16 怒れるイケメンYouTuber


「……というと、つまりどういうことなのでしょうか?」


 レックスの説明に月はぽかんとしながら結論を問うた。


「つまりね、このいい歳したお兄さんはね、ムーちゃんが合鍵で部屋に入ってローション塗れの廊下でアタフタするのを分かっていたにもかかわらず、それを事前に知らせることを敢えて怠ったの。しかも、俺のスマホを勝手に持ち出して編集部屋に置き忘れた事にしようとしたんだよ。どうしてだと思う? ムーちゃんから俺に連絡が通ると下らない悪戯がバレちゃうかもしれないからだって。でもってさ、ムーちゃんが部屋に到着してから暫く時間が経過した後に顔を出して、ここの掃除をぜーんぶ押し付けようと思ってたんだって。理由を聞き出したら、とにかく大変な目に遭わせて自分から辞めるって言わせたかった、とか言うんだよ」


「そっ、そうですかぁ」


 レックスが語った内容が色々な方面に衝撃的過ぎて、月は間抜けな返事をすることしか出来なかった。


 ドッキリの内容を聞き、YouTuberとはいえよくそんなことをするなぁと呑気に驚きつつも、種田が月を嵌めようとした事には当然怒りが沸いた。しかし、その怒りは表面化する前に小さくなって引っ込む。何故なら説明をするレックスの表情が心配顔から徐々に引き攣った笑みに変わり、話し終えたると同時に目が完全に据わった顔つきになったからだ。その上、視界に入った拳にこれでもかという程力が籠っているのが見えてしまう。


「あ、あの、私は大丈夫――――」


 場の空気が空調の効き具合を通り越して冷た過ぎ、月は凍える前に室温を上げなければと笑顔を浮かべて場を和ませようとした――――が、出来なかった。


 月が大丈夫だと言う声をレックスが無表情で遮ったからだ。


「種田、今自分がするべきことは何か分かるよな?」


 レックスはそれまでに月が聞いたことのない低い声と厳しい口調で背後の種田に声を掛けた。しかも呼び捨てで。種田はビクリと体を震わせて口を開いた。


「レックス、俺は――――」


「御託はいい。人として為すべきことをまずしろ」


 何事かを言い募ろうとした種田の声をレックスはピシャリと跳ね除け、ゆっくりと立ち上がり振り返った。


「言った事無かったから知らねぇと思うけど、俺はね、下らないイジメをする人間がこの世で一二を争うくらい嫌いだ。だから俺が嫌悪感でどうにかなる前に、この場で、俺とムーちゃんの前で、今すぐやるべき事をしろ」


 常は柔らかい言葉遣いのレックスの口調が乱れると迫力が倍化した。月からレックスの表情は一切見えなかったが、種田の顔はよく見えた。レックスがしゃべっている間に青くなっていた顔はより一層青くなり、今にも泣き出しそうな程表情がぐしゃりと歪んでいた。


 男二人は少しの間無言で対峙した。月はどうなる事やらとハラハラしながら静かに事の成り行きを見守る。すると、種田の方が一文字に引き結んでいた口を勢いよく開いた。


「レックス、すまないっ。俺はただ――――」


「謝る相手が違う」


「っ!」


 レックスの地を這うような声に種田は押し黙った後、きっちりセットされていた頭髪を片手で掻き毟った。そして、レックスの横に一歩踏み出したかと思うと勢いよく三和土に膝を突いた。


「――――申し訳ありませんでしたっ!!」


 一言だけだった。勢いよく頭を下げられたためその表情はよく見えなかった。声の感じからして謝意が篭っているのかどうかは微妙なところだったが、とにかく種田は月の目の前で頭を深々と下げた。


 月はまさかの土下座に固まった。これまでの態度から種田が自らに頭を下げている光景など全く想像できず、それが眼下にあることに唖然とした。その謝罪を引き出したレックスの厳しい態度にはそれ以上に驚愕した。


 どう反応すべきか瞬時に判断することが出来ず、数秒間無言になってしまう。するとレックスが声色をガラリと変えて種田の横にしゃがみ込んだ。


「本当にごめんね。許したくないなら許さなくて全然いいよ。その時はムーちゃんが来てくれる時はこの人この部屋出禁にするから」


 レックスがさらりと言った台詞に種田がガバリと顔を上げた。悲痛な顔つきで穴が空きそうな程レックスの横顔を凝視している。その顔が捨てられた子犬のようで、散々嫌味な態度を取られて来たというのに何故か同情してしまって月は慌てて口を開いた。


「あの、許しますっ。謝って頂いたので問題ないですっ」


「本当に? かなり酷い事されたし、させられるところだったよ?」


「はいっ、大丈夫ですっ。着替えだけどうにかして貰えれば! 怪我とかしていませんし。ビックリしましたけど、松田さんが無事だと分かって安心出来ましたし!」


 レックスの低気圧な雰囲気に慣れず、月はどうにか空気を好転させたくて種田を許す理由を羅列した。すると、思惑通りレックスの放つ怒気は和らいだが、代わりに不思議そうに首を傾げられてしまう。


「俺が無事ってどういうこと?」


 問われてはじめて月は見当違いの妄想の一部を口に出してしまった事に気がついた。


 真実を知った事で一人で不要な心配をして慌てふためいていたことが急激に恥ずかしくなり、月は適当に誤魔化そうとした。しかし、レックスがしつこく何度もどういうことだと問うてきて、最終的に根負けして仕事疲れと体調不良で倒れているかもしれないと勝手に思い込んでいた事を明かす。すると何故かレックスの機嫌がいつも通り、否、いつもより少し良いくらいに変化した。


「そっかぁ、ムーちゃんは俺の事が心配で慌てて部屋に入ってくれたんだぁ」


 にこにこと笑顔になったレックスはなんの躊躇もなく手を差し伸べてきて、すっ転んで座り込んだままだった月を立たせた。次いで、改めて月のドロドロでヌルヌルの有り様を一瞥した後に、パンッと大きく手を叩いた。


「さあ、種ちゃん。一先ずムーちゃんからお許しの言葉が頂けたという事で、ここからは頭を切り替えていこうか」


 いつも通りにレックスに呼ばれた種田は明らかにホッとした顔をして立ち上がった。


「では、俺が責任を持ってこの部屋の掃除をするからレックスは――――」


「いんや。部屋の掃除は俺がはじめておくから種ちゃんはムーちゃんの着替えを調達してきて」


「「え?」」


 月と種田の声が被る。月は種田に服を買いに行かせるなど恐れ多い、というより怖かった。しかし、種田の声の意味はそれとは違った。


「……それなら、レックスはスタッフルームに戻って仕事をしていてくれっ。掃除は俺が帰って来てからするから」


 種田がレックスに向かいつつチラチラと月に視線を向ける。どうやらこの期に及んでまだ月とレックスを二人きりにさせたくないようだ。しかし、レックスはにっこり笑いつつ、ぴしゃりと言い放ったな。


「種ちゃんが着替えを用意している間にムーちゃんをここに一人で放置する訳にはいかないでしょ? このままの状態じゃ気持ち悪いだろうからシャワー使って貰わなきゃいけないし。少なからずローションどけて歩きやすいようにしとかないと」


「しかしっ――――」


「あと、明らかに敵意剥き出しの種ちゃんとムーちゃん二人きりにするのとか、もうない。急ぎの仕事もないし、俺はここに残る。だから種ちゃんはムーちゃんが恥ずかしくない格好で帰れるように服をちゃんと用意すること」


 レックスは言うなり種田に手帳とペンを出させ、手帳から一ページ分紙を破らせた。それを月に差し出す。


「その濡れ方じゃ下着も駄目になっちゃってるよね? これにサイズと好きな色書いてちっちゃく折りたたんで。流石に種ちゃんに選ばせる訳にはいかないからショップの店員さんに適当に見繕って貰うね」


「えぇっ!? 下着もですか!?」


「俺が女の下着屋に入るのか!?」


 再び月と種田が同時に声を上げる。


「当然でしょ。迷惑かけて濡らしちゃったのはこっちなんだから。あぁ、料金は俺が払うから領収書貰って来てね」


 レックスは月にも種田にも有無を言わさずに話を進めてしまう。月は恥入りながらも逆らえず、促されるままにメモにペンを走らせそれを小さく畳む。レックスはそれを摘んで取って種田に渡してしまう。もの凄く嫌そうにしつつも文句が言えない種田は苦虫を噛み潰したような顔をした。レックスはそんな種田の様子を全く意に介さず、無慈悲な笑顔で「いってらっしゃい」と声を掛け、部屋から追い出してしまった。


 バタンと音を立てて閉じた玄関ドアを月は唖然と見つめる。すると、同じくドアに向かっていたレックスが振り返った。


「本当にこんな事になってごめんね。種ちゃん悪い人じゃないんだけど、俺の事になるとネジが数本外れちゃう困った傾向があるんだ。直して欲しいんだけど、なかなかね……」


 改めて謝ってきたレックスの苦笑はとても複雑な感情がのっているように見えた。それを見て月ははっとした。


「もしかして……?」


 見上げたレックスは表情そのまま肩を竦めた。

 

「いやぁ、申し訳無い。まさかここまでムーちゃんに噛み付くとは思ってなくて。計算違い。ここしばらくは愛情を仕事に対する意欲に変換してくれてたんだけど、俺が珍しく恋愛守備範囲内の女子を自宅に入れてるって分かったら色々再燃しちゃったみたいで」


 恋愛守備範囲内の女子が誰を示しているのかを考えると話に集中出来なくなりそうだったので、月は本能的にその点に関しては頭の片隅に一先ず置いた。そして、最も気になる点に関して確信を得ようとした。


「……松田さんは種田さんの気持ちをご存知なんですね?」


「うん、まぁ、既に告られてるから」


「ええっ!?」


「でもって、男は守備範囲外だってことでお断りしてたりして」


 既に告白をしている事だけで驚きだったのに、種田が既に振られている事実に月は言葉を失った。そして何故かズキリと胸が痛んだ。


 月にはその痛みの正体が分からない。今さっき、種田にはするべき連絡を怠られ、床で派手に転ばされ、服をドロドロにされたばかりだ。それ以前の態度も含め「ざまぁみろ」と思ってもおかしくないと頭の中で考える。しかし、そんな月の横でもう一人の月がたかが家事代行業者の自分を本気になって牽制していた種田が振られた瞬間どんな心持ちだったのだろうと想像してしまう。想像した気持ちは途轍もなく切ないもので、月の心はざわざわした。


 ただ、どんなに切なくなっても月がとやかく言う事ではないという事だけは明確だった。


「……色々あったんですね。でも、少なからず今のお二人は信頼し合った良きパートナーに見えます」


 他に言うべきことが思い浮かばず、無難に二人を見た印象を口にする。するとレックスは「俺もそうだと思ってるよ」と優しく微笑んだ。その笑顔にはもうどこにも底冷えするような怒りは残っておらず、困った相棒に対する少しの呆れと慈愛が含まれているように見えた。



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