7‐9

「お前一人で出てこれんじゃねェかよ。そんならさっさと出てくりゃアよかっただろ」


 厭(あ)きれたようにジガバチは言うと、ハイエナに向かって荷物を投げつける。


「そうでもない。お前たちのおかげだ。感謝する」


 耳慣れない彼の謝意の言葉に、二人は目を丸くしてお互いの顔を見合った。恐らく考えていることは同じだろう。目の前にいる男はかつての暴君ではない。手紙の内容は、本心だったのだと改めて分かる。


「アゲハに会わせたい奴がいる。生きているかは分からんが……、死んでいても本人は喜ぶだろう」


「はァ!?」


 驚くアゲハの代わりに声を上げたのは、ジガバチだった。それはそうだろう。今までの合理主義の彼ならば、このように感情に則って動くようなことはなかったはずだ。

 眉を歪まし、怪訝そうな顔をする彼に、ハイエナは何かを耳打ちする。途端に、ジガバチは狼狽えた。


「お前なァ!! それを言ったら、俺が何でもかんでも――」


 子供が虫気を起こすように、彼は薄ら笑うを浮かべるハイエナに声を荒げる。しかし、アゲハの顔色を窺うように瞥見すると、言葉半ばで閉口した。


「私は、構いませんよ」


 同意を求められたと思った彼女は、頷いた。この小さな彼の変化の燈火を大切にしたかったのである。


「……お前変わったな」


 彼女の心を代弁するように、ジガバチはポツリと呟いた。


「そうかもな」


 彼らの背中を交互に見つめながら、思わずはにかみを溢す。彼女は二人の間に心を見た気がした。



 アゲハたちは双子葉製薬の研究所を出ると、再びリラロボティクスのに向かった。ナナホシのサーバーアクセスはブロックされ、彼女との音声のやり取りもできない。あまりいい状況ではないが、テキストメッセージにて、兄とは連絡が取れる旨を聞き、安心する。

 アゲハも【ハイエナさんと合流】と言うメッセージと共に、Vサインのスタンプを送った。


「……突き当たって右に二人、角で狙ってます」


 彼女は前を行く二人に小声で囁いた。足を止めると、「おい」と痺れを切らしたような声が三人にを呼び掛ける。

 

「コイツをハチの巣にされたくなければ、投降しろぉー」


 そう言いながら、両手を後ろに縛られた白衣の男を蹴り出した。死角から放り出された捕虜は、テープで乱暴に口を塞がれている。縮こまった姿勢で道の真ん中に立ち尽くし、怯えた目でこちらを見つめる。

 かったるそうな物言いの声の主は、明らかに武器を掴まされた素人と言った様子だった。

 ああ、これも悪手だとアゲハは思った。


「興味ねェな」


 ジガバチが素っ気無く言うのと、ハイエナがその白衣の捕虜に発砲するのは同時だった。二人の刺客が驚いている様子が目に見えるようだった。そして、いつの間にか彼の左手に数本のワイヤーが出ているのを見た。

 手綱を引くような動作をすると、「うわっ」と気の抜けた声がする。一発の銃声、天井が崩れる音、床に倒れ引き摺られる気配が続く。保衛官の格好をした男が死角から引っ張り出されると同時に、ハイエナは銃口を向け引き金を引く。

 冷静さを欠いた相方が、角から銃を構え飛び出て来る。まだ視線を移していないハイエナを認める。殺意を帯びる“悪意”がどっと押し寄せる。彼は、反応に間に合わない。しかし、引き金を引くコンマ数秒前に反応していたのはジガバチだった。

 ハイエナの代わりに、先回りして銃をこめかみに突き付ける。パァン、という音と共に、脳漿に鉛弾を打ち込んだのだった。


「……お、お見事」


 アゲハは二人の息の合った手際に、称賛の声を上げた。交互に見上げながら、パチパチと手を叩く。

 不意に、ハイエナが右手を差し出して来た。彼女は、首を傾げながら手を取ると、胸元に抱き寄せられる。そして、ふわりと抱きかかえられたのだ。

 

『全て終わったら、

その時、絶対に楽しい幸せな未来が

白馬の王子様とともにやって来る。』


 ヒイラギの手紙の一文が思い起こされる。

 アゲハは本当に自分がお姫様になったような感覚に陥り、カアッと顔を火照らせた。意味あり気にニタニタと笑うジガバチと目が合い、さらに頬を染め上げる。心臓の高鳴りもきっとバレているだろう。そう思いながら、彼女は腕を首に回し、大人しく抱かれた。



 非常階段を駆け上がり、扉を開ける。ムッと鼻を突く死臭と、大きな音で鳴り響く警告音がアゲハたちを出迎える。彼女は不安に思い、ギュッと回す手に力を込めた。

 一体ここに誰がいるというのだろうか。

 その様子を察してか、ハイエナは顔を近づける。アゲハの額に彼の冷たい唇が当たる。

 そして、一段と大きい診療室のような部屋の前で彼女を降ろした。背中を押されるがまま、恐る恐る入り、あたりを見回した。生存者がいると思えない光景に、嫌な予感がする。

 その時、俯せ(うつぶ)で転がる痩躯体に目が止まる。白かったはずの検診衣が真っ赤に染まっている。合流したときのハイエナが着ていたものと同じものだ。

 フッと吹けば壊れてしまいそうな、そんな華奢な後ろ姿と、緩く後ろで三つ編みされた艶やかな髪。見覚えがある面影だった。

 

「ホ……、タル?」


 その者の名を思わず口に出す。声が、まるで自分のものではないほどに震えている。見るからに致死量と分かる出血量だ。考えたくはないが、死んでいるのではないか。

 しかし、アゲハの声にピクリと微かに反応した。


「ホタル!!」


 反射的に駆け寄っていた。顔が見たい、顔を見せたい、死ぬ前にもう一度……そう思い、彼女は体を抱いた。仰向けにした拍子に、ドロリと腹部の傷口から血が流れ出る。

 死人のような目に、再び光が宿った。


「あのね、私ホタルのおかげで――」


 彼女は口早に感謝の言葉を述べようとした。しかし、ホタルが何かを言いたげに口を開いたのを見て、口を噤む。

 だが彼女の声は、言葉にはならずゴボッと血が湧き出る。アゲハは、必死にその血の気の引いた唇を読んだ。


『キ、レ、イ』


 そう口の形を作ると、彼女はフッと命の燈火を消したのだった。目尻に一筋の涙が、最期の光を溢し落とすように煌いた。

 華奢で、か細い彼女の痩躯を抱く。背後に誰かがそっと立っているのが分かる。ハイエナだろうか。時間がない、そう言われ、引き離されるのだろうか。


(……もう少し、このままで居たいなぁ)


 祈るような気持ちで、ぎゅっと抱きしめた。息をしていないのが分かる。心臓が動いていないのが分かる。

 しかし、咽び泣く彼女に叱咤が飛ぶことはとうとうなかった。



「おい、大丈夫か?」


「はい! お待たせしてすみません!」


 ジガバチは、足の包帯をきつく巻き直すアゲハに声を掛けた。振り返った彼女の瞳に、強い光が漲(みなぎ)っているのを感じる。

 そして、三人の足取りはカーディアックシステムへと向かう。ヤブイヌの位置情報が示す場所である。


「……お母さんがいるかも」


「ああ、リンドウの口ぶりだと責任者は未だユズリハだ」


 彼女は、何処か緊張した面持ちを浮かべている。おそらく冷静な判断はできないはずだ。ここから先は自分が肉壁になるしかない、ジガバチはそう思った。先ほどのように、アンドロイドが相手ではアゲハはお手上げだ。さらに、実の母親と言う脅威もある。

 自分が前を歩き、すぐ後ろにアゲハが付く。そのさらに数歩後ろにハイエナが後を追った。

 やがて、位置情報の示す部屋にたどり着くと、二人を待たせる。

 扉に手をかける。鍵は開いていた。そして、部屋に数歩入ったその時、聞き覚えのない声がした。


「なるほどな」


 歳は彼と同じくらいのようだが、ヤブイヌではない。あらゆる感情を押し殺したような、冷ややかな声。

 声と同時に姿を現したのは、白衣にネームプレートを下げた男女の二人組だ。男の方は知らない顔。一方で、女の方には見覚えがあった。


「アゲハ!! 来んじゃねェ!!」


 一か八かの賭けで、彼女の名前を呼ぶ。

 それと同時に、銃声音が狭い室内に鳴り響く。咄嗟に身を捩ったが、銃弾は横腹数センチを抉り取った。血がドロッと零れ落ちる。だが、崩れ落ちる瞬間、女の方がハッと息を呑む音が聞こえて来た。口を両手で覆い、電気を当てたように驚く彼女の反応を見て、ジガバチはなぜか安堵した。

 しかし、アゲハは止められなかったようだ。息せき切って、彼女が走って入ってくる気配がする。両膝をついて、手を広げる。


「撃つな。……コイツは、お前らの娘だろう」

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