第20話 ランプ

 娘がノックをした。中にいる人の気配が、一瞬尖ったような気がした。

「どうぞ」

 静かな声。メリィさんだ。

 娘はそっとドアを開けて中に入った。まず目に入ったのはデスクだった。大きなデスク。その上にはピンセットや、ちょっとサイズ感のあるランプ、革の切れ端や歯車なんかが散乱していた。床の上にも資料や設計書と思しき紙の束がいくつか。まぁ、作業場は散らかすタイプなのね。『オルゴール』に関する作業は特殊な薬品を熱する工程があるから、危ないって聞いていたけど……。まぁ、彼女なりの秩序があるのかもしれない。

「シンディさんからはもう帰ったと聞きましたが」

 メリィさんが娘を注視しながらつぶやく。マッチを擦って火をつけて、デスクの上にあるランプを灯す。

「何か忘れ物でも?」

「ええ。大事なものを」

 娘はにっこり微笑んだ。それからあの「真実を見る目」で……そう、見抜きの魔法なんて使わなくてもいいくらい真っ直ぐな目で、メリィさんを見据える。

「今から返せば、罪には問われないかもしれません」

 娘の視線が、デスクに遮られたメリィさんの足下に刺さる。

本物オリジナルの『ラ・ミア』を持っていますね?」


 メリィさんの顔色が目に見えて険悪になった。目つきが鋭い。唇を嚙みしめている。眉を寄せて、頬がひくついている。

 それから、小さい声で告げた。

「あら、どうして?」

 娘は笑った。

「簡単です。あなたが人形に『呪いもどき』をかけた人物だから。まず犯人の条件を挙げましょうか。一、館内にある人形全てに『オルゴール』をつけられる、つまり人形を『点検』『精査』するふりをして何かをつけてもおかしくない人物。二、『オルゴール』に関する知識に富んでいる人物。これだけの条件でまず館内の人形技師に絞られますね。三、大展示室に入れるカードを持っている人物。全て満たすのはあなただけです」

 娘は小さく歩き出した。それから天気の話をした後に流行りのお菓子について話す風に、急に話題を変えた。

「あなたは事故に遭っているそうですね。船の動力である魔蓄が破裂した水難事故。確か呪い騒動が起きた後、事故に遭われた」

「それがどうかしまして?」

 メリィさんは澄まして訊ねた。

「タイミングがいいですよね」

 娘も澄ましていた。

「全ての人形に異常がないことが分かって、誰かが消したかったか。あるいはあなたが消えたかったか」

 娘はメリィさんを見据えながら続けた。

「誰かが消したかった線について考えましょう。ここは国営の施設です。重要な職員が集まります。誰一人として欠けてはならない。皆さん重要な仕事を持っていますからね。そんな一員が不慮の事故で突然消えてしまったとなれば……国は新しく人員を補填するでしょう。つまりあなたを消しても他の誰かが来る。意味がないんです。さらに『誰かがあなたを消したかった』という線について考える時は『あなた個人に対して攻撃の意図があった』ことも考えなければなりませんが、その攻撃意図があった可能性は低いと言えます。あなたはここに勤めて二年半。もうすぐ職場が変わります。つまり放っておいてもこの博物館からいなくなるんです。仕事とは関係ない、プライベートな面で恨みを買っていた可能性はなきにしもあらずですが……それなら通りがかったところを刺すか殴るかした方が手っ取り早いでしょう。船の魔蓄を弄って爆発させるなんていうのは魔蓄に詳しい人間じゃないとできないんです。『メリィの知り合いかつ魔蓄に詳しい人間』は範囲が絞られます。犯人がその輪の中に入りたがるとは思えない」

 つまり言いたいことは……娘が目を擦る。

「『誰かがあなたを消したかった』という線はやや無理があるんです。シンプルな方を取りましょう。『あなた自身が消えたかった』という解釈の方が単純明快ならそっちが正しい」

 メリィさんは静かに娘を見ていた。

「あなたが人形に細工をした人物であることはさっき証明しましたね。人形を弄っても怪しまれないかつ大展示室にいつでも入れる人物はあなたしかいない。そしてそのあなたが『人形には疑うべきところが何もない』と証明した後に消える。『やり逃げ』に近いことをしていますね。目的を果たしたらさっさと退散する手口……」

 娘がまた目を擦った。

「では果たしたかった『目的』は何か。あなたは何故人形博物館の全ての人形に呪いがかかったように見せたかったか」

 メリィさんが沈黙を守る。

「反対をとればいいと思いませんか? 全ての人形に呪いがかかっているように見せたかった理由はその反対、つまりでは呪いの内容は? 『しゃべる』。『動く』。人間的ですね。そう、あなたは『人形が人間らしく振舞う』ことを隠すために『館内全ての人形を人間らしく振舞わせる』ことにした。では何故『人形が人間らしく振舞う』ことを隠したかったか」

 エメ・ブルギニョンさんでしたっけね。娘は目をぱちくりさせる。

「『ラ・ミア』を検査した魔法使いさん。彼女のレポートには『人命救助系の魔法の残滓を確認したが、今は何もない……』とありました。人命救助系の魔法とは?」

 と、娘はいきなり私をつかんでひょいと持ち上げた。視線が高くなって、メリィさんのデスクの上がよく見えた。

「私の母が使っている、この『延命の魔法』も人命救助系の魔法だそうですね。『物に命を移して繋ぎとめる』。逆に言えば『物に魂を移せる』。メリィさん、あなたは『ラ・ミア』になりたかった。しかし人形になってじっと人形のまま居続けるなんていうことは不可能。何かのはずみに人間らしく振舞ってしまうかもしれない。でも過去に人形が人間らしく振舞った実績があれば『あの時起きた誤作動の一種だ』と思ってもらえる」

 そして、あなたは。

 娘は静かに続ける。

「昨日、その魂の移行作業の最終段階に入った。『ラ・ミア』を偽物とすり替えて本物の『ラ・ミア』を手元に置き、それに魂を移す。デスクの上に、現在展示されている『ラ・ミア』が贋物であることを告発するメモでも書いて自分の魂が移った本物の『ラ・ミア』を傍に置いておけば、それが大展示室に戻って全て計画通りに収まる手筈だった。本当は船の事故の後すぐに実行に移す予定だったのでしょうが、ダスティンさんが嗅ぎ回ったからか、上手くできなかったのでしょう。あなたの計画が遅延した理由はダスティンさんがいたことと、そして私たちが介入したこと。そしてそのダスティンさんは……」

 娘が首を振る。

「あなたが何か吹き込んで、高飛びさせたんじゃないですか。騒ぎがあった後に彼が消えれば彼がやったように見える。まぁ、ここまで考えた段階では、ダスティンさんがあなたの共犯で本当に『ラ・ミア』を持ってどこかへ消えたのか、あるいは単に囮に使われたのか判別しかねましたが、それは……」

 娘がメリィさんの足下に目をやる。娘は推理をしながらゆっくり歩いてデスクの横に回り込んでいた。メリィさんの足下がよく見える。

「かわいらしい人形ですね。入れ子人形かな」

 と、娘が急にふらつき始めた。

 おかしい。どうしたの。そう思った時に気づいた。

 さっき娘に持ち上げられた時に見た、デスクの上。

 大振りのランプ。

 メリィさんは娘が入った時にそれに火をつけた……。

「お気づき?」

 メリィさんが……メリィが冷たく告げた。

「確かにこれは本物オリジナルの『ラ・ミア』」

 彼女は足元から卵型の人形を拾い上げる。

「おっしゃる通り、私は『ラ・ミア』になりたかった……」

 娘が膝をついた。まずい……まずい! 私はこの時本気で後悔した。ああ、見えていたのに! 

 カバンになっていたから気づかなかったのだ。猫の姿なら気づいていた! 気づいて娘を守れたのに! 

 私はすぐさま猫の姿に化けて娘の前に立った。全身の毛を逆立てて目の前の女を警戒する。

「ランプね!」

 私は叫んだ。

「『オルゴール』を作るのに使う薬品を燃やしてる!」

「よく分かったわね」メリィが笑った。

「日頃からこの薬品に接しているから私には耐性がある。でもその子も……そしてあなたも耐性がない。ちょっとの量でもほら、体が痺れる」

 手足がピリピリしてくるのを感じた。煙を吸ったら……この部屋の空気を吸ったらいけなかったんだ。まずい。まずい。どうにかして娘だけでも逃がさないと……。

「私が『ラ・ミア』になりたかった理由は話しても仕方ないわね。あなたたちはここで消える」

 メリィはゆっくり窓際に歩くと、窓枠に立てかけてあったかわいらしい人形を手に取った。

「延命の魔法はね、何も死にかけの人間に使わなくてもいいの」

 私たちの方にメリィが近寄る。

「あなたたちも人形になりましょう? 三人仲良くここに飾られるの」

 彼女の掌。箱型の……魔蓄。

「逃げて! 早く!」

 私は娘の前で必死に叫んだ。しかし娘の返事がない。もしかして……もしかして……。

「さぁ、探偵さん」

 やっぱりメリィは笑っていた。

「あなた、かわいらしいからきっと素敵な人形になるわ」

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