第13話 漫画家と漫画家
「ちょっと面貸しなさい」
「え……こわっ……」
それは唐突だった。
ある日、いつものようにリリアからときめくシチュエーションを教えてもらう時間、通称”トキメキ講義”を受けた後に、部屋を出て居間で一休みしている時だった。
売れっ子女性漫画家、木山恭子大先生に絡まれてしまった。座っている俺をいつものようにゴミを見るような目で見下ろしてきている。
「金ならないぞ」
「そんなことぐらい分かってるわよ」
どうやら金を集りに来たわけではないらしい。というか俺より稼いでいるのに俺から金を取る理由はないわな。
「私と勝負しなさい」
「勝負って……何の?」
「決まってるじゃない。漫画で勝負よ」
こいつは何を言っているんだ。漫画で勝負? 紙とペン、ペンタブと液タブで殴り合いでも始めるつもりか?
「漫画で勝負って……漫画の面白さとかどれぐらい人気だとか、そういうことか? それなら相手にならないだろ」
「へぇ……舐められたものね……」
「違う違う! 俺! 俺の方が負けるって意味だ!」
こいつ、拳握りしめてやがった。危うくグーで殴られるところだった。
「今までの漫画で勝負したら、それは総合で私の勝ちだってことは目に見えてるわ」
「そうですか……」
さっきからちょいちょいマウント取られてる気がするのは俺だけだろうか。腹立つなコイツ。
「そこで! あなたが今、絶賛大絶好調中のWeb漫画対決といこうじゃない」
「Web漫画対決ぅ?」
「ルールは簡単。1〜4ページのショートストーリーを互いに描いて面白かった方の勝ちよ」
「はぁ……」
拒否権はないらしい。ここまで強引なのは珍しい。
「それじゃ、24時間後にまた」
「おいおいおい、まだ勝負するなんて言ってないんだが」
「何よ。逃げるつもり?」
「逃げる逃げない以前に状況が飲み込めないんだっつーの。どうして急に勝負なんて言い出すんだよ」
「漫画家と漫画家。対面したらやることは一つでしょ」
「ポケモントレーナーかお前は」
「理由を言えば勝負してくれるの?」
「……まぁ、理由次第なら」
はぁ、とため息をついて恭子は話し出した。
「最近、あなたの漫画が日の目を浴び始めてるじゃない。単純に気に入らないのよ」
「小学生かよ……」
「さ、理由は言ったわ。勝負、受けてもらえるんでしょうね」
恭子の目はマジだ。これ以上茶化しては命が危うい。
「……分かった。だけど勝ち負けはどう決めるんだ? お前みたいな売れっ子漫画家がと俺だと、フォロワー数が桁違いで圧倒的に俺が不利なんだが」
「そうね、桜井くんに判定してもらいましょ」
「聖也か。文句ないな」
ガチオタクの聖也なら忖度なしの評価をくれることだろう。
「それじゃ」
「おい待てよ」
「何? まだ何か聞きたいの? 私はあなたのママじゃないんだけど」
「お前みたいにヒスってるママなんか嫌に決まって──待て振りあげた拳をおろせごめんなさい話を聞いてくれると助かります」
「……早く言いなさいよ」
「勝負なんだから勝ったら負けたらの話がいるだろ。こういう場合は」
「そうね。私が勝ったらあなたに死んでもらおうかしら」
「急にデスゲーム始まっちゃったよ……」
「というのは半分冗談。負けた時の罰ゲームはじっくり考えさせてもらうわ」
怖すぎる。というか半分しか冗談じゃないのかよ。とんでもない拷問とかさせられるんじゃないだろうか。
「じゃあ俺が勝った時には──」
「嫌よ」
「まだ何も言ってないだろ」
「言わなくても分かるわ。どうせエロい罰ゲームするんでしょ」
「しねーよ! ったく、これだから頭ピンクは困るぜ」
「エロ漫画家の要求なんてエロい罰ゲームに決まってるじゃない」
「んなわけあるか」
「じゃあ他にあるの?」
「当たり前だろ。例えば……」
恭子に与える罰ゲーム。頭の中で想像する。いつもマウントを取られてばかりなのだ。この機会にたっぷりと屈辱を味合わせなくては。
何がいいだろう。恥ずかしい格好をさせるとかどうだろうか。メイド服。チャイナ服。いや、この際思い切って牛柄ビキニとか着させるのもいいかも……。それで乳首当てゲームとかしちゃったり、くすぐり耐久とかも……。
「もういいわ。完膚なきまでに捻り潰してあげる」
「漫画勝負の話だよな? 物理的に捻り潰したりしないでくださいよお願いだから」
「……とにかく、これは私とあなたの勝負よ。覚悟しなさい」
こうして、命からがら自室へと逃げ帰ることはできた。兎にも角にも、この勝負、負けるわけにはいかない……!
「それで勝負することになったんですか」
「あぁ。いい機会だ。今までの雪辱を晴らしてやるぜ」
部屋にいたリリアに説明を終えて今に至る。こいつはいつになったら俺の部屋の不法侵入を止めてくれるのだろうか。
「なるほど、道理で」
「何がだ?」
「さっき恭子さんとすれ違ったんですけど、嬉しそうな顔してましたもん」
「なるほどな……俺を殺りたくてウズウズしてた、と」
「そういうことじゃないと思いますけど……はぁ、いいですよもう……」
心なしかリリアが不機嫌な気がする。何か気に障ったのだろうか。
とにかく今は自己防衛のためにも漫画を描かなくては。というか24時間とか早すぎる。デザイナーのことを何も分かっていない顧客じゃあるまいし。
そして、テーマは面白い漫画ときた。つまり何でもありだ。純愛を描こうがエロを描こうがOKということである。
「やはり得意分野の凌辱モノで──」
「いいわけないじゃないですか!」
「え? ダメ?」
「タクミさん、感覚が麻痺してます! 一般女性に対面で自分の描いたエロ漫画を見せるなんて正気じゃないですよ!?」
「淫魔に正論で殴られるとは……」
確かに、審査員の聖也だけでなく当然恭子も俺の描いた漫画を見ることになるだろう。危うくセクハラで訴えられて社会的にも抹殺されるところだった。
「エロがダメとなると……」
チラッとリリアを見る。
「そ、そうですよね。私の力を借りるのが一番手っ取り早──」
「いや、ありがたいけど止めてく」
「仕方ないですねぇ。いつものように私が教えて──ってえぇ!? な、何でですか!? 私、いらない子になっちゃたんですか!? もう童貞くれないんですか!?」
「おわぁ!?」
足元に縋りよるリリア。胸が足にムニュムニュ当たるから止めてほしい
「お、落ち着けぇ! 一旦離れろ!」
「あんっ」
リリアの拘束を振り解く。くそっ。いちいちエロい声出しやがって……。
「……あいつ、俺との勝負だって言ってたんだよ。俺だけ人の力を借りるのは、フェアじゃないと思っただけだ」
「タクミさん……」
……ちょっとクサかったかな。
「じゃあ負けを認めるということですか……」
「はっはっは。俺が負けるのは確定事項ってことですかい? 無自覚悪口ですかい?」
「だって一番にえっちな漫画を描こうとする人ですし……」
くそぅ。何も言い返せないのが一番悔しい。
「見てろよ、俺にだって面白い漫画を描けるってところを見せてやるぜ」
ああでもない、こうでもないと考えてみるが、決まらない。アイデアが浮かんでは消えて、浮かんでは消える。まるでシャボン玉みたいだ、綺麗だな、あはは。
「ねーねー、おにーさん遊ぼうよー」
加えてこのメスガキの襲来である。いつの間にか部屋にリリイまで来ていた。もういつもの事すぎて驚くことすら面倒くさい。
「おいリリア。このメスガキを何とかしてくれ」
「こらリリイ。タクミさんは忙しいんですよ」
「ぶーぶー。やっとお仕事(掃除と洗濯)終えてきたのにぃ」
「……待て、掃除と洗濯を終えただと?」
「そうだよ。前まで4時間ぐらいかかってたけど、今は2時間ぐらいでできるんだよ。 どう、すごい? すごい?」
に、二時間で何も思いついてねぇ……。机に突っ伏して絶望にひれ伏した。
「タクミさん……」
「……偵察に行くか」
「へ?」
「敵情視察というやつだ。奴がどんな漫画を描いているのか見に行くんだよ」
「ま、まさかパク──」
「敵情視察だっ!」
そう、決してパクろうなどとは思っていない。思えば俺は恭子が漫画を描いているところや作業場を見たことはない。もし見たいなんて言えば罵倒で返されることは目に見えているからだ。
「ま、少し覗くくらいならいいだろ」
「どうなっても知りませんからね」
結論から先に言うと、グーで殴られました。
部屋の前に行ったところで恭子に出くわし、半強制的に部屋の前にいた理由を吐かされた挙句、グーパンでフィニッシュであった。
「うぅ……くそっ……普通成人男性をグーで殴るか? 許せねぇよ……」
「おにーさん可哀そー、よしよし、痛かったねぇ」
「慰めるな……余計悲しくなる」
打つ手が無くなってしまった。時間も迫っている。凝ったストーリーを描くことはタイムリミットを考慮すると難しい。もはや勝負はついたかのように思えた。
「あは、おにーさんが凹んでるところ珍しいかも。おにーさんは偉いねぇ、呼吸するだけでもえらいえらい」
「お前な、他人事だと思って──」
ここで、閃く。今のこの状況、いける。そして、このアイデアは俺の射程距離内だ。
「リリイ、頼みがある」
「へ? なに?」
「俺を赤ちゃんだと思って接してくれないか?」
約束の時間、24時間が経った。勝負の舞台は居間。すでに聖也は待機しており、作品が発表されるのを今か今かと待ち侘びていた。
恭子は髪を後ろに縛り、完全な戦闘態勢を取っていた。
「恭子ちゃん、やる気満々だね」
「負けられない戦いだもの。それより勝負の審判、引き受けてくれてありがとうね」
「いやいや、むしろこっちがお礼を言いたいぐらいだよ。漫画家2人のオリジナル作品が見られるなんて……高揚してしまいますな、えぇ」
ちゃっかりオタクモードに切り替わる。聖也の方も心構えはバッチリらしい。
「まだあの性欲まみれの漫画家は来ていないのかしら」
「もうすぐ来ると思うけど──」
「待たせたな」
「ふん、遅かったじゃない。怖気付いたかとおも──うわぁ……」
「た、タクミ……その格好は」
2人が驚くのも無理はない。俺の今の格好が普通ではないことぐらい、俺が一番よく分かっている。
右手にはガラガラ。左手には哺乳瓶。首には口拭きをかけている。
「ヴォエ……吐きそ」
「タクミ……ちょっと一回休もう? 最近忙しかったのかな? 勝負なんてしてる場合じゃないよ。ゆっくり寝てくれお願いだ」
「言いたいことは分かるが、俺は至って真面目だ。これは作品を描き上げるため仕方なかっただけだ」
「作品を……?」
「……はぁ。もういいわ。早く作品を披露しましょう。あとその格好、早く止めてくれないとゲロ撒き散らすわよ」
「汚いこと言うな」
赤ちゃんスタイルを脱ぎ去り、いざ尋常に勝負。
「じゃあ、まずは恭子ちゃんの作品だね」
「えぇ。私の作品はこれよ」
原稿データが入っているスマホを見せる。聖也は受け取り、数分ほどスマホと睨めっこした後──
「く、くぉれはぁ……!?」
聖也がのけぞりかえり、驚愕する。
「と、とてつもないクオリティ……! 数時間で描いたとは思えないほど完成されたストーリー……! 濃密ながらも簡潔にまとめられた構成。か、完璧すぎる! 尊いなんて言葉すら生ぬるいほどだ! 次に読む漫画が霞んでしまうかも……!」
「おい審判。褒めすぎだろ」
「じゃあタクミも読んでみなよ」
聖也からスマホを渡される。
「……く、面白いじゃねぇか……」
先ほど聖也が言っていたことは嘘ではなかった。ジャンルとしては恭子お得意の恋愛モノだった。オラオラ系の男が、清楚系お嬢様と出会い、家柄も思想も何もかも正反対の2人が、バチバチにぶつかりながらも仲良くなっていき、最終的に付き合う様子が簡潔に描かれていた。
何より驚くべきことは、これを1日で仕上げたということだ。しっかり4ページ描いてやがる。俺が同じ内容を描こうと思ったら1、2週間はかかるだろう。
「勝負あったわね」
恭子からスマホを取り上げられる。
「……いや、まだだ。俺の漫画を見てから判断してもらおうか」
「……へぇ」
「俺の漫画は……これだっ!」
スマホを聖也に見せつける。
「こ……これはっ……!? へ、癖……っ!!!!」
「へ、へき……?」
俺の描いた漫画は、メスガキに赤ちゃん扱いされ、幼児退行するというかなり偏った内容だった。時間もなかったので2ページしかないが、メスガキに『ざーこざーこ』と言われながらもご飯を食べさせてもらったり頭をナデナデされる様子を描いた。そして男は赤子に帰る、というハチャメチャ漫画である。
「う、うおぉぉぉ……」
聖也は感動? のあまり声を漏らしていた。
「うわ……」
恭子はドン引きしていた。
「こ、これ……本当に赤ちゃんの気分になってしまうというか……はっ! そ、そうか! この漫画……ずっと一人称視点、つまり赤ちゃん視点じゃないか!」
「その通りだ。その視点を描くのに俺は赤ちゃんになりきりその視点を描くことに成功したというわけだ」
「こ、こんな描写……異常者にしか描けないわ……」
恭子をドン引きさせるレベルの漫画を描くことができた。苦労した甲斐があったと言うものだ。ちなみにリリイにママ役をやってもらっている間、リリアの視線がめちゃくちゃ冷たかった。
「さぁ! 判定してくれ! 恭子の漫画と俺の漫画、どちらが面白かったか──」
「それは恭子ちゃんかな」
「あれぇぇぇぇ!? な、なぜ!?」
「いやぁ、面白いっていうテーマだと恭子ちゃんでしょ。万人にも受けるしね。拓巳の漫画は……面白いんだけど奇抜というか奇天烈というか……普通の面白いを超越した感があると思って。一般人目線に立って評価して、この結果にさせてもらったよ。それと純粋にボリュームの差が出てたかな。恭子ちゃんのストーリーの満足度に対して拓巳の漫画はある程度読み手に想像させて補完させてるからね。読み手が読んで素直に面白いと思えたのは恭子ちゃんの作品だったかな。後は──」
「もういいです許してください」
死体蹴りが過ぎる。俺も手を抜いたつもりはないが、恭子の漫画の完成度が圧倒的に高かったことは事実。負けを認めるしかない。
「(……私の圧勝だと思ってたのに。少しだけ、ほんの少しだけ不安に駆られてしまったわ。こいつの漫画、前よりもどこか現実味を帯びてる感じがする。ただの妄想だらけの童貞漫画じゃ無くなってきてる)」
「……なんだよ」
「別に。勝利の悦に浸ってただけよ」
「純粋に嫌な奴だな」
「勝負はついたわけだけど、勝ち負けで何かあるの?」
ぎくっ。聖也のやつ、余計なことを言いおってからに……。
「……聖也。頼みがある」
「ど、どうしたの」
「俺の亡き後は……俺のPCデータを全消去をしてくれ」
「何を言ってるのか分からないけど、早まらない方がいいよ」
勝者の言うことは絶対。俺は恭子の言いなりになるしかないのだ。
「……冗談」
「え?」
「じょ、冗談に決まってるでしょ。そりゃ、こんなクソ漫画家早く死なないかしらと思ったことは多々あるのは事実だけど」
「事実かい」
「今回は見逃してあげるって言ってるの」
「お、おぉ……」
なんと、恭子様からお許しがいただけた。明日は隕石が降るかもしれない。
「そ、その代わり、私の言うこと1つ聞いてもらうわ」
「な、なんだよ」
何か言いにくいことなのだろうか。いつもと違って歯切れが悪い。どこか顔が赤いようにも見えなくない。こんな恭子は初めて見たかも……。
「その──」
「おにーさん! 勝負どうだった!?」
「すみません、どうしても気になってしまって──あ」
リリイとリリアが居間に登場した。くそっ、一番来てほしくない時に来やがって……。
勝敗は今の状況を見れば明白だろう。恭子は俺を見下ろし、俺は正座をしているのだから。
「えー!? もしかして負けちゃったのー!?」
「みたいですね……」
「ぐ……!」
メスガキの本領発揮。これでもかと煽ってきやがる。
「お、お兄さん……アタシにママの格好までさせたのに負けちゃったんだ〜。あれだけ膝の上でバブバブ言ったり、おっぱいチューチュー(疑似)させてあげたのに……かわいそうだね……よしよし、ママが慰めてあげまちゅよ~♡」
こ、このメスガキ……! 今この場で一番言ってはならんことを……!
「「は?」」
恭子と聖也が同時に声をあげた。
「あー……そうか、そういうことか……」
聖也はすぐに感づいたらしい。手を額に当てて、天を仰いでいる。
「拓巳……君ってやつは……鬼才が過ぎるっ! さっきの勝負の評価が揺らぎそうだよ全く!」
「え? マジで? じゃあ今からでも漫画の再評価を──」
「それは恭子ちゃんだね。今のを聞いて拓巳の漫画はますますニッチさが増したし」
「あ……そう……」
一縷の希望が砕けた。もし俺が勝っていたのなら、恭子のこの”圧”を退けることができたのかもしれないのに。
「へぇ……リリイちゃんに、ね……」
「い、いや……漫画家としては当然のことをしたまでというかね? 作品のリアリティを追求したものを描こうと思ったら仕方ないことでして……」
「えー? お兄さん仕方なく赤ちゃんになってたのー? 満更でもなさそうだったのに~?」
「嘘ですね。鼻息、荒かったですし」
退路が無慈悲にぶっちぎられた。
「やっぱり死んでもらおうかしら」
「すみませんすみませんすみません」
喉が枯れるくらいの謝罪で、なんとか命を繋ぐことができた。やはり恭子は俺を殺したくて仕方がないらしい。
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