蒼のマーガレット

夢前 美蕾

第1章 連続殺人事件編

第1話 相棒...イラつく男との出会い

 今から、十年ほど前のことだった。当時高校生だった純は、廊下にキーホルダーが落ちているのを発見した。


「何やこれ?」


 恐らく同級生が落としたものと考えられるが、高校生にしては少し洒落た本革のキーホルダー。花の形をしていて、鮮やかな青色の花弁と、中央は明るい黄色で彩られている。


 使い込んでいるからか少し黒くなっている部分があったが……それもそれで「思い出」を感じ、当時の純は心を打たれた。


(もう放課後やし。職員室に届けとくんが確実か。)


 昨日に掃除をサボったせいで、今日は一人で掃除をさせられた。お陰で多くの生徒が既に帰っていて、校舎には先生しか残っていない。


 疲れが混じった足取りで階段を降りて、職員室のドアまで歩いた。


 その時だった。


「すみません。青い花のキーホルダーを落としたみたいなんですけど、届けられていませんか?」


 恐らく同級生と思われる女の子が、職員室で先生に聞いていた。


(あ、あの子のキーホルダーか?)


「廊下で拾ったけど、これか? 落としたキーホルダーって」


 彼女を呼び止めて、純はキーホルダーを見せた。


「あっ、それ! 廊下に落ちてたの?」


 純は軽く頷いた。


「ありがとう! これ、とっても大切なものだったの」


 その女の子は長い黒髪で。


 笑顔が何よりも似合う、可愛らしい子だった。




 その後、彼女とは少しだけ話をしたことがあった。


「あの……私の名前は真澄、斉藤真澄っていうの。貴方の名前は?」


「俺は赤石純。色んなあだ名で呼ばれてるけど、まあ適当に赤石か純って呼んでくれよ」


 学校の帰り道に偶然出会ったので、少し寄り道をして二人で喋っていた。


「純くんか。綺麗な名前だね」


 彼女は近所に住んでいたのか、登下校の時に出会って、挨拶を交わすことも多かった。だが次第にそれも減っていき、彼女と会うことも無くなっていった。


 だが純は、あの時の真澄の笑顔がとても嬉しく、記憶に残っていた。


「ありがとう! これ、とっても大切なものだったの」


 そして純は、探偵という職業を目指すようになった。




「本日は、神戸電鉄をご利用頂きまして、ありがとうございます。この電車は、普通、粟生行きです。発車まで、しばらくお待ち下さい」


 はっきりと、しかし無機質さも感じる放送が流れた。新開地駅発、粟生行き。その座席の一角に、一人の少女が腰掛けた。


 深山紫音みやましおん、十四歳。少し長めの髪に帽子を被り、服装は大人しめだが、地味な色で揃っている。


 かつては神戸に住んでいたが、粟生に住んでいる祖母の家に引っ越すこととなった。両親はここにおらず、今は一人で電車に乗っている。


(一時間くらいかな。寝たら丁度いい時間なんだろうけど……)


 紫音は布団に入らないと眠れないため、座ったままだとたとえ目を瞑っても眠気は来ないだろう。


(どうせつまんないけど……景色でも見ながら、ボーッとしとこ。)


 ドアはブザーを鳴らしながら閉まった。その後唸り声のような音を出しながら、電車は動き出した。


「次は、長田、神鉄長田です。」


 しばらくして、電車は地下から地上に出た。日光が窓から漏れ、車内を明るく照らす。


(キラキラするくらい眩しい……)


 紫音は日光から目を背け、下を向いた。


「気持ち悪い……」


 だが紫音は、そんな光景とは程遠い言葉を漏らしていた。




「次は、粟生、粟生。終点です。北条、加古川線は、お乗り換え下さい。」


「……」


 森を抜け、隣には線路が並んだ。粟生駅は両側にホームがあるが、左は別路線のホームのため、右側の扉のみが開く。


 紫音はゆっくりと電車を降り、改札へと歩いていった。


(お店もほとんどない。意外と家は多いけど、静かだなぁ。)


 北に進むと小さめの踏切があるので、そこを渡って西側へ。しばらく歩くと住宅が少なくなり、変わりに田んぼが増えてきた。


 一応日中のため人は歩いているが、


 誰もが紫音の方を不思議そうに見つめ、しばらくすると目を逸らして、何事も無かったかのように再び足を進める。


 考えなくても、その人たちの考えていることは分かった。


(最初は私のことを不審そうに見る。でも害がないと分かると無関心そうに目を逸らして、無視する。関わったら、面倒くさいとかって思ってるのかな?)


 帽子をより深く被り、足取りが少し早くなった。


(あの街でも、そうだった。まるで不審者を見るような目で私を見て、見下して……)


「ほっといてよ……私がどんなことを感じて、何を考えてても。それは、私の自由でしょ?」


 うわ言のようにそう呟いて、紫音は祖母の家へと急いだ。


 ほんの一瞬だけ視界がぼやけたような気がしたが、それが自分の涙だと、紫音はいつまでも気付かなかった。




「ん?」


 そんな時に、一つの建物が目に入った。


 少しレトロで、洋風な見た目。二階建てだが立派な佇まいで、実際よりも大きく見える。


(お洒落で、綺麗……)


 そこには看板が立て掛けてあり、「どうぞご気軽にお入り下さい」と書いてあった。紫音は腕時計を確認した。


(まだ時間はあるし。ちょ、ちょっとだけ!)


 建物は近寄り難い雰囲気を放っていたが、扉は意外に快く開き、紫音は中へ入っていった。


 ちなみに、看板の後ろには薄い文字で、「赤石探偵事務所」と書いてあった。




「お邪魔します……」


 内装も拘りが強く見られた。壁やドアのデザインだけでなく、照明も凝った作りだ。


 明る過ぎず暗過ぎず、適度に上品さを醸し出している。


「誰かいますか?」


 とはいえ人の気配がなく、紫音は少し心細い気持ちになった。


 そのまま部屋のドアを開けると、大きな空間が広がっていた。図書館のように整然とした本棚と、濃い木目のソファー、テーブル。


(あっ……)


 そして、窓の前、日の光を浴びたテーブル。そこに、男が突っ伏して眠っていた。


(この人もだ。こんな所で、よく寝れるよね……?)


 暖かくて快適なのは理解できるが、突っ伏して寝るのは意味が分からない。背中の負担も心配だし、腕で頭をカバーするのは若干硬い。


 こんな所で寝るとは、よほど疲れていたのだろうか?


「起こすのも申し訳ないし。ここら辺で出て行くか」


 紫音は部屋を出て、立ち去ろうとした。




「う、うぅ~ん……?」


 その時、男が顔を上げて、目を開けた。顔は初めて確認できたが、髭が少し生えていて男らしい顔つきだった。


 失礼だが、知的なイメージはあまり無さそうだと紫音は感じてしまった。


「……」


 どのような反応をすれば良いか悩む紫音に、男が口を開いた。


「誰やぁ、依頼か?」


 大分寝ぼけた声だが、割と男の声ははっきり聞こえた。


「えっ、えーっと……依頼?」


 予想外の言葉に、紫音は再び困惑した。そこで、ようやく気が付いた。


 看板の裏には確か、「探偵事務所」と……


「すいません、依頼じゃなくて……」


「えぇ、依頼じゃないの?」


 男は眠気が覚めてきたようで、落胆の声を漏らした。


「あのね、ウチは探偵事務所なの。看板にもしっかり書いてたから、分かるでしょう普通」


「あ、あの……」


 紫音は何かを言おうとしたが、男は間髪入れずに続けた。


「俺が何してたか分かってんの? 昼寝よ、昼寝。客もいつものように来ないから、穏やかな日光を楽しんでたの」


 何と、寝ていたのは疲労でなく、ただのサボりだったようだ。紫音は次第に、呆れ返ってきた。


「分かったら帰ってくれ、お家に。ああ、おうちってことばはわかるよね?」


 本来ならここで、「分かりました、失礼します」と言って立ち去るのが一番良く、いつもの紫音なら間違いなくそうしていただろう。


 だが、今の紫音は違った。




「はぁっ!?」


 彼の挙動から態度までが、心の底から腹に立った。


「あんな分かりづらい所に細々と探偵事務所とか書いてるくせに、分かるだろは無いでしょ!」


 自分でも初めて口にするような言葉が、次々と出てくる。


「だいたい、初対面の相手にとる態度じゃないですよね? そんな対応で、よく探偵事務所なんてやってますよね? 何とか言ったらどうなんですか、えぇ!?」


 男は目を細めて聞いていたが、やがて大きなため息をついた。


「うるさいなぁ、ガタガタと……お前小学生か?」


「中学生ですっ!」


「どうでもいいわ。子供は嫌いなんだよ、家で大人しく寝てろ」


 そして男は、徐に立ち上がった。


「まぁでも? 変な因縁つけられても面倒だし、今回は俺が悪かったことにしてやるわ」


 男の軽くあしらうような態度が気に食わない、会話をしていると徐々に腹が立ってくる。


 冷蔵庫を開け、彼は二リットルのボトルを探った。


「ジュース飲んだら帰れよ」


「馬鹿にしてるんですか?コーヒーですよ、コーヒー」


 その単語を聞いた瞬間、男は思わず吹き出した。


「えぇ? 変に強がるのはよせよ」


「ブラックでお願いします!」


 だが紫音がそう言うので、男はコーヒーを温め、カップに入れた。


「苦いとか言うなよー?」


 そのにやついた顔が、また絶妙に腹が立つ。


「言うわけないでしょ……いただきます」


 テーブルにコーヒーが置かれ、紫音はカップに手を伸ばした。




 完璧にやらかしてしまった。


 そもそもコーヒーなんて飲んだことすらないのに、男に腹が立ってしまい、挑発に乗ってしまった。もしこれが狙ってなら、彼は相当な策士だろう。


(しかもブラック……これ絶対苦いやつじゃん!!)


 匂い自体は良いが、飲んだら確実に苦い。そして苦そうな表情をすれば、この男に笑われてしまう。


(感情を無にして……いざ!)


 意を決して、少し多めの量を喉に流し込んだ。予想の通り、苦々しい感覚が口の中に残る。


(やっぱり苦いよ~……)


「ははっ、苦いんだったら無理するなよ?」


 心を読んだかのように男が煽ってくる、事実なのだから余計に腹立たしい。男の言葉は無視し、紫音は話を逸らす作戦に出た。


「そ、そういえば……ここって空き家じゃなさそうですけど、新しく建てたんですか?」


「ああ、そうだよ。えっとな……」


 男はそう言って、窓の方を向いた。


(よし、今だ!)


 音を立てないように砂糖が入った小瓶を持ち、そっとコーヒーに加えた。


「家具は昔の家から持ってきた。元々ここの近くに住んでたから、引っ越しはそこまで難しくもなかった」


「はぁ……」


 砂糖のお陰で、コーヒーはようやく飲めるほど甘くなっていた。


「ちぇっ、お前コーヒー飲めたのかよ……そんで、テーブルと椅子、本棚は自分で作ったんだよ!」


 予想に反してコーヒーを飲めたのが悔しかったのか、男は少し不満そうな言い方になった。


「えっ!? これ自作なんですか?」


「そうだよ。照明はカバーだけ自作して、安っぽさを消したんだわ。実質、内装にはそこまでお金はかかってないな」


 そして、男は誇らしげにテーブルを叩いた。


「何がなんでもオシャレな探偵事務所を持ちたかったモンでなぁ。これで半分は、夢が叶ったさ。」


「夢……?」


 紫音がその意味が分からず、聞き返そうとした。だが、




「赤石ィ!! いるんだろ!?」


 玄関から突然、男の怒鳴り声が聞こえた。


「あっ、めんどくせぇのが……ここで座ってろよ。」


 探偵事務所の名前にもなっていたが、赤石、とはこの男の苗字か。


 紫音はその言葉に従い、ソファーに座りながら再びコーヒーを飲み始めた。


 赤石と呼ばれた男は、玄関の扉を開けた。


「すいません、今取り込み中で……」


「うるせぇ!! この家は、いつになったら解体するんだ?」


 怒鳴り声の主は、そこそこ年配の男性。軽装に身を包んでいるが、眉間にはシワが寄りまくっていた。


「あんたの訳わかんねぇ事務所のせいで、ウチの畑は育ちが悪くなっちまったんだよ!! 日照権の侵害じゃ、日照権の!!」


「仰っていることは、非常によく分かっておるのです。今月中には解体しますので、どうか……」


「今週中!! とっとと解体しろよ、とっとと!!」


 男性は怒鳴り声を上げ、看板を蹴り倒して立ち去っていった。




「はぁ……」


 先程までの余裕を持った態度はどこへやら、落ち込んだ様子で部屋に戻ってきた。


「さっきの方、大分怒ってましたね。それも怒りが限界にまで達して、モノの区別もつかないほどに。何をしたんですか?」


「えっとね……」


 赤石はソファーに座り、事情を話し始めた。


「まぁ、この裏にケンのおっちゃん……あの男が持ってる畑があるんだがな。ここは元々空き地で、家を建てますけどいいですかーって聞いたんだよ。そしたら、許可は取れたので建てましたと」


「はい」


 男の名前は北条健太ほうじょうけんたというらしい、この事務所の近辺に住んで作物を育てているそうだ。


「でも蓋を開けてみれば、一階は事務所で二階は住居。想像よりここがデカくなっちまってな」


 紫音はそれを聞いて、天井の方を向いた。


「上は今、親父が寝てる」


 よくよく耳を澄ませば、いびきのような音も聞こえた。先程の怒鳴り声で起きなかったのは奇跡か。


「話を戻すぞ。それでアイツの持ってる畑、割と多くの場所が日陰になったと」


「それだけであんなに怒りませんよ。さては、居留守とか使いました?」


「はい……」


 もう泣きそうになりながら、赤石は土下座をした。


「面倒だから居留守を使ったら、日照権がどうこうとか言われたんです!! もうダメだ、裁判沙汰になる……ごめんなさい、どうか許してくださいっ!」


「私に謝っても、どうしようもないですよ……?」


 紫音は赤石が急に情けなくなったので、ため息をついてしまった。


「日照権は住居にしか適用されません。その辺りの線引きは難しいですが、即裁判にはならないと思いますよ、多分」


「ああ良かった……この探偵事務所が解体されたら、どうしようかと!」


 赤石は笑顔を取り戻し、立ち上がった。


「でも、何でこの事務所にそこまで拘るんですか?それこそ家具屋とか、自分の特技を仕事にした方が儲かるんじゃないですか?」


 紫音はコーヒーを飲み終わり、カップをゆっくりと置いた。


「それは深い理由があるんだよ。あのな……」


 すると、インターホンが鳴った。


「やべっ、あいつが帰ってきたのか!解体、解体はやめて……!」


「ちょ、ちょっと!?」


 赤石は転がるように部屋から出て、再び玄関に向かった。


「すみません、解体だけは!!解体だけは勘弁して下さい!!」


「え、ええっ!?」


 インターホンを鳴らしたのは先程の男性ではなく、若い青年だった。


「あの……」


 土下座をしたまま固まる赤石を目にして、青年は困惑している。しばらくすると、赤石はすっと立ち上がった。


「依頼ですか?」


「はい」


「いらっしゃいませー!!」


 赤石はすぐさま営業スマイルに切り替え、依頼人を事務所の中に案内した。




「えっと……そのモナカって、犬のことですか?」


「はい。少し目を離した隙に、いなくなってしまったんです」


 話を聞くと、青年は緑を求め、近頃ここに引っ越してきたらしい。愛犬のモナカが失踪してしまい、どうしても見つからなかったため、ここに依頼を頼んだということだ。


「よし、こうしちゃいられないな!」


 赤石はパンと手を叩き、事務所を出た。


「モナカはちゃん?くん?」


 何の質問だと男は一瞬困惑したが、しばらくした後に答えた。


「ちゃんです」


「分かった!」


 赤石は息を深く吸い込み、叫んだ。


「モナカちゃーん!! いたら返事してくれ、モナカちゃーん!!」


 だがその努力も虚しく、赤石の叫び声だけがゆっくりと響いた。


「おい、お前も手伝え!」


 赤石は本気で、モナカをこの方法で呼ぶ気のようだ


「あの……一つ言っていいですか?」


 呆れ顔で、紫音はこう言った。


「馬鹿なんじゃないですか? 貴方が叫んだところで、犬が飼い主に戻ってくるはずがないでしょう!!」


「ば、ばば……!」


 赤石の唇が、ブルブルと震え始めた。


「馬鹿ってなんだよ!!おい、流石に今のはねぇだ……」


 しかし彼が何か叫びだす前に、紫音は青年にとあることを聞いた。


「すいません。モナカちゃんって、何か特徴とかありますか?」


 紫音の質問に、青年は少し考え込んだ。


「ピンクのリードを付けてましたね。毛皮は濃いブラウンなので、目立つと思います」


「なるほど……そこのお馬鹿さん、探偵の基本を教えてあげますので着いてきて下さい!」


 この男はよくこの調子で探偵ができたものだ、紫音はこの事務所に人が来ない理由がなんとなくわかったような気がした。


「ふざけんな、どこ行く気だ!?」


 紫音はひとまず、庭の手入れをしているお爺さんに声をかけた。




「ピンクのリード? それならさっき、この角を曲がったよ」


「ありがとうございます!」


 お爺さんから聞き込みを完了し、紫音は言われた通りに角を曲がった。


「すいません!ピンクのリードを付けた犬なんですけど、この辺りで見かけませんでしたか?」


「ああ、その犬はね……」


 このように聞き込みを繋げていき、犬を追いかける作戦のようだ。


「探偵の基本は聞き込みです!様々な情報を集め、手がかりに辿り着くかが重要なんです!」


「んな事くらい分かってたよ? ちょっとボケてただけだ」


 赤石はそっぽを向き、頭を掻いた。


「本当に?」


「もちろんだ……って、あの犬じゃねえか!?」


 ちょうど聞き込みを数回済ませた辺りで、ピンクのリードを付けた犬を発見した。濃いブラウンなので、恐らくこれがモナカだろう。


「おい、モナカ!!」


 赤石は反射的に、モナカを捕まえようと走った。


「あっ、そんなことしたら……」


「ワ、ワンッ!!」


 モナカは怯えてしまい、赤石から逃げようと走ってしまった。


「はぁ、はぁっ……」


 一歩遅れて、飼い主の青年が追いついた。


「モナカは?」


「怯えて逃げてますよ。せっかく見つけたのに、あの馬鹿が追いかけたから」




「犬も生き物なんですから、あんな必死に追いかけたら逃げますよ!!」


 紫音は赤石を呼び、先程の行動は何だったんだと問い詰めた。


「すいません……」


 結局モナカは茂みに入り、森へと逃げてしまった。


「でも、まだ遠くには行ってないはずです。ちょっと考えがあるので、私に任せて下さい」


「えっ? あ、はい」


 青年はバッグからハーモニカを取り出した。鍵盤の大きなものではなく、笛のような形をした小さなものだ。


「モナカはこれの音色が好きなんです。もしかしたら、吹けば戻ってくるかもしれません」


「なるほど……!」


 紫音が頷いた後、青年はハーモニカを口に咥えて、優しく吹いた。


「━━━━━」


 森の中に、心に直接響くような暖かい音色が響く。ハーモニカを吹いている青年は、まるで森の守り神のようだった。


 しばらくすると……


「ワン、ワン!!」


 モナカが嬉しそうに、飼い主の元まで戻ってきた。


「あっ、モナカ! 良かった。無事で……」


「キャウ~……」


 青年は、モナカを優しく抱き抱えた。




「聞き込みをして下さったお陰で、モナカを見つけることが出来ました。助かりました」


「いえいえ。こちらも大事には至らなくて、良かったですよ」


 赤石は誇らしげに言ったが、青年は紫音の方を向いた。


「ありがとう、小さな探偵さん」


 青年は笑いながら、紫音にそう語りかけた。


「では、失礼します。」


 モナカを抱いたまま、青年は家へと帰っていった。


「えっ、俺じゃねぇの……?」


 これに関してはほぼ紫音の手柄であったため、赤石は何も言われなかった。




「すっかり夕暮れになりましたね」


 その後、紫音は事務所に荷物を取りに戻ってきた。着いた頃は昼だったが、すっかり日も暮れてしまった。


「あのさ……」


「何ですか?」


 赤石は少々照れくさそうに話しかけた。


「俺が探偵になったきっかけは、高校の頃に落し物を拾ったんだけど、持ち主の女の子が喜んでくれてさ。それがすっげー嬉しくて……」


(ふーん……)


 それは、彼の初めて見る表情だった。紫音はそれを聞いて、少し頷いた。


「割と真っ当な理由で安心しました。以前からの夢を諦めずに、叶えたのは凄いことだと思います。私には、できなかったから……」


 一瞬だけ、紫音の顔が曇った。


「でも貴方のことだから、本当はもっと馬鹿みたいな理由かなって思ってました」


「馬鹿言うな。でも、その……さっきは出て行けとか言って、悪かったな。もし暇だったりしたら、ウチに来ても良いぞ」


「えっ……?」


 少し考えた後、紫音は答えた。


「それはどうでしょうかね。私の気分次第です。」


「いや、気分次第かよ!?」


 てっきり喜ぶと思ったのだが、赤石は予想外の反応に戸惑ってしまった。


「俺は赤石純あかいしじゅん。お前は?」


「私は深山紫音です。おばあちゃん……えっと、沢本凛子っていう人の家に引っ越すことになって、ここに来ました。」


「ああ、リンさんの家の子か。そんじゃあ、黒くなる前に帰れよ!」


 赤石改め純は、玄関まで紫音を見送ってくれた。


「ご心配なく……それでは!」


 紫音は手を振って、事務所の扉を開けた。今度は、帽子を浅く被りながら。




「おばあちゃん!」


 そして、紫音は祖母の家に辿り着いた。


 彼女は澤本凛子さわもとりんこ。子供の頃からこの粟生に住み、最近は一人で暮らしていた。


「遅かったねぇ。何かあったかい?」


「あのね。今日は赤石さんっていう人に出会って、依頼を手伝ったんだよ!」


 こんなことを言っても分かってくれないかなと紫音は思っていたが、意外にも凛子は純のことを知っていた。


「ああ、純君ね。彼は素直じゃない所もあるけど、根は優しい子だよ。意外に寂しがりだから、どうか親切にしてやっとくれ。」


 凛子はそう言うと、紫音を家に招いた。


「大丈夫だよ。私は紫音の味方だから」


 その言葉が、紫音にとってはとても心強く思えた。


「ありがとう、おばあちゃん」




(寝れない……)


 街灯もほとんどなく、まるでこの町自体が眠りについたようだった。だが、紫音は中々寝付けなかった。


(やっぱり、無茶してコーヒー飲んだから……


「アイツ……次会ったら、覚悟しときなさいよ。」


 殆ど独り言でそう呟き、布団を深く被って目を瞑った。


 しかし……中々寝付けないのは、本当にコーヒーのせい「だけ」なのか?




「くそっ……あんなガラクタ、解体すれば良いのに……!」


 早朝、事務所の近所に住んでいた北条健太は昨日のストレスが晴れず、家を出てひたすら歩き回っていた。


「どうせあんな所に依頼なんて、一生来ないだろうさ。解体だ、解体が一番だ!」


 言い聞かせるように叫んでいた男は、だからこそ気付かなかった。目の前を、とある存在が横切ろうとしていたことに。


(……誰だ?)


 それは黒い布切れを体に纏い、黒いフードを被っている。歩き方や動きには生気すら感じられず、まるで「影」のようだ。


(怪しい奴だな……無視すれば良いか。)


 そのまま男は「影」とすれ違い、そのまま歩き続け……


「ん?」


 ふと、腹に何かを感じた。


 今まで感じたことのない、異質な感覚。だがその腹を見つめた途端、その感覚ははっきりとした。




「あ、ああっ……!?」


 腹は大きく引き裂かれ、血が吹き出ている。


 そう、異質な感覚は、凄まじい痛みへと変わった。


「な、に? どうして、いつ……?」


「影」に斬られたのは分かるが、いつ切られたのか本当に理解できなかった。


 いつの間にか、「影」は自身の背後へと忍び寄っていた。そして、大きく突き飛ばされた。


「ぐぁぁ、ぁぁっ!!」


 血を吹き出しながら、男は地面を転がった。その時、ようやく「影」の持っていたものが分かった。


(鉈……?)


 大型の鉈が、「影」の手の中で鈍い光を放っていた。そこで、男の意識は朦朧としてきた。


「やめ、ろ……俺は死にたく……」




 それが、最後の言葉だった。


 男は再び腹を深く切り裂かれ、その命は呆気なく散っていった。




 続く

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