39 過去を知って、貴方に伝えたいこと


「始めて投稿ボタンを押すときは手がブルブル震えたのを今でも覚えてる。でもって、見た目がイイとかイケメンとか褒められるコメントが届く度に当時はビクビクしてた。そんな中に編集技術や俺が一生懸命やってる姿に焦点を当てて褒めてくれるコメントとか、俺が訳ありだって悟って応援してくれるコメントが投稿されたときは死ぬ程嬉しかった。でもって、自分でもビックリするくらい再生回数が伸びたの。ルックスに注目が集まったのは内心複雑だった。けど、次々に動画を投稿している内に見た目も自分の一部なんだって割り切れるようになってさ。いっそ武器にしてやろうって思ったんだ。そんで生まれたのが『イケメンだけと文句ある?』っていうイキったチャンネル名。当時も今もネット上で調子に乗るなって本当に文句言われることはあるけど、事実なんだから仕方がないじゃんって今はもの凄く開き直ってる」


 ニカッと苦笑いで言い切ったレックスに対して月は言葉が出て来なかった。


 さぞ過去に辛い事があったのだろうと予想して話を聞き始めたにもかかわらず、ポツリポツリと語られた内容がレックスの体験談なのだと思うと胸がきゅうっときつく締め付けられて涙が溢れそうになった。本人の口から語られているというのに、本当にあった話ではないと言ってくれないだろうかと何度となく願ってしまった。けれども、レックスの表情や口調や姿勢の全てが嘘偽りのない過去を語っているのだと物語っており、月は信じざるを得なかった。


 そして、チャンネル名に込められた想いを知って、心臓が縮み上がった。


 月はレックスの事をどちらかと言えば陽キャで自信家、ナルシストな一面も持ち合わせているとすら思っていた。にもかかわらず、レックスが身の内に抱えていたトラウマはそれらとは対極にあるものだった。何も知らなかったとはいえ、チャンネル名を念頭に文句を言ってやろうとか、コンプレックスなんて欠片も知らないのだろうと思っていた過去の自分を大いに恥じ、後悔し、深く反省した。


 陳腐な慰めの言葉や謝罪など何の価値もないような気がして、掛ける言葉が見つからなかった。それでも、とても緊張した面持ちで辛い過去を勇気を振り絞って話してくれたのが痛いほど分かったから、何かレックスの想いに報いる言葉を掛けなくてはと、あーでもないこーでもないと考えている内に種田の方が先に口を開いた。


「…………お前の過去については理解した。遠野美来との因縁、女を信用できない理由も。……色々と苦労したんだな。松田樹という人間とレックスというYouTuberのことを一層深く理解出来た。辛い事を話してくれて有難う。俺はお前という存在と一緒に仕事が出来て、関わる事が出来て、毎日のように笑顔が見れる事が嬉しいよ」


 種田がとても真っ直ぐな想いを口にした事にほんの少し驚きつつ、月もその言葉に乗じてブンブン顔を縦に振って頷いた。するとレックスは苦笑を柔らかいハニカミに変えた。


 その笑顔にやっと少しほっとした月だったが、そのタイミングで種田が踏み込んだ質問をする。


「ただ、一つ腑に落ちない事がある。この際だから有耶無耶に流さずに聞いておくが、お前を実際にいじめていたのは蒼龍とかいう奴と逆恨みの男子達だろう。けど、レックスが心を開いて信用できないのは女だけだよな? どうして男は大丈夫なんだ?」


 種田の冷静な問いに月ははっとした。言われてみれば確かに種田の言う通りで、話を聞く限り切っ掛けは美来にあったかもしれないが、レックスに手を上げ学校生活を破綻させたのは蒼龍をはじめとした男子達のはずだ。ならば女性不信だけではなく人間不信になっていても不思議ではない。しかし、レックスが完全に心を開いて信用できないのは女だけのようだった。


「…………まぁ、理由は幾つかあるんだけど、一つはイジメてきた相手に対して俺なりのけじめを付けたからかな」


「けじめ?」


 種田が首を傾げるとレックスがニヤッと人の悪い笑みを浮かべた。


「引き篭もりしている間の動画投稿で稼げるようになったから学校なんか辞めてやるって決心したんだ。そんで、中退する予定日の一週間前から久々に登校して、ちょっとYouTuberらしいをしたんだ――――」


 人の悪い笑みでレックスが語った悪戯の内容はそれなりに刺激的だった。


 初投稿から一気に人気が出たレックスはすぐに動画の収益化が可能になり、秋になるころには日本人の平均初任給を越える額を稼げるようになっていたそうで、両親と相談して中退を決意。そして、それまでに複数の動画を投稿することによってある程度メンタルが回復していたレックスは、やられっぱなしのままでフェイドアウトするのもつまらないととある作戦を一人で実行したのだった。


 中退予定日の一週間前から勇気を振り絞って登校し、早朝の学校各所にカメラを仕掛ける。それまでコメント欄が荒らされた事はなかったが、いざ久々にクラスメイトと顔を合わせてみれば、レックスが不登校中に動画を投稿していることは知れ渡っていた。そして、動画をネタに揶揄われ、性懲りもなくイジメを繰り返された。その光景をばっちり撮影したのだ。


 でもって中退する当日の朝、必要な書類を担任に提出した直後の職員室のテレビを勝手に操作し、撮影した動画を流した。それはYouTube用にばっちり編集し、イジメた生徒の実名と学校名をばっちり入れた動画で結構な自信作だったとか。


「私立の進学校だったからさぁ、職員室中の教師の顔がそれは見事に真っ青になっちゃって。謝られたい訳でもなく本気でギャフンと言わせたくて仕込んだ動画だったから、やり逃げって感じで動画を焼いたDVDを残して再生中に家に帰ってやったんだ。俺はあんな胸糞悪い動画をチャンネルに上げるつもりは勿論なかった。でも、学校側はそうは考えなかったみたいで、直ぐに家に校長と担任が血相変えて来たよ。俺は特に言いたい事とかなかったから黙って下げられた頭を眺めてたけど、親は両方ともブチ切れ。謝りに来た教師とその後連れて来られたイジメの主犯達をコテンパンにしてくれちゃって。それでちょっとは溜飲が下がったのかな。…………女子との問題に関してはどうすることも出来なかったから、そっちに皺寄せがいった感じ、なのかな」


 最終的にまた苦笑いで肩を竦めたレックス。漫画のようなざまぁ展開に月は一瞬面食らい、ほんの少しだけ胸がスッとした。しかし、無理にレックスが笑顔を作っているのが分かって、そんな展開があっても傷ついたレックスの胸の痛みが消えることはないのだと、また切なくなった。


 月はほぼ無意識に腰掛けていたソファからずり下りて、ローテーブルを挟んでレックスの正面に座った。


 掛けるべき言葉がまだ見つからない。けれども無言のままでいる訳にもいかなかった。レックスが勇気を振り絞って、辛い過去を語ってくれたことに報いなくてはいけない。何より女を心から信用できない理由を知った今、月はレックスの心の壁を乗り越えるか砕き壊すかしなくてはならないのだ。そうしなければレックスの懐には入れない。


 その思いが月を突き動かした。


「私は松田さんの外見はとてもかっこいいと思っています」


 俯き加減だったレックスが弾かれたように顔を上げた。目が正面から合い、眉が下がり、瞳が不安そうに揺れていた。その目を真っ直ぐに見返して、月は出来る限り優しく微笑んで見せた。


「それに関しては否定しません。嘘は吐きたくないので。でもって、私、松田さんに直接会うまで“YouTuberのレックス”の事を自信過剰で調子に乗ったいけ好かない奴だって思ってました。私と違ってコンプレックスとかないんだろうなぁって」


「……めちゃくちゃズバッとアンチな事を言うねぇ」


 レックスがくしゃりと自身の頭を掻き回した。浮かんでいる表情をその手で僅かに隠される。ただ月の目にはレックスが苦笑を浮かべつつも辛そうに見えた。だからゴクリを唾を飲み込み、両手をぎゅっと握りしめ、思い切って次の言葉を届けた。


「でも、実際に会った松田樹さんは私が勝手に抱いていたイメージと全く違う人でした! 柔らかい優しさがあると言うか、私みたいな面倒臭い人間の心に寄り添ってくれるとても温かい心の持ち主で、調子に乗るどころか仕事にとても真っ直ぐで真摯で、見た目以上に中身が素敵な人だって今は本気で思っています! あと、過去の事があるから恋愛的な意味で女性が信用出来ないのかもしれませんが、松田さんは女である私とちゃんと人として向き合ってくれていますし、女性ファンにも優しくて紳士だって母が言っていました! だから、えっと、変わろうとする事は勿論悪いことではないんですけど、無理に大丈夫にならなくても良いといいますか、今の松田さんも充分人として魅力的で、否定するべき事があるのではなく、より良くなる余地があるだけだと言いますかっ――――」


 過去の話に関しては下手に言及する事が出来なかった。だからその分、過去にどんな事があろうと今のレックスが如何に素晴らしく、自分をはじめとした周囲の人間やファンの心の支えになっているのかを出来る限り言葉を尽くして伝えようとする。


 兎に角落ち込んでいるレックスを励さなくてはと、言葉を飾ったり繕ったりする事なく頭に浮かんだ台詞をそのまま繋げる。


 レックスが少しでも元気になれるように、胸の痛みが減りますようにと、同じことの繰り返しになったり語彙力が足りなくて子供みたいな言い回しになっても気にせずにしゃべり続けた。


 そうしている内に頭髪を掴んでいたレックスの片手が徐々に降りていき、いつの間にか完全に目元を覆っていた。それに気がついた月はどうしたのだろうかとその顔を覗き込む。すると隠れていなかった口元が笑った。


「ははっ、ちょっと待ってっ……、そんなに褒められると、照れる」


 くすぐったそうに僅かに声を震わせるレックスに対し、どんなに褒めても足りないと言わんばかりに言葉を続けようとした月だったが、その声は種田によって遮られた。


「もうそのくらいで止めといてやれ」


 別にいじめているわけでもないのに何故止めるのだと不満の気持ちを込めて種田を見上げる。すると、そこにはレックスとはまったく別物の温かみのある苦笑があった。頬杖を突いた種田と目が合い、その視線がチラリと意味ありげにレックスに送られる。


 釣られるように視線を戻せばレックスは目元を覆ったまま。ただ、その口元に浮かべられていた笑みが消え、口角が下がって下唇が噛み締められていた。それを目視した直後、鼻を啜る音が聞こえてきて月は目を見開き、大慌てした。


「えっ、あのっ、そのっ」


 レックスが目元を隠しながら泣いていた。


 もしかしたら自分が話した事が不快だったのではないかと肝が冷えた。益々何と声を掛けて良いのかが分からなくなってオロオロしていると、レックスがしゃくり上げる。これは本格的にヤバイと焦った時だった。


「――――ありがと」


 声が震えるのを堪えようとしたのであろう、小さく短いシンプルな感謝の言葉。それを聞いた途端、月は自分の想いが伝わった事を確信し、肩の力が抜けた。


「本心を言っただけですよ。松田さんは私の励みで、元気の源なんです」





 それから暫くはレックスが落ち着くのを待つのに時間を費やした。


 はぁー、と大きく息を吐いたレッスクが照れ臭そうに洗面所に顔を洗いに行き、暫くしてから赤みが残る目元を隠さずに戻ってきた。少し濡れたままの髪をかき上げながら月が持ってきたコンビニスイーツを食べたいと言い出したレックスに付き合って月と種田も冷蔵庫で冷やしておいたそれを食べる。


「……夜十時以降に食べるスイーツって罪悪感がある分美味しく感じるよね」


「ですね。偶に欲望に負けて私も食べちゃいます。でも、それがお母さんに見つかるとい未だにニキビが出来るからやめなさいって言われます」


「はっ、まだまだガキだな」


「そういう大人な種田さんはもうニキビは出来なくて羨ましいです。何故ならオジサンに出来るのはニキビではなく吹き出物と言う」


「はぁっ!? 誰がオジサンだ! 俺はまだお前らと同じ二十代だぞ!」


 月と種田で一通りギャアギャアやりあって、それにレックスがいつもの様に声を上げて笑う。その雰囲気に互いが心から安堵したのが言葉を交わさずとも分かった。


 しかし、その落ち着いた空気をブチ壊す発言をしたのはレックスだった。


 スイーツを食べ終えて時計を見上げれば十二時を過ぎていた。そろそろ帰りますと宣言した月を引き止めたレックスはたっぷり十数秒言い淀んだ後に、今にも崩れそうな強がりな笑顔を月に向けた。


「――――遠野美来の連絡先教えて。この際だからそっちの問題も片付けて来るよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る