時の蛇

美袋和仁

第1話 プロローグ


 そこには誰も居なかった。


 世界中の街は静まりかえり、建ち並ぶ無人の建物には渡る風の響きのみが虚しく谺している。

 走る車もなく、人影もなく、ときおり見掛けるのは、主に置き去りにされたらしい犬猫の痩せこけた姿くらいだ。


 日本全土も静寂に包まれ、来るべき時を待っている。回避不可能な惨劇の幕開けを。



 何処で間違ったのだろう?



 男は考えていた。


 彼は少し上等なオフィステーブルに肘をつき、やや皮肉気に口角を歪める。


 その人物の容貌は少々異端。


 薄茶な髪は毛先に行くほど薄くなり、先端は銀にも似た白髪だ。ちなみに、地毛である。

 肩にかかる程度で切り揃え、軽く前髪を左右に流した無頓着な髪型だが、柔らかい雰囲気な彼には良く似合っていた。

 鼻筋は通り、二重ではあるが、やや切れ長な眼。細くてハッキリした眉は、その芯の強さを表している。

 全体的に細い印象を受けるが、実際には結構良い体躯をしており、今で言う細マッチョ。

 一見、美丈夫なのに、何故か眼に止まらない。非常に存在感が薄い。薄くしている。その気になれば、空気にでも溶け込めそうな謎人物である。


 彼は自分の仕事場で、一人、時を待っていた。


 場所はコンクリート剥き出しの壁に囲まれた無機質なオフィス。

 並ぶ机は地味な事務机で、壁面ビッシリに並んだラックには、これまたビッシリに並んだ各種ファイルや書面類で埋まっている。

 一見、閑職の庶務課か何かのようにしか見えないこの部屋は、実は首相執務室だ。


 男の名は石動十流。日本国現首相であり、数十年前に起きた大地震で、壊滅的な被害から日本を立て直した傑物でもあった。


 世界規模で起きた大地震。何処からの支援も期待出来ず、根底からひっくり返された有り様な都心部は、阿鼻叫喚の嵐。


 おびただしい血溜まりと炎。


 うず高く積まれた瓦礫と、死屍累々な大地に、彼は小さな幼子の手を引きながら、飄々と姿を現した。

 微かに鼻歌を口ずさみながら、生き延びた人々の前を、軽い足取りで通り過ぎる。

 それを眼にする人々の心には、何故だろう、暖かで不可思議な希望が灯った。


 彼は、とても嬉しそうで、楽しそうで....


 だが、ふわりと微笑む彼の瞳には苛烈な炎が見え隠れしている。常人には持ち得ない、狂気をはらむ鋭利な光だった。

 陰惨な揺らめきを見せるその炎は、非現実な現状で泣き叫ぶ人々に一種異様な安堵をもたらす。

 現実逃避だったのかもしれない。パニックからくる各種依存症状だったのかもしれない。

 しかし人々は彼の楽しげな歌声と、柔らかな微笑みと、某かの覚悟を思わせる酷薄な瞳に魅力された。


 ここから、後に新暦初の日本国首相となる、石動十流の逸話が始まる。


 日本人の逆境魂は世界でも有名だ。


 放っておいても、ある程度人々は勝手に復興する。

 なので、石動は専門分野を駆け回った。日本には職人が多い。地震の被害者になっていなければ、彼らは全力で協力してくれるだろう。

 元となる第一次産業系に支援を優先し、そこから徐々に復興を拡げていく。

 彼は持ち前の才幹を駆使して日本の復興に全力を注いだ。


 石動は元々産廃処理系の開発者。齢十五にして博士号を取得し、科学者に名を列ねる者である。


 産廃をリサイクルする過程と、リサイクルに回せる資源の生産工程など、世界からそれなりに注目を集める新進科学者の一人で前途は洋々だった。


 個人で研究所も持ち、各種開発に日々没頭する。


 今回の大地震が、石動から全てを奪った。


 富でもない。名声でもない。


 石動に今生一夜の夢と希望を与えながら、無惨に引き裂いたのだ。


 苛酷な命題だけ押し付けて.....


 それをせねば、彼の人が救われない。


 石動が何を求め、何を目指していたのか、知る者は誰もいない。今現在の日本には.........


 世界中が壊滅的な被害を受けた今回の大地震により世界は西暦を改め新暦とし、元年初の選挙で石動は新暦初の日本国首相となった。


 ほぼ文明の壊滅した日本に、石動は新たな指針を示す。


 世界規模で流通が滞る今、日本は独自に製造や流通を行わなくてはならない。

 有り余るほど積まれた瓦礫から使える資源を取り出して、今の日本を支えなくてはならないのだ。

 彼は自ら研究していたリサイクルシステムで、再現すべき物をピックアップし普及させた。

 瓦礫から比較的判別しやすいガラスを使って特殊強化ガラスを作り、薄くて軽い器や入れ物、食器などを製造、普及。

 かわりにペットボトルや、プラスチック製品などを全廃する。流通が止まり、原油や原料が入らない今、どうしたって代替えしなくてはならない。

 電力も水力発電中心に太陽光発電を補助にと、石動は実用的な物から順次入れ替え、世界が落ち着く頃には、ほぼ全てを循環リサイクル式に変更していた。


 そして大地震から十数年。


 日本は回帰新進し、農業畜産推奨、先進科学都心建設、世界に散らばる残留日本人を救助するため、憲法改正。自衛隊の権限と管轄を大きく拡げた。

 専守防衛を貫きつつも、世界に対して、ここに日本有りとしらしめたのだ。

 石動が人々と共に復興した日本は、強く逞しく、震災前と変わらぬ、それ以上に昇華した国へと変貌する。


 まるで先が見えるかのような的確な采配。


 全ては彼の望むままだった。....そのはずだった。


 石動は多くを望まない。彼が欲する物は全て日本の益となる物であり、私人としての彼は全くの無欲。

 どんなパパラッチであろうと、彼からネタを得る事は不可能だった。


 あまりに清廉潔白。何ゆえそれほどストイックなのかと尋ねるインタビュアーに、石動は眼を丸くして答えた。


「私ほど強欲な人間はいない。私の政治人生は、全て私欲だ」


 至極真顔な石動に、インタビュアーは顔が引きつりつつも笑うしかなかった。

 不躾なインタビュアーを煙にまいただけと思われた一幕。しかしこれが事実であり、石動の本心なのだと知る者は....今現在の日本にはいなかった。


 一心不乱に駆け抜けた。無我夢中の数十年。


 それが今、全て崩れ去る。


 石動は強い日本でありたかった。何処にも侵されず、何処をも侵さず。世界と対等であり、架け橋でありたかった。


 そうでなくては、彼の人を守れない。


 石動は肺の中を全て吐き出すように長い溜め息をつく。諦めつつも、顔に落胆は隠せない。


 己の愚かさと浅はかさに絶望する。


 石動は解らなかったのだ。全く気付かなかった。復興した日本が、如何に世界を震撼させたか。

 東のちっぽけな島国が自給自足を回復し、半永久的なリサイクル循環を成功。

 日本が世界を必要としなくなり、さらには強靭な事で有名な自衛隊が、憲法改正により世界中にはばたいた。


 それを、列強と呼ばれる国々が看過するはずなかったのだ。


 みるみる力をつけていく日本に、彼ら列強の恐怖は如何ばかりな物だったろう。

 大地震の混乱期に世界の主導権を狙っていた国々は、軍事にこそ力を注いでいた。

 大地震のおりに無事に残った各国の施設の多くは軍事施設。各種攻撃を想定し建設されていたからこそ、大地の怒りから生き残れた数少ない現代建築だった。


 結果、列強国は最悪に舵を取る。


 各国の国力を削ぐため、愚かな戦線が至るところに拡がった。その殆どが食糧を得るための争いだった。


 生きるために奪う。原始の戦いが幕をあげる。


 半数以上は真っ当な国だった。助け合い協力して、人々は困難を乗り越えようとしていた。

 なのに一握りの愚かな国が........ 弱りきった獲物に牙を突き立て、世界が悪しき流れに呑まれていく。

 全ては変わらなかった。奔走する石動を嘲笑うかのように、事は最悪に流れ、暗い奔流は人々を貪欲に飲み込んでいった。


「ごめん...ダメだった」


 俯く石動の鼓膜に耳障りな音が響く。


 彼は虚ろな眼差しで窓を見つめた。

 境界海域全体を囲うレーダー。それに反応して、打ち込まれたミサイルを打ち落とす日本の迎撃。

 すでに世界中が焼け野原と聞いている。

 しかしAI制御のミサイルは、未だにシステムに従い各国がミサイルを飛ばしあっていた。


「もう、地表に人はいなかろうに」


 ミサイルが尽きるまで、システム同士は打ち合うのだろう。日本は迎撃のみなため、たぶん先にミサイルが尽きる。この国も焼け野原になるに違いない。

 僅かな救いは、人々の血で血を洗うような戦争が短期間で終わった事か。今は日本も含めて無人のシステムのみが攻防している。

 大災害後の世界は生産を疎かにし、軍事にのみに邁進してきた複数の大国を養えるほどの食糧は無かったのだ。彼等は気付くのが遅すぎた。


 奪う事で世界が回る訳がない。


 大地震の際に被害を受けなかった軍事施設は、報復システムも無傷だったらしい。皮肉な物だ。


 石動は無感動な瞳で空を眺める。


「約束守れなかったなぁ....ごめんな」


 世界中に打ち込まれたミサイルは、地表をあますことなく汚染し、地球を丸っと放射能の嵐が舐めあげるだろう。生き物が棲まうべき地は残るまい。


 まるで先が見えるかのようなと言われた石動の采配。


 そう、石動には見えていた。知っていた。

 だからこそ変えたかった。救いたかった。

 この先に存在する彼の人を。冷たい極寒の人生を送ってきた石動に、一時の至福と無限の愛情を示してくれた愛しい人。


 彼の人が救われるように、石動が見てきた凄惨な未来が現実とならないように。


 彼は全力で駆け抜けてきたのだ。


 眼を閉じれば昨日の事のように思い出せる。

 広い草原。深い森。古式豊かな建物に穏やかで優しい白い人々。暖かな温もりに包まれて、彼は初めて人として生まれ変わる。


 石動の思考が彼の国に飛ぼうとしたその瞬間、けたたましい音をたててオフィスの扉が開いた。


「お父様?こんな所にいらしたのですか?」


 半分眼を剥き...いや、ジト眼に近い三白眼で彼女は石動を睨めつける。

 彼女は石動百香。石動の一人娘であり、現首相主席秘書官でもある。


「全ての国民は指定のシェルターに避難しました。首相も、早急に避難願います」


 硬い表情に燻る焦燥を滲ませ、声高に避難を促す娘の堅苦しさに、石動は苦笑した。

 優しい娘だ。シェルターに石動が居ない事を知り、迎えに来たのだろう。

 父親に良く似た面差しな娘は、幾分イライラを振り撒きながら、執務室のカーテンを力一杯引く。

 そこには少人数用の細いエレベーターがあった。

 それを手荒く操作しながら彼女は開いたドアの前に立ち、必死に父親を引っ張る。


「もう迎撃ミサイルが尽きます、何故この直通エレベーターで避難なさらないのですかっ」


 切迫した形相の娘に、石動はえもいわれぬ愛しさを感じた。

 思えば悪い父親だった。未来を変える事に邁進し、家庭を顧みない父親だった。

 なのに彼女は、無関心な父親を恨むでもなく、憎むでもなく、傍らに立つ事を望んだ。


 彼女が秘書として現れた時、石動は初めて己が娘を見た気がしたものだ。

 娘がいる事は知っていた。生まれた時は妻に感謝し、娘を抱き上げてもいた。

 なのに、仕事に忙殺され、日々を上書きされ、気付けば娘の齢さえ解らない、顔すら年に数回合わせるかという放任ぶり。

 我ながら情けない。自分が嫌悪してやまなかった両親と同じ事を娘にしていた。


 娘は無関心な父親に、愛想をつかさなかった。逆に、如何にしたら父親の側にいられるか考える。


 どうしよう? どうしたら良い? 考えた結果。そうだ、秘書になろう! だったらしい。


 健気な娘の努力は実を結び、秘書官として満面な笑顔で現れた娘の姿に、あまりの驚きで石動の手から落ちた万年筆が机から転がり落ち、床で甲高い音ををたてたのだった。


 それからは、中々に楽しかった。四苦八苦する娘が可愛らしくて、やれそうなギリギリまで仕事の難易度をあげたり、出来た時に褒めると、返ってくる娘の笑顔が愛おしかったり。

 本来、幼少期に行うべきやりとりを、今更やりなおしているような面映ゆさ。

 傍らに来てくれた娘には感謝しかない。


 そして今になって思う。自分の両親も同じだったのではないかと。

 日々に忙殺され、他に気が回せなかったのではないかと。

 石動は子供だった過去の自分に後悔する。


 まあ、自分には特殊な事情もあったわけだしな。


 過去を噛み締めていた石動の耳に鋭い爆発音が響く。とうとう迎撃ミサイルが尽きたようだ。

 目の前の娘は、遥か遠くに見える微かな煙を凝視して固まっている。見開く瞳に驚愕が窺えた。石動の腕をシッカリと掴んだまま放さない。


 石動はくすりと笑うと自分の腕から娘の手を外し、エレベーターに押し込み、そっと髪を撫でて苦笑した。


「幸せにしたかったな。日本人の未来は、お前にまかせた。力及ばぬ首相で申し訳ない」


 彼はふわりと微笑むと、呆然と佇む娘の目の前でエレベーターの扉を閉め、ロックをかけた。


「お父様?? 何を...開けてっ!!」


 ドアにすがる娘に軽く手を振り、石動は踵を返す。


「生きてくれな、百香」


 ロックのかかったエレベーターはカプセルとなり、一路シェルターへと降りていく。


「お父様あぁぁぁっ」


 谺する百香の叫びに後ろ髪を引かれつつ、石動はエレベーター横にあるシューターに飛び込んだ。


 段差で減速しながら、石動はシューターの先にある座席にストンと落ちる。真っ暗な座席は声紋認証。

 石動は柔らかい声音で、正面のマイクに声をかけた。


「やあ、久しぶりだね」


 少しして青い灯りが灯り、瞬くまに周囲全体が明るく光り出す。


「御久シブリデス、マスタートオル」


 まるで、ロボットアニメに出てくるコックピットのような内部に、六分割の立体スクリーンが現れた。


「....尽きたか」


 スクリーンに映し出されたのはミサイル着弾の映像。もはや時間はない。


「ガイア、最終命令を下す。これより後は、如何なる命令も拒否せよ」


 日本の科学技術の粋を集めて作られたスーパーコンピューター、ガイア。

 ベタな名前は石動のネーミングセンスである。

 石動が設計、構築したガイアは、学習機能を持ったAIが搭載されており、疑似人格をも有していた。

 フォッサマグナを動力源とし、半永久的に稼働する超大型コンピューターで、全てのシェルターのライフライン管理もしてる。

 放射能の濃度や深度も測定し、半減期が過ぎるまで、シェルター内部の冷凍睡眠装置を稼働させる。

 その端末であるこのカプセルは、唯一ガイアに命令を下せる、首相専用カプセルだ。


 石動は軽く深呼吸し、穏やかに自分の死をガイアに命じる。軽く親指を嘗めて、ジェルマット状のシートに押し付けた。

 DNA登録によるマスター設定。製作者権限。本人以外に上書き不可能。Yの直系遺伝子のみを認証する。


「私の命令後、この端末を爆破して切り離し、以後は日本国内の残存生命体を全力で守れ。これは最終命令だ」


「了解シマシタ」


 ほぅっと息を吐き、石動はシートに深くもたれかかった。


 これでガイアは守られる。ガイアに繋がる端末は、ここだけだ。本体は地下深く、マントル近辺にあり、各シェルターの下になる。この端末が爆破されれば何者にも触れられない。


 疲弊しきっていた彼は、あまりの安堵から意識が薄れる。首相としての最後の仕事が終わった。

 ガイアの秘匿性から、全ての国民が冷凍睡眠に入るまで、あるいはミサイルが着弾するまで、この端末は開かれない仕組みになっていた。

 さもなくば、スパイ天国な日本で、こんな大規模なスーパーコンピュータやシェルター建設がされている事を隠せなかっただろう。

 未来を変えられないと悟った時、石動は、ならば未来に添おうと覚悟をした。

 彼は見たのだ。彼の国の優しい人々を。出来るはずだ。最悪に備えて準備はしていた。


「ようやく終わった。...いや、始まったのかな?」


 たゆとう意識の中で、石動は夢を見る。

 十八歳の時に見た、優しい夢を。暖かく白い人々を。幻覚でも構わない。


 「....千早」


 霞む瞳に揺らぐ、愛しい彼の人。


 微笑む愛しい人に手を伸ばしながら、石動の意識は、たわむ糸のようにプツリと切れた。


 新暦二十八年。


 地表から全ての人々が消え、物語は、遥か未来へと繋がれる。

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