赤き流星・真田幸村列伝《大坂夏の陣》最終章

龍玄

第01話 希望しない工事は、速い。

 現場の奮戦を嘲笑うように、呆気なく終焉を迎えた大坂・冬の陣。

 豊臣方の中には、「戦況は我らが有利にある。和議など応じられぬ」と、不服を抱く者も少なくなかった。真田幸村もその一人だった。


 雇い主の決定は絶対だった。その中で、時間を稼ぎ、体制を整えようと考える者もいた。

 1614年12月23日。

 豊臣家の人々は、我が目を疑う出来事に遭遇する嵌めになる。

 徳川軍が早々と堀の埋め立てを始めたからだ。確かに条件のひとつだった。豊臣家の重鎮たちは「双方の兵も疲れているし、実際の堀の破壊となると徳川の連中も躊躇して、中々工事が始まらないだろう」と考えていた。


 この城割(城の破却)に関しては古来より行われているが、大抵は堀の一部を埋めたり、土塁の角を崩すといった儀礼的なものだった。徳川方はそれを無視し、徹底的な破壊を行った。


 松平忠明、本多忠政、本多康紀を普請奉行として、家康の名代である本多正純、成瀬正成、安藤直次の下、攻囲軍や地元の住民を動員して突貫工事で外堀を埋めていった。


 数日後、総堀はすべて埋めつくされた。


 その後の行動も手早かった。徳川軍は、三の丸の埋め立てに取り掛かった。和議条件の内、城の破却と堀の埋め立ては二の丸が豊臣家、三の丸と外堀は徳川家の持ち分と決められていた。今まで黙っていた豊臣家も、さすがにこれは看過できず「和議を結ぶとき、二の丸・三の丸は豊臣軍が破壊をするという約束ではなかったか」と抗議をした。豊臣家からの抗議を受けた現場監督である本多忠純は「そちらの工事が遅れているので手伝ってあげているだけ」と、まったく相手にしなかった。


 《従来は、堀を埋めたことと城郭の一部の破壊については、外周の外堀だけを埋める約束だったものを、幕府方は「惣」の文字を「すべて」の意味に曲解し、強硬的に内堀まで埋め立てた。この件に関し、工事に関係した伊達政宗・細川忠利ら諸大名の往復書状などによると、埋め立て工事を巡って、大坂方との間で、何らかの揉め事が発生しているような形跡は残されていない。勿論、不都合なことを隠蔽した可能性もある。しかし、目前で繰り広げられる工事に意義を申し立てた後、実効支配を黙認していたことは、不思議なことだ。これから察するに、惣構の周囲をめぐる外堀のみならず、二の丸と三の丸を埋め立て、これらの地を壊平するというのは、大坂方も納得していた、幕府と大坂方との当初からの合意に基づくものであったのではと思われる。結局、二の丸・三の丸共に、数日の内に全て埋め立てられてしまう。これこそが今回の和議を結ぶ上で家康が、最も重要視したことだった》


 1月より、二の丸も埋め立て始めた。二の丸の埋め立てについては、相当手間取った。

 家康は、大坂を去る際、「堀を三歳の子供でも昇り降り出来るようにしてしまえ」と、言い放っていた。や櫓も徹底的に破壊された。勿論、真田丸はいち早く、その姿を消した。


  1614年2月14日 講和後、駿府に帰る道中で家康は、埋め立ての進展について何度も尋ねた。その道中には、京での天皇への停戦の報告もあったがかなりの時間を要していた。

 心配性の家康は、大坂で事が発生した場合、急ぎ戻る気構えと鉄砲鍛冶の村で有名な近江の国友で大量の大筒を発注していた。

 家康には、停戦の意志など全くなかった。

 豊臣家を徹底的に叩き潰す、その序章に過ぎなかった。

 工事は23日には完了し、諸大名は帰国の途に就いた。雇われ浪人たちは、豊臣家の和議に異論を申し立てていた。幸村は、その筆頭に立っていた。


 「あと少し、少しで、徳川軍の息の根が途絶えると言うのに。和議の真意とは何で御座るか」


 そう問い詰められた豊臣の重鎮は、しばし沈黙のあと


 「我等とて、秤量に限界を迎えようとしておる。ここは、多大な被害を被る前に和解するのが豊臣家の為かと」

 「それは、不可思議なことを。どう見ても、苦難にあるは徳川方。攻めどころは我らにあり。策もありまする。今一度、お考え直しを」

 「ええい、しつこい。殿の決められたこと、反意を唱える者は豊臣方を去られるが良い」

 「何と申される。聞き捨てならぬことを」

 「…」

 「ならば、秀頼様に直に申し上げたい。お計らいを」 

 「ならぬ、ならぬは」

 「ならば、我ら有志だけでも、徳川に挑みますぞ」

 「そうだ、そうだ、我らは、徳川を倒す道しかなき者よ」

 「いや、待たれ、お待ちなされ。ここで謀反のような真似事を致せば、和議にある、お構いなしの条文が無になることも」

 「そのようなこと、預かり知りませぬ。我ら豊臣方に就いた時より、この命、投げ打って御座いまする」

 「皆の者、落ち着きなされ~落ち着きなされよ」

 「ならば、秀頼様との直談判を」

 「そ、それは、叶いませぬこと」

 「何故で御座いますか、秀頼様はそこまで腰抜けになられたか」

 「な、何を言うか、無礼な」


 流石に秀頼を腰抜け呼ばわりしたことでの叱責には、一同も反省し、水をうったように沈黙し、場の雰囲気は一変した。 


 「致し方なし。秀頼様の名誉を守るためにも、お話申す」


 神妙な面持ちの重鎮たちの顔をみて、幸村たちも口籠もった。


 「実は、実はですな…」


 重鎮の一人が重い口を開いた。 


 「秀頼様は戦う意思を示されていた。とは言え、良策があってのことではない。武将の血がそうさせたと我らは思う」

 「ならば、何故、和議を受け入れられた」


 さらに重鎮たちの口は、重く塞がってしまった。


 「お答えを。いや、お答えくだされませぬか」


 幸村たちも、重鎮の何かを気遣う気持ちを感じ取っていた。長い沈黙の果、大野治長が口を開いた。


 「秀頼様は自ら陣頭指揮を取り、出陣の構えさへ見せておられた。その際は、時期早々と我らが判断し、お引き留め申した」

 「そのような秀頼様が何故、不可解な和議に同意された」

 「それはですな…」


 大野治長は、俯いた。その手は固く袴を握り締めていた。


 「如何なされた治長殿」

 「…いや、何事もない。…正直申せば、我らもこの和議を受け入れるなど言語道断、そう思っておった。秀頼様も然り。しかしのう、秀頼様のお心を思えば、受け入れざるを得なかった」

 「心情とは、いかなものでありましょうか」 

 「それは秀頼様の優しさ…とでも、申し上げておきましょう」 

 「それはどういう意が御座るのか」

 「それは…それはご勘弁くだされ」 

 「この期に及んで、それは御座りませぬでしょう」


 意味不明な返答にその場は、渾然と化した。有利に進めていた戦いを、不利とも言える和議を受け入れてまで、終わらせる疑問に、不可解な返答を繰り返す大野治長。雇われ浪人たちは、騒然となった。それを鎮静させたのは幸村だった。 


 「皆の方、お聞きくだされ~」 


 幸村の言葉に喧騒の風向きが変わった。


 「皆の方、もう良いではありませぬか。我らは豊臣家に雇われた者。ならば、雇い主に従いましょうぞ」

 「しかし、幸村殿…」 

 「承知、承知致しておりまする、皆の気持ちは」

 「ならば、何故、引き下がろうとなさるのか」

 「皆はご存知か、治長殿はこの和議の為、御子息を徳川家に人質として差し出されているので御座いますぞ。その治長殿が申される事、何より重みがあると思われませぬか」

 「しかし…」

 「豊臣家には豊臣家の言えぬ内情と言うものも御座いましょう。我らは豊臣家に雇われた身、ここは雇い主に従うのが筋では御座いませぬか。それで宜しいではありませぬか」


 幸村に、渋々、浪人たちは鞘を収めた。幸村は、治長に自らの経緯を重ねていた。ある者には兄弟で敵味方に分かれて、戦う必要があるのか、と心無い問を掛けられることも少なくない。「詳細を知らずして、つまらぬ問をかけるな」と思うことも希ではなかった。心に秘めた憤慨や機微は、他人には理解され難い事だと自らが一番理解していた。我が子を人質に出しても守るべき真実は、他人には理解されないその歯痒さを幸村は、治長から感じ取っていた。

 

 和議を受け入れた末の大坂城は、鎧を纏わぬ城と化していた。ただ、戦が終えたにも関わらず、多くの浪人が在中していた。


 京都所司代に、次から次へと不穏な知らせが寄せられていた。

 それは、豊臣軍の動きそのものだった。

 「埋め立てた堀をほり直している」「冬の陣で集まった浪人が一人も解雇されないばかりか、逆に新しい浪人が集まりて、城内の人数が増えている」「夜になると京都で乱暴狼藉を働いている」「京都を放火するらしい」など、豊臣軍の意気盛んぶりを示す情報ばかりが入ってきていた。これらの噂が家康の耳に入るのは、時間の問題だった。大野治長は、これらの噂が誤解であることを弁明するために、駿府の家康の元へ使者を送った。その会見で家康は、言い放った。


 「このまま秀頼が大坂に居て浪人衆を雇っていたのでは、良からぬ噂がこれからも立つだろう。そこでわしは、豊臣家の伊勢か大和への国替えか、浪人をすべて追放した方がいいのではないかと思う。その方が天下のためであろう」


 浪人が居座っていたのは事実だった。それは、明らかな条約違反だった。その浪人衆が、放火の計画を立てているという噂は後を絶たず、豊臣家は、強気には出られないでいた。

 使者は、直様、家康からの提案を大坂城へ持って帰った。が、豊臣家としては、当然受け入れられるはずもなかった。

 再び使者は、家康の元へと向かった。「思いとどまってくれ」との豊臣家重鎮の意向を伝えるが「今更どうしようもない」と、家康は、聞き入れないでいた。この一言で両家は、再び交戦状態に陥った。

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