EP15.本当の瀬名くん

 ペタンペタンと間抜けな音を鳴らしながら廊下を歩いている私の横に新島くんが並んだ。


「おっすー。なに?次は上靴?」


 少しばかりの哀れみと大きな苛立ちを顔に乗せた新島くんは、「どうすっかなー」と溜息を吐いた。


「別にどうもしないよ。そのうち飽きるでしょ」

「いやいやいや、どうしたん。沙耶香らしくねーじゃん」

「……なんていうか、関わるのも馬鹿らしい」


 口をキュッと結んだ私の頭を新島くんが労うように何度か撫でて、「まぁしんどいよなー」と私の気持ちに寄り添った。

 今回は上靴。前回は教科書だった。その前の傘も今思えばそうだったのだろう。3学期が始まってすぐに私の持ち物がなくなり始めた。初めはお気に入りのシャーペン。きっとどこかに落としたんだと落ち込んだ。その次は傘。続け様に物がなくなることに気味の悪さを覚えた。そして教科書。ここまでくると嫌がらせだと確信した。極め付けは今日なくなった上靴。誰かが故意に私の持ち物を盗っていることに間違いはないだろう。


「たぶんセナくんのこと好きな誰かだよ」

「ならセナと別れたら解決すんじゃね?」


 それを名案だと本気で思っていそうなほど新島くんの瞳がキラキラと輝いた。


「それは無理」

「なんで?冬休み中も連絡ゼロだろ?それって付き合ってんの?」


 ズケズケとした物言いに苦笑いを浮かべるしかない。それでも怒る気になれないのは、新島くんが私のことを気にかけてくれているのが分かるからだ。

 先程新島くんが言った通り、冬休みの間中セナくんからの連絡は一切なかった。仕事が忙しいと言っても程がある。初めこそ仕事だから仕方ないよねと納得させていたが、それにも限界があった。さすがに年を越せば"あけましておめでとう"ぐらいの連絡をくれると思っていたのに、それさえもない。しかも最悪なことにSNSは更新している。その事実が私のフラストレーションを増幅させた。

 だけどそれに寂しいと言える勇気もなけりゃ、不平不満を伝える度胸はもっとない。ネットストーカーみたいに常にSNSに張り付いて、今何をして誰といるのかを邪推してしまう。正直疲れた。そんな時に私の心を癒してくれたのが新島くんだったわけだ。

 去年最後に会った友達も今年最初に会った友達も新島くんだった。彼の部屋で宿題をしたり、映画を観たり、それぞれのスマホでゲームをしたり、初詣にも行ったし、新島くんに誘われてショッピングにも行った。初めこそセナくんの話題が出ていたが、いつ頃からか2人の時間を楽しむようになった。良くない。これはとても良くない。頭では分かっているのに、セナくんに構ってもらえない寂しさを新島くんで埋めた。彼が私のそんな邪な考えを知っていながら相手をしてくれていることが唯一の救いだった。


 そして私たちの秘密の逢瀬の罪悪感を軽くしている最大の事柄。それは3学期に入ってもなお続いている向井さんからセナくんへの熱烈アプローチ。しかも以前よりもさらに勢いを増しているんだから、見る人が見れば、というかその光景を見た全員が"セナくんの今の彼女は向井さんなんだ"と勘違いするほどであった。

 登下校も一緒、休み時間も一緒、お昼も一緒。そんな残酷な光景をまざまざと見せつけられてもセナくんへの気持ちを捨てられない。クリスマスの日、「何があっても愛してる」と言ってくれたセナくんを手放せない。だけどこの仕打ちを、この辛さを一人では乗り越えられない。私の心はイジメと色恋沙汰でズタボロだった。


「わ〜、今日も相変わらずね。見てらんねーわ」


 キスしてんの?と見紛ってしまう近さで話しているセナくんと向井さんを見て、新島くんは嫌悪感を隠さず吐き捨てた。


「あ、そだ。俺飲み物持って来てねーんだわ。学食付き合ってよ」


 だなんて、私を教室から連れ出す意図をその軽口に隠す新島くん。私はその不器用な優しさに救われている。


 学食前の自販機で甘ったるい桃のジュースを買った新島くんに思わず笑みが溢れた。突然笑い出した私に、なんだよ?と、怪訝な表情を浮かべている。


「飲み物忘れたのにパックジュース?普通お水かお茶のペットボトルじゃない?」

「……うっせーわ」


 照れ臭そうに髪を乱雑に掻き上げる仕草が新島くんの感情を表していた。


「ありがと。気遣ってくれて」

「……なぁ、今度の休み遊ぼーぜ」

「え?いいけど、何すんの?」

「……んー?作戦会議?」


 なんの?と問いかけた私に、新島くんは「わかんねー」とはぐらかすだけであった。





 作戦会議ってなに?と、部屋に上がるなり詰め寄った私を「まぁまぁ」と宥めながら、新島くんはカーペットの上にクッションを置いた。


「ほい、ここにどーぞ」

「えー、めっちゃ気になるんだけど」

「それよりお前大丈夫なん?」

「なにが?」

「セナのことと色々盗られてるやつ」


 黙りこくった私の横に新島くんが「わりぃ。大丈夫なわけねーよな」と腰を下ろした。そう、その通り。大丈夫なわけがない。毎日毎日、いつだってしんどい。だけど卑怯な奴に負けたくない。向井さんに負けたくない。その気持ちだけでなんとか通学していた。


「……私、学校行くのツライ」


 言うつもりはなかった。言葉にしてしまえば途端に真実味を帯びるから。それなのにどうして言ってしまったのか。そしてそれは私と新島くんを分け隔てる最後の砦でもあったようだ。


「……どっちがツライ?」

「どっち……セナくんに冷たくされること」


 俯いた顔にかかった私の髪を新島くんの指が丁寧に耳にかける。露わになった横顔に新島くんの慈しむような優しい視線が注がれた。


「それなら今すぐ俺が慰められるよ」

「……え?」

「穴をピッタリ埋めることは無理だけど、無理矢理誤魔化すなら、ほら、俺って適任じゃん?」


 そう言った新島くんは茶化すように笑っているのに、熱っぽい瞳だけは真剣に私を見つめる。私が何か答える前に、無骨な親指が私の唇をなぞった。

 ぞくりと背筋が震えたのは不快感や拒否感からではない。どこかでこうなること予感しておきながら私は新島くんの部屋にやって来た。そんな浅はかでだらしない自分自身を恐ろしく感じたのだ。


「待って、これはいけないこと?」

「ちがう、これはしょうがないこと」


 だから誰もお前を責めたりしないよ、と、新島くんは私が欲しかった言葉をくれた。私は悪くない。これは仕方のないこと。言い聞かせながら目を閉じれば、それが合意の合図だと、新島くんの小さな唇が私の唇と重なった。

 これが罪の味。私が想像していたよりも何倍も甘い。絡めた舌に一切の抵抗感がないのだ。幾度となく繰り返される口づけの最中、私は罪を重ねる予感を覚えた。


「あーっ、入った、」

「んっ、すごい、きもちい」

「……っ、やっべー」

「……はやく、もっと」


 挿入後なかなか打ちつけてくれないことがもどかしく、私は自ら腰を動かした。その刺激に眉を寄せて耐えている新島くんに胸が高鳴った。かわいい。気持ちいい。もっと激しくしてほしい。ずっとこうしていたい。尽きることのない欲求が体の奥底から湧き出してくる。

 快楽だけを求め、私と新島くんは何度も何度も体を重ねた。愛の囁きなど一度もない。キスもこの場を盛り上げるためのパフォーマンス。だけど私にはそれが丁度良かった。新島くんに突かれる度に、私の悲しみや苦しみ、悩み、焦燥、そんな負の感情が霧散していく心地がした。


 そんなスポーツ感覚のセックスの後、新島くんは私の髪を指に巻きつけて余韻を楽しんでいた。その行動に過ぎし日のセナくんを思い出す。今の今まで都合良く忘れていた私の愛しい人。


「なに?今さらセナに申し訳なくなった?」


 私の顔色が変わったことを瞬時に捉えた新島くんはどこか悲痛な声で問いかけた。


「……怖くなったの。セナくんにバレたらどうしよう」


 そうなればいよいよ恋人関係に終止符を打たれるだろう。そんなのダメ。私は寂しさを誤魔化すために新島くんとしたのであって、セナくんへの気持ちに踏ん切りをつけるためでも、ましてや別れるためでもないのだ。


「大丈夫だよ。絶対バレない」

「そうかな?」

「俺がセナに言わなきゃね?」


 新島くんの顔が途端に歪み、なにか魂胆のありそうな表情へと移り変わった。


「ダメだよ!絶対言わないで!」

「言わねーよ。そのかわり」


 こらからも内緒でしよーぜ。清々しい笑顔を見せた新島くんは、二人の秘密だとでも言いたげにゆっくりとキスをして、私の唇を塞いだ。





「ほんとに良かったのかよ?」

「んー?いーのいーの」


 いや、まぁ、今さらダメだったと言われても、俺が正木沙耶香とセックスした事実は取り消せねーんだけど。それにしても何考えてんだか、と目の前でニコニコと人好きのする笑みを浮かべたセナに溜息を吐いた。


「なにー、溜息なんか吐いちゃってさ」

「いやー、俺どんどん可哀想になってきたんだけど」

「沙耶香ちゃんのこと?……ふふ。ね、ほんと可哀想でしょ」


 セナはまるで他人事みたいに呟く。可哀想でしょ、って、全部お前が望んでお前が仕組んだことじゃん、とは口が裂けても言えなかった。


「なぁ、沙耶香ちゃんどうだった?」

「ど、どう?……フツーに気持ち良かったけど?」

「あはは!違う違う!いや、気持ちいいよな、それは俺も知ってる」


 自分自身のとんだ勘違い発言に顔が赤くなったがセナは全く気にしていないようだ。それどころか、セックス中の正木沙耶香の魅力をつらつらと並べ始めた。やれ肌が気持ちいいだの、喘ぎ声が下品で最高だの、すぐ泣くところが可愛いだの、イクときに顔を背けるのがいじらしいだの。そんな生々しい話に頭を抱えたくなるのに、そのどれもに同意できてしまうのがたまらなく癪だ。


「あんだけ"正しいことしか許しません"って顔して、実のところ一番利己的で誘惑に弱いんだよねー」


 沙耶香ちゃんはそこが一番可愛い、と、惚けた顔で笑うセナに薄寒さを覚えた。


「お前、ほんと……どうかしてるな」

「それは褒め言葉として受け取っておくよ」

「お好きにどーぞ」

「ふふ。あっ、それで、どうだった?浮気セックス、しかも彼氏の親友と。罪悪感ありそうだった?」


 今度は俺が勘違いしないように、セナは聞きたいことを噛み砕いた。


「どーだろなー。ヤってるときは全然、寧ろノリノリって感じ」

「わーっ、やっべ、勃ってきた」

「……おい、」

「あはは、ごめんごめん続けて」


 セナは思ってもいない謝罪を口にして続きを催促する。


「ヤった後は一応あったんじゃね?罪悪感」

「えー?ほんとにー?」

「いや、知らねーよ、俺だって。まぁ、ただ、ほんとに申し訳ないっつーより、」


 あれはバレなきゃ大丈夫っていう程度の罪悪感だな。俺のその言葉を聞いたセナは満足そうに頬を緩めた。その表情にいよいよ薄気味悪さを感じる。こいつばっかはマジで意味分かんねー。正木沙耶香のことは好きではないが、同情してしまう。このネジの2、3本外れてしまった男に執着されてしまったこと。もうその時点で彼女は幸せな人生を手放してしまったことと同義なのだから。

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