第20話陰キャと陽キャは相容れない

 気づけば俺は土間に座り込んでいた。

 電気もつけずに薄暗い部屋の中、ジッと自分の汚れたスニーカーを見つめる。

 そうして無心でいないと、さっきのセリフがイヤでも脳内で何度もループ再生されてしまう気がして、それだけが無性に怖かった。

 せっかくなんとか逃げずに授業を受けたのに、もうどんな内容だったか覚えていない。


 ――はじまりは、一枚の写真だった。


 一昨日のことだ。偶然、小幡が俺の部屋に入っていくのを見たやつがいたらしい。

 そいつがその場を写真に収め、それがSNS経由で拡散。

 まずその時点で、もはやクラスの腫物と化している俺との交流関係が露見したわけだ。


 そこまでならまだ少し言い訳の余地があったのだが、しかしそれで話はとどまらなかった。

 さらに悪いことに、その拡散されたメンツの中に俺たちの帰り道を目撃した人物が混じっていたのだ。


 結果、その二人の証言により小幡がかなり長い時間俺と時間をともにしたということが判明したのである。

 ここからさきは、先ほどの木村の発言の通りだ。


 ――大学生の男女が、長時間狭い部屋で二人きり


 それがいらぬ憶測を呼び、今朝の教室のおかしな空気につながったということらしい。


「......」 


 シンと静まり返った部屋に、俺の呼吸音だけが力なくこだまする。

 ......まあ、端から端までツッコミどころしかないのだが、いまさら俺と小幡の関係を解いたとしてもさして意味はないだろう。

木村の口ぶりからするに、そういう関係でないことを理解したうえで、小幡の口から俺を、その......。


 ――そこまでいって俺は思考を止めた。


 っぶねえ、またさっきのシーン思い出すところだった......。

 ぎゅっと目を瞑って、無心無心......と心の中で唱える。

 ......唱えてる時点でもう無心じゃなくね? とかいうクソリプは聞こえないことにしておく。これが若者のスルースキルである。

 そのまましばらくぼーっとしていると、不意にポケットでスマホがブルっと震えた。


「......そういや今日バイトか」


 確認してみると、送られてきたのは今日のシフトのリマインドだった。

 見てしまった以上仕方ないので、それに短く「承知しました」と返信して、またスマホをポケットにしまう。


 今日のシフトは午後四時半から。現在時刻が四時少し前なので、そろそろ準備を始めねばなるまい。

 のそりと立ち上がる。

 しばらく無理な体勢で座っていたので腰が小気味いい音を立てた。まあ準備とはいっても特に持ち物はない。軽く身だしなみを整えるだけだ。


 薬局で安売りしていた洗顔フォームで顔を洗い、簡単に寝癖をなおして時計を見れば、ちょうど四時になっていた。

 提出期限が今日の課題もないし、まだすこし早いけど、


「行くか」


 鏡の中の冴えない男にそう告げて洗面所をあとにした。

 そこら辺に置いていた財布と部屋の鍵が入っているバッグを肩に掛け、ゆっくりとドアを外へ押し込む。

 開けた瞬間くだり風が顔を打ち、思わずその強さに目を細める。


 ――ふと、その風に乗って、どこか覚えのある甘い香りが鼻さきをかすめた。


 気付けば、ドアを開けた先に見知った顔が待っていた。


「――あ」


 そいつは間抜けに半開きになった口から声をこぼすと、大きな瞳をせわしくきょろきょろ泳がせて、一歩大きく後ずさる。


「さ、佐伯、いまから出かけるのっ?」


 ドアの先にいた人物、小幡三枝はやや前傾姿勢でそう言った。

 その様子を見て俺は身体からすっと熱が引いていくのを感じ取る。


「ああ」


「どこ行くとか、聞いていいかな?」


 小幡は不自然なくらい明るくそう言うと、パッと明るい表情で首を傾げる。

 でもそれは、どう見てもいつもの笑顔とは違う。

 関係が浅い俺でもわかるくらいの、そんな拙い『作った』笑顔だった。


「......バイト」


「そ、そうなんだ! 佐伯は働き者だね!」


「......」


「どこでバイトしてるの?」


「......今日は塾」


「へ、へえ! 奇遇だね! 私も塾でバイトしてるんだ!」


 無駄に大きな身振り手振りが癪に障る。

 俺が黙ると距離を少し縮めてくるのがいやで、小幡から一歩距離を取った。


「......」


「何時からなの?」


「四時半」


「わっ、じゃあもうすぐだね!」


「......」


「あのさ! 今日、帰りって何時ぐらい――」


「――もういいか?」


 俺が言葉を遮ってそう返すと、小幡は一瞬時が止まったように固まった。

 しかしまたすぐに憎たらしい作り笑いを浮かべる。


「ど、どうしたの? 顔、ちょっと怖いよ?」


「......」


「――あ! もしかしてさっきのことかな? ごめんね、さっきは雰囲気的にあー言うしかなかったけど、ほんとは全然! あんなこと思ってなくて」


 せわしなく手を動かしながら小幡はまくしたてる。よく見れば指先が小さく震え、瞳孔は開き切っている。

 こんなに慌てた小幡を見るのは初めてだった。


「だから、ほんとは、佐伯のこと......」


 言葉尻に行くにつれ、どんどん語気が弱まる。最後はほとんど聞き取れないくらいだった。

 でも、見上げてくる眼は雄弁に語りかけてくる。

 だから俺は、それに精一杯答えてやることにした。


「小幡さんの言いたいことは、だいたいわかったよ」


「待って! まだ私......!」


 そう言いながら詰め寄ろうとする小幡に、俺はけん制の意味も込めてあえて一歩踏み込んだ。すると委縮するようにその肩がびくりと揺れる。


「――だから今日は、もう帰ってほしい」


 遠くで鳥が鳴いた。

 でももちろん、そいつは花火みたいに俺の声をかき消さない。

 視界の端で、小幡がなにか言おうと口を開くのが見える。

 でも俺は、勢いそのままに二の句を継ぐ。


「――それでもう二度と、俺の部屋にこないでくれ」

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