地下牢の太陽

 与えられた地下牢フェアリースで、俺は横たわって傷が癒えるのを待っていた。最初に妻子を襲ったほかは、俺に与えられるのは家畜の血だけだから、俺は吸血屍鬼レーベンデトーデとしては弱いんだが──


 治るのが早い……?


 脳が頭蓋に収まった瞬間に、妙だな、と思った。今回は心臓を貫通する刀創に、内臓もぐちゃぐちゃで頭もぶち抜かれて──身体の自由を取り戻すまでには時間がかかるはずなんだが。


 訝しみながら、俺は起き上がった。四肢に絡んだ鎖が鳴る音はいつも通りで安心する。俺は化物で、繋いでもらっている。

 視神経も、再生済だ。といっても、窓のないこの地下牢フェアリースは、吸血屍鬼レーベンデトーデの視力をもってしても常に薄闇に包まれているんだが──


「良かった、目を開けたあ……!」

「……あ?」


 湿って淀んだ薄闇に、太陽が突然輝いた、と思った。あまりの眩さに何度か瞬くと、その輝きは十歳くらいの女の子の姿に落ち付いた。濃い蜂蜜色の髪に、青空の色の目。俺が遠い昔に背を向けた、夏の日差しを体現したみたいな女の子が、笑顔で俺を見下ろしていた。


「おじさん、吸血屍鬼れーべんでとーででしょう? 大怪我をしてたから、血を呑んだら治るかと思って」


 娘が成長していたら、きっとこんな風だった。そう思ってしまって、俺の思考は停止する。だが、その子の左手に巻かれた布に赤い染みが浮かんでいるのを見て、思い切り飛び跳ねる。その子から距離を取って、牢の石壁に貼り付くように。


「……あんたの血を呑ませたのか。なんてことを……その、怪我──」

狩人イェーガーの人たちにひどいことされたのね? 大丈夫……?」


 傷を負った子供が、手を伸ばして近付いてくる。甘く誘うような香りを漂わせて。俺の鎖は十分が、獲物が自ら近づいてきたら襲えて。だから俺は慌ててダンスめいた動きをして、傷が塞がっているのを見せた。


「大丈夫だよ。ほら、すっかり治ってる」

「良かったあ」


 この子は──狩人イェーガー見習いにしても若すぎる。誰の子供か? それにしても地下牢フェアリースにまで入り込むなんて、大人は何をしてるんだ。


「あんた、どこから──いや、さっさと行けよ。その怪我も上手く隠せ。怒られるっていうか、心配するだろ、お父さんもお母さんも」


 もしも俺が、まだ父親だったら。帰って来た娘が血を流してたら冷静ではいられない。こんな可愛い子なら猶更なおさら吸血屍鬼レーベンデトーデの檻に近付いた、なんて聞いたら狂ってしまう。


 化物の癖に余計な心配をした俺に、その子はふわりと微笑んだ。晴天に突然雲が生じたような、どこか暗く影のある笑みだった。


「お父さんもお母さんもいないの。殺されたの」


 彼女は、絶句した俺にひらひらと手を振ると身体を翻した。


「また来るね。……元気でね、おじさん」


 二度と来るな、と叫ぶ暇がないくらいの、素早い身のこなしだった。


      * * *


 宣言通り、女の子はたびたび俺のねぐらを訪れるようになった。ニーナという名前も身の上も、一方的に知らされた。


 会うたびに来るなと言うのを無視されて、もう二年。相応に成長したは、俺の牢獄に今日も太陽の輝きを持ち込んでいる。


「クラウス小父様は怖いの。私は立派な狩人イェーガーにならないといけないんだって。私が……特別トクベツ、だから」


 甘く芳しい血の匂いが、彼女が言う特別トクベツ、の意味を教えていた。貴贄エーデルシャフ──稀に生まれる特異体質。吸血屍鬼レーベンデトーデを強く惹きつけ、かつ力を与える。ニーナの血のほんの数滴で俺の傷が癒えたのも当然だった。


「身を守れる術はあったほうが良い。クラウスは、優秀な教師のはずだ」


 化物になり果てても、俺の人の心は失われていない、はずだ。白い肌に痣や擦り傷切り傷や──時に鞭の跡が残るニーナが悲しげに目を伏せていても。彼女は人間で、化物の牙にかかるべきじゃない。クラウスの厳しさは、彼女を案じる想いの裏返しだろう。あいつはそういう奴だ。


「でも、吸血屍鬼レーベンデトーデも危険なばかりじゃないと思うの。おじさんだって、優しいわ?」

「俺だって人殺しの化物だよ。だから来るなって言ってるのに」


 あんたみたいな娘を殺した、とはさすがに言えない。ニーナの明るさがあまりに眩しくて、また来て欲しいと──嫌われるのが怖いと思ってしまう。


「それなら小父様はすぐに殺してしまうわ」


 ニーナは納得できない、という風に赤い唇を尖らせた。


「遅かれ早かれ、そうなる。俺に使い道があるから当分生かされてるだけだ。そのうちあんたも俺を銃の的にするんだ」

「嫌よ、そんなの……!」


 だが、潮時なのかもしれない。吸血屍鬼レーベンデトーデは人とは相いれない化物。ニーナに、教えてやらないと。俺が気を回すまでもなく、クラウスはその機会を設けるのかもしれないが。


「私の血を吸ったら、おじさんはここから逃げられる? 私が本当に特別トクベツなら──」

「止めろ。狩人イェーガーになる前から規律違反なんて。……さっさと行けよ。あんたがいると腹が減って仕方ない」


 わざとらしく牙を剥いて見せると、ニーナは傷ついたような顔をした。俺も立派な化物だと、分かってくれただろうか。


「……また来るわ……」


 いや、まだダメだ。悲しげに首を振って、それでもニーナはいつもの挨拶を残していった。人間のつもりなら、心を痛めるべきなのに──俺は、少しだけほっとしてしまっていた。

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