第47話 クリスホイドの子供たち

 社長執務室は意外にも質素だった。

 無駄が少ない。装飾の類も最低限だし、棚と机と椅子、それ以外は小さなランプがいくつかあるくらいで、本当に簡素な、ランドンでもかなり低予算な事務所に属するくらいの部屋だった。意外だった。一流企業の社長ともあればそれなりに豪華にもできるだろうに。

 ただ、その、机の乱雑さが……。

 書類、書類入れ、何か液体の入ったコップにペンのインク、本、それらが雑多に置かれていた。本と書類は堆く積まれている。船の振動で崩れてしまいそうだ。机の中央にあったのはどうもアルバムのようで、そこにはいくつもの石像の写真が並べられていた。創作品の目録か何かだろうか。石像の写真の下にモデルか何かになった人らしきは名前が書かれていた。オーギュスト・ドラン……これは男性。モーリス・ワディンガム……これも男性。マリリン・ウィンストン、女性。シビル・シールズ、女性。エデルトルート・ユーバシャール、女性……。

 部屋の隅には魔蓄で作られた簡易暖炉があり、そこには火が灯されていた。火、と言っても実際には熱を放つ魔蓄が光っているだけで煙も何も出ないとても使いやすいものなのだが、口を開けて物を放れば多少のものなら燃やせる、そんな暖炉だ。

 ふと、第六感的なものが働いて、私はその小さな暖炉の元へ向かった。果たして放熱魔蓄の下に灰があった。私はおや、と思った。

 何かある。そう思った私はコロンブさんに隠れて簡易暖炉にさらに近づくと、咥えていたマスターカードを床に置き復元の魔法をかけてみた。暖炉の中に落ちていた灰が宙でくるくるまとまって元の姿に……なるはずだった。しかし灰はまたすぐ崩れ落ちた。

 復元阻止の魔法……! 大企業が、それこそエルメーテのような大きな会社が重要書類なんかを処分する時に使う魔法だ。しかしそんな魔法を使うなら専用の箱か裁断機を使うはずで、こんな暖炉に放り捨てるような紙に厳重にかけるものではない。疑問に思った。なので私はもう一つ呪文を唱えた。

 術者再現の魔法。誰がこの灰に復元阻止の魔法をかけたのか判定するのだ。その結果は再現魔法をかけた人間の脳裏に……つまり私の脳裏に……映像として蘇る。私の頭に流れた映像は……名刺くらいのカードを見て、顔をしかめて霧吹きを吹き付け、それから暖炉にカードを放るムーツィオ氏の姿だった。多分あの霧吹きが再現阻止の魔法が込められた魔蓄に違いない。

 私はマスターカードを咥えて娘の元へ駆け寄った。それから娘の足下にカードを置くと、肩に飛び乗りそっとささやきかけた。

「嫌な予感がするわ。気をつけなさい」

 私は目線を簡易暖炉に送った。娘もそれに気づいて暖炉を見つめた。

「何かあった?」

「復元阻止の魔法が込められたカードが燃やされていたわ」

 私の声に娘が目を見開く。真実を見る目。美しい、あの人の目。

 それから娘が軽快するように部屋中を見つめ回した。棚、机、椅子、暖炉、それからランプ。色々見ていた。そして何かに気づいたように目線を、不安定にゆらりと、泳がせた。私は訊ねた。

「どうしたの?」

 娘は答えない。

「どうしたの?」

 再び訊いたが娘は黙っていた。何かに気づいたのだろうか。しかしそれにしては妙な……不気味な沈黙だった。娘は大抵、何か事件の手がかりになるものを見つけた時、目を輝かせる。

「クリスホイドの……」

 娘がそうつぶやくのを聞いた。私は「え?」と訊き返した。

「……クリスホイドの子供たち」

 それは私の問いかけに対する答えにしてはひどく抽象的な言葉だった。私は再び訊ねた。

「どういうこと?」

 しかし娘は答えなかった。

「あー、あー、応答を願います。応答を願います」

 不意にコロンブさんの胸元から声が上がった。信号魔蓄から声が聞こえているのだと分かった。不用心なくらい大きい、だけど何だか緊急性のありそうな声だった。

「ミス・コロンブ。ミス・コロンブ。社長執務室にいらっしゃるとのことですが正しいですか?」

「正しいです」

 コロンブさんが声を潜めて応答する。

「その部屋に、マクシミリアン船長はいらっしゃいませんか?」

 コロンブさんが答える。

「いませんが?」

 すると魔蓄の向こうの人……推定船員さんは、今度はハッキリと困ったような声を上げた。

「となるとあのパラシュートはやっぱり……」

「どうかしたのですか?」

 どうも重大事件だということに気づいたのだろう。コロンブさんが声を凍らせ訊ねた。すると船員さんが答えた。

「いないんです」

「いないとは?」

「その……」

 魔蓄の向こうの船員さんが言い淀んだ。しかしそれから、意を決したように告げてきた。

「いないんです。マクシミリアン船長が」



 操舵室に向かう途中。

 乗組員船室の階で合流した船員さん……ミック・ミルンさんはコロンブさんに報告した。小声で、人目を憚るような口調だったが、しかしハッキリとこう聞こえた。

「パラシュートがひとつなくなっていることに船員のヘイデンが気づいたんです。で、不審だったので一旦副船長のパトリックに報告して、副船長が船長に定時報告しようとしたら、見つからなくて……」

「隅々まで探したのですか」

 コロンブさんがてきぱきと訊ねる。

「想定し得る範囲は全て。後は客室と大広間だけですが……」

「客室乗務員を全て動員して当たらせます」

 コロンブさんが胸元の魔蓄に口を寄せた。二言三言つぶやく。きっと全乗務員の動員を試みているのだろう。

「客室はこちらで調べます。大広間は私が。運航に関わる者以外の船員で他の場所を」

「他の場所を、と言われましても船員カードで入れるところは全て当たっています」

 コロンブさんが声を荒げた。

「もう一度当たるのです! 本人は見つからなくても何か手がかりが、分かることがあるかもしれないでしょう!」

 ミックさんが姿勢を正した。

「パトリックに報告します。船員全員でもう一度捜索します!」

「我々騎士団も助力します」

 バグリーさんが慌ただしくグレアムくんに告げた。

「乗っている騎士団員全員で捜索に当たれ! いかなる手がかりも見逃すな!」

「はっ」

 グレアムくんが姿勢を正した。

「直ちにっ」

 駆け出す彼を見て、娘が何かを飲んだ。その目が不安そうに細められていた。



 しかし結果は徒労だった。操舵室で待たされた私たちに届けられた報告は、客室乗務員全員で客室を当たったが船長はおろか船長の帽子さえ見つけられなかったというものだった。騎士団の捜索結果も同様だった。大広間を当たったコロンブさんも同様。やがて副船長と思しき少し立派な制服を着た男性が帰ってきた。彼の手には一枚の紙切れがあった。

「船長室の抽斗にありました」

 彼の顔色は頗る悪かった。

「こんな手紙が」

 彼の手の中に、あったものは。


〈これは復讐だ〉


 異様なほどハッキリと強い筆跡で書かれた、あの脅迫状を彷彿とさせる攻撃的な文言だった。

「復讐……」

 おそらく、例の脅迫状を話題に上げようと思ったのだろう。しかし副船長のつぶやきにコロンブさんが被せた。

「船長が行方不明になった状況は?」

「分かりません。トイレに行ったことらしいところまでは辿れましたが……」

「トイレには?」

「操舵室近くのトイレには偶然船員のエイデル・マッキーがいたのですが誰も入ってこなかったと……」

「廊下で消えたと言うのですか」

「ええ、操舵室からトイレに向かう途中の廊下……」

「どこに繋がっていますか」

「どこにでも。行こうと思えば客室や大広間の方にも、それから機関室や乗組員船室の階まで」

「あの廊下ですか……中央廊下」

 コロンブさんが唇を噛む。

「もう一度探しましょう。何も密室でいなくなったわけじゃないのです」

 と、指揮をとろうとした時だった。

 轟音がして船全体が大きく揺れた。一拍遅れて危険を示す警報がけたたましく鳴る。と、体が一瞬軽くなった。

 肺がひゅっと潰れた。心臓が凍り付く。喉から息が漏れたが声にはならなかった。必死に床に縋りつく。

 落下しているのだと分かった。それはゆっくりした速度だったが、確実な落下だった。

 警報が轟いていた。私たちはようやく悲鳴を上げた。

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