第2話 「死」のない「生」

 1999年12月。ニューヨーク。


「あら、雪かしら。寒いと思っていたけど、降っていたのね」


 窓の外をふと眺めたジェノバは、ふうっと一息ついた。イギリスから心機一転し移り住んで約二ヵ月。辺りには幸せそうなクリスマスソングがすでに流れ始めている。


「ジョン? そろそろ帰ったほうがいいわよ。雪、強くなっちゃうといけないから」


 ジェノバの振り返った先。そこには背の高い白人の男が一人、ソファに腰かけてコーヒーをすすっていた。


「ああ、そうですね。そうします。今日は本当にありがとうございました、ドクター」


 ドクター・ハーレキン。ここいら辺で急に有名になった女医の名前だ。


「いいえ。わたしとしても興味深かったわ。あなたの言うようなことを頼んでくる人は、まずいなかったから」


 当のジェノバ・ハーレキン女医はくすくすと笑ってジョンに答える。その口もとが微妙に歪んでいるのを見咎めるものは誰もいなかった。


「それはよかった。お互いの利害が一致したわけですね。しかし、本当にお金はいらないのですか?」

「ええ。言ったでしょう、わたしはあなたの体で人体実験しているようなものだって。それなのにお金はもらえないわ」

「そうですか。わかりました、そうしましょう」

「ええ。では、一週間に一度ほど検診に来てちょうだいね」


 はい、とジョンは答えて立ち上がった。軽く手を振って病院の中を出口に向かって歩き出す。


「かわいい山羊ね、ジョン」


 彼がジェノバに望んだもの。それは不老不死の体だった。

 人のDNAには寿命を決めるテロメアという部分がある。

 テロメア、それは命を司る時計。細胞分裂の度にテロメアは短くなり、それに比例して老化が起こる。

 そのテロメアを細胞分裂しても短くならないように出来さえすれば、運命的「死」はなくなってしまうのだ。老化も起こらない。

 そのかわり、代償として生殖機能を失ってしまう。つまりセックスが出来なくなってしまうのだ。「死」のない生命体は、次代へ望みをかけるような行為は必要ないから。

 それをジェノバはジョンに施したのだ。


「いい実験ができそうだわ」


 ◆


 はじめは半信半疑ではあった。運命的な死のない体になったとはいえ、今までと何にも変わらない体。あの女医に騙されたのではないかとも思った。

 しかし、それが本当であるということは三日もしないうちにわかった。

 有性生殖が出来ないのだ。恋人のエリーとデートに出かけて、その日ベッドに寝たというのに。

 ジョンにはできなかった。人間の、いや、動物としての能力をジョンは失っていた。

 確かにジェノバから聞いてはいた。覚悟もしたつもりだった。しかし現実が目の前に現れるとやはりショックを受けた。ジョンには子孫を残す能力がないのだから。

 それをジェノバに相談したところ「死なないのだから子どもはいらないでしょう」と冷たくあしらわれてしまった。それ以来もう二週間検診には行っていない。

 町はクリスマス一色。

 子どもをつくれなくなってしまうと、エリーにはあっさりと切り捨てられた。わたしは子どもが欲しいのよと、そう言って。

 みじめだった。


「死ぬのが怖いというのは、そんなにも罪なことか!?」


 死を恐れる気持ちは誰にだってあるはずだ。そう、エリーにも。


 ——— Last Christmas I gave you heart


 切ないクリスマスソングが窓の外から聞こえる。幸せそうな顔をしたカップルが通りを歩いてゆく。笑顔で。

 笑顔で。


(そうだ……)


 ジョンはふと思いついたことに顔をほころばせた。

 自分が笑顔になる方法が見つかるかもしれない、と……。


 ◆


『今朝未明、ニューヨーク在住のエリー・アイルトンさん二十二歳の惨殺死体が発見されました。被害者は体中を刃物で滅多刺しにされており、子宮に当たる部分を切り取られていたということです』


「あらあら」


 ふとテレビから流れ出したニュースに、ジェノバは肩をすくめた。


「世の中物騒になったものね」

「あなたが言えた義理ではないでしょう?」


 かたわらで同じようにテレビを観ていた十八、九歳の少女が薄い笑みを浮かべながらそんなことを言っている。黒髪のチャイニーズだ。


「そうね。あなたの言う通りよ、カーミラ」


 カーミラと呼ばれたチャイニーズはクスクスと口もとだけで笑ってみせる。目は鋭い光を帯びて、笑ってなどいない。


「本当、あなたもよくやるわよね。病院なんて

チンケなものをやってないで医療科学の研究チームに入ったほうがよっぽど役に立てるでしょうに」

「あら。実験中に試験官を割って危険なウイルスを世界中にばらまいてしまったのはだぁれ?」

「わたしのせいにしないでほしいわ。わたしは科学なんて知らないのよ。わたしが知っているのは魔術だけ。それなのにわたしを助手に使うあなたが悪いのよ」


 その台詞にジェノバは満足そうに笑った。まるでわざとそうしたのだ、と言わんばかりに。


「それで?  この間の人には、何をしたの?」

「不老不死にしてあげたの。もちろん事故とかで細胞が破壊されれば死ぬけれど、それ以外に死ぬ方法はないのよ。老化はしないし。寿命はないし」

「残酷なこと、するのね」


 カーミラはそう言って懐から手のひらサイズの小さな水晶球を取り出す。


「占ってあげましょうか?  あなた、まともな死に方、 しないわよ」

「ふふ……そうかしら?」

「ええ。わたしに呪い殺されるんだから」


 くすくすとまた笑い出したカーミラに、 ジェノバは笑顔を向けた。


「あなたに呪い殺されるなんて世も末ね」


 ◆


 巻は連続殺人犯の話題でひっきりなしだった。クリスマスも過ぎて新しい年の幕明けを今か今かと待つばかりになった頃、その連続殺人事件は起こったのだ。

 新年まであと5日。初めに一人の女性が惨殺された。それに続いて、あと4日となる日には二人惨殺された。あと3日となる日には一人。二日となる日には三人も。

 全てに共通するのは皆、ニューヨーク在住の女性ばかりであること。そして、全員の子宮が見るも無残に切り取られ外に引きずり出されていたことだった。

 そのニュースを聞きながら、ジョンはジェノバのことを思い浮かべていた。ジョンの体を不老不死にすることにいとも簡単に成功した美貌の女医のことを。


「もう一度この体を元に戻してもらうことはとは……」


 できないのだろうか、もう。

 元に戻してもらいたい。しかし、二度とあの女医の顔を見たいとは思わなかった。

 検診に行ったときのあの態度。あれがいまだにジョンは許せないでいる。

 冷たかった。そして、人を蔑むような瞳をしていた。不老不死の体にしてもらった日とはまるで別人のようだった。


「俺は……」


 間違っていたのだろうか。不老不死などという神の領域にたち入ってしまうなど、許されないことだったのだろうか。

 それとも、やはりジョンは騙されているのか。不老不死にされたのではなく、ただ生殖機能を奪われただけではないのか。


(そうかもしれない……)


 そうだ、不老不死になんて簡単になれるものではない。今の科学力では無理だということはジョンも知っている。それをあの女医はいとも簡単にやってのけた。ジョンの不老不死になりたいという願いを至極真面目な顔で請け負ってくれた。いろいろな医者から蔑まれたジョンの願いを。

 それらしい説明もしてくれた。テロメアの役割や、その役割がなくなってしまえばどうなるのかということも全て丁寧に。

 その丁寧さに騙されていたのでは。


「もう一度、会わねばならない」


 あの女医に。もう二度と会いたくないと思っていても。

 騙されたままでたまるものか。


「ジェノバ・ハーレキン……待っていろ……」


 ◆


 その日ジェノバは、年末の買い出しに行っていた。留守はカーミラに任せてある。

 12月最後の日。ジェノバの腕の中にはしっかりとワインが抱えられている。今日はこれでカーミラと年越しをする約束だ。


「約束、守れそうにないわねー」


 サクサクと雪の降る中を歩くジェノバはひとりごちた。彼女は先ほどから背中に突き刺さるようにして飛んでくる殺気の気配にもうとっくの昔に気がついていた。


「これが連続殺人鬼ってやつかしら。悪趣味なのね。ふふふ……」


 殺人鬼に後をつけられている人間にしては冷静かつ楽しそうだ。


 サクサク……(サクサク) ……サク……


 たしかにジェノバをつけてきている足音がしている。それがわかっていて、ジェノバはわざと人通りの少ない道を選んで通った。


「ねぇ、殺人鬼さん」


 もうそろそろいいだろうというところまで来てからふりかえる。そして、数十メートル後ろに見える人影を認めて満足そうに笑った。

 まわりには誰一人いない。ジェノバと、殺人鬼以外は。


「あなた、誰を獲物にしようとしているの?  わたしのこと忘れたの? 以外と薄情な人ね」

「ジェノバ……」


 男の声が返った。殺人鬼が近づいてくる。

 それはジェノバの予想通りの人物だった。そう、数週間前に不老不死の体を与えてやったジョン。


「当たり。覚えていてくれたのね」


 ジェノバは、どこまでも、果てしなく余裕だ。


「黙れイカサマ師が。この体を弄んだ愚者め」

「イカサマ? いつわたしがイカサマをしたというの? あなたの体はちゃんと不老不死よ。だからセックスが出来なかったのでしょう? だから、女の子宮を切り取るなんてむごいことするようになったのでしょう」


 ジョンは答えない。その顔はすでに狂人のそれと化している。


「ふふ、もう正気を失ったの? 以外と早かったわね。そんなにセックスがしたかったの? 可哀相に。それを望んだのはあなたなのに。愚かねぇふふふふふふ……」


 愚か者の行く末。それがジェノバにとっての快楽。

 声ならぬ声を上げてジョンが襲いかかってくる。その手に握られているのは鋭い輝きのジャックナイフ。


 キィン————


 しかし、そのナイフはジェノバを傷つけはしなかった。ジェノバの前には黒い影。


「あら、カーミラ。よくここがわかったわね」


 ジェノバの前に立ちはだかりジョンのナイフからジェノバをかばった人物。それは、留守を任せていたはずのカーミラだった。

 どさりとジョンの体が倒れる。横から素早く割って入ったカーミラに攻撃する前にナイフを弾かれ、ついでに峰打ちまでされたらしく醜く昏倒してしまっている。

 カーミラの左手にはどこで拾ってきたのか、鉄パイプが握られている。


「あなたの場所くらいわかるわ」

「そう。魔術師にしては素早かったのね」

「チャイニーズを舐めないで」

「ああ、そうだったわね。時々忘れるわ。とにかくありがとう。乾杯は出来そうよ。帰りましょうか」


 ええと頷いて、ふとカーミラが足もとに倒れているジョンを見る。


「この人は?」

「ほうっておけばいいわ。運がよければ凍死はまぬがれるから。彼は自分で望んだ不老不死の体で一生を終えなきゃいけないのよ。神の領域にたち入るということとはどういうことか考えて狂いながらね。ふふ······」


 ジェノバはそのまま背を向けてその場を立ち去る。

 ジョンを見るカーミラの上に、雪が降る……。


 2000年、1月1日。

 ジョンは心臓発作が原因で死んでいた。


「カーミラ、あなた、殺した?」

「バカ言わないで。あなたじゃないのよ わたしは。慈悲ぐらいあるわ」


 それがどんな種類の慈悲であるであるかは、カーミラしか知らない。


「わたしには慈悲がないとでも?」

「医者にしてはね。患者で実験しては楽しんでるんだから」

「人聞きが悪いのね。みんな望まれたからやったことだわ」


 ジェノバは優雅に、そして楽しそうにクックッと笑うとワインのボトルを握った。


「飲みましょうか?」

「ええ、そうね。 毒、盛られないように気をつけなさいな」

「それはお互い様ではなくって? わたしは医者よ、カーミラ」

「そうだったかしら。忘れていたわ」


 ふふ、とカーミラの唇に笑いが生まれる。


「あなたといるとあきないわね」


 ◆


「死に……たい……」

「死にたいの?」


 ジョンは頷いた。弱々しいが、はっきりと。


「このままでは俺は……俺は、狂人に……」


 もうとっくの昔に狂人となりはてたと思っていたジョン。ジェノバも判断を誤ったらしい。彼にはまだ断片的ではあるが理性が残っている。


「ふ……ふふ。いいわ、それが望みなら。これをお飲みなさい」


 カーミラはふところからガラス瓶に入った液体を取り出す。


「あなたは狂い死ぬのではないわ。心臓発作。さぁ、飲んで」


 ジョンが震える腕でガラス瓶を受け取る。その液体を飲んで数十秒後には、ジョンは事切れていた。

 液体は、カーミラが魔術でつくりだしたモノ。すべて天然の材料からなるそれは、体から検出されたところで毒物とみなされることはない。


「さようなら、ジョン」


 カーミラは昨夜のことを思い出しふうっと笑った。それは黒髪の中で、凄絶に輝いて見えた。


 Fin.

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