第27話 白い魔女が壊れた


 イリスが亡くなったことは蓮太郎にも伝わってきた。

 あやめのことが心配だったが、誰に聞くこともできない。

 あやめはどんなにか悲しんでいるだろう。あんなに仲が良かったのに。

 カンナを失った時の悲しみがよみがえる。

 カンナ、俺はどうしたらいいだろう。

 どうしていいかわからないまま、蓮太郎は淡々と花屋としての日々を過ごし、せめてもの弔いにと事務机にアヤメを飾った。


 ファウストはモニターに向かって繰り返した。

「……白い魔女は出せない」

 モニターの向こうで、作戦部が叫ぶ。

「出せないことがあるか!まだ生きているんだろう、金銀が来ていない今のうちに敵をたたくチャンスなんだぞ!いつものように薬でも何でも使って出せ!」

「薬はもう限界まで使っている、これ以上は無理だ。白い魔女は今回は出せない」

「他の魔女たちに死ねと言うのか!」

「……では白い魔女は死んでもいいのか」

 作戦部が黙る。ファウストはモニターを切ろうとした。作戦部が待て、とファウストを止める。

「……白い魔女が出せないなら、また核兵器を使わなければならないぞ」

「ダメだ、やめろ!」

 ファウストは叫んだ。

「そのためにデアクストスを作ったんだ、白い魔女がいなくても追い返すことくらいはできるはずだ!」

「1機でも潰さなければ、奴らに我々がもう疲弊していることが悟られる」

「奴らにこちらの事情なんて全て見られているに決まっているじゃないか!やめろ、あの聖堂のあった湾も浄化できていないのに!海はみんなつながっているんだ、人間が人間の住める世界を壊してどうするんだ!」

 ファウストが画面を叩き、作戦部はモニターの向こうで椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。

「それなら白い魔女を出せ!」

「出せない……!」

「では世界が壊れるのは白い魔女のせいだ、お前の大事な白い魔女をせいぜい恨むんだな!」

 モニターが切れた。ファウストは椅子を蹴った。

「あの鳥頭め、置いていくって言っていた癖に、魔女を半分連れて行きやがって……!」


 その日白い魔女は出撃しなかった。代わりに出撃したデアクストス7機は5機が完全に破壊され、1機は逃げのびたものの修理できる状態ではなく、残ったのは最初に魔女が死んで緊急離脱した1機だけだった。

 それでも敵機は帰還できなかった。戦場に残ったデアクストスが全滅する前に核兵器が投下され、その日来襲した敵機も全滅した。


 開店時間を過ぎてすぐ、久しぶりにあやめが店に来た。あやめはげっそりとやつれていたが、ふわふわと笑っていた。髪がばさばさだ。ゆったりとした白い服を着ていて、全身が真っ白になっている。そして裸足だった。

「あやめさん!」

 蓮太郎はバケツを投げ出してあやめに駆け寄った。

「あやめさん、大丈夫?」

 あやめは蓮太郎の方に顔を向けたが、視点は定まらず、瞳はどろりとして動かなかった。表情だけが笑顔を作っている。蓮太郎はぞっとした。この白いワンピースは、もしかしたら病院の服なのだろうか。

 あやめは死んだような目でふわふわ笑っている。

「あやめさん……」

 あやめはふらふらとおぼつかない足取りで店の奥に入り、事務机に座った。幸せそうに花を眺め、笑っている。蓮太郎は声をかけられなかった。

 あやめはふわふわ笑いながら、ふと机に飾っていたアヤメに気が付いた。死んだような目のまま、弛緩した表情で、あやめはしばらく花を不思議そうに見ていたが、突然顔色を変えた。

「……いやあああ!」

 あやめが絶叫する。蓮太郎は呆然とあやめを見た。

「いた!あそこだ!」

 外から声がして、スーツの男と医師らしき男が店に入ってきた。

「いや、いや、イリス……!」

 あやめはアヤメを花瓶ごと抱きしめ、花瓶が割れても手を離さなかった。医師が素早く注射を打つ。途端にあやめはくたりと倒れた。

「全く、これじゃ少しも目が離せないな」

「普通の魔女のデアクストスもあと1機しかないのに、白い魔女が壊れたんじゃあもう」

 スーツの男たちが血だらけのあやめを運び出す。

「あの、あやめさんは大丈夫ですか」

 蓮太郎は思わずスーツの男に尋ねた。スーツの男は面倒そうに振り返った。

「ダメだよ。この通りだ」

 あやめは血だらけの手にアヤメを握りしめたまま、連れ去られていった。


 その夜遅く、蓮太郎が眠れずにいると、部屋の扉が微かに叩かれた気がした。蓮太郎は跳ね起きた。

 扉を開けると、ふわふわ笑いながらあやめが立っていた。朝血まみれになったワンピースは、着替えたらしく真っ白になっていた。手は包帯だらけだ。

「蓮太郎さん、カレー食べたい」

 あやめはふわふわ笑いながら言った。

 蓮太郎は声が詰まった。また裸足だ。足にもテープが貼ってある。とにかく部屋に上げて、足を洗う。裸足で歩いて来たらしく、やはり足も傷ついていた。あやめはふわふわ笑っている。蓮太郎はとりあえず絆創膏を貼った。あやめはされるままだ。

「蓮太郎さん、カレー作って」

「カレーは、材料がないから今からは作れないよ」

「うん、でもカレー食べたいの」

 暗い目のまま、あやめが笑っている。唇がかさかさだ。笑う形に引っ張るたびに、あちこち割れて血が滲んでいる。

「あっちに座って、水は飲める?」

 あやめは笑いながら蓮太郎に従って座布団に座り、そしてぱたりと倒れた。蓮太郎は水をテーブルに置いてあやめをのぞき込んだ。眠ったようだった。蓮太郎は起こさないようそっと毛布をかけた。


 白い魔女が遂に壊れた。

 花屋の前からあやめが運ばれる姿を見て、危ういバランスの上に成り立っていた町が不安に陥った。こちらで作ったデアクストスが残り1機になっても、オリジナルで白い魔女が出たら戦況が打開できると誰もがどこかで思っていたものが、打ち砕かれた。

 町は半日で、何も変わらないのにひどく荒んだ。


 ただ悲しんでいるだけなのに。悲しすぎて、何もできないだけなのに。

 悲しくてうずくまる時間すら、あやめには許されていない。あやめはデアクストスを失い、魔女を、操縦者をこれだけ死なせた責任を負わされていた。

 イリス。あなたなら、あやめさんを連れて行くと思ったのに。残されるつらさを思って、残さないつらさをかぶってくれると思ったのに。世界なんてどうでもいいと、イリスなら覚悟してくれると思ったのに。

 もう髪も頬も乾ききっているのに、眠っているあやめの目からは涙がこぼれた。夢ですら泣いているのか。

 たまらない気持ちであやめを見つめていた蓮太郎は、はっと耳をすませた。

 足音だ。数人分が近づいてくる。

 蓮太郎は急いであやめの上にありったけの服をぶちまけた。取り込んだ洗濯物が片付けられていないかのように。


 扉が乱暴に叩かれ、蓮太郎は応対した。

「魔女が来ていないか」

 蓮太郎は黙って首を振ったが、スーツの男は見せてもらうと言うなり部屋にあがりこんだ。

 あやめ、起きないでくれ。見つからないでくれ。

 風呂、トイレ、押し入れまで開けてまわる男を玄関先から目で追いながら、蓮太郎は祈った。

 あやめは見つからなかった。

 男は玄関に戻り、店の鍵を貸してくれと言った。蓮太郎は素直に貸した。

 足音が遠ざかり、蓮太郎はほっとして鍵を閉めた。

 あやめの上から服をよけていると、また玄関の扉が叩かれた。あの男たちが戻ってきたのかと蓮太郎はびくりとした。また服を戻す。


 扉を開けると、そこには佐々木がいた。大きなカバンを持っている。

「こんばんは。夜分失礼」

 久しぶりにこの全く失礼と思ってもいなそうな声を聞いた。蓮太郎は思いもよらない顔にぽかんとした。

「魔女が来ているでしょう。上がらせてもらいますよ」

 佐々木は蓮太郎には全くかまわず、淡々と自分の用件を進めた。蓮太郎は断ろうとしたが、佐々木はもう靴を脱いでいた。

 佐々木は少し部屋の中を見まわした。さっきスーツの男が開けて回ったところは全て開け放されたままだった。

 佐々木は傍らにカバンを置き、すぐに服の山をどかし始めた。

「あやめさんは来ていません、佐々木さん、やめてください」

 蓮太郎が言い終わる前に、眠るあやめが出てきた。

「わかりますよ。いつも彼女を見ていたんだから」

「佐々木さん、どうかあやめさんを連れて行かないでください。起きるまで寝かせてあげてください。あやめさんを休ませてあげてください」

 蓮太郎は小声で懇願した。

 佐々木は意外なほど優しくあやめの髪をなでた。

「あなたは彼女を名前で呼んでいるんですか」

「えっ、はい、イリスと2人で店に来ていたから」

 非難されているような気がして蓮太郎が言い訳のように言うと、佐々木は少し笑った。

「では私もそう呼ばせてもらおうかな」

 そして眠るあやめの頬にそっとキスをした。

「佐々木さん」

 蓮太郎が戸惑って声をかけると、佐々木は薄く笑った。

「次の彼女の操縦者は、私です」


 

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