第21話 淫魔と救済 2

 何度も目を擦って確かめる。頬をつねったりしてみたが、間違いない。リリアが俺の夢の中にいる。


「な、なんでここにいるんだ!?」

「え? た、タクミさん! 私のことが分かるんですか!?」

「き、聞きたいのはこっちの方だ! どうして俺の夢の中に出てくるんだよ!」

「そ、それは私がタクミさんにえ、えっちな夢を見させてあげようと……」

「お、お前……夢の中でまで俺の童貞奪う気か……」


 油断も隙もない。しかし、今リリアが現れたことは何よりも救いに感じた。


「もしかして……リリアも、俺と同じ内容の夢を見てるってことでいいか?」

「は、はい。そうですけど……」

「……そうか」


 俺と同じ夢を見ていた。それはつまり俺の昔のトラウマを全部見られたということだ。

ゆうやくんに殴られたこと、ミカちゃんに気持ち悪いと拒絶されたこと、イジメが絶えなかったこと。その全てを。


「こんな思い出、とっくの昔に忘れたつもりだったんだけどな。最近夢に出てきて、眠るのも怖くて、このザマだ」

「仕方ないですよ。こんなに嫌な記憶を何度も見せられて……それに、あんな酷いことされて……」


 ポロポロとリリアの目からは涙が溢れ出ていた。


「お、おいおい。どうしてリリアが泣いてるんだよ」

「だって……タクミさん悪くないのに……勇気を出して、自分の努力を見せただけなのに……」

「いや、あれは俺が悪かったって──」

「でも! あれだけ優しくされて勘違いしない方がおかしいですよ! それなのに、ただ一方的に突き放して終わりだなんて、あんまりです!」


 珍しくリリアが声を荒げている。俺のために、怒ってくれている。


「タクミさんは悪くない! タクミさんはすごい! タクミさんは努力の天才! タクミさんの絵は上手い! タクミさんの忍耐強さは世界一! タクミさんは童貞! タクミさんはかっこいい! タクミさんは……!」


「も、もういい分かった! 分かったから!」


 リリアを落ち着かせる。聞いてるこっちが恥ずかしくなる。


 でも、こんな風に俺を見ている奴もいるんだと、気づかされた。あの時はただ一人、孤独と隣り合わせで日々を過ごしていたが、もし、もしもリリアが同じ時同じ場所にいたのなら、もっと楽しかったのかも知れない。


「……ありがとな、リリア」

「ふぇ……」


 鼻水を垂らしながら顔を上げるリリア。


「嫌なことばっかり見せられて、すっかり大切なことを忘れてた」

「大切な、こと……?」

「そう。俺が凌辱モノのエロ漫画を描くことになったきっかけは、この地獄続きの日々に吹っ切れた時だったんだ」



 あの時は綺麗な夕焼けだった。その日は今までで一番イジメられた帰り道、俺は全てが嫌になり、訳もわからず走り出していた。


 走りに走ってヘロヘロになり、転んだ。もう走れない、今自分がどこにいるかも分からない。


 空っぽだった。何もない。体力も。周りからの助けも。精神的支えである初恋すら失った。


 もう、自分には何もないのか、そう思った時、転んだ拍子にぶちまけたカバンの中身、自分の描いた絵と絵を描くための道具が目についた。


「……」


 ノートを手に取って自分の絵を見返す。その中にはミカちゃんに見せた絵も勿論あった。


 どのページをめくっても必ず自分の描いた絵はそこにあった。授業中も休み中も、家に帰ってからも描いた絵があった。


「何もない……じゃない」


 そして気づいた。何もないのではない。これしかないのだと。


 そう気づいた瞬間、今までの出来事を振り返ると腑が煮え繰り返った。ゆうやくん、周りの取り巻き、そしてミカちゃん。


 そもそも、どうしてミカちゃんは俺に優しくしたのか。ゆうやくんがいるのなら尚更訳がわからない。俺を最初から嵌めるつもりじゃなかったのか。


 ふつふつと怒りは込み上げ、そして爆発した。


「……こん、ちっくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 力任せにミカちゃんの絵をぐちゃぐちゃにする。紙が破れる勢いで、ペンを走らせる。ただぐちゃぐちゃにするだけでなく、どうすれば汚くなるか、より汚れる汚し方を見つけ、描いて描いて描いて。


「はぁ……はぁ……」


 気づけば、原型を止めていない。とんでもない絵が生まれていた。ぐちゃぐちゃなのに、ミカちゃんが汚れているのが分かる抽象的な絵が。そして、なぜか達成感、高揚感を得た。得てしまった。


「ふ、ふふ……! ははははははっ!」



 次の日から、俺は変わった。周りの視線も気にならなくなった。真っ直ぐに自分の教室に向かう。絵を描くために。


「……」


 クスクスと、笑い声が聞こえた。いつものことだ。俺の机の上に花瓶とノートが置かれていた。ノートには『ふしんしゃ!』『へんたい』『きもい』など様々な罵詈雑言が書かれていた。


「(花瓶は邪魔だな……だけど、ノートはありがたく使わせてもらうか)」


 すぐに花瓶を退けて、置かれたノートをめくって真っ新なページに絵を描き始める。周りもいつもと違う様子に少し困惑していた。


「おはよー」

「あ、あぁ。おはよう」

「? どうしたんだよ」

「い、いや。ほら」

「……おい、何やってんだお前」


 誰かと思えば、ゆうやくんだった。遠くではミカちゃんが事の行く末を安全圏で見ている。


「……何って、絵描いてるだけだけど」

「そうじゃねぇ。何勝手に人のノートに書いてんだって言ってんだよ」

「あ、これゆうやくんのだった? ごめん。今描いてるのが描き終わったら返すよ」

「はぁ!? ふざけてんじゃねぇ!」


 机を蹴られ、大きな音が教室に響き渡る。


「……」

「何調子に乗ってんだよお前……!」

「……」


 俺は手を止めない。ただひたすらに、描き続ける。


「おい! 聞いてんのか!?」


 胸ぐらを掴まれ、立ち上がらせる。それでも、俺はペンを離す事なく、手を伸ばし机に置いてあるノートに描き続けていた。


『何あれ……』

『なんか怖くね……?』

『きもい……』


 今まで嫌だと思っていた罵詈雑言が心地よく感じてくる。どうやら俺は完全にイカれてしまったらしい。


「お前……!」

「あぁ、描き終わったから返すよ」


 そしてゆうやくんにノートを渡した。


「うっ……!?」


 それは恐怖に怯えた男の子の表情を描いた俺の絵があった。男を描くのは面白くなかったが、ゆうやくんが嫌そうな顔をしてくれたので気持ちが良かった。



 その日から、俺はイジメられることもなくなった。周りの奴らからはヤバいやつだということが知れ渡ったのか、誰も近づかなくなった。教師も俺を見限り、授業中に注意されることも無くなった。


 もう誰も俺の絵を邪魔させない。だって俺には、これしかないのだから。



「そうだ……! 俺はやってみせたんだ。この地獄を、乗り切ってみせたんだ……!」

「……」

「な、なんだよ……」

「いえ……女の子を辱める絵を描いて達成感を得るのはちょっと……」

「待て待て。流石に小学生時代はエロ絵に手は出してないからな」


 エロ絵に目覚めたのは中学生時代からである。本格的に描き始めたのは高校生からだったろうか。


「こ、こほん。よし、じゃあそろそろ目を覚ますか」

「そ、そうですね! 色々と吹っ切れたみたいですし、早く帰りましょう!」

「……」

「……」

「え? これ覚めるよね? どうやって覚めるんだ?」

「わ、私も分からないです……」

「えぇ……」


 勝手に人の夢に飛び込んできて出方が分からないとは……。もしかして一生このまま、なんてことないだろうな。心配になってきた。


「あ! お、思い出しました!」

「ほ、本当か!?」

「タクミさん、まだ心残りがあるんじゃないですか?」

「心残り?」

「はい。私がかけた魔法は淫魔特有の催淫魔法です。私のはちょっと不完全ですけど……魔法をかけられた人の願いを夢の中で叶えられるようにする魔法なんです」

「なるほど……?」

「つまり、タクミさんの夢を叶える。夢じゃなくても、後悔だとか、そういった類の心残りを解消できればこの悪夢からは目が覚めると思うんです」

「うーん、心残りか……」


 考えてみたが思い浮かばない。小学生時代にやり残したこと、ということか? 逆境を跳ね返してみせたし、心残りはないように思えるのだが。


「……! じゃ、じゃあ、目一杯遊びましょう!」

「え?」

「私の目的を思い出しました。えっちな……じゃないくて癒されるような夢を見せるためにタクミさんの夢の中に入ったんです」


 今えっちな夢って言おうとしてたような……。


「ということで、遊びましょう!」

「お、おい!?」


 リリアに手を引かれて、駆け出した。姿は小学生のままなので、抵抗することもできず引きずられるように夢の中を駆けていくのだった。



「わー! ここ、ゲームセンターっていうところですよね!?」

「いや、そうだけど……こんな呑気にしていていいのか?」


 時刻はまだ午前中。夢の中ではあるが、普通の小学生なら学校に行く時間。こんなところを警察に見られたら大事だ。


「いいんですっ! だって夢なんですから!」

「……それもそうだな」


 リリアの能天気な笑顔につられて笑ってしまう。


「タクミさん、これは?」

「クレーンゲームだな。お金を入れて景品を取るゲームだ」

「へぇ〜」


 クマのぬいぐるみが大量に敷き詰められているガラスの箱に興味津々だ。人間界にきて随分経っていそうだが、こういう場所にはあまり入っていなかったのだろうか。


「……やってみるか?」

「いいんですか!?」

「お金は……うおっ」


 さすが夢の中。ポケットを探ると財布が出てきて小銭もジャラジャラと入っていた。


「じゃあほら」

「え? え? ど、どうするんですか?」

「ほら、ここのボタンを押して、アームが動くから……」


 俺は店の店員ばりにクレーンゲームの説明をした。ふむふむとリリアは真面目に聞いてくれている。


「なるほど、やってみますっ!」


 うぃーん、すかっ。


「あ、あれ?」

「金なら全然あるし、何回でもやっていいぞ」

「よ、よーしっ! 今度こそ……!」


 うぃーん、すかっ。

 うぃーん、すかっ。

 うぃーん、すかっ。


「な、なんでですかぁ……?」

「ボタン押すタイミングが早すぎるんだよ……」


 アームが弱いとか以前の話だ。そもそも景品を掴めてすらいない。投資がどんどん増えていく。リアルじゃなくて本当によかった。


「仕方ないな……」


 クレーンゲームなんて久しぶりだが、コインを投入して集中する。


 狙いを定めて……ボタンを押した。


「あっ! 持ち上がりましたよっ!」

「アームの力つっっっよ……現実でもこうならいいのに」


 ぬいぐるみが少しめり込むぐらいアームが掴んでいる。これも現実ではあり得ないことだろう。


「ほら、取れたぞ」

「え?」

「え? あ、あぁ。もしかしてそんな欲しくなかったか。それなら──」

「い、いるっ! いりますっ!」


 出したぬいぐるみを引っ込めようとしたが、そうはさせまいとプロバスケ選手並みのスティールを繰り出されてしまった。


「えへへっ……」


 楽しそうで何よりだ。あまりに楽しそうに笑うモノだから、恥ずかしくてつい目を背けてしまった。


「あっ! じゃあ次はあれやりましょう!」


 その後もいっぱい遊んだ。


 学校をサボったことも初めてだった。イジメられている時サボってやろうかとも考えたが、一度逃げたらずっと逃げ続けるかもしれないと思って学校には行くようにしていた。


 初めて撮ったプリクラ。機械の操作方法が俺もリリアも全く分からなかったが何とか撮れた。2人ともぎこちない笑顔になってしまったけれども。


 初めて女の子と買い食いした。商店街にいくとまるでパレードのような賑わいになっており、綿飴、たこ焼き、コロッケ、とにかく美味しそうなものはお金を考えずに買いまくった。


「おいひぃれふね〜」

「……」


 両手に何とか抱えられるぐらいに買い漁るリリア。俺の2、いや3倍は食ってるのではなかろうか……。


「んぐっ……! ゆ、夢ですからねっ!? い、いつもはこんなに食べませんから!」

「何も言ってないが」

「目が『こいつ食いすぎだろ……』って言ってたんですぅ!」


 鋭い。一言一句間違っていない。


「ふ、は、ははっ」

「わ、笑わないでくださいよぉ!」

「はははははっ!」

「……もう。ふふっ」


 2人で馬鹿みたいに笑った。それがとても、心地よかった。



 楽しい時間はあっという間に過ぎていき、気づけば日が暮れていた。2人で歩いて、辿り着いたのは──。


「わぁ! ここでタクミさんは授業を受けていたんですね!」


 学校だった。俺たちの他に誰もおらず、自由に出入りできた。本当に都合のいいよくできた夢だ。


「魔界にも学校はあるのか?」

「ありますよ。だけど、みんな結構テキトーです。授業を出たり出なかったり」

「リリアは毎日出てそうだな」

「う……せ、先生にも真面目すぎるって怒られたことあります……」


 リリアらしい。そこらの人間よりよっぽど真面目だ。


「ふふっ、ちょっと窮屈ですね」


 小学生用の椅子と机にリリアが座る。ふくよかな体のあちこちが机に密着してむにゅっとしている。何だかそういうジャンルのAVを見ているような気分だ。


「って、その席……」

「え?」

「……いや、何でもない」


 本当に偶然だろう。初恋だった人の席に座っていたのは。


 リリアの隣に座り、少しすると教室から見えていた外の景色がぼやけてきた。


「うわ……なんだ?」

「多分ですけど、夢から覚めるんじゃないでしょうか」

「そ、そうなのか……」

「ということは、心残りなく、遊べたってことですね! 私、がんばりました!」


 えっへんと胸を張るリリア。


「……あぁ。そうだな。ありがとう、リリア」

「な、なんですか急に。らしくないですね」

「……かもな」


 恥ずかしくて、少しリリアから目を背ける。目に映るのはかつての教室の黒板。昔の記憶を思い出させる。


「……本当に、リリアのおかげだ」

「タクミさん……?」

「心残りがあって、夢から目が覚めないって、リリア言ってたよな」

「は、はい」

「俺、小学校の時とか友達なんて本当にいなくてさ。ほら、俺が小学生の時はあんなだったし。友達と遊んだりとか、本当になくて。ましてや女の子となんて微塵もなくて」

「それは……」

「でも、リリアと遊んでて、本当に楽しかった。もし、学生時代に友達とか恋人とかいたら、こんな学生生活もあったのかなって、思った」

「……」

「俺は──」


 後悔は無くなったつもりだった。だけど、心の片隅で、いつも羨んでる自分がいた。口に出したら、もう止まれなかった。


「誰かと仲良くなって、友達ができて、恋人ができて、そんな生活も、送ってみたかったんだ」


 目が少し潤んでしまう。自分でも情けない。でも、これでいい。後悔は、リリアがかき消してくれた。


「タクミさん……」


 ぎゅっ、と。後ろから抱きしめられる。暖かい。いい匂いがして、安心する。


「これから、まだまだこれからです。私も、手伝いますから」


 教室の外の景色との境が曖昧になる。視界が白くなっていく。


「過去はもう、やり直せないけど、でも、俺には漫画がある。俺の過去の思いを、願望を、絵に描き起こすことができるから」

「……はい」

「俺、描くよ」

「……はい!」


「俺のやりたかった、純粋に誰かを愛するような物語、描いてみせるからっ!」


「……はいっ!!! ん……? も?」


 夢から覚める。俺は、淫魔に命を救われた。

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