第3話 秋田工場への転勤

 そうこうするうちに今度は秋田工場への転勤となった。ここはさらに過酷であった。


 工場のトップが課長で、社員は10人、後は外注さんで40人にも満たない小さな工場である。


 家族からは、300人の大工場から下請けのような小規模工場への転勤で「左遷じゃないの?何か失敗をしたからじゃないの」と妻からも驚かれた。私自身そんな風に言われると、正直意欲が萎えた。


 その後工場長から具体的な話があった。秋田工場の業績は大変厳しいから、立て直して貰いたいとのことであった。


 今までの君のマネージメント力は評価している。その上で今度は従業員の心をつかみ、生きた工場経営をやって欲しいとのことであった。とても熱く嬉しい言葉であった。私はもう一度初心に戻って頑張ろうと決心をした。


 正直ここでの4年間は、大変苦しいものであった。全ての業績の責任を負うのであるが、実務はまだまだわかっていない。


 その頃の秋田工場は東日本の震災前で、東北の地盤沈下に歯止めがかからず、経営面では大変苦しい時期だった。


 出荷額は毎年10%から15%の落ち込みが続き、全社の中ではリストラの対象工場となっていた。従業員もそんな気持ちを持っており、工場としてのまとまりにも欠けていた。


 私が先ず初めにやったことは、みんなへの個人面談である。


 みんなは私に苦労していることやつらい胸の内を、一生懸命に話してくれた。やはり小さい子供達を抱える親御さんからは、この工場は閉鎖になるのですかと何度も聞かれることになった。


 そうした毎日を送るうちに、少しずつこの工場の問題点が浮かび上がってきた。どうやら生産に問題があるらしい。


 当時問題となっていたのは、緊急生産分と通常生産分が混在していた為、途中で各工程が混乱してしまい、それらを解消するために残業が増え、さらに出荷の積み込み時間が遅くなっていることだった。


 「なるほど、ここに問題があるのか」


 私はそこから手をつけることにした。生産はあくまで緊急分を優先して、それが完了してから初めて通常分に掛かるようにお願いした。その為、私は通常分が緊急分を追い越すことを許さなかった。


 しかしこうやって書くと簡単そうだが、各工程で、このことを皆に納得してやって貰えるまでには相当に苦労をし、時間が掛かった。


 もう一つ不安だったのは、その私の方法が本当に上手くいくかどうかも正直自信は無かった。自分で考え決断をして実行していく。 


 まだまだそうした経験もとぼしく自身は無かった。しかし変えなければ何も変わらないと祈るような気持ちであった。


 その為には従業員みんなの協力が不可欠であり、全員に真摯に私の思いを伝え、協力をお願いした。


 彼らも、職場を失うことへの大きな不安があり、次第に協力をしてくれるようになり、少しずつ職場が変わり始めた。


 それから数ヶ月が経った。


 驚くことに積み込みは6時には完了するようになった。いつも10時過ぎまで積み込みに掛かっていたトラックの運転手さん達は、驚くと同時にとても喜んでくれた。


 彼らは、新しい機械も人も増えていないのに、なぜこんなに早くなるのか狐につままれたようだと言ってくれた。


「今では家族と一緒に夕食が食べられるし、バラエティ番組まで見られるようになった」と言ってくれた。


 本当に嬉しかった。これは最上級のほめ言葉で、今までの苦労が喜びに変わった瞬間である。


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