震える真珠

ひざのうらはやお/新津意次

プロローグ


 激しいギターは静寂と衝撃の隙間をうち抜いた。ドラムの軽やかな変拍子に素朴な旋律をのせ、かれは全身で語る。ギターとドラムは互いに譲り合う気配もなくうなりあい、やがて呼吸を合わせるように共鳴していく。まさにかれらは、何かと必死で戦っていた。少女は小柄な身体から想像できないほどの力でバチを跳ね回しながら確実にインパクトを打つ。三点バーストで襲いかかる敵を撃ち落としていく自動小銃が見えた気がした。かれはふたたび、激しくギターを打ち鳴らす。エフェクターを踏み抜いて音が激しく歪み大小さまざまなスピーカーに反響して会場をふしぎな熱狂が包み込んだ。

 僕の世界はだれにも壊せはしない。

 言葉は決然として高く伸びやかな声で投げはなつように叫ばれた。激しいドラムの拍動はしかし、ワルツのような優雅さをもって刹那の狂いもなく言葉を飲み込む。

 ギターボーカルとドラム、たったふたりだけでかれらは会場を震動させていった。地平線のようなベースもなく、艶やかなピアノも、感傷的なアコーディオンも、勇壮なストリングスもなかった。多くのバンドに必要と思われるそれらをすべて切り捨てて、かれらはふたりだけで音を作り上げていた。

 そう、かれらは、たったふたりですべてを震動させていた。

 真珠だ。

 ぼくは思った。かれらは互いになにかを取り込んで、互いに真珠を作りあっている。その力が釣り合って会場を震わせ、轟音がすべてを包み込んでいるのだ。

 いや、違う。

ぼくは気づいた。

 かれらにとって、ここが、ぼくらが、真珠なのだ。

 そうだ、かれらの名前は——



 がたり、と視界が動き出してため息が漏れた。佐久間空港駅をのろのろと発車した列車はどこか軽々としている。地下を抜ける独特の喧噪から突然音だけが消え、景色は変わらず真っ黒、窓の向こうにはくたびれた男が黒縁の眼鏡をかけて座っているのが見える。黒いスーツ姿で黒い通勤鞄を置いているから、右手にある黄色の袋がただただ浮いている。大手CDショップの袋だった。

 車両にはぼくと、ちょっと遠くに色の落ちた髪のひとびと、反対側にはぼんやりとヘッドフォンをしている髪の伸びた詰め襟、隣のシート列にこぎれいな恰好の女のひと、それくらいだった。おそらく女のひとは途中の山越駅で降りて、残りはぼくと同じく終点の潮間駅まで向かうだろう。もちろん勘だが、たぶん当たる。

 去年の同じ頃、ぼくは潮間へと向かう列車に乗っていた。佐久間空港駅で後ろ半分を切り離すことを知らずに五両目に乗っていて危うく乗り遅れるところだったのを昨日のことのように覚えている。走っているのがふしぎなくらいのんびりと、列車は田んぼの中を抜け、商店らしきものが集まったと思ったら急に山林に入り、少し長いトンネルを抜けると色の薄いまちなみがぽつぽつと続いた先に潮間駅が見えてくる。千歳県の最果てのまち、潮間にぼくは今住んでいる。そしておそらく、このまちを出ることはないと思っている。

 CDの中にある曲をぼくは知っている。それらがどのようにして生み出されたのかはわからない。だからかれらが叫ぶほんとうの言葉を聞き取ることは出来ない。けれど、きっと感じとってふれるくらいはできるだろう。だからきっと同じように、かれらに言葉の束を渡したっていいはずなのだ。かれらはぼくの言葉を読めないかもしれないけれど、ふれることならできるはずだから。

 黄色い袋から出てきたかれらは海の底に沈んだまま何も言わなかった。ぼくも何も言わないことにした。列車が止まってこぎれいな女のひとが降りる。ここから先は、潮間市内の駅しかない。すぐに森に入って、長いトンネルを抜ければ、そこは。

 明日になったら。

 ぼくはかれが歌うそのフレーズを、まだ聞くことができている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る