幻の十字キーを打て!(4)

 校内のウワサの伝播は早い。好奇心旺盛な思春期のコミュニティはインターネットの普及によってますます磨きがかかり、いまや目立った行動はたちまちクラスメイトに周知されることとなってしまう。

 昨夜の別斗と星野アスカとの一件。翌日には学年中に広まり、教室を飛び越えて職員室にまで届いてしまい。2人はそれぞれ教員たちから事情聴取を受けることになってしまったのだ。

 生徒指導室にて学年主任、担任両名に昨夜の行動を根掘り葉掘り。別斗はやましい思いなど微塵も感じていないため堂々と胸を張って面談に挑んでいたが、さすがに星野アスカはそうもいかないらしく。昼休憩に廊下で対面した際に、


「教頭先生にこってり絞られたわ」


 と愚痴る。


「まあ私もちょっとハメを外しすぎたかなって、反省してる」


 でも後悔はしていない。ウインクする星野アスカに、ホッとする別斗だった。

 星野アスカはともかく、厄介なのはクラスの連中だ。朝っぱらからやいのやいの、やれどうしたこうしたとこの一件を俎上に乗せるクラスメイトの好奇と嫉妬のヤジは止むことを知らない。

 そんな同年代をちょっと上の角度からやれやれと思いやる別斗は、あきらかにイキッていた。

 まあ、つまりまんざらでもないのだ。この年代には特有の主人公願望がまだまだ備わっているので、良くも悪くも話題の中心になるのは自己顕示欲が満たされて気持ちがよい。

 本当の山場は帰宅後に待っていた。ただいまも告げずに玄関を開けた別斗は、思わぬ光景にギョッと上がり口の前で立ち止まる。本来であればその時間いるはずのない、玲子の姿があったのだ。その姿はまるで仁王像、ピンクのエプロン身にまとい腰に手を当てる姿には可愛げがあったが、端正な顔を気色に染め上げた猛々しい表情にはさすがの別斗も自然と背筋がしゃんとしてしまった。


「おかえり別斗くん。話があるの」


 そんな様子とは相反し、落ちついた語気がなおさら緊張を催させる。そのまま無言でリビングへ。

 ソファに座り、相対した玲子は有無を云わさず直球を繰り出した。


「さっき先生から連絡があったんだけど、昨日は女の先生と一緒だったんだって?」


 くそ。別斗は失念していた真実に心で舌打ちする。学校でなにかあった場合、保護者代わりである久宝家へ連絡が行くよう手筈してあるのだ。それも義理の姉ということになっている、玲子のもとへ。


「ああ、新任の先生と意気投合しちゃって、飯食いに行ったんすよ」

「いい、別斗くん。別斗くんも年頃の男の子だから女の人に興味があるのはわかるわ。どこへなにしに行ったのかも訊かない。でも相手が学校の先生っていうのはちょっと問題があるんじゃないの? しかも夜の9時近くまで」


 さて、なにをどう説明しようか。別斗は頭をフル回転させ、玲子を納得させられるだけの言葉を模索する。おそらく担任の教師だと思われるが、玲子にどう説明をしたのか恨み節かましたくなる。もっとも、たとえ〈女教師と放課後に遊びに行った〉という真にありのままの事実を聞いたとしても、あらぬ疑いを企ててしまうのは致し方ないのかもしれないが。

 とはいえ、本当になんにもない。多少の非はあれど、ひた隠しにしなければならないやましい事情など、なにもないのである。


「確かに、ちょっと不謹慎だったかもしれないっす。それは反省してます。でも、おれは別に咎められるようなことはしてないっすから」

「もちろん、それはそうよ。私も別斗くんがなにかイケないことをしたとは微塵も思ってない。問題は、そういう疑いを向けられるような事態を招いたってことなの」


 わかる? と優しく諭してくれた玲子のまなざしは憤りが消え、濡れて光っていた。

 怒ってくれたほうが精神的に楽だったかも知れない。玲子のこういった憂いを帯びた瞳は、もっとも見たくないものだった。

 別斗はこめかみを指先でカリカリし、幾ばくか沈黙をつくったあと、


「なら、おれの反省を行動で示します」


 まっすぐその瞳を覗き返し、ポケットからガラケーをスッと抜き出す。そして電源ボタンを長押ししたあと、それを玲子の眼前へ差し出した。


「おれのケータイ、しばらく預かっててください」


 その言葉を、態度を、玲子は推し量るように見つめる。別斗の表情は腹蔵ないナチュラルなスマイルだった。

 呆れたようにため息を吐く玲子。


「わかったわ。そこまでさせるつもりはなかったけど、別斗くんの覚悟を尊重して従っておくわね」


 両手で包み込むように受け取ると、玲子はそれをテーブルにあった自分のスマホの上に重ねた。


「しばらく持っててください。おれもしばらくは放課後、どこにも寄らずにまっすぐ帰ってきます。誰とも連絡を取れないし、秘密のメールもない。これなら安心でしょ?」


 玲子は肯かなかったが否定するつもりもないらしく、なにも云わずにダイニングのイスに座った。別斗も決意表明に応じてくれたのだと捉え、向かいのイスに腰をおろした。

 今宵のごちそうは昨日のビーフシチューの残りをからめたパスタという、いつもの手の込んだ玲子特性手料理にしてはちょっと寂しい具合いだったが、さすがに味は絶品だ。食事を淡々と済ますには好都合だった。さしたる会話はなかったが、玲子の表情を察するに機嫌は回復したように見えた。

 しかし一応の安心は得られたものの、この〈ケータイを預ける〉という行為がのちに悲劇を招こうとは、まったく思ってもいなかったのである。

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