どうせ逃げられないのなら ~逃げたい私と逃がさない勇者の逃亡劇~

瀬里

第1話 記憶を失った勇者

 大陸の中央にある強国、ウェストラント王国の王族は「勇者」の一族である。

 その人並外れた強さはドラゴンにも匹敵し、勇者のドラゴン討伐に関する逸話は、今も畏敬の念を持って大陸各地で語りつがれている。


 今代の王族たちに関してもまた然り。

 高貴な身分でありながら先頭に立って戦う勇者一族の活躍は、大陸中をにぎわせる一大英雄譚として、人々の心を浮き立たせていた。


 そして数カ月前。

 人々はその噂に色めき立った。 

 ここ数百年で一番の強さを誇るといわれる第一王子が、王国としては数十年ぶりにドラゴン討伐に旅立ったのだ。


 そう、私には、全く関係ない話のはずだった。

 私が二か月前に拾った記憶喪失のこの男が、くだんの第一王子その人でさえなければ――。


 ◇◇◇◇◇◇


 森に佇むその男は、木漏れ日を浴びながら、金糸で美しく針が刺された紋章をしげしげと眺めていた。その紋章が、今は服に隠れた男の腕に刻まれた入れ墨と見事に一致しているのを私は知っている。

 額にかかる柔らかそうな黒髪に、きりっとした眉。切れ長の紫の瞳に通った鼻梁。

 筋肉が多すぎもせず少なすぎもしないすらりとした体躯で佇むその姿は一幅の絵画のようで。

 しかし、私はその美しさというよりは居たたまれなさに思わず目をそらした。


 その足元でもがく騎士のせいだ。

 迎えに来たという騎士を地面に這いつくばらせて踏みつけた男の表情は、今日も絶好調の悪人面だ。端正な美男子といってもいい造作なのに、傲慢に人を見下す目線と歪んだ口元が、全てを台無しにしている。


 ちなみに、なんでこの騎士が足蹴にされているのか私にはさっぱりわからない。

 私のような者にまで挨拶をしてくれる、友好的ないい人なのに。

 それとも、この国の王子と騎士の挨拶としては普通なのだろうか。

 いや、この男の事だ。単に虫の居所が悪かっただけに違いない。


 男は、ふうん、と興味なさげにつぶやくと、先ほど騎士からむしり取った紋章を背後の湖の中へ放り捨てた。

 ぽちゃん、と可愛らしい音を立てた紋章は、湖に落ちたもののかろうじて水面に浮いている。

 明らかにそれは捨てていいものではない。

 きっとこの男は何も考えていない。持っているのがめんどくさくて投げ捨てただけだ。


「あーっ、ちょっ、何するんですか、アーレント様! それは、俺がコカトリス討伐の際に陛下にいただいた王国一等栄誉勲章なのに!」


 案の定騎士は大騒ぎだ。


「それで、お前の話が本当だとすると、俺は、ウェストラントから旅に出たまま行方不明になっている、第一王子アーレントだと」


「もう相変わらず人の話聞かないっすね!! 何今さらなこと言ってるんですか!? 俺がこの三カ月どんだけ探したと思ってるんですか!? 近衛騎士団長のこの俺が捜索に駆り出されてんっすよ! 陛下はじめ皆様、どんだけ心配してらしたか!! あんたがどこぞで悪さをしてるんじゃないかと皆様、すっげえ気をもんでらして。そんでもって、あんたがどっかの国を滅ぼしてたら首を差し出して勘弁してもらってこいとか言われた新婚の俺の気持ちわかりますぅ!? っていうか放して下さいよ。勲章! 沈んじゃうからっ!! 拾わせて!!? 陛下の勲章よりもほんとは、裏に奥さんが縫いつけてくれたお守りの方が大事なの!!」


 金糸で織られた勲章は水を吸って沈みかけている。

 じたばたもがくも動けない騎士は半泣きだ。

 普段のこの二人の関係が透けて見える。

 そして、国王から心配されている内容は、本人が悪さをしていないかの心配だとは……。

 哀れな騎士と国王陛下に妙に共感してしまった私は、こっそりその勲章を拾っておくことにした。

 あとできれいに乾かして返してあげよう。


「王子か。なるほど。だとすると俺は、その国の最高の治癒魔導士の手を借りることができるということだな。――俺の記憶喪失は、その国に行けばすぐに完治するだろう」

「へ? 記憶喪失? ちょ、ちょっと待って。なんすかそれ」


 騎士の呆然とした問いかけをさらりと無視して王子アーレントは、私の方にその紫の眼差しを向ける。

 傲慢な表情はそのままに。


「イルセ、記憶と身分を取り戻し、お前を迎える体制を整えたらすぐに戻ってこよう」

「はい?」


 いきなりお鉢が回って来た私は、思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。

 この人、今、迎えに戻ってくるって言った!?

 私の事、連れて行こうとしているの?

 えっと、確かに、この騎士が来る直前の話の流れではそうなるのかもしれない。

 でも、それは王子だとわかる前の話で。

 ちょっと気になった女をそばに置いておきたい、ぐらいの気持ちでそんなことを言ったら、立場上あとで後悔するに決まってる。記憶が戻ってからも後悔すること請け合いだ。

 頭ではそう思いながらも心臓がばくばくいうのは止められない。

 私は落ち着け、落ち着け、と念じながら必死で表情を作り、やんわりとお断りの言葉を口にしてみる。


「あの、私、そういうのはちょっと……。お城とか、性に合わないんで……。それにあの、王子様、なんだ……ですよね。王子様って普通、婚約者様がいらっしゃるのでは? ほら、あの、誤解とかされちゃったら大変ですよー……なんて」


 いくら身分の低い平民だとしても、王子が女を連れ帰ろうとしたことが婚約者様にばれたりしたらろくなことにならないのではなかろうか。おまけに記憶喪失の王子様と二人っきりで二ヶ月も過ごしていたとばれようものならば……。


 ちらっちらっ。

 王子の足元の騎士様に応援依頼の目線を送ってみる。

 困るよね!? 王子が山の中で拾った女をいきなり迎えたいなんて言ったらお城の中大混乱でしょ!?


「あ、ご婚約者の話なら、ふぐっ」


 私の視線を感じて、何かを言いかけてくれようとした騎士は、背中を踏まれて物理的に口をきけなくなったらしい。

 あーそれ痛いよね。

 私はこの騎士にますます共感を深くする。


「イルセ、心配することはない。すぐに片づけて戻ってくる。いや、迎えに来よう」

「いえ、別に心配とかじゃなくって、私は行かないって……ひっ」


 私は、突如感じたすさまじい圧に口をつぐむ。

 勇者の特徴ともいえる紫の瞳が赤みを帯びて、立ち尽くす私の視線をからめとるように奪う。その視線は凍り付くように冷たい。

 私はごくりと唾をのみこんだ。

 王子は、自分の左手にはまっていた指輪を抜き取ると、私の手の平に落としこむ。


「迎えに、くる」

「は、ははははいっ。お待ち、しております」


「勇者」相手にそう言う以外に、一体何ができたのだろうか?

 踏みつけられたままの騎士から、今度は同情の空気が流れてきた。


 いい加減、足、どけてあげればいいのに。

 そんなどうでもいいことを考えて私は必死に現実逃避するのだった。


 ◇◇◇◇◇◇


 こっそり拾っておいた勲章は、王子の見ていない隙にちゃんと騎士様に返しておいた。騎士様は涙ながらにお礼をいい「お互い、大変っすね」としみじみと同情の言葉をかけてくれた。この騎士様となら、ちょっと仲良くできそうな気がした。

 もう会うことはないだろうけれど。


「さて、やりますか」


 そんなこんなで王子と近衛騎士団長を見送った翌日。


 私は、長く暮らしたこの森の家に、――火を放った。


 もう、ここには戻れない。 

 王子は、城に戻ったら記憶を取り戻すのだ。

 記憶を取り戻した王子に見つかったら、私は、間違いなく殺される。


 ――だって、王子の記憶を奪ったのは何を隠そう、この私なんだから。

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