4-1

 足に突き刺さった寸鉄を抜き、ジガバチはドクドクと流れ出る血を手で押さえながら走る。それを取り押さえようと、四人が交互に襲う。ジガバチは、空いている左手でそれらを受け流しながら進んだ。

 すでにアゲハの元には青年のほかにもう一人の男が駆けつけていた。


「おい、女は殺すなよ」


「へーい」


 青年はダルそうに受け答えし、俯いていたアゲハの髪の毛を乱暴に掴んだ。無理矢理顔を上げさせたその瞬間、アゲハは右手に持っていた針を突き刺した。

 その青年は思いもよらぬ反撃に驚いたのであろう。ギャッ! と短く叫ぶと、ほとんど反射的に、アゲハを持っていたナイフで切りつけた。アゲハの方もとっさに身を捩って避けようとしたが、背中を切り裂かれてしまう。しかし同時に、バタッと倒れるとのた打ち回った。

 アゲハの繰り出した針の手元には注射筒、つまりシリンジが付いていた。一ミリサイズのものだったが、効果は十分で青年はそのまま痙攣を起こす。


「何を盛りやがったあ!!」


 その只ならぬ様子を見たもう一人の刺客が動転した様子で、アゲハに鉈のような刃物を向け襲い掛かった。

 しかしちょうどそこで、ジガバチが何とか二人の間合いに割って入り、手甲鉤の刃で受け流した。負傷していない方の足で腹部を蹴り上げ、その間合いを伸ばす。踏ん張ったせいで傷口に激痛が走り、思わず呻き声が出る。

 ジガバチは敵から目を離さずに攻撃態勢を保ったまま、アゲハの服を掴んで立たせる。彼女は陰に隠れてちょうど横で吹き筒に針を装填しているところだった。

 立った後、いやほぼ同時にアゲハは再度毒針を前方に吐きつけた。


「女の攻撃に当たるな! 毒が塗ってある!!」


 吹き筒を構えたのを見た瞬間、一番年配に見える男が叫んだ。

 だが、すでにジガバチはアゲハが狙った二人の懐に入っていた。自分に毒が利かないことを利用して、アゲハの攻撃を陽動に使ったのだ。

 数本の針が自分の体を掠めたり、射貫くのにも構わず、ナイフを構えた男の頚部に鉤爪を当てがった。


「何なんだあ、コイツは……!!」


 目をカっと見開き、驚いているのが分かる。そのまま切り裂くと、くるっと半回転する。そして、アゲハのほうに鉈を振りかざして襲う男に狙いを定めて進んだ。

 だが、アゲハの方もその攻撃を見切っていたようで、一歩下がった拍子に助太刀に来たジガバチとぶつかってしまった。ジガバチの足に躓いたアゲハは、「うぁあ!」と叫んで、大きく後ろによろめく。


(くっそ、息合わねェな……)


 寸でのところでアゲハの後ろ襟を掴み、転ぶ前に引き上げたが、二節棍(にせつこん)の先に鎌をつけた男が目の前まで来ていた。何とか躱したが、男は遠心力を使って持ち手を一瞬放し、切っ先を引き延ばしてもう一回攻撃を仕掛けてきたのだ。

 後ろにはアゲハだ。彼女は二節棍であることを知らない。避けることは不可能だ。


(これは、食らうしか無ェ)


 利き手である右手を犠牲にし、アゲハを庇った。二の腕から手首の上まで、大きく切り裂かれる。だが、同時に右手の鉤爪で鎌を抑えると、間合いに入った男の胴体に左手の刃で突き刺した。カハッと吐血すると、崩れ落ちる。

 同時にすぐ後ろで、ドサッと誰かが倒れる音がした。

 振り向くと、吹き筒に口を当てているアゲハと目が合った。

 倒れた男の首筋には、一ミリシリンジが注射筒として使われている注射器が深々と刺さっていた。装填している隙はなかったはずだった。吹き筒を二本持ちしていたのだろう。先ほど装填していたものと、筒の長さが違っていた。


「うわあああ!!」


 ただ一人残された男が叫び声を上げて、じりじりと後ずさりして逃げようとする。


「逃がすかボケっ!」


 最後の力を振り絞り、ジガバチは後ろから襲い掛かると刃を背中に突き立てた。

 何度も何度も切り刻み、事切れても尚、力がうまく入らない足で蹴り上げる。「はぁ……はぁ……」と息が上がり、肩で息をする。

 どうしようもないほど、イラついていたのだ。何に? 誰に? それは自分でもわからない。だが、この怒りを何かに力任せにぶつけてたい。そしてぶっ壊してやりたい、そんな気分だった。


「……もう死んでますよ」


 その声に、ジガバチはハッと我に返り、手を止めた。男の躯の首根っこを掴み、原形を留めていない顔に拳を叩き入れる瞬間だった。

 その声に顔を上げると、不安そうな眼で顔色を窺う様子のアゲハと目が合う。ぽたぽたと鼻から滴り落ちる血を、綺麗に四つ折りにしたハンカチで押さえているところだった。

 かつては人間だった遺骸を地面に落とすと、ドサッと音が鳴る。ジガバチは目を下にそらすと、あぁと短く返事をした。


「お前、休んでろ。俺がトドメさしとくからよ」


 あそこに座れ、と言わんばかりにアゲハの背後の木の幹を指さした。

 アコニチンの致死量は5ミリ程度。針先に付いたくらいの量では、致死量には達さない。まだ刺客たちの微かな呻き声も聞こえた。そのため、息の根を止める必要があった。

 しかし、ジガバチはその様子をアゲハには何となく見られたくなかった。もっとも、これと言った理由はなかったのだが。

 そうして賊の死亡を全員分確認したジガバチは、座っているアゲハの方に駆け寄った。


「おい、傷見せろ」


 膝を抱えて座り込んでいるアゲハを見下ろして言った。横に腰を下ろすと、アゲハがギョッとして首を振る。


「いいから見せろって!」


 ジガバチは乱暴に後ろを向かせると、背中の傷のところまで服を捲り上げた。十センチくらいの切り傷が痛々しい。深部まで達しており、これは痛いだろうと思った。


「うぅ、いだいぃ……」


 アゲハは、患部が癒着していた服の部分を剝がした際に呻いた。


「自分じゃ届かねェだろ。俺がやってやる。なんか貸せよ」


 抜け目のないアゲハのことである。応急処置の道具を持っていないはずがない、ジガバチはそう思った。

 予想通り、アゲハはバッグからキットを取り出し、渡した。


「前から思ってたんだが、お前ってカンが妙に鋭いときあるよなァ」


 ジガバチは手を動かしながら、ふと、今までのことを思い出した。

 その問いかけに対し、アゲハは、あ! と小さく声を上げた。


「言ってませんでしたね。何故か小さいころから、人の“悪意”が痛覚として受容できるんですよ」


 アゲハが一番最初に敵を感知できていた。あの、後ろに目があるようなハイエナよりも早かった。その理由に、ようやく合点がいった。


「便利そうだな」


 ぽつり、ボヤいたが、内心はハイエナがあそこまで固執するほど使える能力だとは思えなかった。それならば、自分の方が戦い向きである。やはり、あの時リンドウを殺すための切り札、というのが一番の理由なのだろう。


「使い方によっては便利ですよ。相手の為を想う嘘はわかりません。でも、人を陥れようとする嘘は、“悪意”があるでしょう? だから嘘が割と分かったりします」


 “悪意”の感知能力のうまい使い方に、アゲハらしいとジガバチは思った。弱い奴は、弱いなりに工夫してるのだ。


「あとはー……」


 アゲハは少し考えて再び続けた。


「相手を傷つけようとするときに、“悪意”を持ってそこを見つめるでしょう? だから、次に攻撃をしてくるところが分かったりするのは便利ですね。でも、強すぎる“悪意”は激痛を伴います。ハイエナさんとか、ヤバいです。すごく隣に居づらいです」


「へェ」


「でも、ジガバチは不思議です。あまり“悪意”を感じないので、一緒に居てとてもラクです」


 そういって、アゲハは前を向いたまま、うふふと笑った。

 彼女にとって、それはほんの何気ない一言だったのかもしれない。アンティーターではきっと、いつもこんな風に彼女は笑っていたのかもしれない。

 だが、そのさり気ないアゲハの言葉に、ジガバチの心はひどくかき乱された。


「うるせェ! 言っとくが、俺はお前と仕事すンのは好きじゃねエからな! 賭博の件だってだって一人でやるさ! お前は足手まといだ!! さっきもすぐに位置バレするわ、俺の足に躓くわ……」


 心情に反して、勝手に言葉がするすると出てくる。頭が口に追い付いていない。自分は果たして、こんなことを言いたかったのか? こんなに責めてしまえば、また塞ぎ込んでしまわないだろうか?


「……おまけに俺に、しこたま針ぶち当てやがったなァ!? 吹き矢の練習くらいしとけ、このグズ!」


 頭の中でストップをかけたが、止まらなかった。最後の捨て台詞までお見舞いしてしまう始末である。思わずため息をつきそうになり、眉間のしわに指を当ててそれを抑える。

 ほら、見ろ、とジガバチは次に来るアゲハの言動を予測する。手に取るようにわかる、そのはずだった。

 だが、予想は大きく外れた。

 彼女は「そうだっ!」と叫び、手を叩いた。その声はとても明るく軽やかだったのだ。


「さっきの戦闘の反省、メモしとかないと……、忘れちゃう」


 ごそごそとバッグを漁ると、何やら電子機器を取り出す。ヤブイヌがプレゼントしたタブレットだった。

 そして、一生懸命そのパネルにペンで何かを書きこみ始めたのだ。ジガバチはその様子に唖然とする。


「この馬鹿が!!」


 そう怒鳴ると、消毒液でびったびたになったガーゼを傷口に押し当てた。驚きと痛みでアゲハがギャッと悲鳴を上げる。


(ざまーみろ!!)


「す、すみませんでした……。以後は、気を付けます!」


 ジガバチはこの時つくづく、アゲハが逆を向いていてよかったと思った。きっと自分は、今とんでもなくひどい顔をしているに違いない。それは彼女には絶対に見られたくない表情だった。

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