第1話 20歳などこんなもの


 今日、飲む酒は絶対に美味いぞ……!!


 季節は秋。時間は夕方。大学の講義終わり。買い物を済ませた帰り道。


 俺こと、陣内じんない 梅治うめじは酒瓶を入れたリュックを背負い上機嫌で帰宅していた。


 今日はバイトの給料日だ。世の人達はこういった日に何を買うのだろうか? ゲーム? 服? 豪華な食事? もしくは貯金だろうか。……俺の場合は言うまでもなくお酒だ。


 今日は2本ほど上等な物を仕入れてきた。今夜の晩酌が楽しみで仕方ない。


 そんな事を考えていると、直ぐに下宿している賃貸に着いた。見た目は少しだけボロっちい。だが、この物件はとても素晴らしい物だ。


 まず家賃が安い。この賃貸の管理者は俺の叔母だ。なので身内割引で下宿させてもらっている。それに加えて部屋が広く、防音も効いて、。大学生として理想的な住まいだと俺は思う。


 そんな賃貸の玄関の前に立ち、ポケットから鍵を取り出したところで、ふと気が付いた。部屋の小さな窓から明かりが漏れていた。


 今朝はきちんと部屋の電気は消して出たはずだ。


「まさか……」


 鍵をポケットに戻し、ドアノブをひねる。


 ドアを開けて目に入ったのは台所で料理を作っている女。彼女は色素の薄い長髪を後ろにまとめ、桜のワンポイントが入った紺色こんいろ甚平じんべいを着ている。


「お、陣内。帰ったであるか」

「いやお前、なぜいる……?」


 彼女の名前は安瀬あぜ さくら。同じ大学に通う同級生だ。


「……? スマホを見ていないのでござるか?」


 時代錯誤すぎる口調が飛び出した。これは決して彼女がふざけているのではない。安瀬はド変人だ。日本の古い文化に強くロマンを感じているらしく、俺の家や自宅では和服を羽織り、イカれた話し方をする。


「今日はお主の家で飲む約束であろう?」

「え?」


 急いでスマホを取り出して、画面を見る。そこには数十分前に連絡が送られていた。


『今日は鍋の気分でありんす』


 短文には可愛らしいスタンプも添えられていた。


「こ、これが約束だと……?」

「はっはっは、面目ない」


 安瀬はたいして悪びれもせずに謝り、ビール缶に口を付けて一気に呷った。


 いや、おい……。


「あぁ゛゛ーー!! 今日もおビール様が美味しいのう!」


 万悦の表情でロング500ml缶を飲み干しやがった。もったいない飲み方しやがって……。


「というか安瀬が来てるという事は……」


 ずかずかと台所を横切り、リビングに通じる引き戸を開けた。


「ん、おー、お疲れ陣内。お邪魔してるよーー」

「すぅーーーはぁーー。……染みる」


 コタツに入った婦女二名が、酒精と紫煙をその身にまとっていた。


 詩的な表現をしてみたが、要するにタバコ吸って酒を飲んでるだけだ。煙草が山盛りの灰皿とビール缶がコタツ台を占領し、品のなさを露呈している。


 彼女らの不法侵入についてはこの際、放っておこう。それよりも言いたいことがある。


「お前ら、換気もせずに人の部屋で煙草とはどういうことだ!」

「いやーそれはさー」


 語彙をやたら伸ばしているこの女は猫屋ねこや 李花りか。セミロングの金髪にパーマをかけた、ゆるふわな女。すでに少し酔っているのか顔までゆるふわとしている。


「陣内君、僕らが前に退去時のクリーニング代として3万ほど置いていったの忘れたのかい?」


 ぶっきらぼうで男勝りな口調で返事を返したのは、西代にししろ もも。ショートの黒髪で白いシャツにジーパンといったボーイッシュな格好をする女だ。煙草がよく似合っている。


 そういえば、換気がめんどくさくて『もうお金払うから好きに吸わせろ』という話になったのだ。叔母さんにも許可は取ってある。


「……そもそもどうやって入った? 鍵は閉めていたはず……」


 俺の疑問を聞いた二人は顔を見合わせて不思議がった。


「この前、陣内がスペアキーをくれたじゃーん。覚えてない?」

「まぁ、あの時の陣内君は相当酔ってたからね」

「……あれ?」


 確かに、気分良く酔った拍子にそんな物をくれてやった気がする。


 大学から近いせいか俺の部屋は絶好のたまり場になっている。俺がバイトの日は帰宅が遅くなり、部屋に入れないのが面倒だというので彼女達にスペアキーをねだられたのだ。


 酔った俺は何も考えず渡してしまったのだろう。……こいつらは週4という頻度でこの家に集まってくるというのに……。


 大学から徒歩5分の神立地な俺の御座所が、まるで格安ホテル扱いだ。そのため知らぬうちに歯ブラシや女物のシャンプーが置いてあったりする。着々と親族や男友達など呼べない部屋になっていた。


「……仕方ないか」


 どうやら話を聞く限り、自身が撒いた種らしい。こいつらも溜まり場にしている代わりに、酒を提供してくれたり、ご飯を作ってくれる。少し配慮に欠けるがそこまで悪い奴らでもない。


 俺は色々をあきらめてコタツに入った。外を歩いた体に、熱が染み渡る。


 煙草を吸おうと胸ポケットに手を伸ばす。しかし、何もなかった。ちょうど切れていたことを思い出した。


「お前ら、何吸ってんの?」

「ラキストー。……というか陣内、タバコないの? 私たちから貰う気じゃないでしょうねー?」

「別に今日の分くらいはいいだろ?」

「貰い煙草は卑しさの象徴だよ。ちなみに僕はダンヒル」

「またマイナーなやつを……。お前ら、もうちょっとかわいいの吸えよ。ピアニッシモとか」


 というかダンヒルって日本撤退してけっこう希少だったような……。


 そんな事を話していると、台所の方から足音が聞こえてきた。


「我、参上である!」


 引き戸を足でスパンッ! と開き、土鍋を持った安瀬がやってきた。お行儀が悪い。


「今日は寄せ鍋でござるよ! あ、我はメビウスのメンソールである」

「あっそ。西代、ダンヒルをくれ」


 俺は普段は甘いタバコしか吸わない。ウィストンやらアークロイヤルとかそのあたりだ。甘い煙がニコチンとともに口内にあふれる感じが気に入っている。


「はい」


 西代から煙草をありがたく頂戴して咥える。


 えぇと、ライターどこにやったっけ?


「ほーい、やぬしー」


 猫屋が銀色に輝くジッポを開いた。アメリカ製で諭吉さん3枚の高級品。銀色のケースに刻まれた大鷲がカッコいい。猫屋はこういう小道具に非常にこだわる。


「せんきゅ」


 種火を貰い、一服を付ける。


 あ゛゛ーうまい。ちょっと癖のあるパンのような甘さが堪らない。後味に煙草本来の香りもキチンと来る。割と好みの味かもしれない。


「それで陣内よ」

「なんだ、安瀬」

「おぬし、今日は給料日であったな。リュックから瓶の音が聞こえてきたぞ? 何を買ってきたでありんす?」


 ……目ざとい奴め。


 もぞもぞと、俺はリュックから酒瓶を取り出した。


 タコ墨のように真っ黒な液体。事実、そのラベルには大きなタコの化け物が描かれていた。


「おお、クラーケンであるか! 相変わらず甘いのが好きであるな、陣内は!」


 クラーケンというのはダークラムの一種。特徴はとにかく甘い。その圧倒的糖度の証として、開封してしばらく置いておくと瓶口に結晶化した砂糖が出来上がってしまう。そのせいで瓶の蓋がかみ合わなくなり、すぐに壊れる。


「酒屋で見かけてな。前に飲んで美味しかったからすぐに買った」

「前は四人で一瞬で消えたからね」


 なお、度数は47%とかなり高い。その甘い口当たりに騙されて無様に潰れたのを思い出した。


「おいしいけどさー、それ、寄せ鍋にあう?」


 間違いなく合わないだろう。


「ビールでいいんじゃないか?」

「もうないよー」

「鍋にはポン酒日本酒であろう。辞書にも載っておる」


 いや載ってねぇよ。気持ちはよくわかるが。


「日本酒も買ってきたぞ」


 バックからもう一本引き抜く。暗い緑色の瓶に花がプリントされた一升瓶だ。


梅錦うめにしき? 聞き覚えがあるけど、どこの酒? ラベルの花は梅かい?」

「うむ、たしか愛媛の酒であるな。甘い口当たりと芳醇な日本酒らしい香りが特徴的な一品。いいチョイスである!!」


 安瀬がスラスラと解説する。彼女は日本酒マニアだ。暇な時があればスマホで日本酒について調べている。


「愛媛ってどこー?」

「四国である」

「クソ馬鹿学生め、小学校からやり直してこい」

「おいしそうだね。僕はかんで飲もうか」

「おいおい……」


 急に安瀬が怪訝な顔で西代を見た。西代に物言いをつけたいようだ。


「いい酒なんじゃから、初めはひやで飲め。燗はうまいが日本酒本来の香りが飛ぶ」

「冷え性なんだ。僕は先に燗酒で後から冷がいい」

「その時まで残ってればいいけどねー。燗にした分を飲んでたら無くなるよー」

「都合、酒飲みが4人だからな」

「むう……」


 俺たちの意見もあり西代は押し黙る。


「まぁ、今日は冷でいいか。お腹もすいたし早く飲もう」


 そうだそうだ、と皆で鍋をつつきだした。


************************************************************


 寄せ鍋と日本酒はきれいさっぱりなくなり、チーズやナッツ、様々な乾きものを広げて晩酌を続けていた。


 カランコロンと氷の入ったグラス。くゆる煙草。


 俺達は灰皿を前に赤い顔をして談笑する。すでにビールと日本酒を開けているのでチェイサーにレモン水を用意し、各々の割り方で甘いラムを楽しんでいた。


「てゆーかー、四国ってどこよー? 外国?」


 唐突にケラケラと猫屋が笑う。煙草と酒のダブルパンチでいつもよりテンションが高い。


「それは香川出身の僕に喧嘩を売ってるのかな?」

「かーがーわー?」


 猫屋が考え込むしぐさを取って、何か思い出したかのように手を叩いた。


「うどんが主食でゲーム禁止の国だっけ? たいへんよねー、ド田舎は!」

「おらっびょるな猫屋。ド偏見でクソ失礼なやつめ。……未開地の民に言われたくない、この蛮族」


 西代は普段は標準語だが酔うとたまに変な方言がでる。本人曰く、讃岐さぬき弁らしい。分からないからどうでもいいが。


「ちがいますーー、群馬の一部は都会ですーー!」


 俺たちの出身地は各々異なり、全員が親元を離れて生活している。


「はっはっは! 田舎者たちの争いは醜いの、陣内よ!」

「いや、その通りだ安瀬! 争いは同じレベルの者でしか発生しないからな!」

「まさにどっちがましか、ぜよ!」


 安瀬と一緒になってゲラゲラと笑う。


 まぁ正直、田舎具合は俺らも大して変わらない。俺は埼玉出身で安瀬は広島。でも地元弄りは楽しいので適当に馬鹿にしておこう。


 その罵倒に田舎コンビがピクンと反応する。


「「お前らはどこ出身でも口調と頭が壊滅的」」

「「ほぅ…………」」


 口調がおかしいのは安瀬として、俺が馬鹿とは聞き捨てならん。まぁ確かに大学を二浪ほどしたが馬鹿とはなんだ。


「口調が壊滅的なのは陣内として、我が馬鹿とはどういう了見でござる!」

「口調の方は絶対お前の方だろ!! ついでに馬鹿なのもな!」


 俺は当然の指摘を安瀬にしてやった。コイツ、自覚無いのか……!?


「吾輩の口調は大日本帝国よろしくのウィットに富んだ、コケティッシュで蠱惑的なものだ! あと馬鹿は貴様きさんのことぜよ!」

「何言ってんのか分かんねーよ! 日本語で話せ!!」


 そこからは酔っ払いの乱痴気騒ぎ。あーだこーだと他人を罵りあう、不毛な争い。ボロいアパートの一室はまさに火薬庫状態。いつアルコールを使った潰し合いが起きてもおかしくはない。


 そこで安瀬が高らかに宣戦布告をあげる。


「こうなったら、最高にインテリジェンスが高いゲームで白黒つけるでござる!」


 部屋に一瞬の静寂が訪れる。その刹那───


「麻雀か!」


 と、俺が。


「麻雀だね」


 と、西代が。


「麻ー雀ーーー!」


 猫屋もやる気満々の用だ。


「よし皆の衆! 雀卓を用意せよ!!」


 息の合った作業で部屋の隅に立てかけてあった雀卓をセットする。あとは麻雀牌を押し入れから取り出して準備は完了だ。


「で、ルールはどうするよ」

「いつもどおりでいーいんじゃない?」

「イカサマありの半荘か」


 我が家ではイカサマを禁止にするどころか、むしろ推奨している。理由としては二つ。一つはやっていて楽しい。二つ目は酔いの深度によっては牌効率などの考えが及ばなくなるので、力技で挽回するチャンスを与えるためだ。


「イカサマがばれた時のペナルティは?」

「それはもちろんこれであろう!」


 安瀬がドン! と勢いよく酒瓶を卓上に置く。


 透明な瓶に、水のように透き通った液体。白いラベルに書かれたポーランド語が酒というより薬品のような無機質さを演出している。人を寄せ付けない危ない雰囲気が俺らを圧倒した。


「アルコール度数96%、スピリタス」

「いつ見ても頭おかしい度数よねー」

「僕はこれが飲み物だとは思えない」

「これをショットで一杯であるな。震えるぜよ」


 全員がごくりと息をのむ。何度見ても恐ろしい。


「そして最下位は──」


 安瀬は勝手に作られた自身の荷物スペースから何かを取り出した。


「このを着て明日の講義に出席してもらおう!!」


 うさ耳カチューシャに網タイツ。えげつない食い込みのハイレグを連想させる黒いスーツ。


 何故、そんなものを私物として平然と取り出せるんだろう。


 安瀬を除いた俺達は同時に顔を見合わせる。猫屋はすでに飲みすぎで顔が赤い、西代はヤニクラ(ニコチンの摂取による陶酔状態)で目が虚ろだ。安瀬は状態を見るまでもなく文句なしのド阿呆。


 中々キツイ罰ゲームだが俺がこの馬鹿どもに負けるわけがないな。


「「「乗った!」」」


 今夜は暑い夜になるだろう。


 ************************************************************


 ジャラジャラとジャンパイを四人でかき回し始める。自動卓など高級なものはもちろん持っていないため、手摘みだ。そもそもイカサマには積み込みも含まれる。そのため全員が必死で麻雀牌を見張っていた。


 牌を積み、さいころを振って親を決め、ゲームスタートだ。


「じゃあ俺からだな」


 不要牌を切って河に捨てる。


「ふふふ、全部ゴッ倒す」

「死ねば助かるのにー」

「あんた、背中が煤けてるぜ」


「なんだお前ら」


 三者三様に好きな麻雀漫画からセリフを引用して格好つけている。中学生か。


 まぁ、とりあえず頑張ろう。イカサマありの麻雀だが、ばれた場合のペナルティが重いのでしばらくは様子見に徹する。


 ゲームは着々と進んでいき、17巡目が過ぎようとしていた時。安瀬が動いた。


「その牌じゃ。悪いな猫屋よ!」


 パタパタと安瀬が手配を倒していく。リーチをせずにダマであがったようだ。


「ロン! 混一色、対々和、白、中、ドラ1、18000点じゃ──ッ!!」

「えー! ありえないー!!」

「い、いきなりすごい手だな」


 安瀬の親でいきなりの跳満。彼女に疑惑のまなざしが集まる。正直、始まったばかりでこのあがりは怪しすぎる。


 俺は河と自身の手配に目を落とし、に気づいた。


「おい。俺の手牌に5枚目の"白"があるんだが」


 ビクッ! と安瀬が反応した。


「そ、そそそそそ、れはきっと何かの間違いではないのでござるある。我は我関せずであるよ」


 露骨に目をそらし、震えだす安瀬。間違いを起こしたのはお前だ。


「西代、身体検査を」

「まかせてくれ」


 西代が服の上から安瀬の体をまさぐりだした。


「いや、ちょっと、くすぐったいのである!」


 安瀬はスレンダーだが、出ている所はかなり出ている。なのでこの光景は目の保養であり体に毒だ。お酒を飲んでいるので股間はピクリとも反応しないが。


 そして身体検査の結果、安瀬の懐から三元牌が出てきて不正が明らかになった。同じタイプの麻雀牌をリサイクルショップで見つけ格安で購入していたらしい。


 ゲーム開始早々にお酒様に裁かれるべき罪人が見つかったようだ。


「さぁどうぞ。一気にグイっと」


 ショットグラスになみなみと注がれたスピリタス。一見するとただの水にしか見えないが、匂いがすでに殺人的だ。消毒用アルコールの匂いより濃い。


「1局目から仕掛ける気位きぐらいは買うけどな」

「ばれちゃーだめだよねー」

「ぐ、ぐぐぐ……」


 安瀬は震える手でグラスを握り、一気に中身を呷った。


「っ゛う゛゛!? グエェーーーッ! 喉がぁあ゛あ゛……っ!?」


 安瀬がバタバタと畳の上を転げまわる。


 その様を3人でゲラゲラ嘲笑いながら、適切な方の酒を飲む。実にいいつまみだ。


「ぐぇ゛、……いつ飲んでも人間の飲み物とは思えないである。やばいでござる」

「よし、じゃあこの局は流して次戦だ」


 再びジャラジャラと牌をかき混ぜて積みなおす。


 この麻雀のペナルティはとても恐ろしい。一度でも罰を受けると、酔いが一気に回りはじめ……


「あれ……? えっと、コレって何待ちでござるかじゃろ」


 こうなる。


「一人、だーつーらーくー」

「さすがアルコール度数96%。飲んだ時点で敗北確定だな」

「僕は死んでも飲みたくない」


 そしてゲームは進んでいき、その途中。


「チー」

「うっ」


 この局が始まって西代がすでに三回目の鳴きをいれた。安瀬の頭が機能しなくなり、適当な牌を切り始めたせいだろう。


「愚直に一通か? それとも混一色?」

「ふふふ、緑一色かもよ」

「はいはい」


 西代が不敵に笑いながら積まれた牌に手を伸ばす。これであがられると彼女がトップになりそうだ。


「そのツモ、待ったー」


 猫屋がニコニコ笑いながら西代の手を取った。


「は、ははは。何かな猫屋。僕はシャイな方でね。手を放してほしいんだけど」


 西代の不敵な笑みが、卑屈そうなニヤケ面に変貌していく。


「西代ちゃーん? みーせーてー?」


 結果的に言えば西代の手の中には2つの牌が握りこまれていた。


「三枚ツモか。あがりを焦ったな、西代」

「くっ」

「さぁ、注いであげたよー」


 アルコール96%の劇薬が西代をどこか遠いところに誘っていた。


「ふふ、西代ちゃんがお酒好きなのは知ってたけどー、ここまで飲みたがりなのは意外だったなー」

「君ら、覚えときなよ」

「西代が覚えられてたらな」


************************************************************


「おお、地震だよ。机が揺れてる」

「さっきから頻繁に揺れてるであるな。地震大国日本とはいえ珍しいぜよ」

「いや、お前らが揺れてるだけだから」


 残った敵は猫屋だけだ。こいつを飛ばすか、酔い潰せば俺の勝利だ。


「陣内、まさか私に勝てるとでもー?」

「はっ。すぐにその可愛らしい顔を便器に埋めてやるぜ」

「それ、なんか凄いこと言ってるー……」


 酔いつぶれた二人を無視して戦いは続く。


 そして12巡目の俺のツモ。


(来た……! これは高いぞっ!)


 引き入れた牌は萬子の七。不要な九萬を捨てれば、ダマでも倍満は確定だ。だが、もちろん高みを目指してリーチをかける。ここで確実に得点に差をつけて、決して覆すことのない格の差というものをみせつけてやろう。


「グハハハハ! お前らのバニースーツが楽しみだぜ! リーチッ!!」


 そこで安瀬が勢いよく牌を倒した。


「ロン! 国士無双!」


 安瀬の言葉で部屋の時間が完璧に停止した。


「はぁああ!!??」

「うっわ、まじだー! 国士無双、しかも十三面待ち。私初めて見たー」

「僕もだ」


 直撃のダブル役満。そんなものを払える点数は持っていない。つまり……


「飛びでござるな!! じゃ!」


 意気揚々と安瀬が新たに二つのグラスを取り出す。


 陣内家でのイカサマ麻雀には、飛びによるゲームの途中終了は許されていない。点棒が0になった者は”特別”に点棒を5000点回復させるという禁忌に手を染める。そして、その咎を洗い流すため狂気の贖罪を実行することになるのだ。


 スピリタスショット三杯イッキの刑である。


「いや、あり得ないだろ! 絶対イカサマだ!!」

「おや、証拠でもあるのかい?」


 顔を真っ赤にした酩酊状態の西代が皮肉気な笑みを浮かべている。


 コイツ、まさか……


「手配を失礼」


 一応、断りを入れてから西代の手牌をすべて倒した。手配はバラバラのノーテン(役が成立していない事)。しかし、不自然に一九字牌が揃っていなかった。


「お前らコンビ打ちかよ!」


 西代と安瀬は隣同士。雀卓の下で不正な牌の受け渡しが行われていても不思議ではない。おまけに酔っぱらってたから完全に意識してなかった。


「フフフ、証拠もなしにそんな事を言ってもいけないな」

「西代ちゃんはー、酔っぱらって牌効率も計算できなかっただけの可能性もあるしー」

「「「アハハハハハハっ!!」」」


 憎たらしいまでに笑いやがって。女三人寄れば姦しいとはまさにこの事。しかし、この事態は本当にまずい。


「ほれ、とっとと飲むでござるよ、陣内。まだまだゲームは続くんでありんす」


 現在、この麻雀のトップに君臨する第六万点魔王様は無慈悲に杯を差し出した。


************************************************************


「うぉっ、え、え、え、っぐぃ、おぇ゛゛──ッ!!」

「ぐぉ、げぐげぇっ!? 、、、ぐおぉぉ゛゛゛──ッ!!」

「お゛、っ!? ぐ、ぐ、ぐあぁああああ゛゛゛゛゛──ッ!!」


(※彼は特別な訓練をうけています。決してマネしないでください)


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 喉を焦がす地獄の業火に焼かれる俺。その様を楽しそうにゲラゲラと嘲る悪鬼羅刹の女たち。これ絶対に人間の飲み物じゃない。


「はー、皆くそざこじゃーーん。ぷはーーー」


 猫屋は煙草を咥えながら、満面の笑みで勝ち誇る。


「はぁ?」

「誰がだ!」

「まだ勝負はついてないわい!」


 一人だけ深酒していない猫屋が調子にのっている。こっちは正直、頭がグワングワンで景色も揺らいできた。しかし、この戦い負けるわけにはいかない。


 陣内宅での罰ゲームは必ず実行される。以前、大学の食堂で本気の一人漫才をやらされたことがある。夢に出てくるレベルでトラウマになった。


「あ゛ーー、煙草おいしーー……。ちょっとトイレ。いやー、酒飲むとトイレが近くなっちゃうー」


 猫屋が煙草の火を消して、炬燵から立ち上がった。


「あ、勝手に次の局始めないでねー。絶対不正するからさー」


 彼女は俺たちにしっかりと釘を刺しトイレに駆けていった。


 猫屋がトイレに入ったのを確認して、3人の泥酔者たちは静かに口を開く。


「ぶっ潰すぞ、である」

「賛成だね」

「けど、あからさまな通しは見破られるぞ。次、アレを飲んだら確実に死ぬ自信がある」


 積み込みも今の状態でできる気はしない。


「我にとっておきの秘策あり」

「聞かせてもらおうか」

「あのお調子者に痛い目を見せられるのなら、僕は協力を惜しまないよ」


 悪い顔をした安瀬が意味ありげに嘲笑を浮かべる。


 この泥酔状態で、どんな秘策があるのだろうか?


「なぁに、牌が変えられないなら別のものを弄ればいいでやんすよ」


************************************************************


 猫屋がトイレから帰ってきてすぐにゲームは再開した。


「いやー、今日は手が淀みなく伸びていくねー。これなら安瀬ちゃんを追い抜くのはすぐかなー?」

「さっきから河の捨て牌が変わってる気がするんじゃが」

「気のせいじゃないかにゃー?」


 有頂天の猫屋はイカサマの現場を押さえられはしないと、高をくくってやりたい放題のようだ。彼女の手配は確実に跳満以上の手をそろえているだろう。


 次の猫屋のツモ番、どうやら有効牌を引き入れたらしく……


「来た来たー!! リーチッ!」


 リーチを宣言し彼女はバンッ! と勢いよく牌を河に捨てる。


 行儀の悪い奴だが、彼女の末路を考えれば咎める気にはならない。むしろ、噴き出さないように堪えるの大変だ。


「さぁリー棒、リー棒……んっ?」


 雀卓に付いている点棒ケースを漁る彼女の手が止まる。


「あ、あのー」

「ぷっ、なんだい?」


 西代が笑いをこらえきれずに返事をする。


「私の点棒が全部カルパスになってるんだけどーーー!?」

「「「げひゃひゃひゃひゃひゃひゃっ!」」」


 俺たちはどうしようもない間抜けを笑い飛ばした。


「あ、あんた達ねー!! 点棒盗むなんてもうイカサマじゃなくない!?」

「ち、ちがうよ、カルパス神様が哀れな猫屋にお恵みくださっ……、ぶふッ!!」

「ハハハっ!! 笑いすぎだろ西代!!」

「グフフっ、点棒の代わりにカルパス突っ込んだのは西代でござるからな」


 ひとしきり笑ったあと、安瀬が改まった口調で猫屋に死亡診断書を突き付ける。


「リーチできないからチョンボでござるな。ほれ、罰符を払え」

「いやー……払うもなにも点棒がないんだけど」

「なら飛び扱いで特別ペナルティだね。……陣内君!!」

「はい、ここに」


 西代の呼びかけに合わせて、酒の注がれた3つのグラスを雀卓に並べる。


「はぁーーー!? あんた達がトイレ行ってた隙に点棒盗んだんでしょー!?」

「証拠がないね」

「その通りぜよ」

「盗まれるのが嫌ならトイレに点棒を持っていくべきだったな」


 騙される方が悪いの原則。それは猫屋も同意してこのゲームを始めたはず。それに、リーチさえしなければ罰符を取られずに済んだ。いつも思うが素晴らしいルールだ。


「納得がいかないんですけどーー!!!」


 悲痛な叫びと俺たちの笑い声が同時に鳴り響いた。


 ************************************************************


 その後、完全に脳をアルコール漬けにされた猫屋を交えて決闘は続いた。


 各々が生き残るために先ほどよりもヒートアップしたイカサマ合戦が繰り広げられる。もちろん雑なイカサマはすぐにばれ、ペナルティまみれの流局まみれ。


 ゲームが進まないまま、永遠に酒を飲み続けた結果───


「うおおげげげげげーーーーー!!!!」


 俺は便器に顔を埋めていた。


 トイレの外には俺と同じように顔を青くした、死屍累々の女たち。


「早く出てくれ。もう……僕も吐く。ここでぶちまける……」

「それやると、マジで出禁になるでござるよ。……う゛っ!」

「し、しぬー……マジでゲロでる三秒前ぇ……」


 便器をゲロまみれにした後、俺たちは気絶するように眠りについた。翌日、当然のように全員が二日酔いにより大学をサボった。罰ゲームに関しては終局時に誰が最下位だったか覚えている者がいなかったため無効となった。


************************************************************


 こんな感じで俺らの大学生活はすでに半年以上過ぎている。


 20歳になるとは一体何なんなのだろうか。世間ではもう立派な大人として扱われるが、それに伴って精神的に成長する者は絶対にいないと断言する。人間が年を重ねるだけで突然変わる訳がない。


 ただ、子供のまま酒と煙草が楽しめるようになるだけだ。過去の自分が思っていたよりも、20歳というのは大人ではない。


 社会に出るまでのボーナス期間。この大学生活を人生最後の夏休みとして楽しく過ごそう。嗜好品と友達とゲロに囲まれながら……。

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