あったこときいたこと

 りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。

 だから、竜払いという仕事がある。



 竜のそばで、人は生きてゆけない。人は竜が恐いし、その感覚を克服することはきっと出来ない。

 けれど、竜はどこにでも現れる。竜は自由だった。竜はこちらから手を出さなければ、向こうから攻撃してくることはない。それでも、恐い。だから、竜のそばで人が生きるのは難しい。

 竜は、ある日とつぜん、町の中に、あるいは道の真ん中に、それからたとえば、家に屋根の上に現れる。そこが人間の土地だとか、誰が権利を持っているとか、そういうのは通じるはずがない。人間の中の権利は竜には無力だ。

 そして、人は竜払いへ依頼し、現れた竜を払う。竜は少しでも攻撃を受けると、空へ飛んで逃げてゆくから。竜が飛び去ったその土地で、人はまた生き続ける。ふたたび、竜が訪れる日あるのか。あったとして、それは数年後か、それともに明日だろうか、わからない。竜は自由だった。いつだって、どこにだって、やって来る可能性はある。

 その日の日中、おれは町へ向かって道を歩いていた。すると、急に強い、攻撃的な雨に襲われた。

 町まではまだ遠い。おれは外套をかぶり、雨にうたれるままに歩き続けた。まあ、もっと、ひどい雨の中を歩いたこともある。

 と、思いながら進んでいると、壁のようになった雨の向こうから「おーい!」と、女性に声をかけられた。見ると、道から外れた場所に、いくつかの天幕が展開されていた。幌つきの馬車三台もとめてある。三つの天幕の下には、それぞれ五、六人が入っていた。年齢の幅の上下は大きい。幼子から、七十歳ほどの老人までいて、焚火を囲っていた。馬車をひっぱっているだろう、馬もいまは天幕のなかにいる。

 おれへ声をかけてきたのは五十代くらいの女性だった。彼女は天幕の下から、こちらへ手招きをしていた。

 彼女は「竜払いさん!」といった。「こんな雨に打たれて、痛いだろ! 寒いでしょ!雨宿りするかい、お安くしておくよ!」

 くだけた口調で、やや奇妙な商売をしかけてくる。

 おれは少し考えてから彼女方へ向かった。天幕の中へ入った。頭から外套の袋を外すと、散った雫が焚火に落ちて、じゅ、と音がなった。

 冷えた身体に炎は、じん、と効いた。周囲には雨宿りできそう場所は皆無だし、この状況での潤沢な炎はぜいたく品だった。

「ここに座るといいよ」

 と、彼女はいった。同じ血族だろうか、そこに座る皆、声をかけてきた彼女の血を感じる顔立ちをしていた。

 まだ立っていると、彼女が幼子みたいに手を差し出してくる。

「お金」

 と、催促してきた。

 いくらだろうか、とりあえず、おれは、一杯のお茶代ほどを彼女へ渡した。

 すると、彼女は、くしゃ、と笑い「いいねえ」といった。「さあ、座って、座って」と、ふたたびそう促す。

 背中から剣を外し、腰を下ろす。隣では、天幕を叩く激しい雨音にもめげず、母親に抱かれた幼子が、すやすやと眠っている。この状況で眠れるなら、きっと歯ごたえのある子に育つだろう。身勝手に想像した。

 馬車の幌には、旅芸人の一座らしき絵と文字と宣伝が描かれていた。

「まあ、見ての通り、旅芸人さ」おれの視線から察して、彼女がいった。「うちらはね」

 彼女を見返す。眠る子ども以外、他の人々はこちらを見ていた。

 そして、おれは訊ねた。

「おれが竜払いだって、わかったんですね」

 雨のなか、外套をかぶったおれを彼女は、竜払いさん、と呼んだ。

 それが気になって、ここに座った。

「そりゃあ、わかるよ、一発さ」と、彼女は炎を見つめながら言う。その眸の中に、炎がゆらめきが映っていた。「わたしら、竜払いとは、逆の血だからね。あま、あんたも、わたしたちのことは、わかるだろうしね」

「はい」おれは「竜から遠ざかる人々」といった。

 彼女は、少し不敵に笑んだ。

 人は、竜が近くに現れると、竜をその場から払う。竜払いへ依頼して。

そして、払い終えたその土地で、これまでの通りの生活を続ける。

けれど、真逆に、その土地に竜が現れると、人間の方がその土地から去る、そんな生き方を選んだ人々がいる。

 竜から遠ざかる人々。

 竜が現れると、その土地から去り、竜がいない場所を選ぶ。そして、移動した先に竜が現れると、また別の土地へ移動する。竜から遠ざかり続けて生きる。生き方には、長く、深い、歴史があり、きっと、彼女たちはその末裔だった。

 ただし、いまではその数がずいぶん減っていると聞いている。近年になって、少しずつ、竜を払う方法が確立しはじめたのが理由らしい。ここの大陸でも前にいた大陸でも、見かけた数は少ない。

 彼女は「そうだよ」と肯定した。「そう、呼ばれてるね」

 いって、彼女はおれがさっき渡した金を、焚火の中へ放った。

 竜から遠ざかる人々にとって、竜払いを好ましく思っていないと聞いている。彼女たち一族にとって、人が竜の意志にそって生きるべき存在だと考えている人も多い。竜を攻撃して払う者を、よく思っていないことがあるとも聞いていた。

 では、なぜ、おれをこの天幕の中へ招き入れた。同じ炎にあたらせた。

「息子がね、竜払いになっちまったんだよ」

 と、彼女が炎をみつめたままいった。

「あんたと同じ」と、彼女は自嘲した。「剣を使う竜払いらしいよ」

 炎を見つめながら話す。

「だからさ、もしも、あんたがどこかで、あの子に会って、で、もしも、あの子が死にかけてたりなんかしたらさ、助けてやっておくれよ。いま、こうして、わしらが、あんたに屋根を与えた、火を与えた、この程度でいいからさ。あんたの命をかけてまで、助けてくれとはいわないからさ、もしも、あの会って、そのときはそうだったら、助けてやってよ」

 そう話すと、彼女は自身の懐からおれがさっき支払った額と同等の金額を取り出す。

 おれの前へ置いた。

「わたしと似たような顔の子だよ。腹立つことに、そっくりだ」

 告げて、真っすぐにおれへ顔を見せる。

「べつに、この頼みを忘れても、恨みはしないよ」

 そう続けた。

 おれは「あの」と、声をかけた。そして訊ねた。「なぜ、はじめに金を燃やしたんですか」

 すると、彼女は「なんとなく、かっこつけただけ」とだけ返してきた。

 かっこう。

 か。

 しばらくして、雨は止んだ。おれは天幕を出た。まだ、かわきいっていない外套に身を包み、水を滴らせつつ、町へ向かった。

 それから数日後、ふと、竜から遠ざかる人々について、ある話を聞いた。

 この大陸で出来ている竜から遠ざかる人々は、たとえば、深く年老いたり、治らない怪我を負って、もう旅が出来ない状態になると、大森林の奥へ向かうらしい。大森林はいかなる者も拒まず、受け入れる場所だと聞く。どういう仕組みなのは、誰も知らない。けれど、いかなる者も拒まず、否定されないという話だった。ただし、その奥地へ入り込めば、二度と出てこられなくなる。

 と、それはただ、人から聞いただけの話で、それだけのことだった。

 おれが、竜から遠ざかる人々と話したのは、あのときがはじめてだった

 竜から遠ざかる人々は、竜からも、竜払いからも遠ざかるから。

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