アロマンティスト×アロマンティスト 4


「ごめんなさい。僕は、あなたの気持ちに応えることは出来ません」


   ●


 図書館裏から脱出する。宿題は体調不良を考慮されて翌日まで延命された。加賀和かがわからのメッセージは来ていない。


 そして迎えた翌朝の昇降口で、茜と顔を見合わせ、龍成は困惑しながらも、靴箱に入っていた封筒を手に取った。



 Not・ラブレター。



 これはさすがにラブレターではあるまい。龍成はそう思う。


 お洒落さも可愛さも皆無の茶封筒。


 郵便番号用の7つの赤枠。


 表にも裏にも一切の記述無し。


 加賀和の時にはハートのシール、弘原海わだつみの時には三角の頂点に糊付けされていた封は、今回はただ折りたたまれただけで、〆の字すらも書かれていない。


 開封作業すら必要とせず、中身を抜き出して、その場で内容を確認する。


 これはさすがにラブレターではあるまい。確信をもって龍成はそう思う。


「リュウ、なんて書いてあった?」


 今日も今日とて靴箱の中からラブレターを回収した茜へと、その簡素な文章を見せた。便箋ですらないA4サイズのコピー用紙には、プリンター印刷された文字が書かれている。



 今日の放課後、職員室に来るように 志部谷



 志部谷しぶやというのは、確か教師の一人のはずだ。記憶に確証が持てない。1年のいずれかのクラスの担任教師でもなければ、何らかの授業の担当教員でもないからだ。以前に移動教室の途中ですれ違った時、ウェイウェイゼミが鳴きながら話題に出していた気がする。


「……リュウ、あんた何やったの?」


「いや、全く心当たりがないんだけど」


「じゃああれだ。モテ期。今度は教師がリュウの毒牙にかかったか~」


「何言ってんのさ」


 ところで、龍成の記憶が確かならば、志部谷は20代くらいの若い女性教師である。


 いくらなんでも、さすがに教師から告白されることはないだろう。……ないよね?


 若干の不安を覚えながら、龍成は一日を過ごした。


 トイレへ向かう途中、トップカースト女子とすれ違ったが無視された。


 加賀和は、これまでと変わりない態度で話しかけてくる。


 体育で運動場に向かうと、運動着の女子集団とすれ違った。その中にいた弘原海わだつみから小さく手を振られたので会釈を返す。その後、後ろから盛り上がる声が聞こえてきたが、なんだか恐ろしくて振り返れなかった。



 そして、運命の時がやって来た。



「えーと、志部谷しぶや先生であってます?」


 職員室の中、龍成が話しかけたのは、長い髪を後ろで無造作にまとめ、口にキャンディの棒らしきものを咥えた教師だった。


「ん? おぉ、君が足高あだかか? よく私だと分かったな。ひょっとして前から知ってた?」


「いえ、知らなかったので他の先生に聞きました」


「そっか。なるほど。飴食べる?」


 志部谷はポケットに手を突っ込んで即座に抜いた。指の間にキャンディの棒が一つずつ挟まれ、龍成の前に四種類のロリポップキャンディが差し出される。


「いえ、結構です」


「よし、それじゃあ行こっか!」


 言うが早いか志部谷は立ち上がった。スリッパをペタペタと鳴らしながら、職員室の出入口へと向かうのを龍成は慌てて追いかける。


「え、行くってどこにです? 僕、なんで呼ばれたのかも分かってないんですけど」


「まぁまぁ、行けば分かるって行けば。図書館の、入り口のところに集合ね。図書館は分かるよね? 靴履き替えなきゃいけないのがめんどいよねー」


 図書館、と言われ、龍成の足が一瞬止まった。図書館の裏で弘原海わだつみに告白されたのは、つい昨日のことである。


「ん? どうかした?」


「あ、いえ。なんでもないです」


「そう? あ、そうそう」


 志部谷がくるりと振り返る。腰を曲げて龍成の顔に下から顔を近付ける。香水の香りがした。


「今日は、他の誰かに呼び出されたりしてないよね?」


 完全に足が止まった。なんで、という疑問が頭の中に溢れ出す。許容量を一瞬で超えてしまう。許容量を超えた疑問は勝手に口からこぼれ出る。


「な、なんで……」


 志部谷が離れる。いたずらが成功した子供のような顔で、ニンマリと笑っていた。



「さぁて、なんででしょう?」



   ●


 小仙上こせんじょう高校には、図書室ではなく図書館がある。体育館にも匹敵するほどに巨大な図書館だ。他校から部活の練習試合に来て、この図書館を体育館だと勘違いして足を踏み入れる者が後を絶たない。


 外履きに履き替えた龍成が図書館の出入口に到着すると、志部谷しぶやは足を組んでベンチに座り、スマホをいじっていた。裸足のつま先では鼻歌と足の動きに合わせて、クロッグサンダルがぷらぷらと揺れている。


 もし突然、中から弘原海わだつみが出てきたらどうしよう。そんな不安が沸き上がり、


「あの、」


「ちょっと待って! こいつ倒してから! 1分、いや30秒で終わるから!」


 手のひらを突き出してそう言われた。


 30秒待った。


「いやぁ、ごめんごめん。時限ボスがポップしちゃってさぁ。んじゃあ行こっか」


 志部谷が勢いをつけて立ち上がる。だが志部谷の足が向かったのは、図書館の入り口ではなく建物の横側だ。


 ひょっとして、と龍成は思う。ひょっとして、図書館の裏から使用済みのコンドームでも見つかったんじゃないだろうか。そして真犯人である使用者が、これはマズいとたまたま見かけていた龍成と弘原海に、あいつらがここから出てきたのを見ましたと、自分たちの罪をなすりつけたのではないだろうか。


 だから志部谷は先ほど、行けば分かると言ったのだ。そして使用済みコンドームが落ちていた事件現場で足を止めて、犯人はお前だ、と指をさしてくるに違いない。


 冗談ではない。不純異性交遊どころか、龍成は未だに童貞である。弘原海が処女なのかまでは知らないが、やってもいないことで罰を受けるいわれはなかった。


 龍成は志部谷を追いかける。視線の先、志部谷は昨日龍成が弘原海から告白された場所を通り過ぎる。一体どこにコンドームは落ちていたのかと地面に視線を向ける龍成の思惑とは裏腹に、志部谷は途中で足を止めることはなく、どんどん奥へと進んでいく。そして、


「おーい、こっちこっちー。分かる?」



 一番奥には、下へと続く石造りの階段があった。



「え? な、なんです、これ?」


「足滑らせないように気を付けてねー」


 志部谷は先に階段を下りていく。意味が分からないままに龍成もその後を追う。コンドームとか不純異性交遊疑惑とか、そんなことはもうすっかり頭から吹き飛んでいた。


 入学直後に校舎を案内されたはずなのだが、こんな場所があるとは聞いた覚えがない。年甲斐もなくワクワクする。いや、この状況で興奮しない男なんていないだろうと龍成は思う。


 階段を下りていくと、龍成は気付いた。地下へと降りるのだと思っていたが、そうではない。これは崖だ。上の図書館は、崖の上に建っているのだ。


 崖の反対側には木造建築の校舎らしきものがみえる。一棟だけだ。周囲は木々に覆われていて、落ち葉が掃除もされずに屋根の上や建物の周りに積み重なっている。唯一の例外は、出入り口らしき部分だけだ。


 階段を一番下まで降りると、すっかり年季を帯びた扉が龍成たちを迎えた。志部谷が掘り込み取手に手をかける。しかしどうにも立て付けが悪いらしく、ガタゴトと音を立てるだけでぜんぜん動かない。龍成も途中から手を貸した。


「少子高齢化の影響と、昭和の時代の遺産だよ。せーのっ!」


 二人で息を合わせて力を籠めれば、扉はガラガラと耳障りな音を立ててようやく開いた。


「ふぅ。これ、下手すると閉じ込められるわね。どうにかしないと駄目ねー」


 手をプラプラと振りながら志部谷が言う。龍成は扉の中を覗き込む。


 経年劣化で色落ちしているのか、その空間はすっかり色あせていた。


 薄い灰色のペンキで塗られた、蓋も仕切りも無い靴箱。


 すっかり白くなった木製のすのこ。


 床にはタイルが敷き詰められていて、こんなところにも時代の古さを感じてしまう。


 そんな時代から取り残された空間の中、床のタイルの上に、一つだけ、異質なものが存在した。


 ローファーだ。数は一足だけで、まだ新しい。サイズは小さい。女子のものだろうか。


「ほら、この学校って進学校じゃない。昔はね、大型連休があると勉強合宿なんてものをやってたらしいのよ。ここはその時に使われていた合宿施設ってわけ。そういや足高あだか、アンタ昨日学校来てから保健室に直行して寝てたでしょ。あんなの昔じゃ考えられなかったからねー。令和よねー」


 志部谷が投げてきたスリッパに履き替えた。明かりがついているのは玄関の周辺だけで、廊下の奥は暗闇で覆われていて何も見えない。


 スリッパをペタペタ鳴らしながら志部谷の後を追う。玄関に一番近い部屋。上を見れば『宿直室』と書かれたプレート。


「かえでー、連れてきたぞー」


 と、志部谷はノックも無しにドアを開いた。


 中には女の子がいた。先ほど玄関にあったローファーの持ち主だろう。4つの机を合体させた大机、その一つに座っている。


 彼女はこちらを一瞥もしない。ふんすふんすと鼻息荒く、ブックカバーに覆われた文庫本を食い入るように読んでおり、


「ちょっと待ってください! このページまで読ませて! 1分、いえ、30秒で読み終わりますから!」


 なんだか、とても既視感のあることを言われた。

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