第8話 恐れていた事

登場人物

―リヴィーナ・ヴァンマークス・シュワイツァー…軍人、魔術師、友を探すドミネイターの少女。

―ドーニング・ブレイド…不老不死の魔女、オリジナルのドミネイター、大戦の英雄。



二一三五年、五月七日:北アメリカ大陸、ミシシッピ川条約機構議長国『新アメリカ連邦』領、旧フロリダ州地域、暫定グレーター・セミノール保留地近郊


 映画的な光景に思えた。鮫の背鰭せびれが不気味に、かつ威圧的に海面から突き出て動き回っている。そのような光景を見たのは初めてであった。

 古い映画などでよく見た光景――少なくともそのように思えた――であったが、実際に見るとなんとも言えない異様さ、そして背筋がぞわぞわするような感覚があった。

 だが、実際にはあれは一体なんであるのか。浜から少し離れた沖に突き刺さったビルの破片に、わざわざ鮫が集まるのであろうか。下手すると鮫側にも座礁の危険性はある――鮫がそれを恐れるかは知らないが。

 普通に考えれば鮫というのは肉食の軟体魚であり、狂乱索餌状態でも無ければフィクションで誇張されるような血に飢えた怪物という事も無いように思われたが、それでも餌があればそれに自然と群がるのであろう。

 つまりあの近辺には餌があるはずだが、しかし不死の魔女は何故、鮫が集っているだけの光景に何やら意味深な表情を向けているのか。

 鮫の頭上では、あたかもゲーミングPCのような発光器官を持つ空飛ぶ蚯蚓みみずか触腕の塊じみた生物の群れが大量に羽ばたいていた。

 確かあれはスモール・ウィングド・スカベンジャーと呼ばれる種であったか。やはり鯨でも死んでいるのかと思ったが、しかし鯨であれば浮いているか、部位が海面から出ていそうに思えた。

 それにラニが言っていた事だが、正確に言えばスカベンジャーと総称されるドーン・ライト側の無害な鳥類じみた生物は、実際には腐肉を漁るわけではないらしい。

 流血を感じ取るとそれに群がる性質があるようだが、しかし臆病なので実際に襲い掛かるまではしない。他の生物がとどめを刺すか、あるいは自然に死ぬまではその周囲を飛ぶだけなのだ。

 ある種の死神のようであるが、しかし強力な捕食動物ではない。だが、鮫は…。

 そのように色々考えているとどんどん気になってきた。あそこに何があるのか。そして何故、大戦の英雄はそれを気にしているのか。

 リヴィーナはドーニング・ブレイドの横顔をちらりと見た。こうして実際に見ると彼女はとても美しかった。ロックス状の髪は風に吹かれて揺れ、色の濃い肌はきらきらと輝いており――しかし色違いの瞳の片側は、明確な不安に彩られていた。

 リヴィーナは不意に嫌な予感がした。その正体を認めないようにしたが、とにかく駆け出した。振り返ると魔女は少女を止めようとして躊躇ったように見えた。

 それを振り切るようにして砂浜の上で足跡を残しながら海へと接近し、打ち寄せる海水を避けるようにジャンプした。

 彼女は赤と茶が混ざったかのような、腐肉か何かの組織じみた有機的な衣服で浮力を発生させた。遥か彼方のアンドロメダ銀河にあると言われている蛸型甲殻種族の銀河帝国で使われるテクノロジーに劣化した形で準拠したそれが揺らめいて彼女を海面から浮遊させた。

 海面から高さ七フィート程上を浮遊している彼女は滑空して問題の地点に接近した。今や嫌な予感はほとんど確信であった。

 それは赤かった。赤い染み、靄、あるいは濁りか。水面下が赤くなっているのが見えた。彼女はそこに死を感じ取った。捕食者達が群がっているのだ。

 海水が綺麗なので下まで透けて見え、メートル換算で言うと約五メートル程の深さの浅瀬の下の方に留まっている肉塊が、鮫の群れに集られて齧られながら、しかしそこから動けないでいた。

 ゆらゆらと揺れるその物体が『そうではない』と思いたかった。だがそれはどう見ても、人間の死体であるようにしか見えなかった。

 彼女は意を決して海に飛び込んだ。実際には高度なアーマーとして機能する衣服が彼女を海の温度や水濡れから保護した。フードがすっぽりと彼女を覆い、他の部位も変形した外套によって保護された。

 鮫は警戒して遠巻きになり、彼女はそれらを気にするでもなく潜って行った。体の各所が噛み千切られた遺体は痛ましいものであった。

 衣服も破れ、しかし身体的特徴から恐らく男性だとは推定できた。見れば両足が金属の鎖で繋がれ、恐らく海底に何か重石がある。後で下を見に行かねば。

 殺されて遺棄されたのか、生きたままだったのか。後者だとは思いたくなかった。顔はかなり長い時間海中にあった事で変形し、また齧られて表情は確認できなかった。人相さえ…。

 重要なのはこの人物が殺されたという事だ。生物学的には男性であろうこの人物は何かしらの悪意によって理不尽に海中へ沈んだ。非道な行為に思えた。

 海の色と差し込む光で白っぽく照らされて見えにくいが、肌の色はやや濃く、黒人やアフリカ系というよりはAAPI、ラテン系、先住民系に見えた。

 本人を特定できそうなタトゥー類は、今現在見える範囲には見えなかった。

 深刻な顔で彼女は考えた。研究によれば人類の平均的な種族としての成熟度は、人類‐ドーン・ライト戦争以前の時点でかなり上がっていたらしい。

 実際、人類は段階的な軍縮、というより目標では二一一〇年までに一旦地球全土の軍事力は解体される事となっていた。かつてであればそのような事はあり得なかったであろうと言われている。

 あちこちに深刻な対立があり、差別や不和が蔓延り、銃を向け合う偽りの平和しかあり得なかった。そのような『好戦的な』人類がそこまで行っていたのだ。

 最強の軍事力を誇ったアメリカ軍は開戦直前には往時の四分の一の戦力となっていたし、それと対立したか冷戦的であった国々され同様であった。そのような事はかつてであればあり得なかった。

 そしてそれこそが確かに成熟だったのであろう。軍縮の結果として人類は開戦時に苦戦したが、しかしなんとか勝利する事ができた。ドーン・ライトを牛耳る悪意ある実体達を排除し、講話が可能となった。

 だが、腐敗EMPが全世界のあらゆる電子機器を破壊した際、それまでの二〇年間で殺人件数が一件も無かった人類――二一世紀初頭の人類には到底信じられなかったはずだ――の成熟度は、犯罪件数の増加という形で下がった。

 彼女はそれを実際に体験した事でよくわかっていた。彼女がそもそも家出しなければならなくなった原因、両親が亡くなり、代わりに彼女を育てていた養父の一件。

 それを思うと暗澹たるものがあった。人類への失望があった。だが、目の前の犠牲者について考えねばならなかった。

 まずはこの鎖をなんとかしないければと考え、海底へと潜ろうと下方へ目を向けた。角度を変えて真下の方を見た時に、不意にぼんやりと光るものが見えた。

 朧気に発光するものがあった。まさか。彼女はそちらを凝視して潜り始めた。

 海水の色合いに照らされて変色しつつもぼうっと発光する琥珀色の大きな物体。戦場で見てきたそれを見間違えるはずもなかった。

 やや人間のシルエットを模したようなその塊こそは、異星の神格であるロイド=ブソスとの契約によって肉体が変質してしまったドミネイターが死亡した際に変貌する、グロウイング・ストーンと呼ばれる物体に他ならなかった。

 そしてここにいるとは知らなかったドーニング・ブレイド――彼女が死んだ時にもこのような鉱石化が起きるかは不明だが――以外のドミネイターとなると、それは間違いなく己の友であるラニ・フランコ・カリリに他ならないように思われた。

 彼女は慌てて近付き、変わり果てた友であろう変異物を、どうしようもなく海中で触ったり抱き付こうとしたりした。こんな事が。お前なのか。お前がこんなところで。

 混乱する思考でドミネイターの少女は衣服に組み込まれたスキャン機能を使った。ドミネイターは戦死者がグロウイング・ストーンになってもそれが誰であるか判別できるように、生体データや各ドミネイター固有の四次元的振動数が登録されている。

 データのやり取りが困難になってしまった事でデータベースの更新と反映は決してリアルタイムではないが、いずれにしても――スキャン完了、ラニ・フランコ・カリリ少佐。

 ああ。そんな。友よ。親友であったお前よ。

 海中にて、少女は己の心身が急激に冷え込むのを感じた。もう先の事が考えられないかとすら思った。本当に世話になったのだ。本当に思い出は多かった。共に苦難を乗り越えてきた。

 そして彼には家庭があった。ああ、そんな。リヴィーナは己とも仲がよかったマノアと子供達に何を言えばいいのかと思った。マノアは戦時ハワイ要塞における軍と民間の架け橋として地元政府機関で働いてきた人物で、双子の子供達も来年には戦後初の臨時高校卒業生となる予定であった。

「お前がここにいたとは…」と少女は密閉された衣服の中で言った。「ずっと一人…いや、あのもう一人の犠牲者と共にここにいたのか。お前は…」

 何を言えばいいのかよくわからなかった。リヴィーナは両親を亡くし、義父に裏切られ、最愛の人をも亡くした。そして今、大親友までも。

 鮫が遠巻きに泳ぐ海中で、リヴィーナはどうしようもなく佇んだ。

 そして、どうしようもない鬱屈さを爆発させないために、十七歳から軍に身を置いてきた少女はある事について考えないよう努めた。

 彼女の親友は、その死後に変化する輝く結晶――どうであれ死体に変わりないが、生身の頃より奇妙にも重くなる――を、重石代わりに使われ、鎖を巻き付けられていたのだ。

 耐えろ。今は耐えろ。下手人は必ず見付ける。そして復讐を決意した時、ある考えが浮かんだ。

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