コラーゲンの日


 ~ 一月二十六日(水) コラーゲンの日 ~

 ※懸崖撒手けんがいさっしゅ

  勇気をふるって行動すること




「いいかお前ら! チョコとはお前達にとっての刀! その切れ味次第で勝利を得るか玉砕するかが決まるんだ!」

「にょー!?」

「にゅっ!」

「例えが酷いね……」

「情熱を燃やせ! その熱でチョコを鍛えろ! 敵はすぐそこまで迫っているぞ!」



 本日、部活探検同好会がお邪魔しているのは。

 お菓子作り同好会。


 副部長の子が力説する中。

 十人もの女子が、指示通り気合いを込めて硬いチョコに包丁を入れる。


「この時期になると、にわか部員が増えるのよねえ……」

「分かる。まさか俺たち以外にも体験希望者がいたなんて」


 俺の隣に腰かける部長は、当然二年生。

 すでに全ての部活が部長の代替わりを済ませているおかげで。

 気軽にアポが取れて助かるんだが。


 それにしても手際よく体験会への参加を認めてくれたのは。

 この時期、当たり前に準備しているイベントだからなのだろう。


 そんな体験会参加者。

 拗音トリオが誘った同級生は五人。

 つまり一年生八人に混ざって。


「こらそこ! 熱量が足りない! もっとパッション出せ!」

「は、はい!」


 一年生の副部長に怒鳴られながら。

 チョコを刻むこいつは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 でも。

 そんな、ちょっぴり妙な様子も。


 まったく気にならない理由が秋乃の隣で華麗に包丁を操っていた。


「なぜこの時期に三年生…………」

「いいじゃない。作りたくなっちゃったんだから」


 線の細い、はかなげなイメージの先輩が。

 力もかけずに硬いチョコをさくさく削ると。


 流れるような手際で熱した生クリームに突っ込んだ。



 常識知らずな秋乃はともかく。

 一年軍団が、そわそわしながら気にする彼女。


 ほとんど校内で見かけなくなった最上級生の瞳は。

 泡だて器を回し続ける鍋の中だけを真剣に見つめていた。



 ……まあ。

 先輩にもいろいろ事情はあるんだろうけど。


 それはともかく。


「この、妙な軍隊風のあおりは何なんだよ」

「我が同好会の伝統でね?」

「伝統って」

「彼女も素質はあるけど、先輩たちに比べたらまだまだよ」

「まだまだって」


 戦場から離れた所に座る部長の話に。

 呆れ顔を浮かべてみたが。


「なるほど、説明が必要なようね。こんな感じで手作りチョコを教えるのには訳があってね?」

「あるんかい」

「チョコを渡す後押しをしてあげたいからなのよ」

「……ん?」


 後押しってなんのことだ?

 首をひねってみても。


 答えが分からん。


 こんな難問のヒントは無いものか。

 俺は、出来上がったガナッシュを冷蔵庫に突っ込んでいる拗音トリオに声をかけてみた。


「お前らでも、手作りとかするのな」

「にょーっ!? お前らでも、とはどういうことです先輩!?」

「私達だって、ひょっとしたら渡せるかもしれないじゃないですか」

「にゅ!」

「…………渡せる、かも?」


 ああ、そうか。


 女子にとってのバレンタインデーって。

 作るとか買うとか。

 準備までは無条件で楽しいイベントなのに。


 そんなチョコを渡す勇気が出るかどうか。

 それは完全に別のお話って事なんだな。


「……それを後押しするための軍隊調ね」

「え? なんです?」

「ああ、すまん。お前らの話じゃなかったんだが」

「じゃあ、なんの話ですか?」

「…………無事に渡せたらいいなって話」

「じゃああたしたちの話じゃないですか!!」

「あれ? ほんとだ」


 寝ぼけた俺の返事に。

 ぎゃあぎゃあと噛みつく朱里とにゅ。


 いつもなら、もっとうまくあしらうと思うんだが。

 こいつら二人からされた相談事のせいで、今日はちょっと調子が出ない。


「なんだか元気ないね、先輩」

「そんなことねえぞ?」


 さすが気配りの女。

 丹弥が目ざとく指摘してきたが。


 お前のせいで悩んでいるとまでは。

 気づかなかったみたいだな。



 ……昨日の昼休み。

 朱里とにゅから、図書室に呼び出されて聞かされたこと。


 丹弥が、三年生の先輩から告白されて。

 それをお断りしたらしい。


 恋とかまだよく分からないし。

 それに正直好みじゃない。


 丹弥は、二人に笑って報告したらしいんだが。


「で。どうしたらいい? とか。そんな漠然とした超難問出されてもな……」

「ん? 保坂、なんか言った?」

「いやべつに」


 同時に抱えた面倒事。


 凜々花の受験。

 秋乃に依頼されたチョコづくりの指導。


 そして。


 どうしたらいい?


 どれもこれも厄介で。

 しかも、そのうち一つは解答がまるで見えず。


 さらに、最後の一つは。

 問題文すら理解できん。



 ……でも、それぞれ解決しなきゃいけないからな。

 考えてばかりいないで、何か行動を起こして行こう。


 俺が、前向きに考えながら。

 心の中で頬を叩くと。


 指導役の副部長が。

 完成間際、ココアパウダーを準備し始めたみんなに向けて。


 熱く語りだす。


「だめだだめだ! いいかお前ら! いくら心を込めようとも、いくら気持ちを込めようとも、心は所詮心、気持ちは所詮気持ち! 市販のチョコより美味いはずはない!」

「身もふたもないこと言いやがった」

「だから、仕上げにプラスアルファ! 自分らしさを加えるんだ!」


 そんな言葉に。

 右往左往し始める一年生たち。


 次第に、目が向いていくのは。

 先輩たちの手元。


 ヒントを貰おうと思ったんだろうけど。

 そいつの手元を見たところで。


 仕上げに繋がるどころか。

 悲鳴をあげることになるだけ。


「……こら。お前は包丁を指に当てて何をしようとしてるんだ?」

「ひ、皮膚を混入……」

「怖いよ、なんのヤンデレだよ。自分の皮膚を食わそうとすんな」

「そ、そういう意味じゃなくて……」

「なくて?」

「コラーゲン入り」

「うはははははははははははは!!!」


 おもしれえけど、体の一部は絶対に却下。

 俺は、視線でNGを出して秋乃をしょんぼりさせたんだが。


 そんな俺たちを捨て置いて。

 一年生たちは騒めき出す。


「うわ。売りものみたい……」

「まさに名刀……」

「こ、こんなの貰ったら、どんな男子だってイチコロですよ!」


 みんなが見つめるその先にあったのは。

 チョコで作った繊細な蝶を乗せた美しいトリュフ。


 ココアのまぶし方も完璧で。

 甘いものが苦手な俺でさえごくりと喉を鳴らすほどの芸術作品を。


 作者である三年生の先輩は。

 じっくり見つめてから、ウムと一つ頷くと。



 口の中に放り込んでしまった。



「「「「なんでえええええ!?」」」」


 一年生たちが叫ぶのも無理はない。

 だって、俺ですら叫んだもん。


 そんな、悲鳴に近い叫び声を聞いた。

 線の細い、はかなげなイメージの先輩は。


 一年生たちに微笑みかけながら。

 優しい声で、答えだけ教えてくれた。


「入試が済んでから、バレンタインデーに告白しようと思ってたんだけどね。一足遅かったの」


 ……遅かった。


 その言葉が、全員の飲み込んだ息を一瞬にして止めてしまう。


「だから……。あなた達も、後悔しないようにね?」


 経験者からのアドバイスに。

 一年生たちが小さな声で三々五々、返事をすると。


 先輩は、静かに席を立って。



 そして。



 …………豹変した。



「貴様ら! 声が小さい!!!」

「「「「は……、はい!」」」」

「いいか! 今すぐ躊躇の二文字を心から抹殺しろ! 得物を前にしてトリガーを引けない腰抜けに待っているのはあわれな末路だけよ!」

「「「「はい!」」」」

「さあ! 分かったらやり直しだ! 鉛を刻め! 弾丸を溶かせ! 確実に一発で仕留める火薬をありったけ込めろ!!!」

「「「「イ……、イエッサー!!!」」」」


 今までの比じゃない。

 全員、顔を四角くこわばらせながら。

 真剣に一からトリュフを作り出す。


 そんな姿を、呆然として見つめる俺の元に先輩がやって来ると。

 部長は苦笑いと共にこう言った。


「やっぱ部長には敵わないですわ……」

「元、ね?」



 ……俺は、今日。

 伝統という言葉の意味を、初めて知った気がしたのだった。

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