第10話「おいしい焼きそば、ヨーソロー」

 声の主が誰かなんて顔を見なくてもわかる。


 我が想い人、葵アズミだ。


「アハハハハ!! 優くん、何、そのリアクション。驚きすぎじゃない?」


「そりゃ家ん中に他人がいたら、誰だって驚くだるぉうがぃようっ!!」


 僕はママン譲りの巻き舌でアズミを責めるが、アズミはヘラヘラしていて、反省の色をまったく見せない。


「ええー? アズミと優くんは他人なんかじゃないでしょー。家族みたいなもんじゃん」


 アズミに『家族』と言われて、昨日、賢者になってまどろんでいる時に聞いた言葉を思い出し、僕の胸はズキッと痛んだ。


 たしかアズミは僕のことを「きょうだいみたいなもん」とか「きょうだいに恋するわけないじゃん」とか言っていたような……こんなにはっきり覚えているということは、やっぱり夢や幻想じゃなくて、現実で聞いた言葉なんだろう。


 そう!


 僕ははっきり覚えているぞ!


 アズミはこうも言っていた!!


「たしかに優くんのことは好きだけど」


「優くんのことは好きだけど」


「優くんのことは好き」


「優くん好き」


 いや、どんどん自分に都合のいいように解釈をねじ曲げるだなんて、わしゃ政治家か!?


 でも「好き」って言われたのは事実だもんね!!


 はっきり覚えてるもん!!!!


「優くん?」


 いけない……勝手に心の中で盛り上がってしまって、アズミのことをほったらかしにしていた。


 ちゃんと相手しないと帰られてしまう。


 ええと、たしか『家族』がどうこうって話をしていたんだよね……


「いいかい、アズミ。たとえ家族だったとしても、人の家に無断で入るのはよくない……」


「そんなことより優くんさー、さっきなんか落としたよ。拾ってあげるね」


「ウワーオッ!!」


 僕は、アズミのせいで床に落としていた『レズビアン風俗コミックアンソロジー』を、アズミよりも先に拾い上げ、猛スピードで自分の部屋に持っていって、ベッドの布団の中に隠してから、リビングに戻ってきた。


「なーに、そんな必死になっちゃってー。落としたのなんだったの? エロ本?」


「んなわけあるくゎぁぁぁい!!」


 ママン譲りの巻き舌が激しくなったのは、多分、図星を突かれたから。


 まだ開封すらしていないから確証はないけれど、あれは多分『エロ本』だ。


『エロ本』だから、緑井から逃げ出したし、アズミにも見せられないんじゃないか……


「ふーん……まあ、どうでもいいや。そんなことより優くんさー、お腹空いてる?」


「空いてる」


「よかったー。ちょっと待っててね、今持ってくるから」


 アズミは一旦、自分の家に戻り、料理の乗った皿を手に持ち、再び赤井家にやって来た。


「はい、アズミが作った、おいしい焼きそばだよ。優くん、食べて」


「あ……ありがとう」


 地獄に仏、渡りに船とはこのことか。


『レズビアン風俗コミックアンソロジー』のせいで、抜きになることを覚悟していた昼食が目の前に現れた。


 本当にありがたや、ありがたや……


「いただきます」


 僕はリビングのテーブルの椅子に腰掛けて、アズミからの施しである焼きそばをガツガツガツガツ食べ始めた。


「おいしい? 優くん」


 僕の向かいの椅子に腰掛けたアズミが、頬杖突きながら尋ねてくる。


 耳が隠れるショートカット、前髪は短いアズミの、クリクリとした大きな瞳が、僕のことをまっすぐに見つめている。


「うん、おいしいよ。すごくおいしい」


 お世辞じゃなかった。


 野菜と海鮮がいっぱい入ったアズミの具だくさん焼きそばはすごくすごくおいしかった、特にキャベツとイカがおいしかった、空腹なのも相まって、危うく泣いてしまいそうになるほどのおいしさだった。


「よかったー。それよりさー、優くん、どこ行ってたのー? せっかく優くんに食べてもらおうと思って焼きそば作ったのにいないんだもーん」


「ちょっと本屋に行ってたんだよ」


「また本屋? 飽きないねー、優くんも」


「本は飽きるとか飽きないとかそう言ったたぐいのものじゃなくて、僕にとっては生活必需品……」


「ごめん、何言ってるかわかんない」


 アズミがニコニコ笑顔でそう言うものだから、僕は自分の言葉を止めざるを得なかった。


 アズミの、眼球が見えなくなってしまうほどのくしゃっとした笑顔は、僕の心を魅了してやまない。


 僕はついつい、見とれてしまう。


 そんなアズミは僕と比べたらはるかに学力が低い、ありていに言ってしまえば、バカだ、おバカだ。


 でも女子力は高い。


 料理もうまいし、看護師として忙しく働いているお母さんの代わりに、葵家の家事をほとんどすべてやっているらしい。


 アズミに料理や手作りお菓子を施してもらうのはわりとよくあることで、ママンが料理をしない僕からしてみれば、アズミの作る料理こそが『お袋の味』みたいなものだった。


 葵家もうちと同じで母子家庭だが、うちとは違って、離婚ではなく死別らしい。


 お父さんは消防士だったそうだが、何かの災害救助活動中に不運にも命を落としたらしい。


 詳しいことは知らないが、どこかのおばあさんの命を助けた代わりに自らは犠牲になってしまったんだとか、藤田東湖ふじたとうこもビックリである。


 お父さんの不慮の死によって、住むところがなくなった葵家は、このアパートに引っ越してきたのである。


 アズミがお母さんと一緒に、赤井家に引っ越しの挨拶に来た日のことを、今でもはっきりと覚えている。


 その日から今日に至るまで、僕とアズミはずっと仲良し、それこそ『家族』もしくは『きょうだい』のようにね。


 そんなアズミのお父さんの実家がY県のお隣、F県の巨大農家で、若くして夫や父を亡くした嫁と孫のことを不憫に思って、母子ふたりでは到底食べ切れないほどの食材を毎月のように送ってくるらしく、そのおこぼれが時々、アズミの料理という形で、赤井家にやって来るのである。


 もちろん毎日ではないけれど、週に何日かはアズミの手料理が食べられる、それは僕にとっては幸せなことだった。


 それにしても……

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