幻の十字キーを打て!(11)

「さあ、オナー(1P)を決めよう。このコイン、金額が印字された面が出れば別斗くんが1P。平等院鳳凰堂が出れば行平が1Pだ。異存はないね?」


 ミスターQがコインを中空へ弾いた。きれいに縦回転したそれは、重力にならい革手袋をした手の甲へポスッと落ちる。

 もったいぶって添えられた右手をのけると、コインは金額面が上になっていた。


「おれがオナーだ」


 1Pを取得した別斗、さっそくスタートボタンを押した。

 キャラ選択画面。別斗はランダム選択のボタンを押し、セレクトされるのを待つ。

 カーソルが止まったのは、このゲームの主人公とも云うべき『シュウ』という名の武術家だった。これはラッキーだ。シュウは格ゲー初心者でも扱いやすく、接近戦と遠距離攻撃をまんべんなくこなす万能型タイプ。くわえて、比較的どのキャラでも同じ強さで戦える別斗をもってしても重宝していたため、ユーリ戦のように勘を取り戻すまで時間がかかることもないはずだ。


「私はルオシーよ」


 対して、行平は女性キャラを引き当てた。中国人拳法家で、シュウ同様にこのゲームの看板キャラでもある。こちらもおなじく近距離・遠距離ともに多彩な技を持ったキャラなので、両者に性能差は生まれないだろう。あとは純粋に互いの腕のみだ。別斗この結果を受け、改めて気を引きしめる。


「準備は整ったな。では第一ラウンドと行こうか」


 いつものようにミスターQの合図で、ゲームは開始された。

 先制はルオシー。行平はまず長いリーチの蹴りから繰り出される衝撃波を放つと、中国拳法特有の身のこなしで距離を詰める。衝撃波と近接打の二段攻撃。これはルオシーを持ちキャラにするプレイヤーなら常套手段だ。

 もちろん別斗、この開始直後の仕掛けに動じず。常套手段など先刻承知とばかり、ボタン両押しと方向キーで前転回避。うしろに回り込み、無防備な背中へ渾身の体当たりをぶちかました。ガードする時間をも与えない高速カウンター。そうして画面端までルオシーを吹っ飛ばすと、跳ね返りを狙って必殺技である強烈な拳をお見舞いする。さらに、この拳によって上空へ飛ばされたルオシーの、落下するタイミングを見計らっての気弾。

 3連続コンビネーションを炸裂されたルオシーは失神状態で棒立ちになった。勝機を逃さない別斗はすかさず間合いを詰め、止まることなく打撃ラッシュ。行平に抵抗らしい抵抗もさせず、圧倒的格ゲーテクニックでリードを広げる別斗。気がつけば第一ラウンド開始してまだ10秒ほどしか経っていないにも関わらず、ルオシーの体力ゲージはレッドゾーンまで目減りしていた。あと一撃、あと一撃を見舞うだけで、別斗のKO勝利は確実である。

 とはいえ裏のプロゲーマー、行平なにか敗戦転じる秘策あるか。と思いきや、最後に一矢とも呼べない粗末な弱パンチを一打返したのみで、ルオシー呆気なく沈む。準パーフェクト。第一ラウンドは別斗の圧勝だった。


「どうしたんすかセンセェ。玉常プレイランドで見たときは、その程度のゲームテクニックじゃなかったっすよね?」


 画面上ではシュウがキメポーズで勝ち名乗りをあげている。別斗は一端コントローラーから手を放し、ポキポキと指間接の組み体操で時間をとった。行平もそれに追随し、メンソール系のタバコに火を灯す。まるでヨガの瞑想のように深く肺へ吸い込み、ふーっと中空を薄白く煙らせる。

 そして、


「ちょっとひと休みしましょう。どう、別斗くんも吸ってみる?」


 はじめ、リラックスや自分を取り戻すための一喫だと思った。だがこの落ち着きよう、言葉とは裏腹に時間稼ぎでも動揺隠しでもなさそうだ。

 なにか気になる。別斗はそう思い巡らせ、第二ラウンド開始のゴングが鳴るとストップボタンでゲームを中断させた。


「おれ高校生なんすけど。建前上とはいえ、教師が未成年に喫煙をすすめていいんすか?」

「あら、あのときはお酒を飲んでたじゃない」


 いたずらに口角をもたげる行平を横目で見つつ、別斗の意識はあの日を遡った。玉常プレイランドを堪能したその後の、心ときめくようなひととき。ジャレ子やあすくと一緒にいるときとはまた異なる、なにか得も云われぬやすらぎを感じさせる食事の際、確かに別斗はワイングラスに口をつけた。運転しなきゃいけないから私の代わりに飲んで。と子どもを翻弄するような目で、それでいて純粋に楽しんでいる笑顔で、行平はグラスを差し出した。多少の高揚感も手伝ってか、別斗はその要求に軽やかに応じてみせた。いつもなら玲子を気遣って、そういった行為に手を染める彼ではなかったが、そのときばかりはハメをはずしたのだった。たった一杯だけだが。


「いや、いいっす。タバコは吸ったことないんで」

「そう、ならこれは?」


 行平の手に、リーデルのフルートグラスが掲げられていた。


「いや、だから未成年に酒は……」

「安心して。これはシャンメリーよ」

「シャンメリーかよ。はあ、なら一杯だけ」


 上品なグラスのふち、唇への抵抗感を最小限に抑えるため、ガラスを極限まで薄くした繊細な感触に感心しつつ、フルーティな芳香を味わう。

 スパークリングな刺激で喉を潤し、一時の清涼で素に戻る別斗、ふと単純な疑問を口にしてみた。


「ところで、行平サンはなんで学校の教師に化けたんすか?」

「あなたに近づくためよ」

「なんのために? おれとゲーム対決したいなら、なにも接触する必要ないじゃないっすか。ゲーセンで偶然を装い、学校にまで潜入して」


 別斗は当時を思い返し、キュッと下唇を噛んだ。そうだ。あのときからすべては行平の策略だったのだ。無論、悔しい。まるでニセのラブレターに釣られて、のこのこ校舎裏に出向いてしまった気分。生意気盛りとはいえ、幼気な16歳の少年にはあまりに酷な演出である。


「知りたかったからよ。普段のあなたを」

「どういうことっす?」

「あなたが対決するに相応しい人物かどうか、それを確かめたかったの」


 行平の目を、別斗は強い視線で見つめ返す。そうしてグラスを口へ運び、2口目のシャンメリーを飲み下した。


「ずいぶん上から目線っすね」

「勘違いしないで。なにも私は、あなたを見くびってるわけじゃあないの。私が確かめたいのは、あなたが本当にあの荒巻月斗の息子なのかという点よ」


 弾かれたように行平を見やる別斗。よもや父親の名をここで、ゲーム対戦中に聞くことになるとは想像できなかった。


「行平サン、あんた親父を知ってるのか!?」


 焦る別斗。行平はすぐには応えず、わざとのんびりした動作で2本目をつけ、ゆっくりゆっくり天井へ向けて紫煙を吹き出した。別斗たまらずミスターQへ追求の眼差しを向ける。ミスターQは肩をすくめるアメリカンな仕草でいなそうとしたが、別斗の激しく訴える無言の視線にやれやれと押し切られ、


「私は知らないよ。これは行平と君のお父さんとのいきさつだ。組織が介入した話ではない」

「それは本当だろうなミスターQさんよお。ウソならただじゃあすまねえぞ」

「本当よ、荒巻くん。組織は関係ないわ。これは私がまだ組織に属する前の話なの」


 いきり立つ別斗をなだめるように、話を引き継ぐ行平。


「私が児童養護施設で育ったって話は前にしたわね。そのころからゲームで負けたことがない腕前だったわ。施設では年齢に応じてお小遣いがきめられててね、思春期の生意気な時期を過ごしていた私は、もっとお小遣いがほしいと考えていた。そのとき私は思ったのよ、得意なゲームでお金を得られないかって」

「ずいぶんやんちゃな話っすね。でも、それと親父とどういう関係があるんすか?」

「対決したことがあるのよ、あなたのお父さん荒巻月斗と」

「なん……だと?」

「私のウワサをどこからか聞きつけたらしくて、ぜひ自分と対決してほしいと彼から申し出をされたの」

「おれの親父と……」


 そのときの様子を想像してみる。幼少期、ゲームのイロハを実際のプレイのなかから学ばせてくれた父親の面影。当時の行平はおそらく中学生くらいかと思うが、そんな女の子を相手に戦う父親の姿は、バトルというよりも指導という意味合いの方が強かったのではないだろうか。


「まあ、そうね。結果を言明すれば、私の完敗だったわ。私がゲーム対決で負けたのは唯一それだけ。だからこそ、私にただひとつの黒星をつけた男の息子だからこそ、あなたが本当に対決するに値する人物かどうか、見極めたかったのよ」


「ひとつ云っていいっすか?」


 徐々に紅潮する行平を見て、返って冷静さを取り戻した別斗。ゆっくりと自分の発言を反芻するように、人差し指を立てた。


「おれと親父は違うっすよ。あんたがおれになにを期待してるのかは知らないっすけど、おれは全力であんたを叩き潰すだけっす」

「無論、望むところよ」


 俄然、瞳に火を灯した行平とのフェイス・トゥ・フェイス。別斗はグラスの残りを飲み干すと、力強くコントローラーをとった。


「さあ、2人ともおしゃべりはそこまでだ。ゲームの続きといこうじゃないか」


 ミスターQ促し、いざ対決は再会された。


「行平サン、残念っすけど、第一ラウンドみたいな体たらくじゃあおれには勝てないっすよ」

「そうね。私も本気を出さなきゃ、さっきみたいにあっさり負けてしまうわね」

「そうそう。本気じゃなけりゃあ、おれには勝てないっすからねえ」


 軽いジョークのような別斗の煽り。当然、おなじような軽口が返ってくるものと思っていた。が、隣の行平は沈黙し、静かに目を閉じていた。口もとをわずかに緩ませて。

 別斗は空気の変化に気づいた。夕立がくる前の、気化熱によって気温が低下したときの対流に似た、行平の覇気。

 横目で窺うと、口をすぼめて細く長く息を吐き出している。おそらく彼女なりの集中法なのだろう。

 これは、と別斗悟る。裏のプロゲーマー固有技・裏技を繰り出そうとしているのだと。


「さあ、勝負を再開しましょう」


 さきほどまでの穏やかな物腰はどこへ、打ってかわってドスの利いた声を響かせる行平。その並々ならぬ凜とした気迫に、別斗は神経を鋭敏にさせる。余裕は微塵もなかったが、いっそう油断せぬよう緊張感を持った。

 そうしてモニターに目を移し、ストップしたままだったゲーム画面を見つめると、


「ん? おい、ミスターQさんよお、画面がバグってるぜ?」


 モニターは第二ラウンド開始のゴングが鳴った直後の場面で停止していたはずだが、別斗の指摘どおり乱れが起きている。上下があべこべに表示され、まるでモニター本体を逆さまに設置したかのように映っていたのだ。

 しかし――、


「なにがだね、別斗くん。どこも乱れてはいないが」


 くっくっく、と意地の悪い笑いをあげるミスターQ。


「馬鹿を云うなよ、このモニターを見ろって。上下が逆になってるじゃねえか」

「いいや、特段おかしなところはないがね。君がストップさせたときのまんま、なんの変化も起きていないよ」


 なにを馬鹿な。別斗はもう一度モニターを見やり、あきらかに逆さまに映ったゲーム画面を確認する。間違いない、シュウもルオシーもモニターの上辺に頭を下にして、コウモリのようにぶら下がっているではないか。だがミスターQはそんなバグは起きていないという。これは異なこと。よもやこの対決の場に、プレイヤーを混乱させる仕掛けを講じるなどと姑息な真似をするとは思えない。ミスターQはウソはついていない。ならば、自分の目がおかしくなってしまったのか……。

 ハッと開眼し、別斗は肩を大きくまわして行平を振り返った。


「気づいたようね、別斗くん。ゲーム画面が逆さまに見えているのはモニターに仕掛けが施してあるのではなく、ってことに」

「行平サン、まさかこれがあんたの……」

「そう、これが私の裏技よ」

「これが裏技だと?」


 別斗驚くその背後で、喜び勇んだミスターQが若手芸人ばりに一歩前へ踏みだした。


「説明せねばなるまい。別斗くん、実はこの行平、生来〈空間定位障害〉を患っている女性でね」

「空間定位障害だと?」

「さよう。その報告例は世界でも希少なものでね、たとえば欧州はセルビアに生まれ住むある女性は、新聞や雑誌を逆さまにして読んだり、仕事場のパソコンやテレビも上下を逆にして使用しているそうな。視覚的には正しく物体を捉えているものの、脳が上下を逆にして情報処理してしまっているという。なぜそんな脳障害が起きているのかは不明らしいがね。そしてこの女性同様に行平もまた、モニターが上下逆さまに見える症状を持っているのだ」

「じゃあなにか、行平サンは玉常プレイランドのビデオゲームもさっきの第一ラウンドも、上下逆に見えてたってのか?」


 ミスターQへ飛ばした言葉を、本人が拾う。


「そうよ。私は幼いときからなぜかモニターだけが上下逆に見えていたの。最初は驚いたわ。でも私はゲームが大好きだったから、必死で克服した。幼少期、養護施設でひとりぼっちだった私の心の支えはゲームだけだったから、夢中でプレイした。そうして、ひとと違って逆さまに見えるゲーム画面でも、誰にも負けない強さを身につけた。するとね、不思議なことが起こった」


 そういって行平は再びタバコをくわえた。細くしなやかな指でブランドもののライターを着火するその所作は、さながらハリウッド女優のワンカットのようだと別斗は思った。


「私が唇で触れたひとは、私とおんなじ症状を発症するようになったの」


 そうしてほんのちょっとの仕草で注目を引きつけると、告白されたのは驚愕の事実。


「なん……だと?」

「いまのあなたがそうであるようにね、荒巻くん。あなたがさっき飲んだグラスは、私が一度口をつけたものよ。間接的にでも、私は症状を他人へ感染させることができるの。これが私の裏技『精霊の均衡エルフ・レーダー』の秘密よ」

「『精霊の均衡エルフ・レーダー』……」


 いやはや、そら恐ろしい。まさか行平、ゲーム画面が逆さまに見えていたとは思い及ぶはずもなく。それだけでなく、その症状の影響を相手にも与えることができるなど、まさに裏技と云えよう。


「なにをしているの。早く対決の続きといきましょう」


 俄然、闘争本能を剥き出しにする行平。対する別斗、思わぬ展開に焦りを禁じ得ず。いったい、誰がこの画面が逆さまの状態でゲーム対決するなどと予想できたであろうか。

 だがしかし、シグナルはとっくに青を示しているのだ。いまさらどうすることもできない。


「そう慌てることもあるまい、別斗くん。第1ラウンドは君が獲っているのだ。君が有利であることに変わりはないではないか」


 ミスターQは煽る意味で云ってるのだろうが、その言葉には一理ある。

 そうだ、一本目は自分が制している。勝利へ王手をかけているのは自分なのだ。もし次の第2ラウンドを落としても、最終ラウンドでケリをつければいいだけだ。別斗は算段を弾いた。……が、

 ――馬鹿な、そんな余裕があると思うか? 

 余裕はない。この上下が逆さまに見える状況を打破しないかぎり、別斗に勝ちはないのだ。


「どうしたの、荒巻くん。早くポーズを解除して」


 考えていてもしかたがない。この第2ラウンドで操作のコツを掴まねば。

 覚悟をきめ、別斗はスタートボタンを押した。

 刹那。

 ルオシーの強烈な蹴りが飛んできた。開始コンマ数秒の攻撃。なすすべなく画面端まで吹っ飛ぶシュウ。さらに第1ラウンドで別斗がやったように、壁の跳ね返りを利用しての追撃。衝撃波を撃つと同時にダッシュで間合いを詰め、足下にかがんで真上に蹴り上げる。そして空に舞ったシュウを、ルオシー必殺の連続回し蹴りが襲った。

 開始直後の嵐のような8hit、シュウの体力ゲージはすでに半分近くなくなっている。態勢を立て直そうにも、序盤で差をつけられるゲーム展開は厳しい。おまけに今、別斗のコントローラーは操縦不能に陥っている。


「どうかしら、上下が逆さまになっている感覚は。頭では理解していても、思うように指がついていかないでしょう?」


 そうこうするうち、第2ラウンドの決着がつこうとしている。完全にこのラウンドを支配している行平が、まさにトドメの一撃を虎視眈々と狙っているところだった。別斗としては、もはや勝利は捨てている。いかに早くこの類稀な状況での操作に慣れるか、いわばトレーニングに意識を切り替えている。

 とはいえ現実は行平の云うとおり、慣れるどころかまったく指が馴染めず、


「悪いけど、このラウンドは私が獲らせてもらうわ」


 攻撃を数発繰り出したのみでKO負け。ガードにいたってはただの一度も成功せずにフルボッコされてしまった。これで一勝一敗。勝負の行方は最終ラウンドへ持ち越された。


「おもしろくなってきたわ。やはり勝負はこうでなくっちゃ」


 勢いづく行平。タバコをくわえ、心底それが旨いという具合いに煙を吐き出し。今度はラックからよく磨かれたロックグラスを取り出すと、ゴードン&マクファイルのコニサーズ・チョイスを注いでひと息にあおった。

 まずい。今のままではひじょうにまずい。別斗、絶体絶命のピンチにとめどなく焦慮に駆られる。

 余裕が出てきたのか、それともすでに勝利を確信したのか。行平は酔いもあってか上機嫌だ。腰を振る軽いダンスまで披露している。

 主な打開策も思いつかないまま、時間だけが過ぎてゆく。この束の間にできたインターバルに脳をフル回転させ、どうにか対策を講じなければならない。それができなければ、それはそのまま別斗の負けを意味していた。

 小さなため息をふっと吐き出す。行平は指の間に挟んだタバコを、灰皿のふちにノックして灰を落としている。長さはまだ半分ほど。この一本を吸い終われば、対戦を再開しなければならない。横目でミスターQを窺うと、彼はストレッチがてらゴルフのスイング練習をしていた。

 こうしてジリジリと経過する時間ばかりを気にしていると、制服のズボンがふるえた思いがした。別斗はポケットに手を入れ、玲子から返してもらったガラケーを取り出して開いた。

 液晶の真ん中に『新着メール1件』のお知らせ。ソソミからだ。


 ――がんばってね。


 文字だけの簡素な内容、別斗思わず頬が緩む。無意味な装飾を嫌うソソミらしいメールもそうだが、ガラケーの液晶も律儀に上下逆さまになっているのだから、苦笑も甚だしくなる。

 返信しようとして、思いとどまった。どうすればスムーズにキーが打てるか。別斗はガラケーを正しく持ったり、上下逆にしたりして試した。通常の使い方で見れば液晶の文字は逆さまになり、かといって文字を正位置に見ようとすればキーボタンが逆になる。そうして何度か手のなかでクルクルと回転させて眺めていた。

 ……ひらめきは、何気ない行為によってまばゆい輝きを放った。ちょうどこの瞬間、眠っていた記憶が覚醒したのだ。

 やるしかない。成功率はハーフハーフだが、賭に出なければ勝つ可能性は限りなくゼロである。


「覚悟はできたかしら?」


 タバコを灰皿に押しつけ、行平が云う。


「もちろん。あんたと決別する覚悟ならとっくにね」


 目配せ。からんだ視線は瞬時にほどけ、2人の双眸は煌々としたモニターの光を受けてきらめいた。

 わずかな静寂のあと、


「よし。では、ファイナルラウンドだ」


 ミスターQの芝居がかった宣言で、勝負のラウンドが幕を開けた。

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