冷たき手に涙を流せ!(6)

「突刃山なんて、小学4年生以来だよ~。ましてゲロゲロランドなんてほとんど記憶にないし~、あれ、ほら、なんて云ったっけ……ガマの背脂?」

「ガマの油、な。背脂っておまえ、それ何系ラーメンだよ」


 アホの子・ジャレ子の本領が発揮されたリムジン内。本州南から北上してきた台風が太平洋側に逸れ、直撃を免れた本日土曜の午後はまさに台風一過といった具合いのカンカン照りで、蒸し暑さも極まっていた。

 ゆえにジャレ子の頭もイカレているのだ。


「もう、ちょっとした間違いじゃ~ん。そうやってアゲアシ取る男ってサイテ~、思いやりもクソもないよね~。ね、ソソミ先輩?」

「そうね。うるせーわよね」


 そうやってソソミがジャレ子の〈目線〉に合わせてやった頃、一行はゲロゲロランド付近の駐車場へ到着した。

 快晴の土曜ということで、この突刃山ふもとにある観光施設はなかなかの賑わいに熱気もヒトシオだった。

 敷地内には様々な娯楽施設や土産物屋、食事処があって、目的のゲロ洞窟もここに設置されているのだ。


勅使河原てしがわらさん」


 そのゲロ洞窟へ向かう前、ソソミは運転手の男に声をかける。


「1時間で戻ってきます。もし1時間以上経っても戻ってこなかった場合、警察を呼んでください」


 運転手・勅使河原は忠実そうな表情で肯いた。クライスラー・リムジン専属運転手の彼だが、プライベートでの愛車はダイハツ・コペンである。


「みんな気をつけろよ。あいつらどんな仕掛けを用意してるかわかんねえからな」


 先頭に立つ別斗が引き締める。それを合図に一行は背筋を律し、入場口に向かって歩き出した。

 途中のB級感漂う寂れた遊園地もどきの園内を抜け、いよいよ〈別世界へようこそ〉の看板怪しいゲロ洞窟へ。料金は300円。ソソミが代表して支払った。


「いつ来てもへんぴなとこ!」


 ジャレ子が率直に感想を叫ぶ。

 中は適度な冷気と湿度を帯び、天然の岩肌をおぼろげなライトが浮きあがらせて幻想的な空間を演出している。一応お化け屋敷というテイなので、壁や通路には所狭しと奇怪な人形やオブジェが施されて、別世界という誇大な謳い文句を実現させようと様々な〈努力〉がなされてある。これといったテーマも方向性もない、雑多に集められたそれらがレトロ調に仕立てられた空間を思えば、ここが一部の人間には魅力的に見える気がしないでもなかった。

 そんな洞窟を緊張な面持ちで突き進んでいると、先頭を行く別斗はふと思うところがあって立ち止まった。


「別斗くん、どうしたのかしら?」


 別斗の肩にぶつかりそうになりながら、後ろを歩くソソミが前を覗き込む。


「この先からなんの装飾もなくなってるんで、変だなと思って」


 ジャレ子も前方へ首を伸ばし、


「ほんとだあ~。ここから先はなんにもない洞窟になってるね。改装でもしたのかな?」

「おい別斗、これが天場の云ってた『道を間違えた』ってやつじゃないか?」


 あすくのひと言に、ハッとする別斗。


「そうか、わかったぜ。あいつは道を間違えたんじゃない。このゲロ洞窟はすでにヤツらのゲーム対決の場に作り替えられていて、知らずに誘導されてたんだ」


 別斗がそう声を荒げた瞬間、照明が落ちた。

 突然の事態に狼狽する一行。

 そこへ、場内アナウンスが流れた。


 ――待っていたよ、天堂ソソミくんに荒巻別斗くん。そして、その他ふたり。


 ミスターQである。そのもったいぶった登場に、別斗はあえて威勢を飛ばした。


「出てこいよ。顔を隠すだけじゃ飽き足らないのか」

 ――ふふふ、君のその強気な態度、嫌いじゃあないよ。

「やめてくれ。あんたに好かれたところでちっとも嬉かねえからよ」

 ――そうつれないことを云いなさんな。人間はひとりでは弱い生き物だ。もっと寄り添いあって生きていかねばならん。

「あのさあ、なにが云いてえの?」

 ――両親のいない暮らしは寂しくないかね?

「なに? どういう意味だ!」

 ――君のことは調べさせてもらったよ。君がまさかあの荒巻月斗の息子だったとはね。


 暗闇でもわかるほど、別斗の身体がビクンと跳ねあがった。思いもしない発言を不意打ちで食らい、別斗は珍しくミスターQにイニシアチブを取られたのだ。


「知ってるのか、おれの親父を」

 ――残念だねえ。彼のようなゲームの達人が謎の失踪を遂げるなんて、まさに一寸先は闇。人生はわからないものだね。

「おい、ミスターQさんよ。万が一あんたが親父の行方を知ってるとしたら、おれはあんたをただじゃおかねえ。もし知らないでそういうことを云ってたとしたら、なおさらただじゃおかねえぞ」

 ――おお怖。あいわかった、滅多なことは云いますまい。まあ荒巻月斗の行方は本当に知らないのだがね。

「んなことより、いい加減に始めようぜ。ゲーム対決するんだろ?」

 ――よろしい。では、舞台をご用意しよう。


 ミスターQが宣言すると、前方にボウッと灯りが浮かびあがった。それは巨大なテレビモニターの砂嵐だった。それにより周囲の光景もうっすら見え始める。別斗は暗闇で実感が持てなかったが、ソソミもジャレ子もあすくも、ちゃんと自分のそばにいた。


 ――桜花おうか


 ミスターQのアナウンスが響き、まもなく通路の奥から秘書という肩書きを誇ってそうな女性がやってきた。

 桜花は深々と頭を下げると、なにやらリモコンを操作する。すると、モニター前の床がぱっくりと開き、そこから台座がせり上がってきた。台座の上にはゲームハード。ニャンテンドーの『ファニコン』の後継機として約1700万台を販売した、家庭用据え置き型ゲーム機『スーパーファニコン』がモニターに接続されていて、ゲーム開始を従順な部下よろしく静かに待機しているのだった。

 モニターがパッと切り替わる。格闘ゲームの原点にして至高の一作『ストリートファイヤー2』のデモ画面が映し出された。

 すべての準備が整うと、モニターの後ろからスッと人影が現れ、光に照らされた。


「君はもちろん、このゲームについて知っているだろうね」


 ミスターQである。相変わらず暑苦しい覆面姿だ。


「あたりまえだ。『スト2』を知らねえやつはゲーマーじゃねえよ。eスポーツって云えばこのゲームと呼ばれるくらいメジャーなタイトルだ」


 ストリートファイヤー2。格闘ゲームの原点にしていまや代名詞の人気と知名度を誇る、至高のソフト。このゲームがアーケードに登場して矢のごとく、空前の格闘ゲームブームが誕生したのだ。その人気は衰えを知らず、いまも新作が作り続けられるほどである。


「今回はその『スト2』で対決してもらう」

「条件は? もちろん、おれが勝ったらここから出してくれるんだろ?」

「無論だ。君が勝てばここから出られるどころか、入場料金も返すよ。それに、別のお友達からいただいた大量の『ドリステ5』もね」

「あともうひとつ、今回もおれが勝ったらニャンテンドーにちょっかいを出すのをやめてくれないかなあ」

「実はそれなんだが、今日は我々も提案があってね」

「提案?」

「そう。我々は打倒ニャンテンドーを掲げ、いま現在のチャラ~いeスポーツ界をあるべき姿へ戻したい、いわば〈eスポーツ原理主義〉なのだが、これを実現させる方法として、もっとも有効な手段を考えたのだよ」


 ミスターQが言葉を区切り、不敵な間を作る。別斗はなにか悪寒がして、喉をゴクリと鳴らした。


「もし我々が勝ったとき、そのときは別斗くん、我々の組織に入ってもらいたい」

「はあ? なんでおれがあんたらの組織の一員にならなきゃなんねえんだよ!」


 当然のごとく驚嘆の声をあげる別斗。


「別斗を自分の配下に置こうって腹か。ズルいぞ」

「おじさん、別斗にゲームで勝てそうにないからってプライドがないんじゃないの~?」

「別斗くん、そんな条件を飲む必要はないわ。もし別斗くんが負けたとしても、我がニャンテンドーがきちんと援護するわ」


 周囲も喧々諤々だ。

 ミスターQは外国人のように両手を広げるリアクションを見せると、心外だというニュアンスを口調に含ませて云った。


「なにか勘違いしてやしないかね? 我々はマフィアやテロ組織などではないんだよ。ちゃんと働きに応じて報酬を支払うし、パワハラやセクハラにもしっかり対応している優良組織だ。半年に一度の時給アップもあるよ」

「時給って、バイトかよ」

「これは正式なスカウトだ。ゲーム好きがゲームで金を稼げるようになるんだ。悪い話でもあるまい」

「わりーけどな、ゲームってのは自由に楽しむもんだ。おれは他人に指図を受けながらのゲームなんてやりたくねえよ」

「ならば今日の対決はやめるかね? 我々はそれでも一向に構わないんだがね。そうなれば困るのは天堂家のお嬢さんじゃあないのかね。ニャンテンドー主催の『天下一e武闘会』の妨害、我々は本気だよ」


 ツーンと斜め上を向くミスターQの表情は覆面に隠されているとはいえ、ちょっとイラッとする。


「くそお、子どもみてえな言い分しやがって……。わかったよ、早くやろうぜ」

「そうこなくっちゃ。カモーン、ピロ敷!」


 ミスターQがハイテンションで指パッチンすると、またまたモニターの後ろから人影が躍り出てきた。

 現れたのは、長身の男。銀色の髪に青い瞳を持つ、日本人離れした容姿の美青年。


「ドーブライジェン、ベット・アラマキ。今日はお手柔らかに頼むよ」


 胸に手を当て、キザな自己紹介に胸クソの悪さを覚える別斗。


「わあ、イケメ~ン。ツーショット撮ってツイッターにあげたらすごい数の〈いいね〉がもらえそう~」


 ミーハー・ジャレ子がアホみたいに黄色い声を上げ、周囲をドン引きさせた。


「彼の名はユーリ・ピロ敷ぴろしき。eスポーツ・東ヨーロッパ大会の『スト2』チャンピオンになったこともある実力者だ」


 ミスターQがユーリの肩にポンッと手を置く。そうして並ぶと、ミスターQよりも高い背丈であることがわかる。加えて、まるでフィギュアスケートの選手のようなしなやかな体躯をしているためか、その差はより顕著だった。


「誰が相手だろうと負けねえ。返り討ちにしてやんぜ」

「彼の『スト2』の腕前はホンモノだ。別斗くん、油断しない方がいいぞ」

「へっ、さっさとはじめようや」


 別斗とユーリはモニターの前に移動し、スタンバイする。

 ふとユーリの足下に目を落とした別斗、思いがけぬ光景に問いを投げた。


「なあユーリさん、なんで〈ローラーシューズ〉なんか履いてるんだ?」


 テレビモニターの光によって、そのシューズがあらわになる。それはかつて子どもたちの間で流行した車輪付きのシューズで、ユーリの年齢的にもゲームプレイにも相応しいとは思えないアイテムだ。


「気になるかい?」

「いや、ぜんぜん。ただゲームやりづらくねえのかなと思ってよ」

「ふふふ、やりづらいどころか、ぼくにとっちゃ最大の武器だよ」

「ふーん、そうかい」


 不敵に微笑むユーリ。その姿を横目で窺うと、その場違いなシューズもさることながら、熱っぽい要素が微塵もない、ひどくクールな佇まいであることが気にかかった。よく云えば沈着冷静、悪く云えば冷酷非道な印象を受ける。たしかにミスターQの云うとおり、ナメていたら足元をすくわれそうだ。


「桜花、ルールを説明したまえ」


 ミスターQに命令され、桜花が手元のバインダーに目を落とした。


「今回のゲーム対決に使用するソフトは『ストリートファイヤー2』になります。時間制限はなく、相手をKOした場合のみ勝ちとし、先に2勝した方を勝者とします。なお使用キャラクターはランダムで選択し、一度選んだキャラクターを途中で変更することは許されていません」


 このルールにあすくが口をねじ曲げた。


「なんだって? キャラクターを自分で選べないのか。この対戦に勝利するためには運も必要になってくるな」

「キャラクターを好きに選べないことがそんなに不利になるの~?」

「いいかい雨瀬さん。格ゲーってやつは、キャラクターによって必殺技の出し方や動きのクセが異なるんだよ。扱いやすいキャラもあれば、扱いにくいキャラもいるんだ。もし普段、自分がやり込んでないキャラを使うことになったら、これは相当ツラいだろうね」


 うむ、と肯くミスターQ。


「さよう。キャラ選択によって格ゲーは難易度が上がる。だが、どんなキャラを使用しても同じ強さを発揮できるのが真のゲーマーではないかね。自分が得意にしているキャラばかりを使って勝っても、はたしてそれが本当に強者と云えるのか」

「なるほどな。いいぜ、おれはどんなキャラでも使いこなせる自信がある」

「それは楽しみだな。お互い正々堂々と戦おう」


 最後にユーリが爽やかに締めると、ミスターQが間に入った。


「では、これよりオナー(1コン)を決める」


 内ポケットからコインを取り出し、ピンッと親指で中空へ弾く。


「裏」


 と別斗。


「表で」


 落ちてきたコインを手の甲で受け止めたミスターQ、


「表だ。オナーはユーリ」


 ユーリは別斗へ軽く会釈すると、1コンを握ってスタートボタンを押した。


「別斗は2コンか」


 チッと舌打ちする、あすく。腑に落ちていないジャレ子の視線を感じ、ひとり言のように続ける。


「おじさんが云っていた。キャラの向きが右側になった途端、必殺技が出せなくなるプレイヤーがいると。向きが変わると必殺技のコマンド入力も逆になるからね。かくいうおじさんも右側は苦手らしい」

「可哀想。それはいつもソロプレイ(COM対戦)ばかりしているからだわ」

「先輩、ぼくのおじさんを哀れむのやめてくれます?」

「あっくん静かにして。キャラ選択がはじまるよ~」


 ジャレ子の指摘するとおり、モニターではいままさにランダム選択機能によって自前キャラが決定しようとしていた。

 まずは1コンを携えるユーリ。

 カーソルが高速でキャラクターのアイコンをグルグルと回る。

 そのスピードは徐々に減速していき、やがてあるところで止まった。

 アメリカの軍人のようなルックスのキャラクターだ。


「アビゲイルか。これは良い」


 ユーリがほくそ笑む。その物云いから、悪くない選択だったことが窺える。

 続いて別斗。同じようにランダム選択のカーソルが高速でキャラクターのアイコンを駆け巡る。

 緊張の一瞬。固唾を飲んで見守る一堂を、カーソルのSEだけが耳を打つ。


「ああ、なんてこった!」


 その回転が制止したとき、あすくが阿鼻叫喚といった具合いに叫んだ。


「はっはっは。別斗くん、これはいささかアンラッキーだったね」


 ミスターQは高笑いだ。

 それもそのはず、別斗のカーソルはプロレスラーのアレニコフを示していた。


「あっくん、説明して。別斗のキャラはどうしてツイてないの~?」


 ジャレ子の振りに、あすくが何度も眼鏡をクイクイ持ちあげながら応える。


「別斗のキャラはアレニコフといって、プロレスラーなんだ」

「筋肉モリモリで強そうじゃん」

「アレニコフの必殺技は当然プロレス技なんだけど、コマンド入力が難しいんだよ」


 あすくの説明を、上機嫌のミスターQが引き継ぐ。


「その通り。アレニコフの必殺技はこのゲーム屈指の難易度なのだよ。まして超必殺技ともなれば、方向キーをぐるっと1回転させなきゃいけないからね」

「だから格ゲー界隈じゃアレニコフを〈持ちキャラ〉にしてる者は少ないと聞く。鈍くて遅い、筋肉ダルマで接近戦に特化したキャラは使い勝手がマニアックすぎる」

「でも、いくら入力が難しくても別斗なら簡単なんじゃないの~?」

「確かに別斗のゲームセンスは目を見張るものがある。でも、相手は裏のプロゲーマーだ。どんなプレイをするか予測できないのは不気味だよ」


 このあすくの不安はもっともだろう。しかし、もうすでにゲームは開始している。いまさら嘆いても、どうしようもないことなのだ。


「さあ、ラウンド1だ!」


 ミスターQの言葉を合図に、ゴングは鳴らされた。

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