冷たき手に涙を流せ!(8)

「よっしゃ。もうそろそろギア上げていくか!」


 快活に指パッチンした別斗の弾む声が、ゲロ洞窟内にこだました。


「別斗、急にどうしたんだ? ダサい指パッチンなんかして……」


 きょとんとするあすくに、別斗はダサいと云われたことなど気にする素振りもなく、


「どうもしねえよ。このままだと逆転できねえからな。そろそろギアを上げていくかと思ってよ」

「ギアを上げて逆転するって、おまえ……指がかじかんで動かないんじゃ――」


 と云ったところで言葉を飲み込んだあすく、ハッと勘づいて声を震わす。


「別斗、いま指パッチンしたか?」

「おう、指パッチンしたぜ。それがどうかしたか」

「この寒さの中で指パッチンしたのか? ってことは、指のかじかみが回復したのか?」

「あすく、おれの指がかじかんでるっていつから錯覚していた?」

「なん……だと?」


 今度はミスターQが驚愕におののいた。


「別斗くん、いささかブラフが過ぎるんじゃあないかね。君はこのユーリの裏技『白の旋空コールドプレイ』を間近で受け、指が寒くてジリ貧なはずだ。ここから逆転など不可能なはず」

「強がりなんかじゃあねえぜミスターQさんよお。最初に云わなかったっけ? このゲームをやるのはひさびさだって」

「なに? つまり今までの君は、単純にこの『スト2』という格闘ゲームに順応できていなかっただけだと云うのか?」


 ミスターQの問いかけに、プレイで応える別斗。不敵な笑みをこぼすと、猛攻をしかけていたアビゲイルを吸い寄せるように捕まえ、得意のプロレス技を連発した。


「なにをしているユーリ、引き離せ!」

「もう遅えよ」


 ミスターQの檄も、接近戦で勝負を決めにかかろうとしていたアビゲイルには一歩届かず。エグいほどライフを削るアレニコフの技で返り討ちを食らい、なすがままだ。


「ほらよ、フィニッシュだ」


 とどめは弱パンチ。あっという間の逆転勝利だった。

 誰も声を発せなかった。別斗の華麗な逆転劇に、仲間である一行もうまく言葉が出ないといった様子で、あんぐりと口を開けたまま無言でモニターを見つめていた。


「別斗、おまえってやつは……」


 ようやく言葉を絞り出したあすくに、別斗は実にあっけらかんとした様子で、


「なんだよ、そんな難しい顔して。おれが苦戦してると思ってたか?」

「心配したんだぞ。この寒さで指がイカレちまったのかと思って」

「だから、いつからおれの指がかじかんでると錯覚してたんだよ」

「じゃあこの寒さの影響はまったくないってのか?」

「ああ。この程度の寒さなんか、すでに克服済みだよ。親父の特訓でな」

「やっぱ別斗のおとうさんって変態じゃん」

「変態って云うなよ、ひとの親を」


 垂れた鼻水もなんのその、変顔のジャレ子がオチをつけ、ようやく活気が戻ってきた一行。

 対する裏のプロゲーマー陣営は窮地へ追い込まれたように暗い。


「うそだ⁉︎」


 ふいにモニター台を拳で叩き、ユーリが絶叫した。


「なぜ君はこの寒さでプレイできる。特訓だって? いったいどんな特訓をしたっていうんだ!」

「どんな特訓って、そりゃあ寒い中でゲームする特訓だよ。決まってるだろ」


 明らかに狼狽するユーリ。ゲームプランが崩落し、さっきまでの余裕も瓦解してしまって我を忘れたがごとく。

 逆に別斗は完全に自分を取り戻した。


「さあ、最終決着と行こうぜ」


 勢いづく別斗に、もはやユーリは完全に飲み込まれている。

 3戦目開始直後、初手のナイフ投げを見切った別斗はフットワークでかわすと懐に入り込み、大技を繰り出した。


「出た! またまたデスパイルドライバーだ」


 『スト2』屈指の難易度を誇るコマンド〈十字キーをぐるっと1回転〉を器用にこなし、アレニコフはアビゲイルを脳天から叩き落とした。


「初手でこの技は大きいぞ!」


 あすくが口をねじ曲げ唾を飛ばす。ノリにノッてきたのだ。

 別斗の指も唸りを上げる。溜め技主体のアビゲイルに溜めをさせないよう、接近して猛攻をかます。

 そうしてたまらずガードを固めたところへ、ガード無効の強烈な組み技を炸裂させる。相手の背後を取り、バックドロップ。かと思えば頭を掴んでヘッドロック状態からのボディスラム。

 アビゲイルはもはや〈トレーニングモード〉だ。


「なにをしているユーリ、早く画面端から脱出するんだ!」


 ミスターQのセコンドも無意味である。なぜなら、アビゲイルは連続ダメージを負ってスタン状態になっていた。この状態に陥ると一定時間コマンド入力を受けつけないのだ。


「ユーリさん、悪いがあんたはあと何十回何百回とプレイしても、おれには勝てねえ」

「なに?」

「最初の1戦目でわかったぜ。あんた格ゲーの腕前、めっちゃ普通だ」

「なにを云っているんだ。ぼくの『白の旋空コールドプレイ』は最強だ! これまで幾人ものゲーマーを仕留めてきたんだ!」

「そりゃあこの寒さがあればな。単純な地力の話をすれば、あんたはゲーム配信したばかりのユーチューバークラスだぜ。確かにあんたの裏技はすげえ。けどよ、それに頼って肝心な基礎技術がおろそかになっちまってると思うぜ?」

「そんなはずはない! ぼくは……ぼくは東ヨーロッパの格ゲーチャンピオンなんだ!」

「そんな肩書きは意味ねえよ。大会の優勝者より町のゲーセンの常連客の方が強いって話は、ゲームの世界じゃ珍しくねえからな。なんの脅しにもなりゃしねえ。じゃあ、これでフィニッシュね」


 赤子の手をひねるとはまさにこのこと。別斗が軽くコントローラーを手繰ると、あっさりデスパイルドライバーを発動させたアレニコフがアビゲイルの身体をしっかりとホールドし、とどめの一撃を食らわせた。

 気がつけばこの3戦目、別斗はユーリの攻撃を一度も受けていない。ノーダメージでの勝利。いわゆるパーフェクトである。

 トータル2勝1敗。

 勝負の幕は圧倒的能力差によって閉じられた。ゲームを制したのは別斗だった。


「よっしゃ、別斗ナイス!」

「やったあ~、ソソミ先輩、別斗が勝ちましたよ~」

「別斗くん、ありがとう。やっぱりあなたは勝つのね」

「ま、こんくらいは当然っすよ」


 一行が賑やかな輪を作るそのわきを、茫然自失のユーリが桜花に連行される形でその場をあとにしていく。

 その後ろをゆくミスターQが振り返り、別斗に人差し指を向けた。


「おめでとう別斗くん。見事な勝利だったよ」

「なんだよ、負けたのに嬉しそうだなミスターQ」

「いやいや、ますます君が欲しくなってしまってね。次こそは我々の組織に入ってもらう。覚悟していたまえ」

「お断りだぜ。おれはおっさんに好かれる趣味はねえんだ」

「ではまた。今度も対戦を楽しみにしているよ」


 裏のプロゲーマー集団が去ってのち、一行も出口へ向かう。ゲロ洞窟は通常なら10分ほどで終了する施設なので、あっという間の一本道だった。そんなところで足止めを食っていたなんて、終わってみれば滑稽な話だ。別斗は頭を左右に振った。

 外。洞窟内とは打って変わって、容赦ない直射日光がふたたび一行を襲う。この数十分の戦いで忘れていたが、今日も相変わらずの猛暑なのだ。


「この寒暖差、具合い悪くなりそうね」

「あはは、私はやっぱ寒いよりも暑い方がいいや~」

「何事もほどほどがいいわね」


 すっかり元気になった女子2人が意気揚々とはしゃぐ。足取りも軽く、手を繋ぎながらスキップしている。


「なあ、別斗」


 そんなふたりをよそにあすく、


「親父さんの寒さに対抗するための特訓ってどんなのだったんだ?」


 単純に疑問だとばかり、子どものように目を光らせた。


「別に特別なことでもねえよ。冬に外でかき氷食いながらゲームしたり、魚市場の冷凍庫を借りて、そこでプレイしたりだよ」

「大それたことをしてたのかと思ったけど、単純に慣れてただけなのか」

「でも〈やり込み〉って一番大事なんだぜ」

「それにしても『紅蓮の巨鎚ミョルニル』に『白の旋空コールドプレイ』か。次はどんな裏技を持つゲーマーが出てくるのか、想像もつかないな」

「ああ、気を引きしめていかねえとな。ま、どんな相手でも負ける気はねえけど」


 2人が話している間に先を行ったソソミとジャレ子が、大げさに手を振りながら合図を送る。


「ちょっと~、2人とも早く早く~。小腹空いたからなんか食べに行こうよ~」

「おいおい、さっき昼飯食っただろ」

「なんだか温かいものが食べたくなっちゃったの~。ソソミ先輩と話してたんだけど、鍋焼きうどん食べに行こ~?」

「この真夏にか?」


 とは云うものの、夏に食べる熱々のうどんもいいかもしれないな、と別斗も考えていた。

 クライスラー・リムジンに戻り、キンキンに冷えた車内に恐怖しつつ、一行は御美玉の街に帰って行った。

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