第13話

「お父さんはあの日、工事が終わった打ち上げだったのよ。そりゃ夜が危ないのは知ってるわ。皆知ってることよ。でも、だからって誰が毎晩家に籠ってるの? 誰も籠ってやしないわよ」


 野菜を袋に詰め込む手を緩めずに、少女はそう吐き捨てた。しかめっ面から笑顔へ鮮やかに転じ、客からお代を貰って袋を手渡す。


「ありがとうございます!」


 客へ手を振り終えると、少女の笑顔がすっと消える。


 ところ狭しと建ち並ぶ露店の一つに少女は雇われて働いていた。父親は日雇いで工事現場を転々とし、母親は工場で淡々と作業をこなしていた。その父親が先日妖魔に殺された。


「夜が危なくならないように、あいつら第二部隊がいるんでしょ? なのに、あの穀潰し部隊っ。あいつらがちゃんと妖魔を殺さないから父さんはっ……妖魔に殺されたんじゃない! 父さんが殺された後に妖魔を殺したって遅いわよ!」


 会話をしていても、なくなった野菜をストックから手早く補充していく少女の手は止まらない。嘆く暇もなく働かなければ、ナナガ国では生きていけないのだ。


「ああ、父さん。なんで父さんが死ななきゃならなかったの! 高い給金だけ貰ってる癖に役立たずの第二部隊! 税金泥棒! しっかり給金分は働きなさいよね。そこのところ、しっかり記事にして頂戴よ」


 少女はウェルドの胸に指を突きつけて念を押し、仕事へと戻っていった。



「無能な肉盾部隊のせいで俺の息子はここに眠るはめになった」


 四年前の高位妖魔が出した被害者たちの共同墓石前で、くたびれた老人が項垂れている。


 硬く四角い墓石の磨かれ黒光りする正面には、犠牲者の名前がびっしりと刻まれている。四年前の『引っくり返す』という高位妖魔の能力は、建物の倒壊と共に多くの命を奪った。

 高位妖魔となれば、対抗出来るのはミズホ国が有する『珠玉』のみ。第二部隊はその『珠玉』が到着するまでの妖魔の足止めと、被害の拡大を防ぐ盾の役目を果たす。

 第二部隊からは十四名、民間人からは死傷者千五百二十三名、その内死者は八百九十七名、ここに眠っているのは二百十一名だ。引き取り手のなかった者と、倒壊した建物から遺体を引き上げきれなかった者たちを、纏めて埋葬してある。


 墓石の前には花束、菓子や酒、ここに眠る者たちの生前好きだったであろう品々が雑然と置かれている。乱雑に濫立している建物と建物の隙間に、ぽっかりと空いた小さな広場にある共同墓地は、ナナガ国と同じごちゃ混ぜだった。


「この老いぼれに墓を作ってやる金も労力もない。ここに入れるより他がなかった。おお、老いたわしより先に息子が死ぬなど、なんと無慈悲なことよ」


 老人が墓前に備えているのはノミだった。老人とその息子は大工だったという。風雨に晒され錆が浮く頃、老人はここを訪れノミを研ぐ。今も綺麗に研いだノミを墓前に戻したところだった。


 老人は愛しそうにノミを撫でた。


「息子はわしの宝だった。ここに眠る者たちは皆、誰かの宝じゃ。二百人以上の尊い命が眠っとる。……だというのに!」


 項垂れていた老人が白髪混じりの頭を上げる。落ち窪み骨格が分かるような輪郭の顔の中で、目だけが青く底光りしていた。


「あの忌々しい肉盾部隊の死者はたった十四人だと!? 消耗品の癖に! やつらこそ、全滅してでも妖魔からわしらを守る盾になるべきじゃったろう」


 唾を飛ばし、枯れた拳を握って老人は掠れた声を振り絞る。それはさながら、死者たちの怨嗟を代弁するかのような演説であった。


「ああ口惜しい。無念じゃ」


 老人の痩せた体を突き動かしていた激情は萎れ、肩を落として老人の視線は墓前のノミに戻る。

 建物と建物の隙間を通る風が花束を包む紙を揺らし、乾いた音が鳴った。



「今見てきたものがお前ら第二部隊ってやつの真実よ」


 共同墓地から新聞社へ帰る道すがら、無言のカーズへウェルドが吐き捨てた。内ポケットから煙草を取り出し、火を点ける。彼はヘビースモーカーらしい。

 射し込む光には朱がかかり、太陽の位置も低くなっている。取材に回っている内に夕刻にさしかかっていた。


 ウェルドの吐き出した煙が、朱の空気を白く濁らせてから、溶けるように消えるのを見るとはなしに眺めていると。意地悪い笑みを貼り付かせて振り向いたウェルドが、カーズの瞳を覗きこんだ。


「あれがお前らの現状だ。宿主の家族の無念だ。お前らの力が及ばねえばっかりに、妖魔に殺された人間の嘆きだ」


 にやにやとした笑みの下、ウェルドが目を光らせる。

 へらへらとした態度で相手を苛つかせ、言葉の刃で追い詰め、本音を吐かせる。


 第二部隊と同じだ。


 言葉と武力の違いこそあれ、煽って挑発することで戦況を優位に持っていく。

 その手には乗るかよ、とカーズは真っ直ぐにウェルドを射抜いた。


「知っていたさ。知った上で俺たちは在らざるをえない」


 面白くなさそうにウェルドが舌を打ち、煙草を乱暴に吸った。一時的に火勢が強まり、煙草の先が赤く光って灰色へと変わる。


「知っているさ。俺たちは実際に、多額の金に釣られて集まった、どうしようもねえ奴らの集まりだ」


 ウェルドの言葉や態度はカーズの本音を引き出すための挑発だ。そう分かっていても、腹の底から沸々と湧く怒りを止められない。妖魔や宿主には散々やってきたことだが、やられるとこんなにも嫌なものなのか。


 指で叩いて灰を落としてから、もう一度口元へ運ぼうとしたウェルドの手が止まった。


 カーズは視線を地面へと落とす。左の拳を固く握りしめ、右手は無意識に制服で包んだままの剣の柄部分へと触れている。


 自分は未熟だ。見え透いた挑発で、こんなにも揺らぐ。


 ウェルドが止めていた手を口元へ持っていき、吸い込んだ煙を鼻から抜けさせる。

 紫煙が空気に溶けて消えた。


「宿主は人間で、悲しむ家族がいる。それを承知で俺たちは、任務で宿主を殺し、高い給金を貰っている」


 全て承知の上だ。今さらだ。宿主の家族たちの主張だって、初めて聞いたわけではない。


 黙したウェルドの、指に挟んだ煙草の紫煙だけが静かにくゆる。


「宿主や宿主を喰った妖魔を迅速に仕留め、被害を食い止めるのが俺たちの役割だ。多額の金と引き換えに自分の命を危険に晒して、俺たちは戦い、宿主と妖魔を殺す」


 それが任務だ。それで高い給金をもらっているのだから、文句はない。


「それは全部自分の為だ。好き勝手を言う市民の為じゃない。泣いている人の為なんかじゃねえ。平和を守るだとか、被害を減らすだとかですらねえんだ」


 全て自分たちの為だ。だからいちいち傷つかなくていい。揺らがなくていい。怒る価値もない。その筈だが。

 それでも傷つき、揺らぎ、怒る。それが人間だ。


「俺たちが宿主を殺す人殺しだと詰るなら、家族を殺されたと恨むなら、俺たちに勝手に期待するんじゃねえよ! 市民を守れない役立たずだ税金泥棒だ、無能な肉盾で全滅すべきは俺たちだと? ふざけんな。なら俺たちなしで妖魔と戦え! 出来ねえ癖に好き勝手言うんじゃねえ!」


 隊長に就任してから腹の底に沈めていた、ぶつけどころのない怒りが外面を突き破った。圧縮されていた怒りは、勢いよく噴出していく。


「第二部隊は俺の居場所だ。居場所を守るために、俺は与えられた役割をこなす。宿主を殺す。妖魔を殺す。市民を守るためじゃない。俺が守るのは仲間で、お前らを守るためじゃ、ねえ!」


 ウェルドの水色の目に灯る光が、鋭く探るものから違う光に変わる。

 煙草の火を、懐から出した携帯灰皿へゆっくりと押し付けて消した。


「なんだ。本音、言えんじゃねえかよ。若造」


 ウェルドの唇がにっとつり上がった。カーズはしまったと、路地裏の壁へ目線を移す。


「善良な市民なんざ知ったこったあねえ。守るモンはクズのお仲間だけってか? 流石は穀潰し部隊の隊長さまだぜ。ご立派なもんだ」


 燻っただけの怒りは簡単に再燃した。怒気も顕にウェルドを睨むと、真っ向から睨み返してきたウェルドが、決定的な一言を放った。


「替えなんざいくらでもある『消耗品』が!」

「お前っ!」


 瞬間、ウェルドの襟首を掴んで引っ張り上げた。壁に押し付けられ、背中を強打したウェルドがうめく。


「どんなにクズだろうと、人殺しだろうと、俺たちは人間だ! 物扱いして、『消耗品』と言うのだけは許さない!」


 ウェルドの口が、ぱくぱくと動いた。声はない。自分よりも背の高い男に吊るされているのだ。首が締まって声を出したくても出せないのだと気付き、カーズは手を離した。


「ゲホッ、ゴホッ、お……お前、この馬鹿力が、ちょっと加減しろ」


 壁に手をついて肺に空気を送りこみ、ウェルドが声を絞り出した。


「すまない。ついカッとなった」

「全くだ。記事のネタにするぞ、この野郎」


 大きく息を吐いてよれた襟を正す。


「ったく。もう取材は終わりだ。気がすんだだろう? 第二部隊隊長さまに戻りやがれ」

「言われなくてもそうする」


 ネクタイを解き、カーズはすっかりしわがついてしまった制服を羽織った。露になった剣を腰に下げる。

 舌打ちをしたウェルドが、新しい煙草に火を点けて吸った。


 ナナガ国の街並みを染めていた茜は主張を弱め、藍が混じる夕刻だ。直に夜の帳が落ち、妖魔の時間がくる。

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