0-2

 目の前に立ちはだかる三つの大きな影が、アゲハの瞳に映る。

 全身漆黒の軍服、左胸には食蟻獣の刺繍、そして一片のぬかりなく顔を覆い隠すマスク。彼らの放つ異様な空気が、アゲハの幼かったあの頃の恐怖心を呼び起こした。



 アンティーターには保衛官ほえいかんと呼ばれる、都市が所有する武装部隊がいる。

 アゲハがまだとても小さい頃の話だ。その保衛官に都市反逆罪として連行されている人をみたことがあった。


「俺は何もしていない! 娘が二人いるんだ!! たっ、たのむ……、信じてくれ!」


 まるで赤ん坊のように泣き叫んで、その人は自身の無実を叫んでいた。

 周りの行き交う者は皆、見て見ぬふりをして通り過ぎた。その視線はまるで駆除される害虫を見るような冷やかな目だった。また、それと無関係な自分にほっと安心するようにも見えた。その様子は美しい街の中ではとても異質で、保衛官に対する恐怖を植え付ける大きなきっかけとなった。


「あのおじちゃんはどうなってしまうの?」


 家に帰ってやっと口がきけるようになったアゲハは、母に尋ねた。

 母は首を左右に静かに振った。


って言うのはね、たくさんの犠牲からなりたっているのよ。そして、っていうのはね、その犠牲の上に成り立った一部の快楽でしかないの。その上にいる私たちはそれを忘れちゃいけないわ、アゲハ」


「どういう意味ぃ?」


「知りたかったらね……――」


 難しい言葉の羅列に、幼いアゲハは首を傾げた。そのあとに答えた母の言葉の続きは、忘れてしまった。何やら、さらに難しい言葉を言っていたような気がする。

 その日を境に生まれたのは、この世界に対する不信感だった。

 そのせいで、この世界をやたら持ち上げる世論やニュース、社会学、経済学が嫌いになった。教鞭を垂れる教師や専門家が酷く馬鹿に見えるようになってしまったのである。



 まるで天敵に睨まれた獲物のように、身動きが出来ない。呼吸さえもどかしい。あのマスクの奥でぎらついた肉食動物の目をした彼らが、視界に自分を捕らえているようでならない。


「ユズリハ殿ハ、私達トゴ同行願イタイ……」


 とても重い金属を擦り合わせるような、低い声がした。人の声とは掛け離れた……、いや正確には人の声をしているが、抑揚のないような不自然な声だ。

 三人の保衛官の内の一人、中央の保衛官が母の名前を呼んだ。


「ユズリハは私よ」


 落ち着いた口調の母が、アゲハと保衛官の前に進み出た。


「家ノ前二、迎エノ車ヲ用意シテアリマス。貴方ハ私達ト共二来テ下サイ。コレハ、連行デハアリマセン。保護デス」


 保衛官は母にそう言うと、その背中を押して共に来るよう促した。その刹那、母がアゲハに目をやった。アゲハの胸にチクリと嫌な予感が過よぎる。


「待って! アゲハとヒイラギはどうするつもり!?」


 金切り声を上げて、母が娘たちの身を案じた。


「勿論、娘サン方モ丁重ニ保護イタシマス」


「じゃあ、なぜいっしょに行けないの?」


 食って掛かる母に、語調を変えずに保衛官は言った。


「ユズリハ様ニ、危険ガ迫ッテオリマス。娘サン方ノ安全確保ノ為ニモ別行動ヲ取ッタ方ガ良イデショウ」


 娘の安全を盾どられ、ほんの少し母の警戒が解かれる。

 アゲハは思わずジーっと保衛官の方を見た。その言葉の真意を見定めるように、全身の感覚を研ぎ澄ます。しかし、“悪意”を感じなかった。まったくと言っていいほどである。

 アゲハは保衛官が母の方を向いている隙に、テーブルの上のフォークに手を伸ばす。その際、目は保衛官から逸らさない。そして、それを手に取るとそっと背中の後ろに隠した。


「これは誰の指示?」


「リンドウ様カラノ命令デス」


 さっきまで引き下がっていた母が、“リンドウ”と言う言葉を聞くと、まるで安堵したかのように見えた。ホッと胸をなで下ろすとアゲハに向き直って言った。


「お母さんは先に行ってるわ。アゲハ、ひーちゃんをお願いね。必ず後で会いましょう、二人に話しておかなければならないことがあるの」


「あっ……、お母さん、あのね――」


 ヒイラギがそう続けようとしたとき、新たに顔を見せた四人目の保衛官に腕を強引に捕まれて、母は無理やり引き摺られていく。


「ひーちゃん、お母さんは大丈夫だから」


 最後に母が向き直り、ギロリとその保衛官を一瞥するのが見て取れた。

 やがて、足音が遠くなり、母が車に乗る気配がした。


「お母さんに、何か見えたの? お母さんは大丈夫なの?」


 ひそひそとヒイラギに耳打ちしたが、驚く返答が返って来た。


「ねえちゃんを誰かが助けに来る、一分後くらい」


 彼女は口だけを動かして、声を潜めるとそう言ったのだ。

 アゲハは改めて、三人の保衛官を見た。再び感覚を研ぎ澄ますが、“悪意”を感じなかった。保衛官は人間ではないのだろう。


「十二月十二日、アゲハサンハ、ハイエナト名乗ル男ニ接触シマシタカ?」


 アゲハはドキリとした。恐らく、あの日のことを尋ねられているのだ。捕食される間際の被食側のような気持ちになった。


「コノ写真ノ男ニ見覚えハアリマスカ? 」


 そういうと、中央の保衛官がタブレットを操作し、ある画像を出した。その画像には、検診衣のようなものを着た男が映っていた。アシンメトリの前髪、大きなやけど痕、そして真っ赤な燃えるような瞳は、服装は違えど間違いなくあの時の男だった。


――ハイエナ……。


 心の中で男の名前を反芻する。それと裏腹に、彼女は毅然とした態度で睨み返した。


「知らないです」


 アゲハは回らない頭で、何とかやり過ごそうとした。だが、隣のヒイラギが写真を見た瞬間、ひゅうっと息を呑んだのだ。

 その様子を保衛官は見過ごさなかった。


「排除シロ」


 その瞬間、保衛官がそのような意味の言葉を言った。始終同じ口調であったことも相俟って、アゲハは理解が追い付かなかった。


「しゃがんで!!」


 ヒイラギが叫ぶ。

 先ほどのリーダー格の保衛官が両脇の保衛官に命令し、左の保衛官が拳銃を発砲するのと、彼女の声に反応して身を屈めるのはほぼ同時だった。

 彼の拳銃から放たれたレーザーががアゲハの頭上を過ぎる。壁がジュッと焼ける音がやけに大きく聞こえた。

 左の保衛官の銃は先ほど撃ったため、チャージのために十数秒は使えない。

 アゲハは、すぐさま立ち上がると、真ん中の保衛官に飛びかかる。二メートル近い巨体に身長一五〇センチ前後の小柄なアゲハが力で勝るはずはない。


「環椎と頸椎のあたり、たぶん――」


 ヒイラギが言い終わらないうちに、彼女は反動をつけて跳び跳ねた。先ほど隠し持っていたフォークで鎖骨あたりから頚部に上がったところを突き刺した。

 アンドロイドは人間と同じような場所に急所がある。人間に似せて動かすためにはやむを得ない弱点である。そこを破壊すればスリープするはずだ、そう思った。

 しかし、アゲハの予想とは反して、保衛官の体はピクピクと痙攣し始めた。


「え……」


 その様子にアゲハは背筋がぞっとなった。まるでそれが、死ぬときの人間の動きなのだ。

 おまけに、倒れた保衛官の体の下に血が広がって行く。アンドロイドの体液は透明だ。ほぼ人間に近いヒューマノイドはたしかに赤い血だ。しかし、今はロボット法で所持や製造は違法になっており、どこのラボでも所持や製造はされていない。

 正当防衛とはいえ、人を殺してしまったのではないか、という事実に心がざわつく。

 手足の指の先まで汗でじっとりしているのに、薄ら寒い。


「右!」


 地に落ちてゆく保衛官の裏膝を足で蹴って倒す。グラリとゆっくりと大きな体が揺れ、その体が前のめりになる。アゲハはなるべく体を小さく屈め込んでその陰に隠れるように潜り込む。彼の体を銃弾から身を守る楯にするのだ。

 彼女の言う通り、ドンッと保衛官の体を伝って衝撃が伝わる。弾丸が打ち込まれたのだ。

 立ち上がり、駆け出そうとした瞬間だった。


「うう……」


 ヒイラギの呻き声だ。愕然としてその方向を見ると、彼女は両手をついた。全身から力が抜ける。残りの一人が彼女の髪を掴み、指示をさせないように口を塞いでいた。苦しそうな声が洩れる。

 その姿に、あの時の自分を重ねあわせた。

 早く来て、と凶悪犯の彼の登場を強く願った。


「動クナ」


 あぁ、死ぬのだと全てを覚悟して、アゲハは両手を上にあげた。ごめんなさい、と震える声で謝罪した。せめて関係のない妹の命だけは乞うつもりだったのだ。

 自分はテロリストの殺人幇助でニュースに叩き上げられ、保衛官は讃えられるのだろうか。


「私のせいです。妹は関係ありません」


 泣きじゃくりたいのを堪えてアゲハは言葉を紡いだ。


「……私が、私がその人を――」


「惜しかったな」


 擦れた彼女の声は、聞き覚えのある声に掻き消される。

 保衛官の抑揚のない人間の声ではない、あの忘れられない夜に聴いたあの声だ。

 涙でぼやける視界では、ヒイラギのこめかみに銃を突き付けたまま、保衛官はまるで静止画のように固まっていた。その後ろの保衛官も不自然な格好で動きを止めている。アクション映画のワンシーンのような光景が広がっていた。

 アゲハの視線の先には壁に体もたれた朱色の目の男がいた。彼はアゲハを認めると、唇の端を吊り上げてニヤリとした。

 ピキピキッと背後で微かな音がする。強く張った弦を弾く音に似ていた。肉眼では見えにくいがワイヤーが彼らの動きを止めているのだ。ジワリと血がにじみ、その細い線の概形がようやくわかる。


「無理やり体を動かそうとすると、身が切れる。動かない方がいい」


 保衛官たちに意地悪く笑いかけると、そう言い放った。

 だが保衛官たちはなおも、力ずくで動こうとした。プツンプツンとあちらこちらでワイヤーの切れる音がする。


「そう来るか」


 彼はめんどくさそうに言葉を吐き捨てると、壁から離れる。助走をつけて銃を持った方の保衛官を刃物でめった刺しにした。

 ヒイラギに返り血がこれでもかというほど降り注ぐ。

 刺された保衛官は成す術もなく大きく体を傾け、だらりと首を垂れるとワイヤーに引っ掛かったまま動かなくなった。

 残りの保衛官にがワイヤーを力づくで引き千切り、銃の引き金を引いた。

 しかし、カチカチ、と引き金の音が鳴るだけで、壁を焼いた真っ青なレーザーは一向に出ない。

 はて? というかのように首を傾げる保衛官の顔面に、男は床に落ちていたケーキナイフを叩きつけた。


「IoTに頼りきっているからそうなる」


 恐らくあのレーザー銃は不正使用を防ぐために、いくつかの機能が備わっているのだろう、とアゲハは以前本で読んだのを思い出す。指紋などで使用者の本人情報を認識し、発砲の許可をするデータが送信された後に使用できる仕組みだ。奪って使うことはできないが、裏を返せば通信に障害が出ればただの鈍らだ。しかし、完璧なシステムを常に作り出すアンティーターを、クラッキングしたりハッキングすることが出来る技術力に舌を巻く。

 全ての動作がほんの一瞬のうちに行われた。その動作はまるで華麗に舞っているかのように見えた。

 呆然とそれを見つめるアゲハの手を、行くぞと彼が乱暴に引っ張った。


「通信妨害ができるのはほんの数十秒だけだ。直じきに何十でも何百でもくる」


「待って! ひーちゃんを置いていけない」


 懇願する彼女に、大きく舌打ちする。ポケットから細くて小さな注射器を取り出すと、アゲハの首筋に突き立てた。

 途端、ガックリとアゲハは倒れると意識を失う。


「悪いが、お前は置いていく」


 保衛官の亡骸の横で立ち竦むヒイラギに、彼は言った。


「大丈夫です、覚悟はしています」


 ヒイラギは先ほどの体勢から全く動こうとせずに、静かに言った。その目には強い光が宿っている。


「偉く聞き分けがいいな。何か見えているのか?」


「私を連れて行けば、生存率はゼロ。でも、ねえちゃんとあなただけなら絶対に逃げきれます」


「助かりたくはないのか?」


 ヒイラギは「愚問ですよ」と言って笑った。目を細めた拍子に目じりから涙がこぼれる。

 無表情でそれを見降ろすと、先ほどアゲハに打ったものと同じような大きさの注射器を投げてよこした。中には透明の液体が入っている。


「ペントバルビタールだ。実験動物の安楽死に使用されていた、安楽死専用の薬剤だ。レーザー銃で焼き殺されるよりはいいだろう」


「ふふ、やっぱりハイエナさんこそが白馬の王子様だ」


「何の話だ」


 この時ようやく、彼は能面のような無表情をわずかに崩した。


「いえ、その調子でねえちゃんを頼みます。無理だったら呪いますから」


 彼女が安らかな表情を浮かべながら注射器を腕の刺す。その途端、ふっと糸が切れたからくり人形のように床に崩れ落ちた。それを見届けるとほぼと同時に、爆発音が鳴り響いた。


「あの夜、あなたに出会えてよかった――」

 

 アゲハとヒイラギの姉妹が生まれ育った家が破壊される音に、彼女の擦れた声が掻き消される。

 しかし、踵を返し居間の窓から外に飛び出る彼の耳にはしっかりと届いていた。

 薬で眠るアゲハを担かつぎ、薄暗くなり始めたアンティーターを走った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る