『イケメンだけど文句ある?』ってチャンネル名のYouTuberに出会ったから文句言ってやろうと意気込んだのに、どうしてこうなった!?

i.q

第1話 「ムーちゃんに決めた!!」

1 夢見の悪い朝と母が推してるYouTuber






 ――――どうしようっ、もうすぐ自分の番が回ってきちゃう。




 月の心臓はドコドコ激しく脈打ち、息が浅くなった。同時に血の気が引いて首筋から背中にかけてサァッと冷える感覚が走る。


 逃げ出したいのに、逃げ出せない。


 何故なら、そんな事を考えている人間がこの場に自分一人だけだと分かるから。


 辺りを見回せば、緊張した面持ちをした者は数人居ても他は概ね笑顔か平常心顔。今にも教室を飛び出しそうな程顔を青くしている者など一人も居ない。


 逃げ出したいのは集団の中で自分一人。自分だけが例外。そう思うと、待ち受けている事態がどうしようもないほど嫌なのに、脚がまるで動かない。


「じゃあ次の人、立って自己紹介をお願いします」


 穏やかで優しげな顔をした担任教師からとんでもなく残酷な指令が飛んでくる。


 月は膝が震えそうになるのを何とか堪えて立ち上がった。ただ、声が震えは制御することは出来なかった。


五島ごしま……むーん、です」


 瞬間、教室内が騒めく。


 みんな小声で、ざわざわ、さわさわ。こそこそ、ひそひそ。




 ――――えっ、ムーンって言った?


 ――――聞き間違え?


 ――――あっ、名簿に月って書いてある。


 ――――ツキでも変わってるって思ってたのに、ムーンなんだぁ。




 ざわざわ。さわさわ、こそこそ、ひそひそ。


 手に汗が滲んで、顔が熱くなり、視界が水分で曇り、最終的に耳鳴りがする。


 キーンと高音が耳の奥で響く。


 月は両手で耳を塞いだ。目もぎゅっと閉じた。


 聞きたくないのは不快な高音ではなくクラスメイトの声。見たくないのは自分に向けられる不躾な視線。


 五感の二つを出来る限り抑え込んだ状態で、何度も頭の中で叫ぶ。





 ――――自己紹介なんて大っ嫌い!


 ――――こんな名前なんて大っ嫌い!!










「ぁぁぁあ!! ……っあ?」


 不快な気持ちが最高潮になり、心中で叫び声をあげた。それが実際に声になっている事に気が付いてハッと目を開ける。


 ガバリと上体を起こして辺りを見渡せば、そこは教室ではなくて自らの部屋。しかも中学生時代の子供らしさと乙女っぽさが入り混ざったイタイ自室ではなく、大人っぽくシンプルになった自室。部屋中ぐるりと見回して、自分が中学生ではなく既に成人した大人であり、寝起きでベッドの上に座って居る現状をやっと認識した。


「嫌な夢見たぁ……」


 月は脱力し、ぼふんと枕に沈み込んで天井を見上げる。高速で脈打つ心臓上部のパジャマを握りしめ、深呼吸を数回繰り返す。


 月が見たのは過去の夢だった。


 中学一年生、入学式後の自己紹介。嫌な思い出トップ3には入る、人生の嫌悪すべき一ページ。


 それがとっくの昔の出来事でただの夢だと分かって尚、動悸と軽い悪寒、加えて心の不快感が中々消えない。


 月の本名は五島ごしまむーん。漢字で“月”と書いて“ムーン”と読む。


 所謂キラキラネームというやつだ。母である千穂ちほが付けたこの名前に月の人生は随分と翻弄された。


 社会人二年目を迎えた現在、自らの名前とはどうにかこうにか折り合いをつけており、自己紹介をする度に取り乱したりはしない。月にとって名前が地雷と同じ破壊力を持っていたのはがあった小学生時代から思春期が終わる頃までだ。


 その期間中は自分を表す記号を人に晒すことが苦痛で仕方がなかった。おかしな名前だと思われることを想像するだけで腹痛を起こし、時には保健室に足を運び、時には学校を休んだ。変な名前だと実際に口に出された時などは悲惨で、その場で過呼吸になって一騒動起こした事も片手の指の本数分くらいは記憶に残っている。「可愛い名前だね」と言われる事もあった。ただ、その台詞を額面通りに信じることなど月には出来なかった。自分は気を使われている――勝手にそう結論付け、勝手に落ち込んだ。


 月の基本的な性格は母親譲りで陽気だった。そのため、変わった名前のせいで友達が出来なかったり陰湿ないじめを受けたりした事はなかった。けれども、自分の名前を受け入れられずに傷ついた日々が月の自信や積極性を培う邪魔をした。どんなに好きで夢中になった事でも、結果が出そうになると手を緩めるか止めてしまう。表彰される時に名前が呼ばれる自分の姿を想像したからだ。そんな嫌な癖がいつの間にか付いていた。思春期を終え、その癖をやっと自覚するに至った月は勿体ない馬鹿な生き方をしてきたものだと、かなり後悔した。


 とにもかくにも、そんな青春時代を送ってきた月は平々凡々で何事も平均的な大人になった。個性的なのは名前だけ。少なからず自分自身の事をそう評価して日々を送っていた。


 深呼吸のおかげで落ち着いた体を捻り壁掛け時計を確認すると朝の六時半。起きるには少し早い時間だったが二度寝する気持ちには到底なれない。月は布団を剥いでベッドから出た。


 着替えて顔を洗い、洗濯機を運転させてからリビングに行く。カーテンを開いてマンションの三階から望む空模様を確認したら、目に止まった箇所の片付けをする。そのまま五分間軽い掃除をして、キッチンに立つ。毎朝のルーティン。


 普段は前日の汁物が温まって卵料理が出来上がる頃に母の千穂がリビングに姿を現す。しかし、月がいつもより早起きだったため、二人分の朝食がテーブルに並べられたタイミングで寝癖頭がドアを開いた。


 千穂は昼はパート、夜は自営のスナックで夜遅くまで働いている。因みに父親は月が小学生の時に出て行った。所謂母子家庭だ。


 夜寝るのが遅い千穂がこのタイミングで起きて来るのは睡眠時間的に早い。けれども、二人一緒に食事が摂れるのが朝だけという理由で千穂は毎朝月に合わせて起きる。そして一人娘が出勤するのを見送ってから二度寝をするのが彼女の習慣だ。


 千穂は眠そうな顔でダイニングテーブルの席に着いた。そのまま何をするより先にテレビを点ける。いつもより早く朝食が出来ている事には気が付きもしない。毎朝見るのはニュース、ではなくYouTubeだ。


「あぁ、おはようございますぅ、レックス様ぁ」


 今年四十五歳になる千穂かうっとりと画面の中にいる男を眺める。娘として良い歳をした大人がと思わなくもないが、千穂の長所は年齢に囚われない若々しい行動力と思考力だ。何より二人暮らしの片割れが明るいと救われる事が多々ある。常日頃そう感じていた月は苦笑を浮かべつつも朝食のセットを完了させて、自分も席に着いた。


「今日は何系の動画なの?」


「今日はコスプレ系! しかも本気のサッカー選手ユニフォーム! いやーん、爽やかぁ」


 完全に見惚れてしまっている母親の横顔を一瞥した後に、他に見るものもないので月も画面の映るYouTuberに視線を向けた。


『ここから、本物のサッカー選手っぽい写真を沢山撮っていきまーす。俺、サッカーとか体育の授業か遊びでしかやった事ないんだけど、ちゃんと雰囲気出せるかな?』


 少し自信なさげな事を言った男はその後、本物のサッカー選手というよりプロのモデルかのように様々なポーズを取りはじめた。偶に見せるボール捌きもそれなりに上手い。


「何やっても様になるわぁ。かっこいいぃ。レックス様ぁ」


 千穂がとろけんばかりの声を上げて画面越しのYouTuberを呼ぶ。一方の月は真逆の感情を胸中に抱き、心中のみで鼻を鳴らした。


 YouTuberの名はレックス。チャンネル名は『イケメンだけど文句ある?』だ。もの凄い自信漲るチャンネル名を初めて聞いた時、月は何も頭に浮かんでいないのに文句を言いたくなった。


 確かにレックス途轍もなく見た目の整った男だ。茶髪に金メッシュのウェーブがかった髪型に形のよい額、きりっとした眉とぱっちり二重で左右対称の瞳と長い睫毛。筋の通った高い鼻に、程よい厚みの唇に縁取られた大きめの口。シャープな輪郭ときめ細かな肌。顔面だけでこれだけ褒める言葉が出てくる。加えて長身で脚が長い。年齢もまだ二十代前半。俳優・アイドル・モデルが慄くハイスペック国宝級イケメンと言っても過言ではない、と語るのは勿論ガチファンの千穂だ。


 月も見た目が整っていることは認めている。けれども千穂と並んで毎日その動画を見ていても心惹かれることはなかった。


 ――――きっと、コンプレックスなんて言葉とは無縁に生きてきたんだろうな。


 レックスの動画を見る度に月はそんなことを考えた。


 動画内で見るレックスは自信に漲り、自分をイケメンだと全肯定していた。自分の容姿の良さを前面に出した企画動画がメインで配信され、ギャップを狙ってなのか時々おふざけやドッキリ企画で飾らない姿を曝け出している。何でもそつなくこなす整った容姿の男が画面の向こうで爽やかな笑顔を振りまく。女性ファンは当然として美容男子やイケメンが全力でふざけている光景を面白がる男性ファンもそれなりに存在するらしく、登録者数は五百万人超え。


 別に月にはYouTuberという仕事を否定するつもりはない。けれども、毎日楽しそうに自分自身を撮影し、莫大な金を稼いでいるレックスに対して卑屈にならずにはいられなかった。漠然といけ好かない。意味が無いと分かっていても自分と比べてしまう。名前を筆頭に月にはコンプレックスが沢山ある。一重の瞳、小さい胸、自慢になる様な特技が一つもないこと。


 レックスは動画の冒頭で必ずチャンネル名を口にする。


『イケメンだけど文句ある?』


 月はその声を耳にする度に心の中で同じことを唱えた。


 ――――文句あるわ、ばぁか。


 具体的な文句は相変わらず頭に浮かんでいない。これは、順風満帆な若い人生の成功者に対するただの負け惜しみだ。






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