第15話

 緑豊かな森の写真が掲載されたトップページ、その家の由来などが記された文章、そして応募フォームしかない簡素なホームページだった。予約の問い合わせが多かったため応募制になっていること、月に一度の抽選で当たった者だけが宿泊できるシステムになっていることが、応募フォームの下に記載されている。


 ポテトを持ったままの蓮人に、どうするか尋ねた。見つけてしまったものの、その後のことは何も考えていなかったからだ。

 蓮人は宝物の在処を示す地図を見つけたような顔で

「応募するしかないじゃん! 一緒に泊まって幸せをつかもうぜ!」

 と言った。そして、浩司に応募フォームへの入力をするように急かした。


 応募するためには氏名と住所だけが必要だった。複数人で宿泊する場合は代表者の情報を入力すればいい。当選した場合は、その住所宛に葉書が送られてくるのだという。

 自分が申し込むのか、と浩司は一瞬ためらった。正直、怪しさのあるホームページだったからだ。個人情報を悪用されるかも、という心配が脳裏をよぎる。


 しかし蓮人が、自分は外に出ていることが多いし、明るいうちはずっと家に母親がいるから葉書を見られる可能性がある、見られたら話が大きくなりかねない、と説明したために断ることはできず、結局浩司の名前で応募することになった。相内家は母子家庭で、子供は蓮人しかいない。蓮人の母親はまだ彼が小学生の頃から現在までスナックで働き、家計を支えているのを知っていた。つまり、浩司の方が葉書を回収しやすい環境だったのだ。


 応募をしてから約二ヶ月、浩司は午前と午後の郵便配達をチェックする生活を続けた。そして、ついにその日がやってきたのだった。


 シャワーを浴び終えた浩司はスマートフォンを見たが、蓮人から電話もメッセージも来ていない。蓮人に電話をしてみるが、呼び出し音が続くだけだった。

 忙しいのだろうか。それとも浩司のように調子の悪い日なのだろうか。


 布団の中で苦しむ蓮人の姿を想像し、自分と重ね合わせる。浩司も薬を飲み始めた頃は、憂鬱に支配された意識の中で身体を動かすことができず、電話に出ることも、届いたメールを確認することもできなかった。それに対して罪悪感を抱いて、さらに憂鬱になるという負のループを繰り返していた時期がある。


――今日連絡がなくても、また明日連絡してみよう。


 そう決めて、浩司はかすみの家の葉書を持って自室に戻った。

 この葉書は家族に見られないようしておかなければいけない。もし、この少し怪しい葉書を母が見たら、きっと余計な悩みを増やすことになってしまうだろう。父が見たら――良くないことになるに決まっていた。


 葉書を手にした浩司は自室を見渡し、隠し場所を探した。

 自室の右側、壁沿いに小学生の時に買ってもらった学習机が置かれている。その奥には窓際に置かれたベッドがあった。学習机の反対側にはテレビと小さな机が置かれている。それらの家具の隙間を埋めるようにカラーボックスや本棚が置かれ、書籍が納められていた。


 学習机の引き出しが目に付いた。四段ある引き出しの最上部には鍵がついている。ここなら母も開けないだろう、と浩司は机に近づいた。一番下の引き出しを開けて、奥にしまいこまれていた手のひらほどのお菓子の缶箱を取り出す。蓋を外すと、引き出し用の鍵が入っていた。この鍵を見るのは何年ぶりだろう。懐かしい気持ちが沸いてくる。


 最上部の引き出しの鍵穴に、小さな鍵を入れて回すと、かちゃりと軽い音がした。錆びていて開かないかもしれない、という可能性もあったために、浩司はほっとした。


 しかし、その後問題は起こった。引き出しに手をかけ引っ張るが、開かないのだ。中で何かがつかえているようで、引き出しは少しだけ動くものの、すぐに止まってしまう。浩司はため息をつくと、力任せに引っ張った。何かが外れる感触の後、引き出しが勢いよく飛び出してくる。慌てて浩司は引き出しを受け止めた。


 浩司の両手の上には、懐かしい品々が乗っていた。

 小学生の時にもらったラブレター、中学生の頃に同級生と撮ったプリクラ……、どの品を見ても記憶が蘇る。だが、思い出せないものが一つだけあった。それはガムテープでぐるぐる巻きにされた、四角い箱のようなものだった。角がひしげているので、おそらくこれが引っかかっていたものの正体なのだろう。厚みはそれほどなく、振ってみると中で軽いものが動く音がした。


 自分はどうしてこんなものを入れておいたのか。浩司は記憶を掘り起こすが、手掛かりになるものは出てきそうになかった。


 浩司がガムテープの箱に悩まされていると、ただいまあ、という声が玄関から聞こえてきた。時計を見ると、十五時半を過ぎている。パートを終えた母が帰ってきたのだ。急いで引き出しを元に戻すと、浩司は手に持った葉書をガムテープで巻かれた箱の下に隠した。引き出しに鍵をかけ、それを缶箱にしまって下段の引き出しに戻して、しっかりと閉めた。



 ダイニングテーブルには麻婆茄子、サラダ、豚汁、それから食べ損ねた昼食の焼きそばが並んでいた。目の前には母、工藤和子が座っている。浩司が昼食を抜いてしまうことは度々あったので、残った焼きそばを食べているのを気にしている様子はない。朝食だけでも冷蔵庫からなくなっていれば、母は安心するようだった。


 和子は夕食時に、今日あったことを一通り浩司に聞かせてくれる。あまり外に出ることのない浩司が興味を持ちそうな話題、例えばどこそこに新しい本屋が出来そうだ、というような話が主だった。

浩司が半分話を聞き流しながら、焼きそばをすすっている時だった。


「そういえば、今日由利ちゃんのお母さんに会ったのよ」


 突然、和子がそう言った。浩司が顔を上げる。


「由利ちゃん、覚えてる? 小学校の三、四年生の時に同じクラスだった」

「覚えてるよ。渡辺由利のことでしょ?」


 彼女とは小中学校、そして高校まで一緒だった。だが、同じクラスになったのは、母の言うように小学校のうちの二年間だけだ。長く伸ばした髪をポニーテールにした、大人しい少女のことを思い出す。


「お母さん、売場にパンを並べてたのよ。そしたら由利ちゃんのお母さんが気付いて話かけてきてくれたの」


 和子は近所のスーパーで、九時から十五時までパートをしている。その仕事中に由利の母親とばったり会い、話し込んでしまったのだろうと想像した。


「由利ちゃんね、離婚してこっちに帰ってきてるんだって。……しかも、由利ちゃんが浮気したらしいのよ」

「へ?」


 自分でも驚くくらい間の抜けた声が出た。あの大人しくて真面目そうな渡辺由利が?


「それ、本当なの?」


 浩司は思わず聞き返す。

 和子は豚汁を一口飲んでから、その疑問に答えた。


「だって由利ちゃんのお母さんが言ってたんだもの。旦那さんと喧嘩してこっちに戻ってきてる時に浮気したってことまで教えてくれたのよ。……でも、旦那さんも、もう元だけど、機嫌が悪いと由利ちゃんに当たったりすることがあったみたいだから、結果的に離婚出来て良かったのかなあ」


 まるでテレビのニュースに対しての感想を述べるようして、和子はその話を終わりにした。浩司も特に聞き返さない。すぐに渡辺由利の話は、別の他愛のない話で埋もれてしまった。高校を卒業してから七、八年経っているが、その間一度も思い出されなかった渡辺由利の離婚劇は、浩司にとって他人事だった。


 夕食を食べ終えると十八時を過ぎていることに気がついた。もうすぐ父が帰って来てしまう。浩司は急いで自分の洗い物を済ませると、部屋に戻るね、と母に伝えた。母は少し困ったような笑顔で頷くだけだった。


 父である修とは一年以上、まともに会話をしていない。うつ病で公務員を退職し、実家に戻ってきた浩司を、父は良く思わなかった。日がな一日ベッドで横になる浩司に、甘えだ、怠慢だ、と非難を浴びせてきたこともある。和子が止めに入ってくれたため、修は引き下がったが、その頃から互いを避けるようになった。平日は父のいる時間は一階を避け、休日は近所を散歩したり、図書館に行ったりして顔を合わせないようにしている。

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