21 捨てきれぬ片恋


「うーん、シンプルだね。まぁ、スカートは新鮮でいいね。かわいいよ」


「っ!? あっ、有難うございます」


 黒無地のTシャツにフリーサイズのベージュのフレアスカート。ファストファッション店のマネキンが着ていたその二点をベースに無難な全身コーデを身につけて風呂から出てきた月にレックスが歯の浮くような褒め言葉を投げた。月は言われ慣れていないであろう台詞に頬を染めてキョドキョドと落ち着かない様子。


 そんな、二人の姿を内心で、否、実際に舌打ちして見ていたのは種田だった。


 背を向けているレックスには聞こえないようにと配慮した舌打ちは月の視界の隅に入ったらしく、顔から赤みを引っ込めて頬を引き攣らせていた。


 種田はそんな月の表情を無視する。


「レックス。早く風呂に入って来い。いつまでそんなだらしない恰好をしているつもりなんだ」


 未だに上裸で清掃作業をしていたレックスを風呂に入るように促せば、月が「お先に使わせて頂いて有難うございました」と焦った様子で頭をぺこりと下げる。レックスが双眸を細めてその後頭部を見下ろす姿に種田の胸はチリッと痛んだ。


「いいえ。こちらこそご迷惑をお掛けしました。キッチン部分は綺麗にしておいたから、ご飯づくりよろしく」


 本人は気さくなつもりでいるようだが、目も声も一つ一つの仕草にも普段は見せない甘さが含まれている。


 ————懐に入れる事にビビっている癖に。


 種田はレックスの中途半端な態度を見てイラついた。同時に自分は何も知らないし分かりませんって態度を取りつつも頬を染める月にも同じ感情を抱いた。


 安っぽい、恋愛ドラマじゃあるまいし。


 内心で吐き捨てた種田は二人のやり取りを無視して、中断していた室内の掃除を再会した。


 種田が掃除をしながら考えていたのは仕事の事だった。明日以降の予定に出演依頼が来ているCMとテレビ番組について。会食やパーティーなど、業界や異業界人からの複数の誘いの中からどれに顔を出させるかの取捨選択。


 そんな事を考えていた種田はレックスを執拗に食事に誘ってくる複数の女の顔を不意に思い出した。


「いっそ、あの尻軽そうな女達のどれかと付き合ってくれた方が何倍も安心なのにっ」


 種田はギリリと奥歯を噛んで、ここ数ヶ月間のレックスの様子を思い返した。







 最初に違和感を覚えたのは思い返せばLDKと物置部屋が魔法のように綺麗になったと報告を受けた時だった。


 移動の車中で興奮した様子でどれほど部屋が綺麗になったのかを語るレックスはまるで子供のようなはしゃぎようで種田は少しばかり驚いた。


 LDKのビフォーアフターの撮影時、種田は偶々所用で撮影に同席出来なかった。家事代行業者のついてはレックスが半分私用も入っているから自分で選んでやりとりしたいという要望があったので、種田はノータッチだった。


 家事代行業者が来てから四日後の日曜日だったその日、撮影日だけ業者が出入りしたと思い込んでいた種田は話を聞いて、物置部屋まで綺麗になったということはスタッフを複数雇ったのだろうと勝手に予測を立て、特に語られた内容に対して疑問を抱かなかった。仕事に重きを置き過ぎて手の付けようがない程散らかり尽くした部屋が綺麗になったのならばよかった。種田の感想はその程度だった。


 ただ、その話をした直後、レックスが水曜の午後三時以降と土曜の午前中は一人で集中して仕事をしたいから外仕事がない限りは部屋に来なくてよい、と唐突に指示を出してきた。それに対して種田は大きな違和感を持った。


 とはいえ、レックスが突拍子もない提案をする事は割とよくある事だった。


 以前に動画投稿だけに集中したいから一ヶ月は他の仕事を一切入れるなとか、集中力が切れて思い付いたネタが飛ぶから数日間サポートスタッフとは一切顔を合わせないだとか急に言い出し、それを実行したこともあった。よって、過去のそれらと同種の事案なのだろうと、種田は素直にレックスの言うことを聞いた。


 それから一週間後、マンションの部屋全体が異様に綺麗に変化している事に気が付いた種田はレックスが家事代行業者と定期契約を結んでいることに気がついた。


 業者と言えど、定期的に他人を家に入れるのは危険だと判断した種田は契約解除を進めたが、レックスは応じなかった。ならばせめて業者は吟味して欲しいと懇願すればあっさりと了承。レックスは自分が有名人であり強い憧れや羨望の眼差しで見られると同時に執着の対象になる事を十分に理解している。少なからずそれまではそう見えた。だから、種田は一先ずレックスを信用して業者選びも任す事にしたのだ。


 その後、レックスは度々家事代行業者の“ムーちゃん”の話題を出すようになった。


 掃除が魔法の様に早く丁寧で、料理が素朴だけど美味い。プロ意識が高く、余計な好奇心を持たずに淡々と仕事を熟す。話し掛ければ気さくに応じてくれて、時々抜けているところが面白い。善い人だから種田もきっと気に入る。


 そう語るレックスに珍しく人に懐いているようだった。レックスを全面的に信用していた種田はいつ出入りしているかすらよく分からない家事代行業者を母親世代の気のいいおばちゃんなのだと思い込んだ。


 にもかかわらず、蓋を開けて見て飛び出してきたのはレックスよりも若く地味で素朴を絵に描いたような気の弱そうな女。大食い動画撮影時に玄関から月が現れた時の種田の衝撃はかなり大きかった。


 種田は月に接するレックスを見た瞬間に様々なことを悟った。水曜と土曜に避けられた本当の理由、レックスが“ムーちゃん”が若い女である事を敢えて語らなかった訳を。そして、レックスが月という女を一線を画したレベルで気に入っているということを。


 レックスはモテる。見た目の良さは当然として、同世代の人間と比較してずば抜けた経済力と知名度、人当たりの良さを含めた人間性。どれをとっても人を惹き付ける魅力に溢れる人間だと種田は心底思っていた。


 種田自身もレックスに強く惹かれた人間の一人だ。ただ、前述の魅力の中で種田の心を強く奪ったのは人間性が大部分であり、見た目が悪くない事を魅力に思うことはあれど、経済力や知名度はどうでもよかった。


 種田はレックスに心を救われた過去がある。傷ついてどうにも修復できそうにない心の傷を魔法のように治された経験が種田がレックスに執着する根本だった。想いを告げて交際を断られた後も、その傍で支えとなりたいと強く願った理由もその経験に由来する。


「恋人になることは出来ないけど、唯一無二のビジネスパートナーと友達ってポジションなら空いてるけど、どうする?」


 マネージャーという立場で告白して数日後、レックスは種田にそう声を掛けた。身の振り方を考えあぐねていた種田は未練を心の奥底に封じ込めた。レックスが求めてくれるなら恋人でなくてもよいと割り切り、マネージャーを続投する事を選択したのだ。その時からレックスにとっての唯一無二、必要不可欠な人間になるのが種田の生きる目標になったと言っても過言ではない。


 そんな立場上、種田はレックスの事をよく観察した。そしてそれ以前と比べてよりレックスの事を知る存在になった。女性関係に関しても。


 レックスの女性関係は世間一般的な視点で言えばどちらかというと派手だった。女が出来たと思ったらいつの間にか別れている。すると次の恋人候補が現れて僅かな期間で交際に至り、またいつの間にか別れるを繰り返す。二股にかけるわけでもないし、不誠実を働いているわけではない。ただ入れ替わりで次を補填するかのような男女交際を知った種田は内心で眉を寄せ、胸を痛めた。しかし、その痛みは持続しなかった。


 レックスの恋愛を複数パターン見た種田は気が付いたのだ。レックスが交際する相手は例外なく口が固く、レックスに執着しない女ばかりだというとに。ドライで淡白な交際の後にそろそろいっかとでも言うかのように後腐れなく別れる。そして、その後レックスは自分という甘い花の蜜に誘われて言い寄ってくる複数の蝶の中から同じタイプの女をピックアップして付き合う。


 そのパターンを知った種田はレックスが異性と恋愛をしているわけではなく、求めているのは“癒し”であり“愛”ではないのだと悟った。レックスの“癒し”は一定水準をクリアすれば唯一無二である必要がなかった。生活のほとんどをYouTubeに捧げていて、それに夢中で満足しているレックスは本気の恋愛をしない。種田はそう判断して、ほっと胸を撫で下ろした。


 レックスにとっての唯一無二は仕事を支えるマネージャーであり友人でもある自分だけ。


 そのはずだった。


 にもかかわらず、レックスは突然を作った。


 それまで、レックスは自分のマンションに女を連れ込んだ事すらなかった。にもかかわらず、月は週に二回も部屋に入れる。さらには部屋の中を好き勝手弄ることを許し、料理を作らせてそれをほぼ毎日口にする。


 家事代行業者だから当たり前。種田はそんな風には一切思えなかった。


 レックスが月の事を語る表情は交際相手の事を語る顔と全く違った。


 月を年配の女性だと思い込んでいた時は何も感じなかった。しかし、いざその存在がレックスの恋愛対象範囲内の女であると意識すると全く捉え方が異なってしまう。月を異性として意識しているというような空気こそなかったが、“愛着”を抱いていることは間違いなく、語り口調にどことなく“愛おしそう”な雰囲気が含まれていたような気さえした。


 種田は月を目の前にして焦った。もしかしたらレックスに自分以外の特別が出来てしまうかもしれないと。


 だから、種田は出来る限りの牽制をした。月に対して威圧するような態度を取り、レックスのマンションに若い女が出入りするべきじゃないという意見をこれ見よがしに語って聞かせた。しかし、その甲斐もなく、月に看病されているレックスがかつてない程異性に心を開いている様子を見た瞬間、種田の焦燥はメーターを振り切った。


 一度は諦めたはずの恋する感情が一気に再燃し、それまでに感じたことのなかった感情が芽生えた。


 ――――とられたくない。


 唯一無二になりたいと願う種田にとってレックスこそが唯一無二であり、生き甲斐なのだ。


 代替えが利く恋人は問題がなかった。レックスの一番はずっと仕事だった。


 ――――なのに、どうして。


 掃除の手をいつの間にが止めていた種田は喉の奥で笑った。突然それまでに経験したことのない恋に落ちた過去がある自分にレックスの気持ちが理解できない訳がないと。


 突然当たり前に歩いていた人生という道に大きな穴が生じて一気にどっぷり嵌って出てこれなくなる。自分のように。


 他の何もかもが要らないと思えるような激しい恋は時に人生を大きく変えてしまう。自分のように。


 もし、レックスが自らと同様の想いを抱えてしまったら、レックスに好意を抱き執着している種田は恋の障害となって問答無用で排除の対象になってしまうかもしれない。そんな恐怖に見舞われた種田は形振り構っていられなくなった。


 だから種田はレックスが本気の恋に陥る前にそれを阻止しようと試みた。自らの想いを強い牽制の材料にし、二人の距離を物理的に空けるために干渉した。それでも不安で堪らなかったから、種田は御しやすそうな月側に自ら家事代行というレックスと接触する唯一の機会を手放させようとした。浅慮な罠だった。


 後々レックスにバレてしまっても良いと思っていた。とにかく月に嫌な思いをさせて、心を折ってしまえば、もう姿を現さなくなる。そう単純に考えた。


 そうして焦った心のままに行動した結果は酷いものになった。レックスの本気の怒りを買った上に、月の買い物を言いつけられて後に部屋に帰れば、上裸の男とその男がさっきまで来ていた服を着ている女が部屋に居た。それだけでも最悪だったのに、種田の最悪はすぐに更新された。


 月とレックス、二人して互いを見る目がそれ以前と変わってしまっていた。


 月の方の変化は種田にとって言葉に表現するのは難しい程度の変化だった。どこかそれ以前と違う、ということだけ漠然と分かった。


 一方、それまでにこれでもかという程見つめてきたレックスの変化は本人が取り繕っているつもりでも種田には良く分かった。


 段階が一つ進んでしまった。


 代替えが利かない相手だと自覚した上で、月を受け入れるか拒絶するかをレックスは迷っていた。


 がそれまでのスタンスを崩してまで月を懐に入れるか入れないかで葛藤していた。


『――――分かるよ。女を好きになるのって難しいよね』


 種田の心が奪われた日のレックスの声が脳裏を舞う。


 レックスを諦めきれない理由。


 レックスが種田にだけに見せた弱さ。何らかのトラウマの片鱗。


 ――――乗り越えなくていい。


 乗り越えなくていいから。俺がその分ずっと支えてみせるから。


 どうか、傍に居させて欲しい――――


 種田は胸の前でグッと拳を握り込んだ後、立ち上がった。


 掃除を手伝うためにもうすぐスタッフが上ってくる。レックスもいつ風呂から戻るか分からない。


 邪魔者が居ない間に要件を済ませてしまおう。


 種田はキッチンに居る月を振り返った。


「――――五島さん。今日の帰り、車で送らせてくれないか?」

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