の頭に思い切り落とされた。それが決めてとなった。人口の頭部はぐしゃりとつぶれて、火花と白い液体。そしてざーざーと砂嵐の音。声を発する機能がイカれたのだろう。それでも親分は、砂嵐に混じってなにかを言っていた。


 メイドのくせに。

 ただの、メイドのくせに。


 雑音ノイズまじりの余計な一言である。産まれたての子鹿みたく、足を震わせるタイガの手を引いて、その場を去ろうとしたメイドだったが。ピタリと立ち止まって、にこりと後ろを振り向き。ぶっ壊れた親分に向かって優しく言ったひと言は、あまりにもすっきりとした響きだった。


「メイドなめんなよ」

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