詩人=タントリスの回想

中田もな

「アーサー王を乗せた舟は、深い濃霧の中へと消えていった。一人残されたベディヴィアは、重くのしかかる不安に埋もれるように、その場で激しく慟哭した……」

 路地裏にある寂れたバーで、タントリスはさえずるように語った。それは、灰色の雲が涙を落とす、ある薄暗い夜のことだった。

「彼は疲れた体を支えながら、あてもなく森を彷徨った。そしてついに、彼は静かな寺院に辿り着いた……」

 真っ白な長髪を揺らしながら、彼は私の顔を見る。宝石のように赤い目は、少しうるんでいるようだった。

「それから、ベディヴィアはどうしたのですか?」

「彼は寺院の扉を叩き、墓の前へと歩を進めた。花の置かれたその墓は、彼の主君のものだった」

 ため息まじりにそう言うと、彼は深々とフードを被った。私の作ったカクテルは、大分ぬるくなってしまった。

「どういうことだぁ? アーサー王は、舟に乗ったんじゃないのかぁ?」

 大声で口を挟んだのは、私の古くからの友人だ。彼はひどく酔っ払っていたが、物語の顛末を判別するぐらいには、頭が回っていたらしい。それもそうだ。この物語は、昔から擦られにこすられてきた、アーサー王の「最後の戦い」なのだから。

「舟でどっかに流された王が、寺院に埋葬されてるだぁ? 一体何で、そんなことになってるんだよ?」

「主君の死体は、ベディヴィアが寺院へ辿り着く前に、埋葬されたのです」

「いやいや、何でだよ! おかしいだろぉ!」

 ワインを一気にあおりながら、友人はぶつぶつと文句を言う。店側のカウンターに立った私は、変なおやじに絡まれた若者のことを、ひどく可愛そうだと思い始めた。

「おい、おまえ。ただの物語なんだから、いちいち突っ込んでも仕方ないだろ」

「なーに言ってんだぁ! 物語だからこそ、筋を通さなきゃいけねぇだろーがよぉ!」

 彼は「がはは」と笑いながら、おかしい、おかしいと言い続ける。私は無礼な彼の代わりに、深々と頭を下げた。

「お客様、大変申し訳ございません。この酔っ払いじじいの言うことは、無視して構いませんので」

「だーれが、酔っ払いじじいだぁ! そういうおまえも、立派なじじいだろーがぁ!」

 タントリスはポーカーフェイスのまま、手にした竪琴を弾いていた。持ち運びに苦労しそうな楽器だが、彼は毎晩これを背負い、あちこちで話をしているらしい。そして至る所で、彼は自らを「タントリス」だと言った。

「……そうですね。私も、おかしいと思います」

 慣れた様子で弦を弾きながら、彼は友人の問いに答える。何かをはぐらかすような態度に、私は一瞬、首をかしげた。

「私の中の真実は、この結末とは違います。しかし、それを語ることはできません。彼の語った真実は、私の思う真実よりも、遥かにまばゆいものなのです」

 実に哲学的な答えだと、私は思った。しかし、酔っ払った頭の友人には、ただの怪文に聞こえたようだ。

「彼って、だーれのことだよぉ?」

「ベディヴィア卿のことです。彼は自分の真実を後世に伝え、それを揺るがぬ真実としました」

「はぁー? 何じゃい、そりゃあ!」

 つまみをぼりぼりと齧りながら、友人は彼に突っかかる。彼は困った表情を浮かべ、「私から言えることは、これだけです」と言った。

「俺はなぁ、おまえさんの言う『真実』には、納得できねぇんだよぉ! 他の話を語れってんだぁ!」

 友人は普段、このような些末事にケチをつける人間ではない。私はそれを、よく分かっていた。おそらく彼は、裏ギャンブルのイカサマに引っかかり、それでヤケになっているのだろう。

「ほぉら、どうしたぁ? 筋の通った話をしろって言ってんだよぉ!」

 彼はカウンターを叩きながら、タントリスの美麗な顔に食ってかかる。吸い込まれそうな真紅の瞳に、彼は酒臭い息を吹きかけた。

「……分かりました」

 ……タントリスは、友人の言葉に折れた。脇に置かれたグラスをあおり、竪琴の弦に指をかける。

「私は彼の真実を無視して、私の真実を語ります。捻じ曲げられて、飾り立てられた、私の永遠の『真実』を……」

 彼は息を吸って吐き、それから静かに目を閉じた。汚れた黒いカウンターの上に、彼の言葉が静かに落ちる――。

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