第3話 義兄



 必要なものは与えている、と

 気難しい顔をしていた父は言った


 私がもしも

 紅色の髪を持って生まれなかったら

 愛して貰えていただろうか、と


 そう思ったのは、人生の内の

 ほんの一瞬にも満たないことだった



 ************************


「暇になってしまった、な」


 あれから、一週間の月日が経過しようとしていた。

 その間、私はほぼ、部屋に缶詰状態で、体調に異変がないかどうかを。

 日がな、医者であるロイが確認しにくる以外は、他にやることもない。


 ローラが持ってきてくれた幼児向けの本に視線を落とし、もう何度も読んで覚えてしまった内容にひとつ、欠伸する。


【思えば、この誘拐事件も、私にとっては一つの転機だった】


 テレーゼ様は、皇帝の寵愛を受け、2人の、息子を産んでいる。

 それは、皇后である筈の母が私を産むよりも、“先”のことで。


 皇家の者の証である“金”が色濃くでた2人だった。

 母が“後継者”を産むその前から“後継者”は実質決まっているようなものだった。

 二人息子がいたことで“スペア”さえ、母が産むことを期待するような声はなかったという。


 そうして、事実。


 ――生まれたのが、紅色の髪魔女の要素を色濃く持つ、私一人とは


【それだけでも、父の愛が私たちに向くことはないと想像出来たはずなのに】


 馬鹿だな、と今になって苦笑する。

 何を夢見て、必死になって、その関心を此方へ向けようとしていたのか。

 そうして、その関心が向かぬことに気づき、私は形無き物ではなく形有る物に、より固執するようになった。

 母が、そうしたように。


 今ならその全てが、どうしようもない程に無駄だったと理解出来る。


 パタン、と持っていた本を閉じた。

 タイミング良く扉が開いたから、入ってきたのはローラかと、思ったけど、どうやら違ったらしい。


「何かご用でしょうか、お兄様」


 一言、口に出せば、金色の瞳が表情も変えずに、此方をじっと見つめていた。

 第二王子である義兄とは、私を刺し殺して以来ぶりの再会だが、現時点で目の前の男が“未来の自分の行い”を知っている訳もなく。

 私も別段、それに対して特別な感情が湧いてくることもない。

 実に、淡々とした再会だった。


「医者がまだ、体調が思わしくないと言っていたから来てみたが、随分元気そうだな?」


 それから、どれくらい経っただろうか。

 皮肉の一つでも言ってやらねば、気がすまないとでも思われたのだろうか。


 ――確かに。


 仮病ではなかったが、ベッドの上にいるものの、上半身を起こして本を読んでいたとあれば、あまり病人には見えないかもしれない。


 そういえば、一度目の人生の時は母が亡くなったショックもあり、随分と癇癪を起こしては煙たがれたものだな、と、思い出した。

 今度はそのようなことも、する必要がないことは分かっている。

 自分にかかっていたシーツをまくり、ゆっくりと立ち上がり


「帝国の第二皇子様に、ご挨拶を。このような格好で申し訳ありません」


 ゆるり、と着ていた寝間着のワンピースの裾を掴み挨拶する。


「……一体、どういうつもりだ?」


 殊更、特別を心がけたつもりはないのだけど。

 どうやら、今まで傍若無人に、我が儘を言ってきた私の像からは、かけ離れていたのだろう。

 眉間に皺を寄せた兄が警戒するのが見てとれた。


【そんなに、関わりたくないのなら、わざわざ近づかなければ良いものを】


 テレーゼ様が皇后になられたことで、動きを見せなかった此方への牽制のつもりなのか。

 私は思わず、自分の口が、ふわりと穏やかに緩むのを感じた。


「テレーゼ様が皇后になられたと聞きました。

 母は死に、これから“先”継承権を持った男の皇族はよほどの事がない限り生まれないでしょう」


 驚いたような表情をする義兄に構わず、私は淡々と事実を事実として告げる。


「名実ともに、“皇女”とは、名ばかりになったのです。どうぞ、お笑いに」


 くすりと小さく微笑んで、敵意がないことを告げる。

 真正面から見上げた兄は驚いたままの表情を崩さず、こちらをじっと見つめた後。

 そっと、視線を私から逸らした。


「……名ばかりの皇女だと? 自分で何を言っているのか理解しているのか?」


「母が死んだことで、私も死ぬべきだと嘆願する貴族は後を絶たぬでしょう」


「……っ!」


 当たり前のことを事実として伝えているだけなのに。

 その目からは此方に対する“疑心”が透けて見える。

 牽制するにしてもあまりにもその態度が幼すぎた。


 隠す気がないのか、それとも、幼すぎてまだ、その率直すぎるほど真っ直ぐな態度を隠すことすら、覚えていないだけなのか。


 嗚呼……


【私の記憶の方が今のこの少年よりもまだほんの少し、大人であるが故なのか】


 傍目から見ればまだ、13歳の少年と、10歳の私。

 どちらも、子供だ。

 だけど、私には16年生きた時の記憶がある。


「お話がそれだけなのでしたら、どうぞお帰りに。出口はあちらですよ」


 はしたなくも指さした方へ視線を向けて、帰宅を促せば。

 何か言いたげな視線がこちらに向かったが、けれど適切な言葉が思い浮かばなかったのだろう。

 ぐっと握りしめたその拳からは何を言いたかったのかまでは読み取れず。


「申し訳ありません、これでもまだ体調不良なのです」


 と、苦笑しながら告げる。

 チッと、小さく舌打ちしたかと思ったら少年の姿の義兄はそこから何かを発することもなく乱暴に部屋を出て行った。


「きゃっ!」


 丁度、そこに入れ代わりでローラがやってくる。

 ドンとぶつかる音がしたから、あの暴君はローラにぶつかったまま走りさったのだろう。


「ローラ」


 声をかければ、びっくりした様子のローラが此方へ向いて。

 慌てた様に私に向かって小走りで駆け寄ってきた。


「アリス様っ! 大丈夫ですか!」


 それは、こっちのセリフではないだろうか。

 思わぬ侍女からの声かけに鳩が豆鉄砲を喰らったような、そんな顔しか出来ない。


 けれど、ローラは、私の姿を逐一確認して、どこかに怪我でもしてないかと心配するものだから、とりあえず落ち着かせようと、声をかける。


「大丈夫。そもそも、部屋から抜け出すことも出来ない私が怪我なんてする筈がないよ」


 一言、そう言えば、安心したように


「第二王子様が此方へ来られていたので、てっきり、何かされたかと……」


 と、あまりにも真面目に、はっきりと声に出す彼女に、耐えきれなくて思わず私は、小さく笑みを溢した。


「え、アリス様っ?」


「いや、素直すぎるのもどうかと……。今の不敬な発言は私の胸の中に仕舞っておく」


「あっ! 申し訳ありません、つい、心配でっ」


「うん、分かってる」


 穏やかに笑う私にホッと胸を撫で下ろすローラが、私にとってはどこまでも有り難い存在だった。


 たった一人でも、この世に信じられる人間がいるのといないのとでは大分違う。


 彼女は元々、病気がちで弱かった母に代わり私を育ててくれた存在だ。

 癇癪を起こして手がつけられなかった“前の記憶”の時も根気よくただ一人。

 私に常に付き従ってくれていた人だ。


 だからこそ、“今回”は失敗したくない。

 起きた当初では、混乱して『ずっと私を支えてくれる?』なんて、言葉が出たが、彼女が望むなら、いつだって私の元から去ってくれて構わない。


 そう思ってる。


 また“繰り返し”私の人生に付き合わせることなんて出来るはずもない。


 ――だって、私だけが知っているのだ。


【その道に、茨しか待っていないことを】



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