ニオイの日


 ~ 二月一日(火) ニオイの日 ~

 ※国色天香こくしょくてんこう

  牡丹ぼたんのこと。

  あるいは、国で一番の美と、天の

  ものかと感じる香りを併せ持つ女性。




 朝の通学路で偶然鼻をくすぐった。

 爽やかな、雨のフレグランスに乗って聞こえた独り言。


 相手は、いつもほんとに世話になっている人で。

 しかもその願いが、今の俺には簡単なことだから。


 俺がその場で声をかけて。

 一肌脱ごうとしたところまでは。


 ごくごく自然な流れだったと思うんだけど。


 半日経った今になっても。

 そんな願いは叶えられずにいた。


「王子くん。どうしてそこまで意固地になってるんだよ」

「いやいや意固地とかじゃなくて! ほんとに手を借りなくて大丈夫だから!」

「そうはいかねえ。金曜の午後なら空いてるんだよな?」

「確かに空いてるけど……。いや、まいったな……」


 休み時間はおろか。

 授業中もずっと押し問答して。


 あまりの騒がしさに。

 こうして二人で立たされても。


 頑として俺の助力を受け入れない王子くんは。

 往生際悪く、いつまでも誤魔化し続けるのだった。


「し、しかし授業中の廊下って寒いんだね!」

「話題逸らそうとするんじゃねえ。これで寒くねえだろ」


 さあ、上着かけてやったんだ。

 ぐずぐず言わずに迷惑な親切を受け取りやがれ。


 王子くんは一瞬、秋乃みたいにわたわたした後。

 しばらく、他の言い訳を考えているのか。

 目を泳がせていたんだが。


 迷惑なような、嬉しいような。

 落ち着きなく表情をころころ変えた挙句。


 観念した様子で。

 上着の合わせを握りしめたまま俯いた。


「さて、観念したか?」

「はあ……。しょうがないな……」

「よしよし。それなら全力でサポートしてやるぜ」


 ……王子くんの独り言。


 『好きな人にあげるチョコって、どんなの作ればいいんだろう』


 ともすればケンカにまでなりそうな、いつも騒がしいメンバーが。

 朗らかな気持ちでいられるクッション役。


 俺としては、そんな苦労を背負いこんでくれる。

 みんなのために、我慢を喜んで引き受けてくれる王子くんには。


 できるだけの応援をしたいと思ってる。


 の、だが。


「あっは! 保坂ちゃんに応援されても困るんだよねえ……」

「え? 俺、そんなに頼りねえ?」

「いや、そういう意味じゃないからへこまないでほしいな」


 なんという一刀両断。

 今の話の流れでへこむなと言われても。


 でも、頼りないなりに頑張って。

 必ず役に立ってみせるからな、王子くん。


「よし。それじゃ男子ウケ間違いなしのとびっきりなやつを教えてやる」

「そんなのあるんだ。どんなお菓子?」

「これから調べる」

「…………保坂ちゃん」

「そんな目で見るな」


 しょうがねえだろ、知らねえんだから。


「待ってろよ。今すぐ、完璧なレシピを見つけてやる……」

「いいって。携帯なんかいじってたら、また屋上に立たされるよ?」

「えっと……。むむ、結構候補があるな……」

「携帯なんか使わないでいいからさ。た、例えば保坂ちゃんが好きなチョコのお菓子ってなに?」

「俺、甘い物苦手なんだよ」

「はは……。それじゃ参考にならないね……」


 なんとしてでも見つけてみせる。

 そう意気込む俺に向けられる冷めた目線。


 もう、こうなりゃ意地だ。

 絶対に、これだってもんを見つけ出して……。




 がらっ




「け、携帯なんか見てません!! これは最新型のハーモニカです!」

「携帯咥えて……。どうしたの?」

「ふぁきのかい!! ぺっ!」

「きたな……」

「なんで出て来た!?」

「た、立たされた……」


 涎まみれになった携帯を見てドン引きするのは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 タイミング悪いんだよお前。

 ノックして、入ってますかー、くらい言うのがマナーだぞ?


「立たされたって。なにして?」

「先生の頭にレーザーポインター当てた……」

「うはははははははははははは!!! なんで!?」

「た、立哉君が王子くんの事、説得できないんじゃないかと思って……」

「ああ、わざと立たされたのか。気持ちは嬉しいが、ちゃんと説得できたぞ?」

「よ、良かった……」


 ほっと胸をなでおろした秋乃を見て。

 王子くんは、複雑な顔で無理やり笑っているけれど。


「俺が話したわけじゃねえぞ? こいつも王子くんの独り言、一緒に聞いてたんだ」

「そ、そうなんだ……。でも、よく僕だって気付いたね」

「だって王子くん、ずっと爽やかな香水使ってるじゃない」

「え? そ、それは……。前に褒めてくれたから……」

「へえ。ひょっとして、その好きな人から褒められたのか?」

「え?」

「ん?」


 しばらく固まっていた王子くんは。

 どういうわけやら珍しく膨れたかと思うと。


 小さくため息をついて。

 目を逸らしてしまったんだが。


 何か悪いことを聞いたのだろうか。

 俺は、秋乃に助言を乞おうと振り向いたんだが。


「た、立哉君。西野さんに、ちゃんとチョコづくり教えてね? あたしの指導時間を削ってもいいから」

「ん? おお。それより今……」

「だから、あたしのチョコは多少失敗してても大目に見る事」

「うはははははははははははは!!! いらん保険うつな! 大丈夫だよ、楽しみにしてるから」


 やれやれ、友情と自分の体裁、両取りすんじゃねえよ。

 俺は秋乃の機転に呆れながら。

 今度は王子くんに振り返ると。


 待っていたのは。


「……え? なんで怒り顔?」

「ようし、そっちがそう来るなら、金曜日は目一杯付き合ってもらうことにするから覚悟しといてね!」

「なんで急にやる気になった!?」


 やる気を出してくれたんなら結果はいいんだが。

 どうにも腑に落ちないこの豹変ぶり。


 ……俺。


 なにか、面倒なことに巻き込まれてる?


 鼻息荒く拳を握る王子くんを見つめながら。

 考え無しに面倒事を背負いこんだ自分の迂闊を呪う事しかできなかった。

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