第5話:人の命は平等であるがゆえに価値が無い

 僕は思う。いや確信している。人間の命は平等だと。人の命に貴賎は無い。格差などない。人に付随する様々な属性(地位、年収、資産)など雑音ノイズにしかすぎない。社会に役立つ、役立たないも関係ないし、いっそ、社会の害悪でしかない存在であっても、命は平等なのだ。

 とにかく、僕が「人の命は平等だ」と言ってもそう大きな反発を受けることはないだろう。


 そして――。


 人の命は平等であるが故に、等しく無価値である。無価値であるからこそ、平等が担保される。価値が生じてしまえば、そこにはおのずと格差が生じるのは自明の理ではないか。

 繰り返す。人の命には価値などない。ゼロだ。徹底してらぎのないゼロ価値である。


 例外はない。僕を含めて例外など存在しない。そもそも「価値」という概念が虚構なのだから。人が存在しない世界で物に価値が生じるのか? 全ては虚構きょこうであり、幻想であり、うつろな約束事にすぎない。


 僕はスマホを取り出した。魔法のアプリを起動し「至近」モードにする。外界がスマホに映し出される。人だ。笑ってしまいそうなほどに無価値な命を持つ人がいる。


 僕はあくまで自然にスマホを見ているという態を崩さない。陸橋の手すりに肘をおき、スマホをのぞき込んでいる。スマホは絶妙な角度で下向きとなり、下を歩く人たちを映し出す。


 僕は目を止めた。母と子だろうか。若い母親、足元にじゃれつく三歳くらいの幼児。女の子だ。親にとっては可愛い盛りであろう。僕はスマホを母子に向け、追尾する。別に子どもが嫌いというわけではないし、他人の幸福を羨むほど捻くれているわけではない。

 ただ、その母子の命も等しく無価値であるという真理は揺るがない。


 母子はどんな会話をしているのだろうか? 

 母子はどんな物語を紡いできたのだろうか? 


 人には今まで生きてきた物語がある。そしてそれが唐突に終わることもある。理不尽に無慈悲むじひにやるせなく、どうしようもなく。

 死が終わりであり、死が悲劇であるならば、人の物語は悲劇だ。いや、不条理な喜劇であるのかもしれない。その辺りの僕の感想には肯定も否定も同意も反駁もいらない。どちらにせよ、価値はないのだから。


 今のままであるなら母子は僕の人生において何の接点はないし、影響もない。ただ、僕には接点と影響を作ることができる。例えそれが一方的なものであったとしても。


 スマホを母子に向けズームする。女の子の無垢でイノセントな表情がスマホの画面に映し出される。信号待ちをしている。スマホを通してみる女の子の姿は、愛らしいというよりベビースキーマを全身にまとった生々しい生物としての生存戦略を感じる。まあ、どうであっても生きとし生ける物は無価値であるという公理は揺るがないが。


 女の子の頭部を爆発させるとどうだろうか?


 信号の前で幼い子をつなぎ留める母親の手は暖かいのだろうか。

 タイミングはどうすべきか。やはり母親が娘を見つめた瞬間が最良ではないだろうか。母が幼子を見つめた瞬間、幼子の頭を爆発させる。

 母親は何が起きたのか分からないという表情をするだろうか? それとも母親のシナプスは日本全土をおおっている爆発現象が我が子に起きたのだと一瞬で結びつけるだろうか。その時に起きる感情とはどのようなものだろう。絶望だろうか。人というのは瞬時に絶望するのだろうか? そもそも感情の言語化には限界がある。そのとき母親が感じる感情、クオリアは他者との共有は不可能であり、母親だけが独占できるのだ。母性愛の極みではないか。羨ましくもなんともないけども。


 しかし、子どもの頭を最初に爆発させることに拘泥することはないのかもしれない。


 僕は自分の考えに柔軟性を持たせる。これは、思考するときには、必要なことだ。発想に拘りを持ちすぎるのはよろしくない。


 まずは右腕だ。僕はスマホに映った幼児の右手をタップする。指先から歓喜のエキスが溢れてきそうだ。まずは、右手を爆破させる。幼児が感じる痛みはどの程度のものだろうか。爆発により神経の束が引きちぎられ、脳に向かって激痛の本流が走るのだろうか。衝撃波のような激痛だ。


 母親は娘の腕が吹っ飛んだのを見て、狼狽するかもしれない。たまらず我が子を抱きかかえるのかもしれない。それは一切無駄なことなのだけども。止血などできはしない。幼い身体から大量の血が失われ、肌はわら半紙のような色になるのではないか。それでも母親は泣きじゃくりながら娘を抱きかかえるだろう。血まみれになりながらもだ。


 僕は慈悲の鉄槌を与えるわけでもなく、その光景をしばらく楽しむだろう。ただ、異常さを感じさせる素振りは排除しなければいけない。喜びは隠してこそ至高なものとなるのではないかと、僕の思考はその方向に指向するのだ。


 次に左腕を爆破する。この世のものと思えない悲鳴を上げる母親。想像するだけで、ワクワクしてくるじゃないか。素敵すぎる。そして、右足、左足と爆発させる。

 多分、途中で流れる血もなくなってしまうだろう。肉と骨だけが爆散する。

 血の抜けた、達磨となった幼子がそこに残るわけだ。手足を失いむくろとなった娘を抱きかかえる図は滑稽な気もしてきた。唇から笑い声が漏れそうになるのを堪える。


 最後に、母子一緒に四散させてあげるのも一興かもしれない。

 死が統計ではなくリアルな悲劇、もしくは喜劇として眼前に展開されると思うと、実現したい衝動が一気に強くなってしまう。だが、深い思索を伴わず、衝動だけに突き動かさせることに微かな躊躇ためらいがあるのは事実だ。しばらく夢想の中に漂っていても、罰は当たるまい。


 赤信号はまだ変わらない。娘は飽きたように、母の手にぶら下がろうとする。


 僕は母親の方を画面の中心に持って行った。幼い子の目前で母親の頭を爆破するのは悲劇なのか、それとも過剰なまでに行き過ぎた喜劇なのだろうか。母も子も命は平等であり、どちらを爆発させてもいいのだ。両方とも爆破させてもいいし、あえて爆破しないという選択肢もあり得た。


 母親の顔をズームする。年齢は三〇歳半ばくらいだろうか。女というより「母親」という感じがするのは僕だけではないだろう。女という生物というより社会的に母親であることを選んだ者に見えた。


 母親の頭を爆破する。社会的意味も何もかも無視して。傍若無人に自由奔放に魔法のアプリで爆破する。これもまた、楽しい結果になるだろう。僕は夢見心地で想像する。


 母親は頭を吹き飛ばされ、頭を無くし破断した頸動脈けいどうみゃくから血をダラダラと流すだろう。一瞬の間をおき、身体が崩れ落ちる。倒れる。手に持っている荷物は路上に散乱するだろう。玉ねぎなどは転がるはずだ。夕食の材料だろうか。もう食べる必要がないのでどうでもいいはずだ。

 白い服は赤黒く染まりアスファルトには赤十字が垂涎すいぜんするほどの血液が流れ出すだろう。

 女の子は一瞬、何が起きたのか分からず呆然とするのではないか。頭から母親の血を浴びたまま固まる。噴き出した母の血の温度をどう感じるのだろうか? それはとっても、とっても暖かく、母のぬくもりの残滓であろうか。もう二度と感じることのできない母の温度を十分に感じて欲しいと僕は願う。

 娘が泣き出すのは事態を認識してからだ。それなりのタイムラグがあるだろう。そして、母親の頭が爆発したことを認識した瞬間、甲高く空間を切り裂くように泣き叫ぶのではないか。炎の中に放り込まれたように泣くのかもしれない。いや、その瞬間に幼い自我が破壊されるのかもしれない。どうなるんだろうか?

 結果がどうなるか興味深いところだ。想像するだけでワクワクしてくるじゃないか。楽しい。


 信号が青に変わった。幼子は結ばれた母の手に体重を預けながら横断歩道を渡っていく。スマホの画面に映る親子が小さくなっていく。人波の中に消えて行くのを僕は見つめる。もうスマホからは目を放していた。


 僕は大きく息を吐いて吸った。鼻腔びくうが削られるような冷たい空気が肺の中に流れ込んでくる。

 いつでもできる。僕はいつでも人を爆発させることができる。能力的にもできるし、引き金を引く意思もある。むしろトリガーハッピーなくらい、魔法で人を爆破したいのだ。だた、いつでもどこでも出来るからこそ、今はやらない。安易な絶頂は快感が薄いものだから。


 僕は別の物を爆破することにした。悲劇よりも統計を選ぼう。今はそれでも十分楽しい。


        ◇◇◇◇◇◇


 骨董品のようなテレビから声が流れている。男性アナウンサーの無機質な声だった。


『首都圏屈指の賑わいを見せるXX駅近くの大型ショッピングセンターで十二日午後に大規模な爆発が発生しました。全国で頻発する爆発現象のひとつとみられ、少なくとも一〇二人は死亡。二八七人が負傷したとみられます。

 この爆発に対しては複数の人物が犯行声明を出しており、その真偽については当局でテロの可能性も含め捜査中とのことです。

 政府発表によりますと、本日時点で、全国規模で起きている一連の爆発現象による累計死傷者数は二万人を突破しました。戒厳令かいげんれいを視野に入れた議論も活発化する中、爆発の影響により、米バネット大統領の来日も延期されるなど外交にも影響がでています。一方で一連の爆発を救いとする書き込みもネットに多く見られ、謎の爆発現象による国内の混乱は継続し――』


 紅羅くら鏡子は長い腕を持ち上げ無造作にチャンネルを変えた。

 TVからは俗っぽい男の声が聞こえて来る。そして、複数人の声が交差する。


『ですから、何故ネットを中心にこんなね。酷い被害が出てるのに、爆発を望むとか、爆発は救いだとか、言い出す人が少なからずいるんですかね。本当におかしいですよ』


『若い世代を中心に、閉塞した社会を壊すことに爽快感を覚えているのかもしれませんね』


『いや、それはあまりに、自分勝手というか、当事者意識が欠如しているというかね…… 自分や自分の家族だって爆発に巻き込まれて死ぬかもしれないんですよ』


『えー、ここでちょっとネットの声を紹介します』


『こんな腐った社会はどんどん爆発させて、壊してほしい』

『私の会社を早く爆破してほしいと思ってます。本当に爆破してほしい』

『誰かがこの爆発を起こしているとすれば神じゃないですか? だからこれはある種の救いですよ』

『リア充爆発しろって思っていたのだけど、本当に爆発するとか草』

『どうせ爆発するなら、悪い政治家とか爆発すればいいのにって思うけど』


 テレビが暗転した。

 鏡子がスイッチを切ったのだ。

 小さな事務所のような空間だった。鏡子を含め一〇人ほどの人が机を並べて座っている。


「人知を超えた物、超常的な物を人は怖れる。それは畏怖になり、たやすく崇拝に変わるものだ。厄介だ。非常に厄介だ」


 不機嫌さを隠すこともない言葉は、誰に言うとも無く零れ落ちた。


「そんな人たちが爆破現象の正解の一番近いところにいるわけですからね。どうなんでしょうね、紅羅くら副委員長」


 男が言った。良く言えば物に動じない飄々とした不敵さを感じさせた。悪く言ってしまえば、軽薄で胡散臭いという雰囲気だった。


西木にしき、だからこそ早々に、迅速に、可及的速やかに『奴ら』を狩らなければならない。この世から一切合切の痕跡を残さず殺し尽くさなければならない。そして、『奴ら』に対する崇拝者など生じさせてはいけない。断じてだ」


 あからさまな憎悪が声音にこびりついていた。

 西木と呼ばれた男は黙って鏡子を見つめていた。

 そして、鏡子は言葉を続ける。

 

「奴ら、『魔法使い』を狩るのは我々の職務だ。もうずっとずっと昔から殺し殺されてきたが、何百年ぶりか? ここまで大きな魔法を使う者は。これ以上、崇拝者を集めてみろとんでもないことになるぞ」


「いや、事態はもうとんでもないんですけどね。僕の中では」


「そうだな。今でもとんでもない。非常に度を越している。条理が吹き飛び、地獄の釜が吹きこぼれている。だが、人々が魔法使いを崇拝し、崇める者の数が増えれば、魔法使いの力はもっと大きくなるぞ。地獄以上の地獄が地上に展開される――」


 血の色をした唇からは淀みない言葉があふれ出た。

 崇拝者を集めれば「魔法使い」の力は増す。

 今よりも、もっと強力で汎用性の高い邪悪極まりない魔法を使い始める可能性があった。

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