7 竜博士

 崖を登るのに手間取り、ヒースとアルファルドが宿屋に戻る頃には、深夜を過ぎていた。疲労困憊で宿屋に戻って来た二人を見て、ディーンとライルは揃って目を丸くする。


 一階の酒場は既に閉店していて薄暗い。宿屋の店主夫婦は併設の自宅に戻って休んでいる。幸い今夜の客は彼ら四人のみだったので、ディーンとライルは一階の大きな暖炉の前に場所を移して二人の帰りを待っていた。


「お前らこんな時間まで何処に行ってたんだ?」

「ちょっと、崖の下まで……そんなことよりディーン! 大事件だ!」


 室内の暖かさに頬を紅潮させたヒースは、少し興奮気味に訴えた。その腕に抱いた猫ぐらいの大きさの生物を見て、ディーンは絶句する。その間に、アルファルドは部屋に戻って救急鞄と清潔なタオルを二、三枚掴んで戻ってきた。タオルはテーブルの上に畳んで重ねて簡易ベッドにする。


「ヒース。ここに寝かせろ」

「うん。……ごめんね。一旦降ろすね」


 ヒースが大事に抱えていた仔竜を降ろそうとすると、仔竜は突然暴れ出してヒースの袖を噛んで鳴く。


「ピィィィ! ピィィィ!」

「大丈夫だよ。怖くないよ。傷口を綺麗にしないと治らないから、ちょっとだけ我慢してね」


 暴れる体力が無いのだろう、仔竜はすぐに大人しくなった。だがヒースの手が離れるのが怖いのか、震えながらもヒースの袖に食い付いたまま離れない。

 ライルに綺麗な水を汲んで来てもらい、アルファルドが少しずつ傷口を濯ぐ。雪と血と泥で薄汚れていた身体が元の鱗の色を取り戻すと、それまで固唾を飲んで見守っていたディーンが「嘘だろ……」と呟いた。


「この仔、白竜……?」


 汚れたタオルを取り替えて、傷の無い所をそっと拭き取ると、仔竜は気持ちよさそうに目を細めた。額にはまだ短い角が一本。頭から尻尾の先まで、雪のように真っ白な鱗に覆われた美しい竜だった。

 綺麗になった分、折れた翼と暴れた際に付いた傷が余計に痛々しい。


「やっぱりね……。ディーン! 現実逃避したいのは分かるけど、ちょっと手伝って。僕は人と獣は治したことあるけど、竜はさっぱりなんだ」

「あ、あぁ……」

「ここの翼の所なんだけど……」


 ディーンとアルファルドが相談しながら治療を始めたので、ヒースはようやく安心して椅子に座ることができた。仔竜はヒースの袖を噛んだまま眠ってしまったようで、ぴーぴーと可愛らしい寝息を立てている。

 ヒースの隣にドカリと座ったライルは、肘でヒースを突く。


「まさか、巣から誘拐してきたんじゃねーだろうな?」

「違うよぉ。この仔、うさぎの罠にかかってピーピー鳴いてたんだよ」

「こんなチビが、一匹だけで?」

「うん。しかもこの仔を狙ってヒポグリフが襲って来てさ、助けるの大変だったんだから」

「なんだよ。俺の居ないところで随分楽しんでたんじゃねーか」


 わりと危険な目に遭ったと思うが、荒事歓迎のライルなら楽しめたかもしれないとヒースは脱力してテーブルに頬杖をつく。


「ヒポグリフが、竜を襲う……? しかも、白竜を……? 妙な話だな」


 アルファルドを手伝いながら聞き耳を立てていたディーンが口を挟んだ。声に含まれたのは憤りか嫌悪か。竜好きなのに、仔竜を一目見た時からディーンは渋い顔をしている。


「この仔が白竜だとダメなの? さっきから気になってるみたいだけど」


 先程は聞きそびれたが、アルファルドも何か気になることがある様子だった。隣に座るライルは見当がつかないらしく、ヒースと目を合わせて肩を竦める。


「ありがとう。こっちはもう大丈夫。二人に説明してやって」

「分かった」


 アルファルドに促されて、ディーンは頷く。ヒースの向かいに座ると、時折記憶を探るように暖炉の火を見つめながら、ゆっくりと話し始めた。


「……白竜は別名“一角竜”とか“雪山の貴婦人”って呼ばれる竜で、その名の通り雌竜だ。白竜の雄は銀竜って呼ばれている。同じ種だけど雄雌で呼び名が違うんだ」

「へぇ……それじゃあ君は女の子なんだね」


 治療を終えて添え木と包帯を巻かれた仔竜はタオルベッドの上で丸くなって眠っている。ヒースが指先で鼻の頭を撫でると、くすぐったそうに前足で顔を撫でた。


「白竜はこの通り、すごく綺麗な竜で、銀竜や他の飛竜に比べて非力で大人しい。額の角は磨くとオパールの宝石のような色をしていて武器やアクセサリーに加工される。とても希少価値が高いんだ。そのため、一時期乱獲されて絶滅寸前まで行ったことがあって、ブチ切れた銀竜が人間の集落を襲う事態にまで発展したことがある。今でも偶に密猟事件が起きている」

「竜の角って折れてもまた生えるんだろう? 何も殺して奪うこたぁねーだろうに」


 流石のライルも白竜の境遇が気の毒になったのか、目の前の仔竜を悲しげに見つめる。


「ああ。だが、白竜は気位も知能も高いから、竜騎士でもない人間に囚われて、力と誇りの象徴である角を奪われるのは我慢ならないんだろう。……檻に入れられたり、角を奪われたり、尊厳を踏み躙られたりすると、体内の魔力を暴走させて自害してしまうんだ」

「そんな……! この仔がもし僕らを密猟者だと認識したら、自ら死を選ぶかもしれないってこと?」

「普通なら、知らない人間に触れられるのも嫌がるんだが、こいつはお前に懐いているから大丈夫だろう」


 ディーンはそう言って、ヒースの袖を指差す。ヒースを逃すまいとしっかり噛み付いた仔竜は、まだ離してくれそうになかった。


「俺が心配しているのは……銀竜が数少ないのは知ってるだろう? 一頭の銀竜に対して、十から二十の白竜がハーレムを形成している。仔竜が居るってことは、両親が居るってことだ。この村の近くに白竜の群れが棲んでいる可能性が高い。もしこいつがその巣から攫われたのだとしたら……」

「ヒポグリフには人間が乗っていたよ。罠は鉄製だったし設置したのも人間。罠にかけた仔竜を使って、誰かが意図的に白竜の群れを呼ぼうとしているのかもしれない。――つまり、密猟者に狙われている」


 アルファルドの報告に、ディーンは嫌な予感が的中したと眉間の皺を深めた。


「この仔を群れに返してあげないと、また銀竜が人を襲うようになる?」


 ヒースの問いにディーンは頷いた。


「……俺たちの前に銀竜が現れた本当の目的は、こいつを探していたのかもしれないな」


 瞼を閉じれば、優雅に空を舞う銀竜の姿がまざまざと浮かぶ。我が仔を探す銀竜の、怒りと悲しみに満ちた叫びが、今も聞こえるようだった。

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